第3話 脅威への懸念

「これで三人目、か」


 エリックは死体を見下ろした。

 三人目のピエロ。まさに道化だ。

 彼らの目的が何であれ、その企みは阻止された。表面上はそうだ。

 しかしエリックの勘が納得していない。

 スレットハンターの勘と言うよりも、もっと古い感覚だ。

 情報軍時代。シャサールセクションだった頃の。


「何が目的だった?」


 エリックはピエロの生体情報をスキャンして、予想通りの結果を得る。

 死体。ゾンビ。

 かつてアメリカという国の名残が存在していた頃にエリックは産まれ、育った。

 当時はよくゾンビを殺すゲームで遊んだものだ。不思議なもので、ゾンビ相手には何をしてもいい気分にさせられる。死人である、という情報が免罪符となって、おぞましい攻撃方法で殺戮しても、罪悪感は微塵も湧きおこらない。

 無論、ゲームである、という前提条件も多大な影響を及ぼしているが。


『解決したなら早く帰って来てよ』

「解決、解決か……」


 カリナの通信で軍時代の記憶が呼び起こされる。

 事態は収束した。問題は解決した。その言葉が正しい意味合いで使われる場合はほとんどなかった。

 見えなくなった。煩わしくなくなった。その隠語として利用され、軍は問題を放り投げて来た。

 そして優秀な問題児であったエリックは当然反発した。その結果がスレットハンターだが、後悔はない。

 ただ、懸念は残っている。


「連中は組織ぐるみで動いている。空前絶後のピエロブームが到来したんでもなけりゃな」

『新しい手法ってことじゃないの。ほら、手口ってびっくりするぐらい波があるじゃん』


 カリナの言葉は的を得ている。まるで洋服が流行するかのように犯罪手口は拡散しやすい。一度その手法が発案されて有効だと立証されれば同じ手口を用いた犯罪が山のように出てくる。

 まさに流行だ。しかしブームにしてはピエロの数は少なすぎるし、組織犯罪だとしても粗末に過ぎる。

 実行犯はこうして死亡するか逮捕されている。二番目のピエロは思いのほか饒舌に自供してくれているが、ピエロの仮装は趣味の一点張りだ。

 なんでも、そうして怯えてくれた方がそそるらしい。如何にもあり得そうな話だし、警察は一つの事件にずっと固執しているわけにもいかない。解決しているのならなおさらだ。

 だがそうやって、流れ作業で終わらせる危険性をエリックは身を持って知っている。

 その脅威を看過することはできなかった。


(そもそもなんで仲良しユニフォームで事件を起こす。テロだとでも言うのか?)


 一連は全てテロ行為でした、などと言われても驚かない。それだけピエロ男の存在はインパクトがあった。ニュースでもピエロの存在が取り沙汰されている。

 しかし日本自治区に対するダメージは軽微だ。むしろピエロのおかげで予期せぬ恩恵を受けている企業もある。ピエロが死人の個人情報を利用していると報道されたおかげで、亡くなった親族のデータへの警護依頼が急増しているようだ。

