第8話 外道の剣

 日本自治区コントロールセンターは、かつての国で言うところの政府だが、その趣は旧体系とはがらりと変わっている。

 日本自治区内のデータを収集、分析し、自治運営の糧とするのだ。今はほとんどのシステムが機械化され、スピーディかつスムーズに対応できる。……パンクさえしなければ。

 そもそもあくまで情報の集積所であるだけで、ここを壊したところで大した支障は起きない。昔は運営システムのマヒなどが起きたが、今はバックアップサーバーがいくつも存在している。

 万全の警備により標的とならないのではなく、壊したところで意味合いがほとんどないので放置されている、と言った方が正しい。ある意味では最強の抑止力だが、そんな素晴らしき防衛策も、無意味な作戦の前には無力なようだ。

 復国カルトたちも間抜けではないので、警備アンドロイドの無力化ぐらいはできる。監視システムを一時的にオフラインに――なっていると彼らは思いこんでいる――し、瞬く間に爆弾設置へとこぎつけた。

 それ自体が既に罠であるとは気付かずに。

 エリックたちはカルトを尾行して機運の到来を待っている。


「奴らはここに爆弾を設置した後、複数の作業用ドロイドやドローンで暴れ回る予定だ。まず爆弾を解除、市民に襲撃が迫るギリギリまで放置し、ブランクの介入を待つ」

「連中の改造型暴徒ボットは遠隔操作を受け付けないって話だったな」

「事前にマルウェアを仕込んでおいた。連中の技術力では発見できん。時限式だから、推定到達時間より一歩前に強制停止する」


 万全の安全保障。だからこそ生じる疑問をリリーが呟く。


「来るのかしらね……ブランク……」

「来るとも。仮に来ない場合は……その時だ。こいつらを金に換えればいい」

「準備費用は十分賄えそうだ。お前の計画はいつも安泰だな」

「お前みたいな行き当たりばったりとは違うからな、私は。真の侍は数多の手筈を整える」

「参考にさせてもらうよ」


 相槌を打ちながら、敵の配置を確認する。カリナが既に分析を終え、マップに敵の位置が赤く表示されていた。数は多い。施設内だけでなく複数ある隠れ場所に敵の軍勢は隠れている。

 だが、爆弾が起爆しないとわかれば不審に思って集合してくるか、撤退するかの二択だろう。出鼻をくじかれてなお任務を遂行するガッツは奴らにはない。先制攻撃を受けない前提の作戦だ。奇襲を受けた途端一気に瓦解する程度の練度だった。

 しかし気に食わない。やはりどこかがおかしい。


「どうしたの? エリック」

「ただのバカどもにしては行動力があるのが気に食わないんだよ」

「そういうねじ曲がってる人って多いでしょ?」


 知識や能力があるのに、常識的に考えておかしい行為に奔ってしまう人間はそれなりにいる。このカルトたちもそうなのかもしれない。国の必要性を訴えるなら、きちんとした論証を並べたててじわじわと浸透させればよかった。そうやって世界は変化してきたのだ。一つのロジックが呼び水となって、全体に影響を与えるのが世界だ。

 しかし彼らは自分たちが生きている内に、或いは若い内に国の復活を夢見てしまった。急いては事を仕損じるの典型だ。ただでさえ不利なのに、このテロ行為でより劣勢に立つことは明白だろう。

 そういう人間は、どこかがひん曲がってしまっているのだ。一部だけを見て、全体を見通すことができない。


「確かにな。だが……もっと確実にコントロールできるような事件をエサにした方がいい」

「土壇場になって臆病風か、エリック。これ以上の好材料は用意できん。未確定要素に苛立つのはわかるが、今更中止にはできないぞ」


 加賀の意見は正しい。ブランクが現れるかはさておいて、もはやキャンセル可能な時機を逃してしまっている。

 素直に履行するしかない。エリックはまず手近なカルトメンバーを拘束することにした。

 ちょうど三人が、警備ルームを陣取っている。放置しといても対処できるだろうが、不発爆弾が起動する前に片づけておいた方が後々楽になる。

 デバイスを使ってインターフェースをハックし、小さく警告音を鳴らす。不審に思ったカルトメンバーの注意を逸らすとエリックは男の一人に接近し、その首を絞めて気絶させた。加賀は別の男を殴打し、リリーも女を打ち倒す。


