第6話 正義の味方

 おかしい。それはおかしい。

 だって彼は何も悪いことをしていないのに。

 周囲が勝手に誤解しているだけなのに。

 法律や、世間や、警察が、そうならずに済む方法を妨害しているだけなのに。


「おかしい……おかしいよ……」


 カリナは家を飛び出していた。

 ずっと疑問が胸の中を渦巻いている。おかしい。変だ。意味がわからない。

 今回の件も最初から自分が陽子のPCにハッキングすれば、いや、エルドリック通販のネットワークを解析すればいろいろ見えてきたはずだった。カリナは自他共に認めるスーパーハッカーだ。変な小細工をしたとしても相手は全裸も同然だ。

 どんな悪事の痕跡だって見つけて見せる。

 あらゆる不正の証拠を発見してみせる。

 なのに、エリックはギリギリまで……その人間が犯人だと確信するまで、カリナに直接的なハッキングをさせなかった。

 合法化されている部分までしか。違法捜査に繰り出す時は、それしか手段がない時に限る。

 その違法捜査にしたって、必要だから仕方ないと胸を張ることもせず、彼は淡々と始末書をまとめて、時にはペナルティを払っていた。

 あまつさえ、こちらの落ち度だと告げたこともあった。

 悪いのは彼じゃないのに。

 犯罪を犯した犯人なのに。


「そもそもあのおっさん……軍人時代から、貧乏くじ引いて……っ!」


 カリナは気持ち悪くなって走りを止める。近くの公園へとふらふら移動して、ベンチに座った。


「ああ……そうだった。一番最初は、私のせいだ……」


 エリックの不幸を誰かのせいにしようとすると、必ずこれがやってくる。

 エリックが軍を辞めたのは自分のせいなのだ。

 だから本当に嫌になる。

 自分が最低最悪だって、思いたくなる。

 通知音がなって、音声メッセージが拡張現実内から流れてきた。


『カリナ……何が不満だったのかよくわからないが、とにかく、今は奴を追わなければならない。帰ったら俺のどこに問題があったのか教えてくれ。話し合おう』

「デリカシーがない奴……」


 エリックは人の、特に子どものデリケートな部分への扱いが最悪だった。これは当人だって認めていることなので、カリナも否定する気はない。

 だけど、悪気があってやっていることではないのだ。単純に、どう接すればいいかわからないだけなのだ。

 そしてそれは自分にも言えている。……気持ちは明瞭で、煌々と輝いているのに、それを上手に伝達する術がわからない。

 恥ずかしかったり、情けなくなったり、その他もろもろの理由からカリナは誤魔化してしまう。


「でも、嫌。嫌だ……私のせいで、エリックが……悪い人間に見られるのは」


 ならどうすればいいのだろう。彼が悪評に煩わされることなく事件を円滑に解決するためには?

 その方法を模索しているカリナの耳に、足音が近づいて来た。



 ※※※



 カリナのことは気にかかるが、今は共犯者のアジトを突き止めるのが先だった。

 流石に、通信で相談するほど陽子は迂闊ではなかった。ネットで語れば、誰かに捕捉される恐れがある。

 情報漏洩を恐れて直接対話する。それが共犯者が選択した接触方法だった。監視カメラは至るところにあるが、誤魔化す方法自体はある。何なら、囮の犯罪を依頼すればいい。

 一般的なスレットハンターや警察では、その会合を見落としてしまう可能性がある。

 しかしエリックには情報軍時代に培ったスキルがあった。

 そして、陽子はエリックにそこまでの技術がないと高を括っている。あくまで念のため、保険のための相談だ。陽子としては、そこで問題ないという保証をもらって、ぬくぬくと生活を続ける算段だろう。

 安心を求めてしまったせいで、安全を崩してしまうとは思わずに。

 尾行を続けるエリックは、路地裏の奥に入っていく陽子を物陰から観察していた。


「来たわよ!」


 しばらくして反対側から人影がやってくる。

 訂正しよう。ピエロ影、だ。


「バカめ。せっかくの完全犯罪を自分からぶち壊す気なのか?」


 ピエロは苛立ちを隠さない。陽子も同じだった。


「元はと言えばあなたのせいでしょう? 何が完全犯罪よ! 私に容疑がかけられちゃったじゃない!」

「アホめ。完全犯罪とは疑いを避け何の不自由もなく生きていけるような理想論では終わらない。一度、疑惑の矛先を向けられるのはやむを得ないことなのだ……それをお前は、この程度の問題で恐れたのか?」

