第5話 心理誘導

 被害者が勤務していたエルドリック通販は、その名の通り通販サイトを運営する会社だった。被害者の名前はジャックス・チェン。勤勉で勤務評価も良かったらしい。

 次期部長候補とまで噂されていたようだ。


(有能な奴ってのはどこまで行っても不憫だな)


 エリックはオフィスを見回しながら一人思う。SNSをチェックしたところ、ジャックスは陰口を叩かれていた。防犯システムの映像と照らし合わせてみたところ、そのほとんどが言いがかりだった。

 その実力を嫉妬されていたのだ。しかし、どうやらジャックスはコミュニケーション能力にも長けていたようで、敵もいたが味方もそれなりにいた。陰口などの悪評程度で潰れるような人間ではなかったらしい。


『ありがちなのは、目障りだったから殺した、とか。昼ドラチックに』

「お前俺が外で働いている間そんなもの見てるのか」


 ホワイトカラーがたまに心底恨めしくなる。……カリナは子供なので、それが普通なのだが。


『よく心理学とかで脳構造を理解するのにコンピューターを利用するけどさ、人間の脳機能ってなんでこう思い通りにならないんだろうって思う。これがパソコンだったら、完璧にコントロールしてみせるのに』

「どれだけ優れたプログラムだってバグがあるだろ。人間の脳もそれと同じだ。予期せぬ動作で機能不全に陥ってるのさ」


 そういう意味では、人間の脳を理解するうえでコンピューターを当てはめるのは理に適っている。一見優れたシステムに見えても、必ず不具合は起きるし、脆弱性も、そこを突く外敵因子も存在するのだ。


「あの……」

「ん? ああ、どうも」


 拡張領域での通話に集中して、現実世界で対面していた女性の存在を失念していた。今回の社内案内に買って出た陽子社員だ。


「自己紹介をした方が?」

「いえ、いえ……エリックさん、ですよね。ご案内します」


 既にプロフィールデータへ目を通していた陽子は、不審がることなくエリックを先導し始めた。情報軍時代はオフライン地域で言葉による挨拶が欠かせなかった時もあったが、今の便利過ぎる社会では、会話をすることもなく瞬時に相手の素性を把握できる。

 便利ではあるが、味気ないのは事実だ。陽子に案内されて会社の概要や、防犯設備、被害者のデスクなどを見て回ったが、これと言って不審な点は発見されなかった。


「以上です。何かわかりましたか?」

「事件性がなさそうなこと、ぐらいしか」


 正直な感想を述べると、陽子は目を泳がせた。訝しんで彼女の顔を見つめると、声を潜めて囁いてくる。


「じ、実は……噂、というか、私の憶測、なんですけど……」

「憶測?」

「ええ……あなたのことを、信用して話します。私、実は彼……ジャックスと恋人だったんです」

「へぇ」


 会社には秘密にしてあったようで、公的な情報には記載されていなかった。しかし、匿名のSNSでは囁かれていたので、大した驚きはない。


「彼、彼は、敵が多かったんです。仕事ができたので。目の上のたんこぶだと、あいつさえいなければ自分が出世できると思い込んでいる人は多かった」


 野望を持つ者なら、誰でも一度は陥りそうな錯覚だ。有能な人間を排除すれば、自分がそのまま繰り上がると信じてしまう。そして行動力のある手合いは非正規な方法を用いてその邪魔者を排除するが、実際にはその邪魔者とそん色のない実力者が現れて、その出世を手助けしてしまうのがありきたりな結末だった。

 嫉妬しなければならないほどの無能では、そんな工作の恩恵は受けられない。実力があれば、そんな回りくどい方法を取らずともいずれ相応しいポジションが約束されるからだ。


「その連中の誰かが事故に見せかけて殺したと?」

「そうとしか、思えません……。偶然にしては出来過ぎじゃないですか。彼、何も悪いことはしてなかったのに。食物アレルギーだって、たまたま発症しただけだったのに」

「そばアレルギー、だったとか」


 陽子が目元を拭って頷いた。


「はい。でも、好物だったんですよ。医者には食べ過ぎが原因だって」


 今まで問題なく食せていた食べ物が突然食べられなくなる。身体が無問題の食物を異常物質だと誤認して発症するという仕組みで、言わば身体のバグだ。エラーを解消する治療法は既に世に広まっているが、ジャックスは仕事が忙しく治療ができていなかったらしい。

