第9話 挟撃
「最悪だな」
旧ドローン製造工場を見上げたエリックは開口一番にそう呟いた。
加賀はこうなることを予測している。この廃工場にはたくさんのトラップが仕掛けられていることは容易に推測できた。ハッキング対策をこれでもかと施したものが。
「自律兵器はこれで対応できる」
そう言ってブランクが取り出したのは、ウイルスバレットだった。軍でも使用されていたその凶悪な弾丸をなぜ彼が所持しているのかはわからない。しかし気にする時間はない――どうしても気になるなら、この件を片づけてブランクから聞き出せばいい。
「あいつはそんなのわかってるぞ」
「だがお前は向かう」
「そしてお前はついてくる、か。この歳になってストーカーができるとはな」
エリックの嫌味をブランクは無視した。息をするようにハッキングして、ホロマップを可視化し敵の位置を表示する。当然彼には何の権限もない。スレットハンターの成果があれば合法という雀の涙ほどの権利も。
「敵の数が減っているな」
「消したんだろう」
加賀の性格をよく理解しているエリックは気にも留めない。下手に人数が多いとかえって動きづらくなることがある。或いは別の理由かもしれないが、別動隊を構築した可能性だけは排除していい。
「奴は自分の技量しか信じていない。元々その傾向はあった。俺やリリーと組んだのは楽をするためだ。それでもあんなことだけはしないと思っていたんだがな」
「お前が加賀と積極的に行動したのはこうなる可能性を予見していたからだろう」
ブランクの指摘は事実だったが、今度はエリックが無視を決め込んだ。
「おしゃべりは後にしよう」
「そうだな」
エリックたちは正面突破することにした。こういう場合は下手に裏を掻こうとすると相手の術中に嵌まる恐れがある。加賀は罠でこちらを倒せるとは思っていないので、正面から堂々と向かった方が安全だった。
セキュリティを解除してメインゲートへ侵入したが案の定、地雷の類は設置されていない。代わりに改造ドローンとアンドロイドが数体配置されている。哀れな信者たちも安価拳銃で武装していた。彼らはまだ物陰に隠れている侵入者に気付いていない。
「連中を殺すのは可哀想に思えて来た」
ここまで徹底的に利用されている人間は稀だろう。通常の社会では体よく利用されたとしても、多少なりともメリットは残されている場合が多い。しかし彼らにはデメリットしかない。国を蘇らせる大義を抱く者たちでも、合法的で穏和な手段を選ぶ者たちも存在している。
だが、彼らは過激な手段を選択してしまった。だからカルト扱いなのだ。ある意味因果応報とも言えるが。
「生かしたとしても殺したとしても影響はない」
ブランクは拳銃を取り出す――ウイルスバレットが装填されているマシンピストルを。
「ならば、わざわざ殺す必要はない」
ブランクは手始めに目につく自律兵器へ病魔の弾丸を撃ち込んだ。弾丸にセットされたプログラム通りの行動を機械群は開始する。察するに彼もエリックたちと同じく復国カルトたちを監視していたのだろう。脆弱性は全て曝け出されている。お粗末なセキュリティプログラムはダウンロードされて解析済みだ。
突然の同士討ちに信者たちは狐につままれた。もはや彼らは敵ではない。古い怪獣映画よろしく、逃げ惑う哀れな群衆だ。それでも果敢に向かってくるものは昏倒させて、戦意を放棄した者についてはそのまま逃亡を許した。彼らの情報は既に入手済み。逃げられたとしてもいつでも捕まえられる。
二人で混乱するカルト部隊の間を通り抜けて、加賀を探す。放置されたベルトコンベアと作業用アームが並べられた作業エリアへと出た。
そこにも数名の信者が配置されている。意外なことに戦闘用ロボットの類は存在しない。
ブランクがベルトコンベアの陰に隠れて電源をチェックする。オフラインだ。
「たまさか初戦で倒せるとは思っていなかったが、まさかリリーまでをも逃すとは。やはりお前は油断ならないな、エリック」
「そいつはどうも」
加賀はエリアの奥から姿を現した。得物である発火刀は健在だ。
全自動のライン工場に似つかわしくない風貌の者たちがそれぞれの武装を構えて戦闘態勢に入る。エリックはマテバを握りしめて、ブランクもガバメントを装備した。
「このエリアの機械設備は電源が入っていない。ハッキングは不可能だ」
「銃撃戦は慣れてるか?」
エリックは試すようにブランクへ訊ねる。彼は慣れた手つきでガバメントのスライドを引く。それが返答となった。
「奴はお前を狙うだろう。その隙に挟撃する」
「それは賢い作戦だな」
躊躇もなく自分を囮扱いしてくるブランクにエリックは辟易する。だが、それは信頼の裏返しでもあった。彼はエリックの実力を買っている。
「行け」
ブランクが手筈通りに動き出した瞬間を見計らい、エリックはベルトコンベアの上へ身を晒した。気付いた信者たちが銃弾を押し売りしてくる。しかしデタラメな射撃だ。それに何人かは怯えている。恐怖心は大切だが、身を竦ませるほどの恐怖は過剰だ。