「ビビってなんかないわよ!」

「いいや、お前は恐れている。殺人を犯しながら、殺人罪で捕まることを恐れている。だから私に犯罪を依頼したのだ。私が提案した方法の内、実現可能となったプランで……労力がもっとも少ない手段を選択したのも、それが原因だ」

「私への批判はどうでもいいのよ! とにかくあのエリックとかいう男をどうにかしてよ!」

「お前が何もしなければ、誰もお前に手出しできない。……いや、手出しできないはずだった、というべきか。いるんだろう? スレットハンター」


 エリックは気まずそうに後ろ髪を掻きながら姿を現した。陽子が金切り声を上げる。


「お察しの通り尾行させてもらったぜ。よう、ピエロ野郎」

「この間の抜けた女を逮捕して放免、とはいかないか? 私の計画は完璧だったはずだ」

「いや、ダメだね。そもそもお前は、この女のことなど大して気にかけてなかったはずだ。ピエロ連中の唯一の特徴は、事件を世間に公開すること。お前は一度事件を事故として世間に認知させ、その後に実は殺人だとリークするつもりだったんだろう」

「流石に理解が早い。知恵の足りない同胞たちでは、瞬く間に狩られるのも納得だ」

「解せないのは俺が来ることがわかっていながら、どうして逃げなかったってことだ。そこまでわかっていたなら逃亡した方が得だったはずだが」

「如何にも自分が答えを知らず……相手に求めているような口ぶりだが、お前ならもう既に理解しているだろう。私が何のために、この場に現れたのか」

「ああ……実を言うとよくわかってる」


 エリックはマテバをホルスターから抜く。

 ピエロもデザートイーグルを引き抜いた。



 ※※※



「なっ、誰!?」


 突然自身の顔を覗いてきた男に驚いて、カリナは危うくベンチから転げ落ちそうになった。その驚きようを見てサプライズの張本人は申し訳なさそうな顔を作る。


「失礼、何度か声を掛けたんですが。カリナさんですよね」

「あ……保険屋……」


 エリックに今回の事件の解決を依頼した黒沢というサラリーマン。彼は謝罪の後に誠実そうな笑みを浮かべた。


「どうかされたのですか? お散歩でも?」

「ち、違わ……ないけど」


 今の自分は何をしているのだろうか。カリナは答えを持ち合わせない。


「では、エリック氏の仕事がひと段落突いたということですか?」

「え? ああ……」


 急に話しかけられてびっくりしたが、こういう相手が聞きたがっていることは決まっている。黒沢は進捗報告が欲しいのだ。そうでもなければわざわざ声を掛けてきたりはしない。


「ま、まぁ、そんなところですね、うん。容疑者も絞り込んだし」

「本当ですか!? 良かった……」

「とりあえず結果が出てから報告しますので今日のところは……」


 といい感じにその場を離れようとしたカリナだが、突然鳴り響いた警告音に足を止める羽目になる。


「何……?」


 普段から利用している犯罪検知システムだ。カリナが独自に改良したもの。ダミーではなく本命を発見しやすいように設定してあるので、通知が来るということは信頼性の高い事件を検知したということになる。

 立ったまま事件現場付近の監視カメラを発見して声を漏らした。


「エリック……」


 エリックが街の中で戦っている。銀色のマテバを持って。

 対する相手は、彼の見立て通りピエロだった。しかし今までのピエロと違い……その戦闘方法が攻撃的だ。追われたり捕まりそうになったから自衛しているのではなく、本気で彼を殺そうとする意志のようなものを感じる。

 ピエロが配置したであろう戦闘用ドローンがエリックを上空から攻撃している。エリックはそれを防ぐために車の陰に隠れたが、すぐに車が爆発して吹き飛ばされた。そこへクラッキングされたと思しき車が突撃してきた、彼は間一髪引かれそうになる。


「何事ですか?」

「ちょっと……!」


 抗議の声を聞かずに黒沢はカリナの見ている映像を盗み見た。そして真剣な表情でその映像に見入る。


「急いで連絡しないと……」

「誰に?」


 カリナは冷たい声で聴いた。


「警察組織、警備会社、取れる手段はなんでも」

「無理だよ、無理。間に合わないよ」


 だからこそのスレットハンターなのだ。

 人材不足だから、彼は本来ならその役目を果たすべき警察の機能を担っている。

 スレットハンターが警察に助けを求めるのは本末転倒だ。警察が助力を請うために導入した制度なのだから。


「しかし」

「しかしじゃないって。無理なんだよ。後はエリックがどうにかするしかないの。ひとりで、孤独に……」

「そのような言い方は」

「うるさいなッ!」


 声を荒げて、失言に気付く。黒沢の言葉は正論だ。

 しかし黒沢は別に何も言ってこなかった。それどころかカリナに寄り添うようにして、一度ベンチへと座らせた。


「確かに警察は力不足です。私が扱う保険も、結局のところ、何か起きなければどうしようもない。でも、スレットハンターは違う。何か起きる前に、或いは起きることを予想して動いている」