 ホロインタビューではセキュリティ会社に依頼した顧客の一人が悲しそうに話している。


『自分を一生懸命育ててくれた親の記録が、犯罪に利用されるのが耐えられなくて――』

『全く、帰らないの?』

「わかった、帰るよ」


 懸念は大切だが、懸念だけではどうしようもない。

 エリックは肩を竦めて、ピエロ男の遺体とおさらばした。



 ※※※



 正直なところ、その関係はすぐに終わりを告げると思っていた。

 しかし意外なことに相手は関係の継続を望んでいた。だからこうして、カリナはチャット相手とコミュニケーションを図っている。


『ってことになって。その子もカリナちゃんに感謝してたよ』

「ふーん。まぁ、感謝されて悪い気はしないけどね」


 脅威を駆除した後はケアも大事だ。脆弱性を塞いで修復し、二度と破られないよう補強しなくてはならない。いずれより強固なドリルによって貫通される恐れがあるとしても。

 しかしそれはあくまでシステムの分野。システムを改良した後は、それを使う者に対してのサービスを提供しなければならない。

 そして、自分を名目上保護している男では不適格だったし、カウンセリングは金がかかる。

 アフターサービスとしてカリナは相談に乗っていてあげていた。


「で、その後、どう? 文香」


 吉川文香。友達がマルウェアたっぷりの非公式えっちサイトを見ていたせいで、危うく犯罪者に犯されそうになった少女。

 友達には当然、反省してもらった。その子も文香を傷つけたかったわけではないので、二度と迂闊なことはしない、と明言してくれた。


『今のところ問題ない、かな。セキュリティレベルは上げたけど』

「ま、何もしないよりは全然いいからね。一番いいのは自分で警備できるようになることだけど」


 ハッカーになって自己防衛できるようになること。それが今の世界をもっとも安全に生きるための秘訣だ。警察はキャパシティオーバーだし、民間警備会社は犯罪者が混ざっている場合がある。一応顔見知りのセキュリティ会社を紹介したが、完全に安全だとは言い難いのが現状だ。


『でも難しくて。カリナちゃんはどうやって覚えたの?』


 他愛のない世間話。しかしカリナは少し鼓動が強まった。


「それ、は……私が天才だから。スーパーハッカーだし」

『いいなぁー。漫画なら自信あるんだけど』


 文香は追及してこなかった。安堵してカリナは話題を合わせる。


「ああ、例の……」


 事前に調査して、カリナは文香の趣味を知っている。BL愛好家という奴だ。昔は同性愛をとやかく言う人間がいたようだが、今やそんな人間は絶滅危惧種だ。そして、そういうものをコンテンツとして好む人間を悪く言う人間もほぼいない。

 単純に性的な意味合いが強いのでみんなに内緒にしておきたかったのだろう。ただでさえ文香の身体は……自己主張が激しい。変な誤解を生む恐れはあった。

 何気なくカリナは自分の胸元をチェックする。……ため息を吐いた。


『どう? カリナちゃん。私の新作見る?』

「いやぁ、前にも言ったけど私は……」


 同性愛に興味はない。興味があるのは西部劇、特にフィクション性が高い奴だ。ポンチョを身に纏うガンマンが流離っていたり、棺桶を引きずりながら移動している男が出る奴。


『カリナちゃんにも素質はあると思うんだけどなー』

「気のせいだと思うけどね」


 カリナは苦笑いを浮かべる。自分の趣味をごり押してくるところは難点だったが、カリナは文香との関係を気に入りつつある。これほど長期間同年代の少女と会話をしたのは久しぶりだ。

 彼女は素直でいい子だ。同居人とは大違い。気遣いもできる。今すぐにでも変わってもらいたい、とちょっとだけ思ってしまうほどには。

 とは言え、趣味の話をずっとしているわけにはいかない。スーパーハッカーは多忙なのだ。


「話を戻すけど、他には? 変なことない?」

『変なこと……』


 文香は少し考え込んで、


『あ、そうそう。保険屋さんがね、すごい親身になってくれて。ちょうど新規開拓中の保険があったらしくて、加入を勧められたよ。もしまた似たようなことがあっても、友達に迷惑を掛けることなく円満に解決できるって』

「保険、ねぇ……」


 つまるところ大した異変はないらしい。トラブルには巻き込まれたが、平常運転だ。ピエロへの手がかりはなさそうだった。


(どうせエリックの深読みでしょ? あーバカらしい)


 カリナはセキュリティレポートに異常なしと入力して、文香との通信を終えようとする。


「ありがとう。じゃあ、そういうことで……」

『あ、待って待って。カリナちゃん、暇な日あるかな?』

「……どうして?」

『行きつけのカフェでさ、今度デザート食べ放題をやるんだって。甘い物好きだって言ってたよね?』

「おぉ」


 思わず唸ってしまう。……いや、そんな初歩的な釣りに引っかかる自分ではない。

 カリナはどうにか理由をつけて断ろうとしたが、


『そこのケーキが絶品でね、特にミルクレープのとろける甘さが』

「行くっ! いつから!?」


 ミルクレープの響きには抗えない。目をキラキラ輝かせてカフェに行く約束を交わした。

 


 ※※※



「くそピエロ、くそピエロか……」


 ピエロピエロ、と呟きながらエリックは道を歩く。人やアンドロイドとすれ違い、パトロールアンドロイドに職務質問されかかったので思索を中断する。


「おいどけバカ。俺はスレットハンターだ」


 悪態をついてパトロールから離れる。聴覚センサーと自己判断プログラムによって、些細な問題も見逃さないよくできたアンドロイドだが、それは時に欠点にもなり得る。何気ない呟きにさえ事件性を見出してしまうのだ。そして、設計者はそれを問題点とは見なさず長所とした。監視を強めれば、その結果街の治安も良くなるとして。