威嚇射撃を、怯えが酷い信者に向けて放つ。悲鳴を上げて逃げていく。動揺が他の信者にも広がった。個人として訓練されたプロならともかく、頭数を揃えているだけだとこういうことが起きる。
だが、加賀に打撃を与えることにはならない。奴はカルトたちをあてにしていない。たまたまいるから利用しただけで、例えいなくても結末に大差はないだろう。
「銃弾で私は倒せない」
「だろうな。そのパワードスーツも電子制御されているわけじゃないだろうし」
加賀は今の時代がハッカーとクラッカーの時代だと知っている。ハッキングで対処できるような相手ではない。こういう状況で信用できるのはひとえに自身の技量だ。
幸い、エリックは不良ながらも優秀であるために軍がなかなかクビをきれなかった男だ。引き金を引いて、弾丸が燃え切られる音を聞く。
「知っているぞ。ブランクが背後から奇襲する算段だろう」
「だったらどうする?」
「知っているだろう? 手順は変わらん!」
加賀は距離を詰めて、斬撃を放つ。エリックは銃で応戦する……間合いを取りながら。
※※※
エリック・ウィンストンが加賀敏明に対抗できる時間は、希望的観測を含めても十五分が限度だろう。ブランクは挟撃のために移動していたが、それはベルトコンベアの陰を進むなどと言う単純で単調なルートではない。
一度、エリアの外へと出ていた。背後から銃を撃つ程度で加賀を倒すことができるのなら、既に始末できている。
彼の技量は本物だ。背後への銃撃も完璧に対処してみせるだろう。
だから、こちらの攻撃が相手に通用するように表面化が必要となる。技術と技能で覆われた弱点を浮き出させるのだ。
ブランクの行動は、常に表面化だった。
アンダーグラウンドに隠匿された悪事を衆目の目に晒す。
警察機構の目が届かない場所に存在する犯罪を浮上させる。
だが、自分が正義だと驕ることはない。
そういう人間を屠ったこともある。正義を自称する犯罪者を。
大切なのは違法と合法、善と悪の線引きだ。それを見誤ってしまえば、例え今は問題なくとも将来的に過ちを犯す。
しかしエリック・ウィンストンはその境界線をよく理解している。だから、協力をしてもらうことにした。
工場外に出たブランクは、待機していたドローンを呼び寄せる。汚職軍人が軍用の多目的ドローンを犯罪組織に横流ししようとした現場から頂戴したもので、性能は折り紙付き。高度のセキュリティシステムに守られているため、凄腕のハッカーでない限りコントロールされる恐れのない優れものだった。
デバイスを操作して、作業用のアームを展開する。加賀は設備を破壊したが、それ以上の処置を行う猶予は存在しなかったはずだ。
(後はお前に掛かっている。市民の英雄)
軍部の闇に抗った男に授けられた俗称を思い返しながら、ブランクは作業を続けた。
※※※
銃は弾丸という制約があるが、剣にそのような攻撃回数の制限はない。刃こぼれや耐久性などの問題を除けば、その分析は正しい。
しかし剣の使用にはそれなりのデメリットが存在する。習得が非常に難しい。そもそもそこまで接近しなくても銃で倒せる場合が多い、など。
そのようなデメリットを無視して剣を用いる場合は、新しく追加されたメリットと、付随して発生してしまうデメリットが必ず存在するものだ。
加賀の発火刀には弾数制限ならぬ斬撃制限がある。直接本人の口から聞き出すことはなかったが、エリックは見抜いていた。
ゆえに、危険を承知であえて接近を許し、剣を振るわせる。肝が冷えたが、その冷却を上回るほどの熱量が、加賀の刀から発せられる。
「いつまでも逃げ回れると思うか?」
「どうだろうな、試してみる」
軽口を叩きながら、マテバを天井にぶら下がる電灯に命中させる。ガラスが加賀の位置へ降り注いで、綺麗に溶解されていく。このような妨害作戦を何度も繰り返した。案の定、加賀から積極性が消えていく。
身体能力に問題が発生したわけではなく、攻撃回数の減少によって手をこまねいてるのだ。
「どうした? 動きが鈍ってるぞ」
「白々しいな、エリック」
加賀は他人事のように告げる。安い挑発に乗るような男ではない。彼は冷静に距離を取り始めた。防がれると知りながら機構拳銃を撃って刀の燃料を減らしていく。刀を発火させるのは攻撃力の向上だけでなく、防御力の強化も担っている。斬っても防いでも、燃料は消費されていく。
そして、刀から火が消えた瞬間が反撃のチャンスだ。いくらパワードスーツを着込んでいようとも、生身の刀身で銃弾を防ぐのは至難の業だ。機構拳銃とマテバを同時に打ち込めば、確実なダメージを与えられる。
問題は、加賀もその弱点を承知済みだということだ。
「加賀様!」
援護射撃をしていた信者の元に加賀が下がって、数名の信者が加賀をカバーする。その隙にエリックは信者が捨てたライフル類を回収したが、残念なことにどれも粗悪品だった。それでも牽制ぐらいにはなるだろうとAK-12の劣化コピー品を構える。
瞬間、軍時代に培われた勘が警鐘を鳴らした。……信者の数が少なすぎる。ブランクが撹乱した連中や事情があって合流できなかった連中を加味しても、もう少し多くいてもいいはずだ。
(ということは……くそッ!)