 

「現在進行中の案件を片づけたら、治療を始める。そばは僕の好物だからね。そう笑ってたんですよ。なのに……大好きな食べ物に命を奪われるなんて」


 死因となったのは、まさにそばだった。

 もちろん、ジャックスに配給されるはずだったそばはそば粉を一切使わず、あくまでそばに見立てた疑似そばだ。第二食品では、アレルギーを持つ人間にも同じ気分を味わってもらいたいとそういう疑似的な食品を扱っている。

 会社は空調設備も整っており、空気感染でアレルギーを発症する恐れはない。

 しかし、悪趣味であることに変わりはなかった。


「そばアレルギー持ちがいるのに、わざわざそばを注文するとは」


 一昔前であれば大問題だ。こうして捜査をしなくても殺人罪で起訴できただろう。


「注文を希望したのは鉄山課長です」

「こういうのは平社員が勝手に選ぶのかと」

「ええ……いつもはそうですけど、その日は鉄山課長たっての希望で……」

「ふむ」


 犯人候補としてはまぁアリだ。いくらそばアレルギーを利用してアナフィラキシーショックを引き起こそうとしても、肝心のそば製品を注文できなければ意味がない。

 ……ただ、彼が犯人だとすれば少し迂闊すぎる気もする。とにかくエリックは鉄山課長のデスクへ行ってみることにした。


「何だ。私が殺人者だとでも? ふざけるな」


 鉄山の第一声がそれだった。如何にも怪しげな言動で、自らを犯人だと思わせたいのかのようだ。

 しかし推理小説ならそれで勘違いしても問題ないが、実際の事件となると違う。

 エリックは質疑を開始した。


「まぁ落ち着いて。あなたがそばを注文したそうですね」

「そうだ。そばを食べたかったからな」

「どうして」

「……今、理由を言っただろう」

「そりゃあそうですがね。もっと突っ込んで話を訊きたいんですよ。冤罪で他人を撃ち殺しちゃ困るでしょう。不幸にして私が判断を誤るとそうなってしまう可能性が高いので、質問はくどいくらい慎重にしなければならないのです」


 少し威圧感を滲ませると、鉄山は僅かに態度を軟化させる。


「まぁ、少々意地が悪かったことは認める。あいつがそばアレルギーを発症したとは人づてに聞いていた。だが、最低限の配慮はしたつもりだぞ。事前に調べて、ちゃんとアレルギーに対応した商品があることを確かめてから発注を依頼したんだ」

「そこまでしてそばを食べたかった。そういうことでよろしいですね」

「そうとも。たまに無性に食いたくなることがあるだろう」


 その気持ちはわからなくはない。特別な理由もなくそれが食べたくなることはある。


「あなたの個人情報を拝見しても?」

「いいとも。誤認逮捕されたらかなわんからな」


 エリックはざっとチェックしたが、不審な点は発見できない。当然ではある。もし何か怪しいところがあるのなら、警察がマークしているはずだからだ。

 しかし事故で処理されている。単純なデータ精査では、事件になり得ない。

 鉄山に捜査協力のお礼を述べて、エリックは会社を後にしようとした。


「ん?」

「どうかしましたか?」

「いや、一応ね」


 何気なく目についた食堂へと移動する。左腕のデバイスを操作して、注文履歴を読み込んだ。

 思いのほかそばが注文されている。


「ふむ……」

「何か?」

「いえ。とりあえず、データ収集は終わったので、一度帰って調べます。気がかりなことがあればまだ」

「はい。社長より、捜査の全面協力を仰せつかっておりますので」


 寂しげな笑顔で頭を下げた陽子と別れ、エルドリック通販が入っているビルの外へ出る。

 駐車させていた車に乗ると、カリナに告げた。


「カリナ、今から事故に関する全ての資料を検索しろ。文字媒体だけでなく画像や映像もだ」

『いいけど……キーワードは何?』

「そば、だ」


 エリックは社内SNSにアクセスすると、検索を開始した。




 チャイムを鳴らすと、若い女の声が聞こえて来た。スレットハンターであることを証明すると、彼女は嫌がることもなく話を聞かせてくれた。

 エルドリック通販のマキナ社員だ。鉄山課長に頼まれて実際にそばを注文することになった女性。ある意味では、ジャックスの死の引き金を引いてしまった人間ではあるが、自分のせいではないと確信しているらしく気にしている素振りは見られなかった。