(目を増やすのはいいがな。何も考えずに増やしたところで目くらましされるだけだ)


 監視体制を強めた結果のパンク状態だ。見られているなら見ればいい。そう考えた犯罪者たちのDDOS攻撃。しょうもない犯罪……店舗での万引きなどは激減したが、凶悪犯罪は増加する一方である。


(凶悪犯罪に抑止力は通用しない)


 それがエリックの持論だった。強大な力を用いれば、犯罪を抑止できるなんてのは絵空事だ。それは歴史が証明している。むしろ、下手に強力な武器やシステムを使えば、敵側もそれを真似し出す。そして始まるいたちごっこ……。人間ってのは本当に愉快だ。

 加えてことさら面白いのは、自分のような存在がその面倒を一手に引き受けなければならないことだ。


「ったく、素晴らしいな」


 とにかく、今の問題はピエロである。連中の正体、手引きしていると思しき黒幕を見つけ出さなければ。

 脅威狩りにおいて、一番重要視されるのが敵の正体を探ることだ。敵がわかれば、狙いも見えてくる。標的とされている脆弱性も。


「何かトラブルですか?」


 またもや独り言を呟いてしまったのがいけなかったらしい。

 エリックはため息をついて、背後からやってきたパトロールに言い訳した。


「だから違うって。くそ、感度センサーの設定ミスか? ッ!?」


 振り返って瞬時にその異変に気付く。にこやかに微笑む男性警官を模したパトロールが強烈な蹴りを放ってくる。

 むざむざな蹴り飛ばされるほど無能なハンターではない。エリックは寸前のところで躱し、機構拳銃を突きつけた。響くエラー音声。


「ガワはパトロールのままか!」


 機構拳銃にはただのパトロールとして認識されている。発砲許可が下りるはずがない。しかし、こうして意図しない挙動をしている以上、なんらかのウイルスに感染したか、遠隔操作されているのは明白だった。正当防衛の証明をする必要はない。


「くそったれ!」


 エリックは機構拳銃を投げ飛ばして、オートリボルバーを懐から抜く。右眼を撃ち抜いて頭部を破壊した。


「何が狙いだ……?」


 エリックはデバイスを取り出して、周囲をスキャンする。しかし不審な情報は見られない。そもそも、パトロールは自律型だ。外部接続は必要最低限しか行わない。


「ということは……」


 エリックは人工筋肉から漏れ出る酸素供給液に顔をしかめながらも検体する。

 後頭部に銃弾が付着していた。


「こいつか」


 遠隔操作不可とされるアンドロイドを直接操作するためのウイルスバレット。まだこんなものを使う奴がいるとは驚きだった。

 そもそもこれは、情報軍が好んで用いていたものだ。


(かと言って、軍が犯人は短絡的すぎる。盗むことは可能だし、技術さえあれば似たものを作り出せる。しかし……)


 エリックは歯噛みする。これもまた、目くらましだ。



 ※※※



 誰かと外に出かけるなんて滅多にない。それもエリックではない同年代の女の子となど。

 しかしカリナは、このおでかけをそれなりに楽しんでいた。ネット通販が当たり前になった昨今――無論、きちんと中身を精査してから開封する。既知の事件として中身が爆発物にすり替えられるという映画顔負けの犯罪があった――わざわざ外出するメリットがあるとすればこれだ。