「やはり殺した方が早いな」

「生体ビーコンが消失したら気取られるわよ」

「そのためのハッカーだろう?」


 血中のナノマシンは逐一健康状態を監視している。もし何らかの異変があれば警告が発せられるが、カリナが信号を偽造したので彼らは未だ元気に警備ルームで働いていることになっている。


「ナノマシンは便利だが、スタンドアローンに限るな」


 ハック&クラック全盛の時代ならば特に。そういう意味でもここの連中は時代遅れだった。エリックたちも当然ナノマシンは接種しているが、オンラインには繋いでいない。悪用される可能性を潰すためにはそれが一番なのだ。

 しかし彼らはドローンやアンドロイドを自己判断プログラムに任せながら、自分たちはまるで鉄壁の防御で守られているかのようにネットに繋いでいる。下手すれば、心停止される可能性もあるソレを。

 やはりどこかがあべこべだ。不満を抱きながらもエリックは進んでいく。

 敵に発覚する恐れのない位置にいる戦闘員を無力化し、ある程度戦力を削いだ後、エリックたちは制御室の周りで待機する。

 爆弾が起爆する時間まで待ち、ブランクが現れたところを制圧する寸法だ。

 三手に別れたエリックは、単独でブランクを待ち構えていた。いつもの通り新品と旧式の二つの銃を握りしめて。


『それらしき空白は見当たらないね。なんか来ない気してきた』


 カリナの疑問にはエリックも同感だった。


「同感だ。加賀たちには悪いが、エサの量が足りなかったかもな」


 そもそもエリックたちで対処できている事件だ。どうやって情報を得ているのかは知らないが、ブランクはハッカーとしても相当な実力者とされる。罠の気配を感じ取って、介入を中断してもおかしくない。放置していてもエリックたちが無事解決するのだから。

 そういう意味では今回、加賀の計画は普段より密度が薄かった。前回いっしょに組んだ時、その作戦性の高さに舌を巻いたものだが……。


『またその顔してる』

「何?」

『その顔。懸念してるって顔。また何かに気付いたの?』

「確証がない段階で無闇に口にするもんじゃない」

『シャーロック・ホームズの真似は止めてよ』

「わかるだろ。捜査の基本だ。雑音は最小限にしとくものだ」

『エリックのそれは違うでしょ。何か起こっても全部自分でどうにかするっていう表れ。私はそういうところ……好きになれない……』


 カリナはしおらしく言う。そばアレルギー殺人事件の時と類似した反応だ。その性質がどういうものなのかはそれとなくわかるが、やはり完璧な対処法と言うものがエリックには思い当たらない。


「昔からそうだったんだ。こればかりは」

『孤児院の時から?』

「そうだ。両親がちゃんと教えてくれなかったからな」


 もし自分がまともな親に育ててもらっていれば、もう少し配慮できたのではないか、と思うことが度々ある。過去のことをいつまでうじうじ思い返しても仕方ないとは思うのだが、それでもどうしても止まらない。


『別にエリックは……まともだよ。おっさんだけど』

「おっさんは余計だ……そろそろだ。お喋りはまだ後でな」


 もうすぐ爆弾が起爆する……ことになっている。爆弾が不発に終わり呆然としている連中にスタン弾をぶち込む時間だ。

 同時に加賀たちからも行動開始のメッセージが届いた。三方向ある入り口からそれぞれ突入する。

 オートロックを解除して、自動ドアに雪崩れ込んだ。加賀及びリリーも同様に。


「動くな!」


 機構拳銃で複数のターゲットをロックして、警告する。中央のホロモニターの周囲に、二十名のカルトが陣取っていた。

 敵は当惑し見事にフリーズしている。順調ではあるが、不調でもあった。


「ブランクは……いないな。気取られたようだな」


 ブランクらしき人物は発見できない。コントロールルームにいるのは全て事前にチェックしていたカルトメンバーだ。やはりこの作戦は安直過ぎた――そう思ってリリーに目配せし、