「そんなのは知ってる……」

「ええ、そうです。あなたは知っている。なんでも。彼を助ける方法も、あなたは知っている」

「彼を助ける方法……」


 黒沢の気遣う声音で、思い返す。

 確かに自分は知っている。どうすればいいのかを。いつもの通り、ハッキングすればいい。

 そう思って事件現場周辺をスキャンするが、ピエロがコントロールしているドローンはハッキング不可能だった。他の手立てとしては、公共設備を遠隔操作するぐらいしかないが……今までのハッキングは、何も考えず行われたものではない。

 きちんと責任を明確にして行われた行為だ。必要であると認識して。

 だが、今回のこれは果たしてどうなのだろう。

 責任問題は生じないのか。

 ……自分に責任が伴うだけならいい。しかしエリックに何かあるのは……。


「なぜ躊躇うのですか?」


 黒沢はカリナを見つめる。糾弾の響きは含まれていない。純粋な問いだった。


「も、もし変なことになってエリックが……」

「彼の責任問題に波及するのが怖い、と。ならご安心を」

「そんな無責任な」

「いえいえ、私はきちんと責任を取ります。必要なら私がバックアップしましょう」

「どういうこと?」

「言わなくてもおわかりだと思いますが、私は保険屋、こういう時のために存在するのです。今回の件はまさに私の依頼ですからね。何か起きたら私が責任を取りましょう。本当は脅威保険に加入して頂くのが一番ですが」

「本当に……? で、でもそしたらあなたが」

「こう見えて私、会社内での評判は良くてね。こうして直接現場に出たがるのが性分なので皆さん勘違いなされるんですが、そこそこ地位も高いんです。犯罪行為に加担するならともかく……犯罪を阻止するための行動で、なぜ引け目を感じる必要があるのですか」

「……私、あなたのことうさん臭い営業マンかと思ってた」

「営業マンなのは事実ですよ。この件が終わったら、エリックさんに口利きをお願いします」

「結局それ……」


 呆れながらも、カリナはハッキングに集中する。今まで使えない物として見て見ぬふりをしてきた使える物をフル動員して。



 ※※※



「くそったれ!」


 エリックは思わず毒づいたが、言葉には何の力もない。

 いや、状況によって言葉は銃より強くなる。しかし、そういう特別な力が何の効果も発揮しない場合もあるのだ。

 それが今だった。エリックの説得も投降勧告も、ましてや挑発も効力がない。

 こうしてホテルのエントランスに逃げ込むのが手一杯だった。ドローンの動きは制限できたが、自分の逃げ道も塞ぐ羽目になってしまった。

 受け付けカウンターから入り口に陣取っているピエロを覗く。彼はとても上機嫌に話し始めた。


「汚い言葉を使いたければ使えばいい。そういう人間はネットワークが普及してから現れた。ネットが一般的になるにつれて、SNSなどで工作やヘイトが横行した。しかし人々は信じていただろう。そこまではやらないはずだ。ボーダーラインを超えないはずだ。その楽観の果てが今の世界だ。多くの人間がインターネットに洗脳された。ああ、これは陰謀論的なものではない。AIによって心理ハックを受けたということでは。むしろ、それならば良かった。誰かが目的をもって考案したAIであれば、少なくともその傾向が見えたはずだからだ。しかし、違う。ネットワークは多くの人々の思考を意図せず繋げてしまった。端末に表示される文字列が、まるで、集団を一つの脳のように。矛盾した思考を内包し、理性的であれば感情的でもある。まさに脳だよ。そうしたネットワーク脳が様々な災厄を生み出した。君は知っているだろう?」

「聞いてもないことをべらべらと。ピエロ教授め」


 彼をここまで饒舌にさせるのは、その圧倒的に有利な立場だろう。スレットハンターは増援を望めない。こうしている合間にも、複数個所で警察と他のスレットハンターの目を引く事件が起きている。