 他人と同じ空間と出来事を共有する楽しさ。それを味わうために、もっと言えばデザートを味わうために、カリナは文香行きつけの店へとやってきた。

 メイド服を着たアンドロイドに案内されて屋外の席へと座る。晴れ晴れとした青空が広がっている。


「綺麗でしょ、ここ」

「デザイナーはいい仕事してるね」

「もう、それは言わない約束だよ」


 対面に座る文香は頬を膨らませる。エリックとはよくこういう言い合いをしていたので、真実を告げて不快感を表す人間がいるのは新鮮だ。


「ごめんごめん」


 偽物の青空の下で謝罪して、他愛のない会話を繰り広げる。学校ではどうこうだの、勉強が面倒くさいだの。とんと自分とは無縁の話が文香の口からすらすら流れ出る。


「でも、カリナちゃんは学校行ってないんだよね」

「そうだよ。必要ないからね」


 スーパーハッカーに勉学は不要だ。天変地異でも起こらない限り食っていけるだけの技術は手にしている。インターネットがなくなりでもしない限り。

 そして今の世界でそれは有り得ない。食事と同じくらい骨の髄までネットは浸透している。不便な安全より危険な便利だ。


「うーん……どうなんだろ」


 急に文香は考え出す。どうしたの、と訊ねると、


「いやね、勉強しなくていいよねって思うんだけど、寂しいかもしれないねって」

「寂しい? 私が?」

「ううん、私が」

「文香が?」


 意味がわからない返答。文香は神妙な顔つきのまま、


「うん。だって、あなたが寂しそうって思うのは余計なお世話だと思うし、勉強しないから楽でいいよねっていうのも違う。カリナちゃん、大変そうだし。勉強だって、頑張ったみたいだし。でもね、もし事件が起きなかったら、私はカリナちゃんのこと知らなかったし、似たように仲良くなれそうな人と出会う機会があまりないんだって思うと、なんかね、私の方が寂しくなっちゃって」


 寂しさが滲み出す。カリナは、座った時に用意されたアイスコーヒー(砂糖マシマシミルク多め)を軽く啜った。


「どういうことそれ。考えすぎじゃない?」


 他人事のように言いながらも、内面は温かさに包まれている。こんな不思議なことを言ってくれる子は、自分の人生に今まで存在しなかった。

 興味を抱く……いや、これはもっと別のもの。滅多に抱くことがなかったもの。


「かな。私、よく言われるんだ。ちょっと変だねって。でも、それが私のいいところだとも、よく言われる」

「その意見は的外れじゃないかもね」


 実際、カリナも文香の変加減を好んでいる。できればそのままでいてもらいたい。

 同時に、こんないい子を犯そうとしたあのクソピエロに怒りが湧いてきた。エリックの誇大妄想だと流していたが、もう一度情報を精査するのもいいかもしれない。

 などとリベンジェンスの意志を沸々と燃え上がらせていると、デザートが運ばれてきた。

 カリナの前へはミルクレープが。文香にはティラミスが。

 復讐心はどこへやら。カリナは目を輝かせてミルクレープへとがっついた。


「まだ時間はあるから急がなくても」

「時間は有限なんだよ! ほら、文香も!」


 文香を急かしながら、カリナはカロリー摂取に勤しむ。クレープを何枚にも重ねるなんて天才的発想をした人間は、英雄としてまつられるべきだろう。


「美味しいね」

「うんうん」


 適当に相槌を打ってあっという間に平らげる。すると、見計らったように給仕アンドロイドが別のケーキを運んできた。それも速攻で食べ終える。

 またもやケーキが。美味しい。食べ終える前にすかさずケーキ。


「うまい、けど……」


 ちょっと一息吐いて、コーヒーに手を付けようとした途端にテーブルにケーキの皿が置かれた。


「なんか、ちょっと、ペースが……」


 常連であるはずの文香も困惑している。異常事態を察知したカリナが、テーブルをケーキで埋め尽くそうとしているアンドロイドに抗議した。


「ちょっとこれおかしくない!? いくらなんでも配膳が早すぎるし、こんなに食べられないって!」


 テーブル一面の鮮やかなケーキの群れを見ながら指摘する。空腹時には桃源郷だが、満腹状態では地獄絵図だ。加えて、周囲の客にはここまで過剰にケーキが配られていない。食べ終えた後にどうしますか、と男性型の給仕係が訊ねている。

 そこでカリナは自分たちのテーブルの配膳係が同じ個体ということに気付いた。


「っていうか、さっきからこの機体……何か変?」


 カリナは能天気ではあるが、無警戒というわけでもない。半ば職業癖のような感覚で通信端末に手を伸ばした。予期せぬ障害で使えなくなる非物理型よりも、しっかりとそこに物質が存在する物理型を常時携帯している。

 ……ここで問題だったのは、自分があくまでスーパーハッカーでありエリックのように訓練と経験を重ねた戦闘員ではなかったということだ。


「きゃあ!」


 文香の悲鳴が響く。異常配膳メイドはスカートに隠していたピストルを抜いて、彼女を拘束。その側頭部に銃口を突きつけている。

 咄嗟にカリナもスレットハンターとして支給されていた拳銃を抜いた。中身はスタン弾だが発砲することはできる。……当てられるかどうかはまた別の話だが。


「動かないで!」


 映画のワンシーンのように警告する。客観的なら最高なのに主観的だと最悪な気分だ。


『低俗な脅しだな、スレットハンター』

「こっちのセリフじゃない? 犯罪者!」


 カリナは威圧しながらも、判断ミスを悔いていた。自身が扱える最高の武器は銃ではなくハッキングだ。ここは銃よりも先にデバイスを取るべきだった。もしくは、銃と同時にデバイスを握りしめるべきだったのだ。