事実に気付いて銃撃を加えたが、その瞬間に加賀は近くの信者を切り裂いていた。
「一足遅かったな、エリック!」
信者の首が飛ぶ。腕が舞う。悲鳴が工場内にこだましていく。
「戦場で入手が容易なのは、血だよ。有機物を燃料として、この刀は発火する!」
「チッ!」
三点射撃で加賀に銃弾を浴びせるが、加賀は容易く避けた。機構拳銃の誘導弾も付け合わせたが、加賀は燃料を補充した刀で防御する。その間にも逃げ惑う信者に近づいて、その腹に刀を突き刺した。
「なぜです、加賀様!? 我々は同志では……」
「ああ、そうだぞ友よ。だから目的を達成するために死んでもらう。悲しいが、必要なことだ。日本国万歳」
平然と嘘を吐き、絶望した信者を真っ二つに切り裂く。エリックは残弾数をチェックした。これ以上無理矢理補給を止めようとしたところで、加賀は止まらない。その前にこちらが弾切れになる恐れが出てきてしまう。
次手を考慮するエリックの耳に、別の信者の叫び声が響く。心の中で毒づきながら、射撃を再開した。
「くそッ! さっさと逃げろ!」
「犯罪者を助けるとは、本当にお人好しだな、エリック」
「別に奴らのためじゃねえさ! 生き証人がいないと事後処理が面倒なんだよ!」
「自分たちのことしか考えられないクズだぞ。生かす理由がないだろう」
「俺は人を殺したくてスレットハンターをしてるわけではないんでね」
「止むを得ず殺すだけ、か。理想主義者め」
加賀をけん制する間に、残りの信者たちが出口に殺到していく。お礼はしないからな、なんていう元気な捨て台詞を吐く奴もいたが、エリックは気にしなかった。
「それで、現実主義者さんはまだ俺のことを殺せないのか? ――チッ」
ガチャガチャと空撃ちの音が響く。さっと身をしゃがませて隠れた。
挑発と同時に、回収したアサルトライフルの残弾がゼロになった。予備マガジンも空だ。機構拳銃もバカスカ撃ってしまったので残り少ない。後はマテバだが、こちらもスピードローダーを二つ残すのみ。危機的状況という言葉がすっぽり当てはまる。
「くそったれ……」
『エリック!? 残弾表示がバグってなければ――』
「カリナか。弾数はちゃんと確認してる。心配するな。それよりリリーは無事か?」
視界の端に表示された相棒に状況を確認するが、彼女は怒りと悲しみで顔を歪ませる。だが、エリックの質問には答えてくれた。
『ちゃんと安全を確保したよ。けど、あんたはどうするの!?』
「そう怒鳴るな。いつも通りさ」
マテバのスピードローダーを取り出して装填。所持していても意味がないので投げ捨てる。
『いつも通りって……私はそういうところが嫌い!』
「知ってるよ。よく言われる」
しかし直す気はない。指摘される度に不思議に思うのは、嫌いだと言う人間に限って傍にいてくれることだ。オリヴィアも悪口を言いながら日本について来てくれたし、リリーも説教しながら自分のことを気にかけてくれた。
カリナも、たっぷり文句を言いながら身を案じてくれている。子ども時代にこういった人々に出会っていれば、もう少しまともな大人だっただろうか。
「別れの言葉は済んだか?」
「勝手に人を殺してくれるなよ」
加賀の気配が近づいてくるのを感じて、エリックは作業用アームの陰から立ち上がる。
「案ずるな。すぐに現実になる」
「そうか?」
エリックは不敵な表情を崩さない。加賀もまた同じだった。
「お前は数多の危機を切り抜けてきた。独自の自己防衛法で。だが、その悪運もここまでだ」
加賀は刀の切っ先をエリックに向ける。エリックはマテバの銃口で応えた。
「素直に私に協力すれば良かったのだ。私とタッグを組めば、どこでも稼げただろうに。何なら日本自治区で生き長らえることも容易だ。今の世界は犯罪者優位だ。監視ネットワークは犯罪者が使うもので、治安維持組織はまともに運用できていない。犯罪抑止のためのシステムが犯罪の助勢に繋がっている。何の考えもなしに使用するからだ。どうしてそんな愚かな連中を食い物にせず、守ろうとするかが理解できん」