「それで、どうなんです? 事故だったんですか? 事件だったんですか?」

「他人事なんだな」

「それはもう。嫌ですもん。上司に命令されて、ちゃんと仕事を遂行したのに、殺人者扱いとか。まぁ、当事者なのは事実なんで冷たいって言われたら何の反論もできないですけどね。でも、ジャックスさんとはあまり話したこともないし……可哀想だとは思いますけど」

「気分を害したのなら申し訳ない。別に俺は君のことを悪く言うつもりはないんでね」

「なら良かった。その方が私もスムーズに話が進むってもんです。それで、聞きたいことはなんですか? 資料に載っていること以外、ですよね?」

「お察しの通りだ。何でそばだったのか訊きたい」

「……それはもう資料の方に」

「違う。そういう意味じゃない。何でこの会社でそばが流行っているか知りたいんだ」


 質問し直すと、マキナは合点がいったように相槌を打った。


「ああ、それはあのポスターのせいですよ。ほら、廊下とかに貼ってあったでしょ?」


 改めて社内映像を見直した時、そばのホロポスターが貼ってあったことには気づいていた。


「ハンターさんならもう閲覧してるでしょうけど、社内コミュニティでもそばの話題で持ちきりで。気付いたらみんなそばのことで熱心になっちゃって。だから鉄山課長もそばを注文したんだと思いますよ。あの人がそばが好きかどうかは知らないけれど、最近はどこのそばがうまいのかでみんな持ちきりだったから、社員のモチベーションも上がりましたし」

「つまりコミュニケーションの一環として?」

「そこまでは知りません。あ、ただ、鉄山さんは念入りにジャックスさんがアレルギー持ちだってことを確認してました。そば好きがそばアレルギーになるとは難儀なことだなって」