「リリー?」


 彼女が極度に緊張していることに気付く。カルトたちは両手を挙げて戸惑っていたが、急に雰囲気が変わった。ボスから通知が届いたようだ。

 制圧したはずなのに、空気が怪しくなりつつある。エリックは加賀を見た。


「……どういうことだ?」

「ふん。悪癖は治したのか?」


 唯一リラックス状態の加賀はもはや演技が不要とばかりに自然体のままだ。


「落ち着けエリック。ブランクは来ていない……まだな。だが、こうしてエサが完成した今、例え罠だとわかったところで……現れるだろう」

「説明は求めてない。その可能性も考慮していたからな」

「だと思ったよ、エリック。なら、何でリリーが私に従っているのかもわかるか?」

「弟を誘拐したんだろ?」

「そうだ。そうすれば例え疑われても……お人好しのお前は、のこのこと着いてくるはずだとわかっていたからな。エサに逃げられてしまっては敵わない」

「どうして俺がエサなんだ? 復国主義者サマよ」

「うむ、賢いな。やはりお前は私の見込んだ男だ。なら、私が復国などどうでもいいことは気付いているだろう」


 信者の前で凄まじい発言をする加賀だが、恐らく先程一斉送信したメールで今から話すことは全てでたらめだとでも注釈してあるのだろう。だが、エリックは気付いている。これは加賀の本心だ。奴は本気で復国のことなど、ましてやカルトメンバーの安否についても気にしていない。

 だが、カルトたちは加賀を盲信しているはずだ。指摘したところで無駄な時間が過ぎるだけなのは明白だった。


「しかし奴らは気に入っている――私が旧日本人というだけで神のように崇めてくれるからな。たまたま先祖の好みが偏っていたというだけであっという間にリーダーだよ。せっかくの血筋だ、利用しない手はないしな」

「武士道はどうしたんだ侍? 刀が泣いてるぞ、外道め」

「何が外道だ。お前は武士道のなんたるかを誤解している。説明したはずだぞ? 武士道とはそれぞれが持つ道、人生だ。つまり――」


 加賀が刀の柄に手を置き、獲物を引き抜く。刃先をエリックの方に向けた。


「これが私の、武士道だ」

「くそったれ……リリー!」


 信者たちも動き出し、エリックを包囲しようとしてくる。エリックは被害者であり未だ秩序の側にいるリリーへ叫んだが、彼女は青い顔で震えつつ散弾銃を構えた。


「ごめん、でも、でも私……」

「くそッ……!」


 リリーにではなく状況に毒づく。加賀のやり方は昔から効率的で賢いとは思っていたが、いつも気に食わなかった。やはりこういう人間だったのだ。


「クズ野郎が」

「差別か? 差別主義者レイシスト

「差別はしない。俺はいい奴だったら誰でも好きだ。そして、クソ野郎は誰だって嫌いだし……クソ野郎の犯罪者であれば、なおさら容赦はしないな!」


 信者たちが一斉に動き出したため、まず牽制でスタン弾を撃つ。武装していた信者が数人ダウンしたが、加賀はその隙に距離を詰めて来た。いつも持ち歩いていた発火刀が炎を纏って振るわれる。間一髪で燃える斬撃を交わすと、眼前の脅威に素早く対応してくれた機構拳銃をぶっ放した。

 銃弾が全て刀身へと吸い込まれていく。驚異的な反射神経の賜物……ではない。


「デコイ機能か!」


 刀身にデコイシステムが備わっており、機構拳銃の狙いが狂わされている。相も変わらず使い物にならないお荷物をしまって、マテバの火を吹かせた。

 今度は恐るべき反射神経で弾丸が溶解させられる。


「パワードスーツってのは本当に便利だな」

「ああ、だろうと思ってた」


 加賀はクソ野郎だが、システムにあぐらをかく人間ではない。その実力は本物だ。元は傭兵で、賞金稼ぎをしていたというのだから当然ではある。


「動かないで、エリック」

「リリー……!」


 加賀の相手をしている間に、リリーに背後を取られていた。彼女も実力者だ……味方であれば頼もしいが、敵になると恐ろしい。おまけにリリーはいい奴だった。脅されているいい奴を無理やり無力化するのは気持ちのいいことではない。