 クラッキングされまくり装置である機構拳銃の使用は論外だ。オールドテクノロジーの塊であるマテバが唯一無二の切り札だが、球数が残り少ない。

 久方ぶりだ。ここまで追い詰められたのは。


「人は自分の望む情報しか見ない。ネットの世界に転がる真実とやらに触れた彼らは、恐らくそれを書き込んだ者たちの想定以上に暴走した。政治思想などが特に顕著だよ。その主義者の仲間が増えればいい程度の気持ちで書かれた言葉は、予期せぬ暴走を始めた。大衆による伝言ゲームだ。気付けば筆者の意図しない言葉へと変質し、最終的には……これが非常に面白いが……同類同士で叩き合いを始めた」

「わかってるよ先生。右翼が右翼を攻撃し、左翼が左翼を攻め立てた。どんな政治思想でも過激派なんてものは手に負えん」


 中立思想もまた中立思想の攻撃によって駆逐された。気付けばまともな政治などどこかへと消えた。今や混沌政治だ。昔はいろいろと区別できた。本当なら政治思想などその時の気分と状況でころころ変わるものだ。

 一年前は保守派の主張がいいなと思って賛同し、二年後には革新派の方が優れていると考えて、三年後にはどちらの思想もクソだと思っていたり。

 古き時代のネットのログからはそういう議論が散見される。今のサーチシステムは非常に有能で、実は一人が多数に見せかけていたり、業者に雇われたバイトによる無感情な書き込みであったりしたことがよくわかる。

 中にはただ対立する模様が面白くてそれっぽく書いてた人間もいた。検索記録から明らかに真逆の思想傾向が窺える人物が、正反対の思想をまとめて、その道のカリスマを装っていたり。

 なかなかにぐだっているが、それでも今から見ればその時代は幸せだったはずだ。ネットでただ相手の悪口を描く程度で済んでいたのだから。なのにいつからか、人々は仮想空間上での口論に飽きてしまったらしい。目の前の魔法の箱を使って、直接的な攻撃を始めた。ぐちゃぐちゃに歪んだ思想の果てに。


「ここはかつて、日本という国家だった。自治区名だからわかるだろう」

「こう言いたいんだろ。日本を核攻撃でめちゃくちゃにしたのは愛国主義にあふれた日本人だったと。知ってるよ」


 しかもただ一つの主義ではない。左翼と右翼と中庸による共同戦線だ。基本的にどの政治思想も愛ありきだ。愛国心がなければ政治についてまともな議論など普通は交わさない。国家を愛している者が政治に関心を持って大いに議論する。ただ目の前の生活だけで十分な大多数の人は、自分の生活が豊かになりさえすればそれでいいのだから、最低限の情報収集と義務を果たしてそれで終わりだ。

 だが一部の人の愛は猛烈に膨らみ過ぎた。気付ければ思想の違いではなく愛という一つの大きな符丁によって連中は合体、予想外の凶悪化を遂げた。

 そんな感じのことが世界中で起きた。複数あったはずの思想はたったひとつに収束し、その全てを破壊しつくしたのだ。


「情報集合体という脳となったネットワークは、それぞれの身体に命令を実行させた。誰か個人の思惑によった行動ではない。それぞれの、群集心理が求めた全ての結果を履行した。愛国者は国を破壊し、人道主義者は人道を破砕し、レイシストはレイシストを虐殺し、犯罪者は犯罪者を血祭りに上げた。まさにブーメランだな。自分で自分を殺す羽目になったのだ。矛盾や事情、理由、理想と現実の区別がつかなくなった者たちが、ネットワークの傀儡として世界を破壊した」

「語りたがりめ」


 エリックはぼやく。今の長々としたセリフはエリックに打開策を考えるための十分な猶予を与えたが、いいアイデアは浮かばなかった。

 結局のところ、自らの勘と経験を信じて戦うしかない。いつもと同じだ。戦場では、時に安全という言葉をかなぐり捨てて動かないと生きていけない。

 自己防衛だ。自らの安全は自分で掴む。


「いやはや、久方ぶりだよ。久しぶりだ。私の話を、間の抜けた声で反論してくるバカどもとは違って、お行儀よく聞いてくれている。なぜならお前は、世界の本性を理解しているからだ」