「嫌がらせ目的だった、ということは?」

「どうでしょうね。だとしたら鉄山さんは失敗したと思いますけど」

「それはどうして」

「だって、ジャックスさんに確認しに行った時、喜んでましたよ。味は本物には及ばないかもしれないけど、しばらくご無沙汰だったから嬉しいなって」

「なるほど。よくわかりました」

「あ、待って」


 帰ろうとしたエリックをマキナが呼び止める。


「何だ?」

「あのポスターについて思い出したことが」

「そばのポスター? 業者が宣伝のために貼ったのでは?」

「そうかもしれませんけど、貼った人は業者じゃありません」

「じゃあ誰が?」


 次に放たれた名前を、エリックは一期一句違わずに記憶した。


「なるほどね。ご協力感謝する」

「手早く解決してくださいね。殺人犯といっしょの職場とか嫌なので」


 他人事感を滲ませるマキナの家を後にして、エリックは帰宅した。

 裏を取れば容疑者は絞り込めると確信して。





 後日、調査を終えたエリックは再びエルドリック通販の来客認証を通り抜けていた。

 勤務中でそれなりの社員がいるオフィスの中を遠慮なく進んでいく。目当ての人物は、個室で上司と相談ごとをしていた。こんこん、と軽くノックする。


「どうぞ」

「どうも、鉄山さん」


 エリックはまず鉄山に挨拶した。次に、一緒にいた人物へと視線を移す。


「陽子さんも」

「こんにちは……」


 控えめな挨拶が終わった直後に背後の扉が開いた。


「はい、今お茶を……あれ?」


 マキナが訝しみながらお茶を運んでくる。彼女は異様な雰囲気を感じ取り、そそくさと出て行こうとしたがエリックが引き留めた。


「君もそこに」

「えっ? は、はい……」


 しぶしぶと言った様子でマキナは指示に従う。


「本日は何用で? 誤認逮捕とか?」

「あながち間違ってはいませんね。誤認、という部分を除けば、ですが」

「犯人わかったんです!? あ……」


 大声で食いついたマキナが縮こまる。その様子を傍目に見ながら、鉄山が単刀直入に訊ねてくる。


「それで、犯人は誰なんだ? 間違いじゃなければ、だが」

「先に名指ししたところで信じてもらえないでしょう。まずは、どうやって殺人を犯したか、順を追って説明しましょう」


 エリックはまず工場のテクスチャを空間に投影させた。件の食品製造機だ。


「まずこれが、今回の凶器となったそばの製造機」

「でも、不正の痕跡はなかったんじゃ」


 陽子の質問に答えるように、エリックは使用履歴を表示する。


「そうです。不正の痕跡はなかった。……わざわざ不正な操作を働く必要がありませんでしたから」


 設定を変えるだけで良かったのだ。ウイルスを使って遠隔操作したり、トロイの木馬をあらかじめインストールしておく必要もなかった。

 ただ当日に設定を変更、その後に変更履歴を削除すれば疑われることはない。

 実際、綺麗なものだった。これでは事故だと認定されてもしょうがないくらいだ。


「でもそれじゃ弊社の社員が犯人かどうかわからないじゃないですか」


 マキナがまるで推理ドラマを見ているような眼で訊いてくる。そのピクニック気分は能天気のように思えたが、鉄山の疑惑に満ちた眼と陽子の困惑した視線よりはマシだった。


「そうだな。確かに、これだけじゃ会社の評判を貶めようとした人間の犯行かもしれない。或いは愉快犯とかな」

「それでは――」


 と一蹴しようとした鉄山へエリックは告げる。


「それでも、この会社の人間が犯人と言う可能性は消えてないんですよ。あくまで範囲が広がっただけでね」

「であれば、誰だと言うんだね。手早く済ませたまえよ」

「焦りは禁物ですよ。冤罪で撃ち殺されたくなければ。社長はこの件に関して理解を示してくれている。火急の業務が立て込んでない限り、そこまでせかせかする理由もないでしょう」

「それは、そうだが、わかるだろう? さも容疑者のように――私は確かにジャックスの有能さは腹が立った。あいつがいなければ私は今頃次長だったと。だがなぁ、私たちは競争相手の前に一つの会社に所属する社員だ。奴は鬱陶しかったが、その有能さに助けられても来たんだ。喧嘩もする。文句も叩く。愚痴も吐く。それでも殺すぐらいだったら、会社にいて業績を上げてもらった方がずっといい。それに、私は奴に負けたつもりはない。殺したら、負けを認めたのと同義だろう」

「鉄山さんカッコいい一生ついていきますからお給料に色付けてください! ……あ、ご、ごめんなさい」

『このマキナって人いちいち水を差してくるんだけど』

「いいからお前は黙ってろ」


 空気の読めない発言に苛立つカリナを静かにさせて、エリックは熱弁を振るった鉄山を見据えた。彼は負けじと視線を返してくる。

 最終的に視線を外したのはエリックの方だった。


「落ち着いてください。私はこの会社に犯人がいると言っただけで、あなただと名指ししたわけではない」

「まだ、だろう?」

「ええ、まだ。ですがもうその辛抱も終わりです」


 エリックが次に表示したのは会社の記録映像だった。廊下に設置されていた監視カメラの映像だ。

 先程まで他人事だったマキナが息を呑む。


「なんだこれは?」

「黙ってみててください」


 エリックは動画を早送りした。目当てのタイミングで通常再生に戻す。

 時刻は早朝。一般社員はまだ出社していない。なのに誰かがやってきて、唐突に壁の前に止まると、携帯端末を操作した。

 何も貼られていなかったホロウォールに、そばのテクスチャが貼り付けられる。

 その人物が急に背後の物音に驚いて去っていた。

 その後にやって来た女子社員――マキナが、独り言を漏らす。


『へー……そばかぁ。でもなんで――』


 その場にいた全員がその言葉を聞き洩らさないよう集中する。


『陽子さん、ポスターなんか貼ったんだろ。こんな朝早くに』


 びちゃり、と水音が響いた。陽子がマキナから受け取ったお茶を床にまき散らしていた。


「こ、これが何!?」

「陽子君?」


 鉄山が瞠目して呼びかける。マキナもぽかんと口を開けて固まっている。


「これが一体何だって言うの!? 私は社長に言われてポスターを張っただけよ!」

「陽子さん、落ち着いて。あなたの言う通り、社長から裏は取っている」

「だったらどうして――」

「こんな映像を見せたか、ですか? 必要だからですよ。私はちょっと気になりましてね。どうしてこの会社にそばが流行っているのか。別に異常なことでもなんでもない。集団生活をしていると、流行なんてものは日常茶飯事だ。ただ、流行には必ず火付け役がいるものです。意識無意識問わず、ブームのきっかけを作った人間が」