「ごめん。でも、弟が……」

「わかってる。気にするな」


 エリックは加賀にマテバを突きつけたまま応対する。加賀が失笑した。


「本当に優しいな。エリック。胸が痛む。お前みたいに優しい人間を裏切らなきゃならないなんてな。だが、しょうがない。これも作戦のためだ。本当はリリーの弟も誘拐するのも嫌だった。しかしこれもまた仕方ない。彼女を掌握しておかないといけなかった。ブランクを呼び出すためにな」

「まだ質問に答えてないな。どうして俺なんだ」

「理解している相手に言う茶番はうんざりだが、いいだろう。モニタリングしているカリナだったか? お前の養子。彼女は理解できてないだろうしな」


 加賀は刀を納めた。しかしチャンスとは思えない。居合切りを犯罪者に喰らわせていたのを目撃したことがある。この距離なら十分対処可能だと彼は判断しているのだろう。だから武装解除もさせない。しなくても殺せると知っているから。

 むしろエリックとしては、銃を捨てろと言われることを望んでいた。カリナは既に機構拳銃にアクセスしているはずだ。エリックが放り投げた瞬間に、彼女が仕掛けたギミックが発動する段取りだったが、見抜かれている。


「サーカスだったか? お前が今対処しているピエロ案件。あれで、お前はブランクに注目された」

「そんなバカな――」

「それをやめろと何度も言っただろう、エリック。シーノとかいうオリヴィア御用達のスパイが引き起こした事件、その前振りとして、ブランクはお前に攻撃を仕掛けた」


 何の前触れもなく暴れ出したパトロールドロイド。あれのせい……おかげで、エリックはカリナの危険にいち早く気付くことができた。シーノはカリナたちを傷つけるつもりはなかったが、彼女は二つ依頼を受けており、どちらが成功しても良かったのだ。

 見事に逃げ果せられていた可能性はある。それを阻止したのがブランクであり、そして――。


「推察するに、シーノに依頼したのがブランクだ。奴はお前を買っている。サーカスを阻止するのに利用できると思っている。そんな男が危機的状況に陥れば、否が応でも出てくるだろう。プロファイリングによれば、奴は自分が正義のヒーローだと思い込んでいるおめでたい奴だ。こんな極上な囮が近くにいるのなら、例え悲しく、申し訳ないと思ったとしても……利用するに決まっている」

「お前が悲しいのは有能な駒が減るからだろ?」

「よくわかってるな。流石、長年の付き合いだけはある」

「くたばれよ」

「落ち着け、エリック。言われなくとも七十年後ぐらいには死ぬ。百歳まで生きる予定だからな。リリー……とりあえず、左腕を吹き飛ばせ」


 リリーは無言で散弾銃を背中に仕舞い、ベレッタをホルスターから抜いた。震える手でエリックに狙いをつける……が、その瞳は潤んでいる。

 エリックは心で念じた。止せ、止めろ。素直に従え。

 そして、リリーが加賀の言う通りに発砲する。

 ――標的だけは、指示に従わずに。


「愚かな、リリー!」

「止せ加賀!」


 銃弾を難なく切り裂いた加賀は、リリーに切迫する。阻止しようとしたエリックを蹴り飛ばし、刀を振り落として金属音が響いた。リリーが義手で刀を防御したのだ。だが、加賀の方が一枚上手だ。左手で既に抜いていたリボルバーで彼女の腹へ銃弾を浴びせた。