「呆れて言葉が出ないだけかもしれないぜ?」

「見え透いた嘘を吐くのは感心しないな。さて、十分に楽しめた。これ以上時間を延ばすのは得策ではない。そろそろお別れの時間だ」


 ドローンの飛行音が聞こえてくる。なかなかにセンチメンタルな人物だが、流石に自らの手でとどめを刺すなんていうロマンな殺し方はしないらしい。

 例え反撃されても問題ない、安全な殺し方。なるほど、確かに今までの連中のようなバカではないらしい。

 となれば残された手段は単純だ。遮蔽物となっているカウンターから身を乗り出して、全てを撃ち壊す。ここにきて銃のチョイスが恨めしかった。こういう時に相応しいのはマシンピストルだ。


(せめてカリナに……いや、戦う前に死ぬことを考えてもロクな結末が待ってねえな)


 エリックは意を決して深呼吸する。そして身を乗り出そうとして――。


「何?」


 警報音と共に大量の水が降り注いできた。誤作動とは考えにくい。二十一世紀ならいざ知らず、今はテクノロジーだけは着実に進歩している。

 では何が……誰が原因なのかは、深く考える必要はない。ピエロ教授が怯んでいる隙に、目についたドローンを撃ち落す。

 六機中、三機を破壊することができた。たかが水されど水だ。戦闘ドローンの高性能センサーが仇となり、ほんの僅かにレスポンスが遅れている。そしてそれだけの隙があれば、撃ち抜くことなど簡単だ。もう不意打ちは成功しないだろうが、それでも自身への脅威は確実に減りつつある。


「バカな、お前はハッキングをしてないはず」


 ピエロが狼狽する。教授はただ話していただけではない。相手の反撃を予測したうえで、自尊心を満たしていたのだ。こちらに反抗の兆しがあればすぐさま殺されていただろう。

 だが、これはエリック当人にも予想外だった出来事だ。エリックをモニタリングしていただけでは、兆候など窺えるはずもない。


「くッ――!」


 ピエロはカウンターにドローンを一斉射撃させるが、ホテル内の清掃用ドローンが轟音を立てながら現れて、ドローンの火力がそちらに割り振られる。よそ見をしたドローンは格好の的だ。それを撃ち抜いて、エリックはカウンターから飛び出した。


「くそ……何ッ!?」


 ホテルの天井を突き破って、給仕用アンドロイドがドローンを粉砕する。最後の一機が掃射し、エリックが回避を余儀なくされたところをピエロが射殺しようとしたが、


「一般車をクラックするだと……!?」


 背後から車に激突されて、ピエロは床の上へ転倒する。その間にドローンを破壊して、エリックはピエロに銃を突きつけた。


「……有り得ん」

「同感だ。これはやりすぎだと俺も思うぜ」


 これでは犯罪者のやり口と何も変わらない。恐らくスレットハンターは引退だろう。

 そう考えていたエリックだが、メールを受信して訝しむ。


『今回の責任問題は私にありますので、ご心配なく』

「お前は今、自分が犯罪者と同じ立場だと思っただろう。……だが、似たようなことを軍はしていたのではなかったか? お前は経験があるはずだ。なのになぜ、犯罪者や軍、警察などという線引きに甘んじている? そんなものは何の意味もないと、歴史が証明しているではないか」

「軍がくそったれだったのは事実だ。いい人もいるにはいるが、まともな組織なんてものを俺は知らないね」


 昔はもしかしたらあったのかもしれないが、少なくとも今は限られている。ないとは断言したくないが、その可能性もゼロではない。


「では、なぜ……正義の味方のふりをする?」

「別に正義の味方になんて興味はないな」

「じゃあなぜスレットハンターなどに」

「俺の動機は金だ。金のために働いている」


 エリックはピエロの眉間にマテバの狙いをつける。


「お前には選択権がある。生きるか、死か」

「冗談だろう? 私が逮捕されて、その後に待ち受けるものはなんだと思う? 裁判? 刑務所? いや違う。私の才能を見込んだ警察や軍に、司法取引という名の強制雇用を申し付けられて、奴隷のように働かされる。お前はそれを見て来たな? 軍人として、またスレットハンターとして」

「そうだな。実際に改心した奴もいる」


 シーノのように。昔は知らないが、今の世界では、犯罪をしたくてしているわけではない人間も山ほどいる。単純に殺すのが惜しい才能を持つ人間も。そんな有能な人間を、警察や軍が徴用するのだ。