 だが、両手はしっかりとガバメントを握りしめている。第一次世界大戦で誕生してからというもの、ずっと信頼性を維持してきた至高の一品を。

 目だけがデバイスを捉えたが、メイドは文香の顔を銃口で撫でた。


『このお嬢さんの綺麗な顔が吹き飛ぶぞ』

「くッ」


 あらゆる人間が好意的な印象を持つように調整された表情が、邪悪に染まっている。別に、恐ろしくはない。それよりも恐ろしいものを、邪悪なものをカリナは知っている。

 だが、文香が殺されるかもしれないという事実は、その恐怖に近しいものだった。動けなくなる。いや、例え動けたとしても、何かできただろうか。

 カリナは戦えない。インターネットの中でしか。ハックはできてもスラッシュはできない。

 そんな時、そんな時は……。


「――自分に、できることをする……」

『何?』


 メイドが無機質な表情で訝しむ。

 直後に、カリナは肺にたくさんの息を溜めた。言葉と共に放出する。


「エリック!! 助けて!!」

『は? 何をバカな。そうそう都合よく助けなんか来ないでしょ』


 メイドが嘲笑の表情を作る。が、その間も油断はしない。バカなことをして相手の慢心を誘えるのは相手がものすごく間抜けだった場合か、他に仲間がいる状態だけだ。少なくとも今、カリナの傍に味方はいない。だから、気を逸らす効果はない。


『他力本願とは嘆かわしい。……さて、そろそろ本題に移ろうかな。私の要求は……』

「トロイの木馬」

『何?』


 疑問視するメイドにカリナは続ける


「こういうアンドロイドは自律型。外部接続も最小限で、遠隔操作するのは難しい。不可能ではないけれど、周囲から見たら一目瞭然。だってずっと回線が繋がってるから。たまにしか通信しない奴がずっと通信してたら、誰だって疑問を抱く。そして、今の世界での謎の原因は大体クラッカーのせい。拠点でのんびり座ってクラッキングしてたら、居場所が特定されてしまう」

『何が言いたい?』

「傍にいる」


 カリナの返答で空気が凍る。一拍子後にメイドは嗤い始めた。


『いくつか中継ポイントを繋げば、傍にいる必要なんてないだろう? 最終的に特定されるのは確かだが、近くにいる必要性は皆無だ』

「そんなことないよ。偽装しながらの通信はそれなりに神経を使うし、中継箇所が多くなれば多くなるほど遅延も起きる。かと言って、自律行動をさせるのは予期せぬ事態を引き起こす可能性が高いから、監視してないとダメ。となると、近くにいるのが一番効率がいいんだよ」


 それがハッカーとしてカリナが出した結論。もし自分が犯罪を仕掛ける側になり、このような特殊環境下に置かれる端末を遠隔操作する場合は同じような手段をとる。車やドローンをハックするとは勝手が違う。それらは元々遠隔操作が可能なように設計された代物だ。

 だが、自律型アンドロイドは違う。簡単なコマンドは存在するが、基本的には自分で思考して動くようにできている。

 それを無理やり上書きするのだ。何が起きてもいいように、近くで待機するのが基本だ。

 カリナの持論を聞いたメイドは、銃をぷらぷらと振った。


『ま、例え君の言う通りだったとしても――もうどうしようもないけどね』


 メイドはカリナで銃口を向ける。文香の悲鳴。

 カリナは目を瞑り――銃声が轟いた。


「確かに、頭を吹き飛ばされたらどうしようもないだろうな」


 馴染みの声が耳に届いて目を開ける。


「エリック!! ……遅い!」


 いつも通りに対応する。いつものように感謝を胸の内で漏らしながら。



 ※※※



 悪い人に襲われたら助けを求めること。それは随分昔から広まっていた自己防衛だ。とは言え、これはあくまで傍に助けてくれる人がいる場合に効果を発揮する。

 近くに誰もいなければ何の意味もないやり方だ。

 しかしネットワークが発達し過ぎて世界に大損害を与えるぐらいの現代では違う。

 特定のワードが検出された時にその位置を把握するシステムを、エリックはカリナに構築させていた。警察も同様のシステムは運用しているが、知っての通り機能不全に陥っている。今回も、カリナが事件に巻き込まれたと思しきタイミングで、複数の事件が起きていた。