「それが私だって言うんですか? バカバカしい。さっきも言った通りポスターは……」

「ええ、あなたが社長に頼まれて貼った。その前に、あなたが匿名で広告会社に要望を出してね」

「……っ」


 陽子の表情が驚愕に染まっていく。


「言ったでしょう。裏は取ったとね。広告会社なんてものは単純です。宣伝してもらえるならそれでいい。先方から連絡を受けた時、社長は最初いたずらかと思ったようですが、これも何かの縁だからとポスターを注文しました。まさか犯人の策略だなんて思わないでしょう」


 次にエリックはSNSの履歴を表示した。意図的に消去されていたコメントは復元されている。

 陽子が使っているアカウントとそれに付随して増加していったそばのワードを並べた二画面仕様だ。


「あなたは意図的にそばという単語を出していた。まぁ、これも普遍的なSNSにはよく見られる光景です。好きなことや興味があることを呟く……そしてそれを相手に広めていく。言葉ではなく文字媒体で残るので、相手はその単語を脳内で何度も反復して記憶していく……。ごり押しでは嫌われたりしますが……」


 エリックはカリナに自分の趣味を布教しようとする文香を脳内で思い描きながら、


「上手な文章で的確に紹介すれば、相手は興味を持つ。通販会社では特に、そういうスキルが役に立つでしょう」

「何が……言いたいの……」


 今までの控えめな印象が消え去った陽子がエリックを睨む。

 エリックはその眼圧に屈することなく、結論を述べた。


「お前が、ジャックスを殺したんだ。従業員全員を心理誘導し、偶発的な事故に見せかけて」

「は、はは……ふははははは!!」


 陽子は髪をくしゃくしゃに書き上げると狂ったように笑う。

 ひとしきり笑い終えると、エリックを指し示し、


「知っている――お前を知っているぞ!」

『何この女……!』

「さあな。たまにこういう奴はいる。性別に限らずな」

「うるさい黙れ! このロリコン野郎が!!」

「なんだって?」


 エリックの問い返しに陽子は嘲笑的に答えた。


「知ってるっつってんだろこの変態が!」


 陽子はデバイスを操作して、社内放送に切り替える。鉄山とマキナ、他の従業員全員に彼女の音声と添付した資料が表示された。その資料に映る顔には見覚えがある。

 自分の顔だった。


「スレットハンターが私のこと調べられるように、私だっててめえのことは調べられるんだよ、このクソ野郎が!」


 陽子の言葉通り、スレットハンターはある程度のプライバシーの公開が義務付けられる。当然、住所などの情報はぼかしてあるし、身の危険を感じれば遮断もできるが、この情報過多社会においては下手に隠したところで流失してしまうことも多い。

 そのため、エリックは自分の情報についてはあえて弄っていなかった。下手に隠すとつつかれる。なら、最初から出してしまえばいい。本当に都合の悪い情報だけは完全に隠匿して。

 ゆえに、そのプロフィールにはカリナのことは伏せられていた。ただ子どもを一人引き取っているとしか書かれていない。


「てめえはよ、軍の時に捕まえた子どもを拉致って家でさんざんヤったんだろ? だから軍を辞めさせられた」

「……」


 エリックは反論しない。ただ観察している。


「スレットハンターになったのは、司法取引のためだ。そんな奴の捜査、一体だれが信じるんだよ! それに、この証拠だって全部私があいつを殺した証明にはならないじゃないか……!」