「私はごめんだ。こんなくだらない世界に奉仕するのは」

「えらい自信だな」

「だがお前はわかっているだろう?」


 ピエロ教授は不敵に笑う。エリックは肩を竦めた。


「ああ、その通りだ」


 ピエロがデザートイーグルを掴んでエリックに照準を合わせようとする。

 その前に、エリックがピエロの頭を吹き飛ばした。教授の希望の通りに。



 ※※※



「これで事件は解決です。まぁ、真犯人をあの世に取り逃がしてしまったのが残念ですが」

「仕方ないでしょ。これが最善だったし」


 カリナはあくまでハッカーであり、人間の心理をどうこう言える立場ではないが、エリックの見識は信用している。彼が躊躇いなく撃ち殺したということは、生かしておいても大した益にはならないと判断したのだろう。

 逮捕したところでピエロは口を割らないし、どうやらそれなりに頭の回転は速いようなので、利用しようと接触した軍や警察がまんまと奴に利用されるのがオチだ。


「そうですね。みんな無事だったので良しとしましょう」

「今回の事件に関しては陽子がいるでしょ。ほら、今情けなく逃げてるけどあらよっと」


 カリナはパトロールアンドロイドに指令を出して陽子を捕縛させた。ぎゃあぎゃあと喚いているが、結局それは弱さの裏返しだ。精神的に弱いから、強がることでしか自己を保てない。そんな人間の自己保全のために、エリックは誹謗中傷を受けた。


「……」


 気を悪くしてアンドロイドをオートモードにし、終了する。そのタイミングを見計らったようにエリックからコールが来た。


「……」

「出ないのですか?」

「いいよ、まだ。どうせ怒られるだけだし」


 そんなことをしなくても切り抜けられたと。カリナ自身、自分の援護なしでもエリックは突破できたと思っている。だが、それは無傷でだろうか。万が一にも、殺されてしまう可能性がなかったと本当に言えるのか。

 ……そういった疑念を、イフをぶつけたところでエリックは真っ向から否定するだろう。それだけの根拠がある。彼には実績があるのだ。

 だが、それでも。


「何か思うところがあるみたいですね。……自分のしたことが正しい。そう思っていらっしゃる」

「後押ししたのはあなたでしょ」


 黒沢は愛想笑いをした。


「ええ、もちろん。私は正しいと思いますよ。犯人逮捕のためだ。現行法に問題があるとしか思えない」


 カリナも少し黒沢と似た思いを抱いているが……根幹の部分では揺れている。なぜなら、エリックは是としないからだ。彼は間違いなく、カリナを、というより自分にも否があると考えるだろう。

 相手が犯罪者なら何をしてもいい。それではダメだ。あのひたすらに自分を肯定していたバカ男の顔が脳裏をよぎる。

 しかし、エリックは何も悪くないのに、酷い目を受けている。もしまたピエロがらみの事件があれば……同じような目に遭わされるかもしれない。

 それは嫌だ。エリック本人が気にしていなくても、嫌だ。


「でも、あなたの倫理観も過ちだと批判している。だから、そのように後ろめたさを感じるのです」

「感じてないし、それに……必要な時だって、あるし」

「でも人は間違いを犯します。正しいと信じて違法行為に手を染めた結果、間違っていたら? ただ無実の人に損害を与えるだけで終了してしまったら? 結果を出せればいい。やり方は悪かったかもしれないが、無駄ではなかったのだから。しかし結果が出なければ……ただ、罪だけがその場に残る。罪をうやむやにするための免罪符が、その場にはない」

「でも、私は嫌だ。またエリックが酷い目にあったりしたら……それを回避するためには、そういうことをしなくちゃならない……でも、そしたらエリックに……」

「言ったでしょう。私はあなたの味方ですよ」

「黒沢……」


 黒沢は名刺と脅威保険の契約書のデータをカリナに送信してくる。


「もしあなたが、免罪符を必要とした時には、連絡をください。もちろん私は口が堅い方でね……エリックさんにも内緒で契約しましょう」

「でも、それじゃ……」

「あなたは、悪事に手を染めるのですか? それとも、善人を守るために危険な橋を渡るのですか? 前者であれば……言葉は悪いですが、クズです。ですが後者であれば、それは……褒め称えられるべき、正義の味方では、ないですか?」

「……わかった」


 カリナは了承した。躊躇している場合はない。ここで決断しなければすぐに揺らいでしまう。

 これは必要なことだ。ダメならば、謝る。そのための方法の一つだ。


「私もスレットハンターなんだし、保険の一つも必要だしね」

「念のために訊いておきましょう。あなたの動機は?」


 カリナは俯いた。ゆっくりと顔を上げる。


「金のため、よ」

「わかりました。そういうことにしておきましょう」


 そうだ、そういうことなのだ。

 そういうことで、いいのだ。

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