「だろうな。別に、俺も承認欲求はたいして強くない」
「ではなぜ」
「お前みたいな奴が気に入らないからだよ」
「そうか。わかり合えないか。では――死ね」
加賀が刀を一閃させる。
すぐさま轟音が轟いた。
「むッ、これは!」
呼応して銃撃も奏でられる。血が舞う音も。
加賀の刀は、作業用アームに拘束されていた。瞬時に切り裂いたが、その一瞬の遅れは致命的だ。エリックは反射的に加賀の頭へマテバを撃ち、加賀は左腕を犠牲にすることを選んだ。強化装甲がスパークし、隙間から鮮血が零れ落ちる。後方に跳躍し、加賀は疑心の瞳でアームを睨んだ。
「バカな、電源設備は破壊したはず――いや、修理したのか」
「その通りだ」
加賀の背後のゲートからガバメントを構えたブランクが現れる。軍用ドローンも一機浮遊していた。
「なるほど、これは私の判断ミスか。手口の見知ったエリックよりも、お前を先に殺すべきだった」
「お前の判断は間違ってはいない。だが、エリック・ウィンストンを早急に始末できなかったのが敗因だ」
「劣勢ではあるが、まだ負けてはいない。武士は死ぬまで戦いと共にある」
加賀は降参の意志を見せずに、片手で刀を握りしめた。
「改めて訊くが、お前は本当に武士なのか?」
「正直なところ、知らん」
加賀は気にする様子もなく言う。
「だが、刀を使うのだ。であれば、侍を名乗ってもよいだろう。どうせ、刀も握れぬ旧日本人ばかりなのだから!」
加賀は刀を構えて突撃してくる。ブランクは軍用ドローンの機銃掃射とガバメントでの射撃を放ったが、加賀は刀を逆手に持ち、後方の銃弾を切り裂いてみせた。エリックはマテバの照準を加賀の胸元に合わせる。
不意に加賀の左腰に収まっているリボルバーが目に入った。あれを使われていれば、結末はわからなかったかもしれない。
だが、加賀は左腕を負傷していた。それが勝敗をわけた。
心臓を撃ち抜かれた加賀は、床へと斃れる。
「お前の、勝ちだ……!」
「そのようだな。さて……」
加賀は満足げに死亡した。エリックの視線と銃口はブランクへと移る。
ブランクは銃を下げている。ドローンもこちらに照準を合わせていない。
「弾切れだ」
そう言い訳して、エリックも銃を下ろした。
「予備のローダーはあるが、再装填している間にお前は逃げるだろうな」
「賢明な判断だ」
「もし弾丸が装填されていたらお前を撃ち抜いていた。止むを得ない判断だよ」
ブランクは去って行く。位置情報は表示されていないので、今見失えば、こちらか追跡することは限りなく困難だ。
だが、不可能ではない――。もし次に機会があれば絶対に見逃さない。
「また接触する」
「その時はお前が逮捕される時だがな」
「いや、そうではない。優先順位がある」
「お前はサーカスについてどこまで知ってる?」
「お前と同程度だ」
エリックは眉を顰めた。……どいつも考えをお見通しらしい。
ブランクを完全に見失った後、エリックはシリンダーをスイングアウトして、薬莢を排出した。唯一残っていた一発の弾丸をキャッチして、ポケットの中に仕舞う。ローダーを取り出して装填した。
常に弾は入れておく。戦場での基礎的な自己防衛法だ。シングルアクションリボルバーと違って、マテバは暴発の危険性は限りなく低い。
『どうして見逃したの?』
モニターしていたカリナには筒抜けなため、エリックは誤魔化さなかった。
「面白くはないが、奴はまだ泳がせていた方がいい。少なくともサーカスの全貌が明らかになるまではな」
『嘘だ。ああいうのが正義だって思ったからなんでしょ』
予想していた反応とは違った。或いは、あいつがカリナが憧れる真のアウトローなのかもしれないが。しかしそれだけは譲るつもりはなかった。
「あいつは正義じゃない」
『人々のために戦ってるんだから正義でしょ。意固地にならなくてもいいって』
「違うぞ、カリナ。現行法は欠点だらけだが、だからと言って奴の行為は正当化されない。そしてそれは奴も理解している。だから今回は見逃した」