「くそッ!」


 エリックはマテバを撃つ。だが、彼は易々と切り裂き、


「バカな女だ。薄情でもある。弟を見殺しにするとはな」


 銃弾では効果がない。それはわかっている。だから弾切れになると同時に腰のスタングレネードに手を伸ばして放り投げた。閃光が加賀を襲う。しかしそれでも無力化は困難だろうとは予測している。怯んだ隙に逃げるのではなく突撃し、スタンバトンで加賀を吹き飛ばす。手負いのリリーを担いで制御室から飛び出した。


「何で奴の指示に従わなかった!?」

「ごめ、ん……エリック。でも、あなた、には……カリナが」

「自分の心配をしてればいい! お前には家族がいるんだから」

「ありが、と……でも、たぶん、もう殺されて……」

「悲観的になるな。俺が助け出す」


 カルトたちと暴動用の作業機たちが前方から現れたため、マテバを片手でリロードして牽制射撃を行う。リリーを担ぎながらの撤退は困難だった。

 ……こういう時に自分の戦術眼に腹が立つ。今までに培った経験と研鑽された技能は、リリーを捨てていくことを推奨していた。


「いいから、わたし、は平気……」

「静かにしてろ」


 後方からも足音が近づいてくる。重荷を背負った状態ではとても逃げきれない。カリナが施設にハックして防火扉を閉め後方の敵を足止めしたが、すぐに金属音が響き出す。そう長くはもたないだろう。

 柱に隠れて銃撃を続ける。リリーが捨てろとうるさいが聞く耳を持たない。

 例え下策だとわかっていても方針を変えるつもりはない。意固地になって銃を撃ち続けていると、突然窓ガラスが割れて散乱した。


「狙撃か?」


 幸いエリックは窓より下にしゃがんでいたので標的にされることはない。そもそも、自分がターゲットではないようだった。狙撃音が連続して響き、前方の改造型暴徒兵器へと着弾する。

 直後に、敵が敵を殴り飛ばした。否、味方へとプログラムを書き換えられたのだ。

 エリックたちが安全に通路を進めるようになったタイミングで狙撃音は止んだ。

 気に食わないが、進むしかない。


「行くぞ、リリー。カリナ、敵はどういう動きだ?」

『大丈夫、そのまま進んで。こちらからちょこちょこ妨害しとく』


 カリナが施設をハッキングして、敵を誘導していく。その隙にエリックたちは外へ脱出し、カリナが手配していた車にリリーを乗せることができた。


「俺のサポートは後回しでいい。リリーに対して気を配っておけ」

『でも』

「でもじゃない。もしリリーがまた奴の手に堕ちたら、今度こそ打つ手がなくなる」

「嘘つき」


 リリーが乱れた呼吸で呟く。打つ手はある。見殺しにすればいい。

 だが、そんな下種な手段を取りたくてスレットハンターになったわけではない。そういうのは軍時代でこりごりなのだ。


「いいから行け。吉報を待て」

「うん、ほどほどに期待しておく……」

「そうだ。後で死ぬほど後悔しろ。もっと信じとけばよかったってな」


 エリックはにやりと笑ってリリーを見送る。マテバをリロードして、逃げ出した施設へと戻り出した。


「加賀はまだ中にいるか……」

「奴はいない」

「……」


 エリックは無言で独り言に応えた存在に銃を向ける。一人の男が佇んでいる。コートを羽織り、口元をマスクで覆っている。

 視界の隅に表示されているマップには男の生体反応は示されていなかった。それどころか、拡張現実内では人間として認識されていない。

 空白が、そこにある。


「ブランク……」

「そのように呼ばれているらしいな」


 ブランクは気にした様子もなく告げる。


「本当に現れるとはな」

「今お前に死なれると困る」

「なぜだ?」

「俺の推測では、お前はもう気が付いている」

「この前からずっと同じ指摘をされ続けてるな。例え俺が知っていたとしても、説明する義務はあると思うがね」

「そんなものは存在しない。が、そうだな、時間が惜しい。信頼を勝ち取るためにも応えよう。サーカスを壊滅させるためだ」

「お前ひとりで倒せばいい」

「そこらへんのチンピラであればな。だが、ああいう組織は、裏側だけではどうしようもない。表側からも攻勢に出なければ壊滅させることは不可能だ。ただ末端を殺したところで、できることと言えばせいぜい時間稼ぎ。おまけに、サーカスは団員が殺されようと事件が認知されればそれでいいようだ。そのような相手に、力業は通用しない。……攻撃が通用する状態へと表面化させる必要性がある」