 何なら、カリナたちよりも緊急性が高そうな事案もあった。

 しかし、重要なのは本命を見極めることだ。どれだけ危なっかしくても、それがダミーであれば物事の根本を絶つことはできない。


「まさか役に立つ日が来るとはな」


 メイドの頭部を銃で破壊したエリックは、頭を撃ち抜かれた死体よろしくおしゃれなカフェの真ん中で斃れるアンドロイドをスキャンする。

 しかし、先程自分を襲って来たアンドロイドのように、外部から物理的な細工をされた形跡はなかった。

 となると、次に考えられるのは内部だ。


「トロイの木馬か?」

「そうだと思う。製造過程で紛れ込ませたんじゃない?」

「えらく気の遠くなる犯罪だ」

「そうでもないみたい。でしょ? 文香ちゃん」

「は、はい」


 文香はおっかなびっくりと言った様子でメイドの死体もどきに近づいた。


「この子、最近入荷した新品らしいです。店長さんが自慢してました」

「となると……どこからアクセスされているかわかるか?」


 カリナが端末でアクセスログを追跡しているが、彼女は首を横に振る。その真意はもう汲み取っていた。


「わかるよ。でも、その前に犯人は消えちゃうと思う」

「だろうな。技術的に探るのは困難だ。こういう時は、心理的要因を突いた方がいい」

「心理的、ですか?」


 首を傾げる文香にエリックは説明する。周囲に目を凝らしながら。


「この犯人の思惑は不透明だが、コントロール精度を上げるために、近くにいることは確実だ。そして、手口を見たところ、愉快犯の類だな」

「どうしてわかるんです……」

「もっと直接的な目的があれば、こんな回りくどいことはしない。メイドにトロイの木馬を仕込ませる? ああ、面倒だ。それに安全性を鑑みれば、単純命令コマンドを入力するだけでいいはずだ。店の中で暴れろ、とかな。わざわざ自分で操作する必要なんてない。わざわざ会話する必要もな。そして、殺人でもない。殺すならもっと早くに殺せた。金目的? もっといい方法が他にある。これだけ技術力があるのなら。こんな感じのもろもろを消して最後に残るのは……愉快犯のような不合理的犯罪だ。……だろう? そこのお嬢さん」


 ゆっくりとした動作でカフェを後にしようとする黒髪の女性に話しかける。彼女はなんのことですかー……と両手を広げて、間髪入れずに銃を撃って来た。


「ちぇ! 噂通りに頭が回るねぇ!」


 エリックは弾を避けて、機構拳銃を女性に向ける。面倒なことに実弾モードを即座に提案してきたが、エリックは彼女を捕まえたかったのでスタンモードに切り替えさせる。


「おねんねしてもらうぜ!」


 柔軟性不足の機構拳銃に言うことを聞かし、スマートバレットによる無力化を実行する。が、


「あははっ! 当たらないよ!」


 命中する直前になって、女性が粉末を辺りに投げつけて、バレットが地面へと激突した。チャフで撹乱されたのだ。

 舌打ちしながらマテバを取り出すが、彼女の身のこなしは軽い。まさにネコのようだ。このままでは逃しかねない――最悪の予感が脳裏をよぎった時、突然道路を走行中の車が女性へと突っ込んだ。

 跳ねられかけたところを強引に回避した女性はバランスを崩して地面に転がる。そこに追いついたエリックがホールドアップを促した。


「観念してもらうぜ」

「あちゃー、惜しかったなぁ」


 女性はあっさり降参した。その様子に疑念を抱きながらも、立ち上がらせた彼女の両手に手錠を掛ける。

 その時、彼女はエリックの耳元へと顔を近づけて、


「サーカスはあんたたちに目を付けたよ」

「何――?」

「さぁさぁ、早く警察署連れてって。友達に会いたいから。ああ、自己紹介遅れちゃったね。私はシーノだよ。よろしくね」


 問いかけるまでもなく自己紹介をした。とびきりの笑顔を浮かべて。

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