 エリックは目を逸らした。


「事実だ。これらはあくまで状況証拠。それに、例えあんたがそばブームの火付け役だとしても……殺人に利用したという証明にはならない」


 小さく苦心に満ちた声を捻り出す。対して、陽子の声はだんだん大きくなっていく。


「そうだよな! だって、私が機械を不正操作した理由にはなんないもんな! とんだ迷惑変体ロリコン野郎だ! 無実の人間を犯人扱いとか! 最低最悪のドクズだなあ!」

「誤解を与えたならお詫びするが俺は……」

「いいから出てけよ、ほら! 出てけ! うそつきは帰れ! 二度と家の会社に来るんじゃねえ! ほら、鉄山さんも行ってくださいよ、ほら!」

「陽子君……」


 鉄山は虚を突かれた様子で陽子を見、助けを求めるように視線を泳がせた。目が合ったマキナは速やかに部屋を後にし、最後に残ったエリックと視線を交差させる。


「エリック……君だったか。とりあえず、今日のところは帰った方がいい」

「ですが」


 食い下がろうとするエリックだが、鉄山は顎でエリックの背後を示した。従業員が集まって、ガラス壁から覗いている。野次馬の数がどんどん増えていた。


「陽子君の言う通り、君の推理には証拠がない。確固たる証拠が。それがない限り、私は部下を疑うことはできん……悪いが、今日はこれまでだ」


 鉄山は一定の理解を示しながらも、陽子の要望に沿った形を取る。そこまで言われればエリックとしても引き下がるしかない。好奇と侮蔑の視線に晒されながら、エリックはオフィスを後にした。

 ビルの外に出て、沈黙を続けている相棒に呼び掛ける。


「聞いてるか? だから聞かなくていいって言っただろう。嫌な気分になるから」


 エルドリック通販を訪問する前に言っていたことを蒸し返す。てっきりいつもの通り罵倒が帰ってくるかと思ったが、反応がない。


「カリナ?」

『……エリックは、平気なの……』


 すすり泣く声が聞こえる。この反応は予想外だった。


「泣いてるのか?」

『泣いてない!』


 大音量のせいで耳が痛くなる。


『悔しくなんか、ない……!』

「落ち着け。作戦通りだ。これで陽子は間違いなく共謀犯と接触を図る。あいつはああやって虚勢を張っていたが、内心は酷く怯えている。このまま黙っていればあいつの言う通り確実な証拠は存在しない。だが、工作をした犯人なら別だ」

『その根拠は何……』

「俺は共謀犯がサーカスの一員なんじゃないかと考えてる。例えそうでなくても、何かしら証拠は残っているはずだ」


 サーカスであれば注目するための材料を残しておく必要がある。事故として世間に認知され、陽子への嫌疑が駆けられる余地がなくなったと判断したタイミングで、あれは殺人だったという情報を流すのだ。そしてピエロがまた世間を騒がせる。

 もし仮に予想が外れていても、全ての証拠を処理するにはまだ時間が掛かる。完全な事故として処理される前に動いてしまうと、不要な嫌疑を掛けられる恐れがあるからだ。

 この脅威へ照準を、既に合わせている。後は引き金を引けばいい。


『だから、ああやって罵倒されたの?』

「そうだ。奴は俺がみんなに侮蔑されて怯えていると勘違いした」

『あんな嘘塗れの情報で、真実を捻じ曲げられても?』

「どれだけ情報で……虚構で塗りたくろうと、真実は変わらない。もちろんそれじゃ困る場合もあるがな、今回に関しては、俺は何一つ気にしちゃいないさ」


 自分は真実を知っている。そしてカリナも。

 エリックの仲間たちも、真相を知っている。誤解している人間もいるにはいるが、そういう人間とは大して仲良くないし、もし仲良くなる必要があればうまく打ち解ける自信がある。

 だから、意に介する必要性は全くない。むしろ、それこそ敵の思うつぼだ。


「陽子は俺を心理誘導できたと思っただろうが、誘導されたのはあいつの方だ。後はあいつの足跡を追えばいい。だから……」

『……ない』

「何?」

『私は、納得できない……!!』

「カリナ……? おい!」


 カリナとの通信が切断される。


「くそ……どうしちまった……?」


 エリックは胸の内を吐き出す。だが、その疑問に答えてくれる相手も、その対策を考える時間もない。

 今は陽子の動向を監視、追跡しなければ。


「仕方ない……!」


 気がかりだったが、方針は変更不可能。エリックはそのまま陽子の監視を続けた。

 カリナに対して不誠実だと知りながらも。

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