ブランクは無責任な人間ではなかった。自分の行為が犯罪行為であると知っていた。これでもし自分が正義だと高らかに謳うような奴であれば、撃ち殺していた。
『そんなこと言ってたら、悪党がのさばるだけじゃない! 何で認めようとしないの!?』
「あいつの必要性は……癪ではあるが、認めてる。何を怒ってる? いつも言ってるだろ。正義だから何してもいいっていう風になった人間はな、必ず道を踏み外す。だから常に頭の片隅に入れておかなけりゃならない。やっていいことと悪いこと。悪いことをする場合は、責任を取ることを」
エリックは逃げたカルト信者の位置を確かめる。近くで右往左往している者や、パニックに陥って自宅に戻った奴もいた。一人で全員を捕まえるのは骨なので、ボーナスをゲットしたがっている同僚たちにも通知を送る。
報酬は減るが、それでも二人分の生活費には十分だ。
「倫理観の欠如なんてのは、軍の時だけで十分なのさ」
昔の軍がどうだったかは知らない。まぁ、歴史書を読む限り、昔も倫理観をどこかへ吹っ飛ばしていたセクションは存在していたのだろう。正義の名の下に何をしてもいいと勘違いしてしまう輩はどこにでもいるものだ。
情報軍はとりわけ酷かった。ここ日本自治区でも似たようなことが起こっている。世界中のどこにでも。
『それで、あんたは苦労する……安月給で……』
「心配するなよ。何か欲しい物あるか? 少しくらい贅沢する余裕はある」
『何もいらない』
通信が切断される。エリックは怪訝な表情を浮かべることしかできなかった。
※※※
エリック・ウィンストンは引き金を引かなかった。奴の基準に合格できたようだ。
着実に前進している。此度の標的、サーカスの撃滅へ。
マイク・チェイスはリリー・チェイスの元へ帰していた。これでウィンストンとの一時的な繋がりは絶たれるが、そう遠くないうちに接触が図られる。
「……しかし」
ブランクは壁一面に貼られた相関図を睨み付けていた。クモの巣のように張り巡らされたそれは協力者となりえる人物と、敵対するメンバー、中立的な立場の人間で構成されている。付随する事件やエピソード、人物像をプリントと写真で組み合わせた前時代的な図表は、ある意味で最高クラスのセキュリティシステムだった。ハッキングの恐れはなく、隠滅も容易。室内にはカメラの類は存在せず、特殊なインクを使っているため、撮影されても解読できない。
ブランクはこのように旧時代的な、人々が不便と切り捨てた手法を必要に応じて蘇らせていた。過信せず、また過大にもせず。必要な物を必要な分だけ揃える。
それが空白と呼ばれる所以だった。そこに何かがあるのに、誰も認識できない。
自身の情報管理技術は完璧だ。だが、それは防衛策の範疇だ。敵を狩るためには、もう少し攻撃的な手法を取らなければならない。
その意味で、サーカスは捉えどころがない。攻撃を受けても防御・回避をし、ダメージを修復するような犯罪組織は山ほどある。一撃で壊滅できるような組織は、ブランクの管轄外だ。表面の治安組織では対処困難な敵を、獲物と見定めている。
だが、サーカスはそもそも攻撃を受けることを前提とした集団だ。成功しようが失敗しようが関係ない。そんな敵に対処するためには、従来とは違った手段が必要となる。
そのためのエリック・ウィンストンだ。プランは複数考案済み。その結果付随するリスクも考慮してある。
「都合よく進む計画など存在しない」
恐らくは、一番最悪なパターンに見舞われるだろう……それを防ぐ手立ては、ブランクにはない。エリック次第だった。彼はその可能性に気付いているはずだ。
だが、危険を察知することと、危険に対処することは別物だ。
うまくいくことを祈るしかない。有神論者だけでなく、無神論者も都合よく利用する神頼みで。
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