「それで正義の味方であるお前に協力しろと言いたいのか?」

「俺は正義の味方じゃない」


 即答だった。エリックは銃の狙いをブランクの額へと移す。確実に殺せるように。


「じゃあなんだ? 世界を裏から牛耳る闇の男か?」

「そんな陰謀論めいたものでもない。人々が俺を認識できないのは、ひとえにセキュリティをかいくぐっているからに過ぎない。人々は監視をシステムに委ねた。システムであれば、その目を逃れる術がある」

「つまりただの悪党か?」

「その通り。俺は犯罪者で、悪党の敵であるだけだ」

「だったらなおさら逃す手はないんだがな」

「そうだろう。しかし物事には順番がある」

「逮捕を延期しろと?」

「その通りだ」


 その言葉で一端会話が途切れ、二人で睨み合う。しばらく視線を交差させていたが、エリックの方が先に視線を外した。

 時間がなかった。人命もかかっている。こういう時は何でも利用する必要がある。無実の人間の生命を脅かすものは除いて。


「俺はお前が気に食わない。だが、その実力は買っている。だから――」

「それ以上の言葉は不要だ。リリー・チェイスの弟マイク・チェイスの安全はあと数時間しか持たない。一度確保したが、加賀敏明はやり手だ。例えマイクを殺し損ねても、代打をすぐに立てるだろう」


 その代打が誰であるのかは考える必要はなかった。


「わかった。行くぞ、犯罪者」

「こっちだ。ついてこい、スレットハンター」



 ※※※



 加賀は未知の脅威であるブランクと既知の強敵であるエリックに対し、油断も慢心もしていなかった。

 外道などと言われた加賀の武士道は、戦略的及び戦術的な判断を積み重ねた結果、物事を確実に成功させるための術だった。生存のために追求し続けた先にあるものが外道だと言うのなら、それは紛れもなく侍の生き様であり、武士道であるはずだ。

 異論は認めよう。反論も許そう。相手が正しければ自分が死に、自分が正しければ相手が死ぬ。それが世の理だ。

 長年の相棒である発火刀を鞘から抜いて、刀身の美しさを目に焼き付ける。

 古い技術と新しい技術、そして自身の技能を合わせた発火刀は、加賀の守り刀であり、敵を屠るための最高の武器だった。この剣に斬れぬものはなし。実体がない空白でさえ、斬打を喰らわせてみせよう。

 しかし、この優れた切れ味を誇る刀にも、一つだけ欠点が存在する。


「燃料切れか」


 刀身から炎が消えている。発火刀は常時燃え続けているわけではなく、斬撃の瞬間に燃料を炎へと変換して発火しているのだ。

 その燃料は少し特殊だった。とは言え、入手難易度が特別高いわけでもない。


「加賀様、これからどのようになさいますか?」


 大規模テロを仕掛ける前に邪魔な反国主義者を惨殺する――ということになっている――ために加賀と共に待機中の復国主義者が訊ねてくる。


「お前は日本国を復活させたいんだよな?」


 加賀は燃料切れの刀を見つめながら訊き返す。


「はい。私はここを加賀様や私たちのような日本国民の手に取り返すべく――」

「では、そのための礎となれ」

「は?」


 それが信者の最後の言葉となった。首無し死体となった信者の身体が床へと崩れ落ちるより早く、その身体を滅多切りにする。

 血が刀へと沁み込んで、僅かに火が燃えた。

 まだ満タンではないが、ここには山ほど信者がいる。

 もう数人切り伏せれば、すぐに充填は完了するだろう。

 決戦に備えるべく、加賀はそれ専用に分けていた信者の集う別室へと向かった。

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