第2話 ハックVSクラック
スレットハンターの仕事は想像以上に地味だ。マカロニウエスタンで活躍するバウンティハンターのようにはいかない。
賞金稼ぎとは異なり、賞金は犯罪者に対して発生するものではなく犯罪阻止の実績に応じて分配されるものだ。犯罪を行っていない犯罪者予備軍を逮捕すればそれは不当行為となってしまう。
証拠がなければ、或いは証拠があるという確信がなければ殺すことはできない。例えどのようなクソ野郎だとしても。
しかしエリックが追跡している男は幸いにして……証拠をたんまり残してくれていた。
「来るな! 来るなよ! 僕は正しいんだ!」
「だったら逃げるなよ」
呆れながら走って男の背中を追いかける。スレットハンターが必要となる事案というわけでもなかったが、偶然近場で発生した小者による事件だ。
脅威狩りという業種は安定しない。稼げる時に稼いだ方が後のためとなる。
「僕は何も間違ったことをしていないんだ!」
自己を正当化しながら逃げる男の背中に銃弾をぶち込みたくて仕方がない。だが、男が犯したのは軽犯罪のため、下手に殺すと問題になる可能性がある。
このような小者のせいでペナルティを負う気は全くない。エリックは機構拳銃を構える。収集した情報をアップロードしていたため、そろそろ議論が終わる頃合いだった。
『申請を許可。スタンモードへ移行。ターゲットロック』
「そらよ」
特に狙いをつけず引き金を引く。発砲されたスタン弾が通常の物理法則では考えられない軌道を取って男の背中に命中した。
このシステムが開発された時、軍は子どもでもプロの軍人を倒せる弾丸など銘打って大喜びをしていた。実際にはハッカーとクラッカーの台頭により、肝心な時に無力化される場合が多かったが。
マテバを愛用するのも、情報軍時代の教訓のおかげだ。
エリックは地面に倒れて苦悶する男の傍へ立つ。
「元気か?」
「権利侵害だ……僕は間違っちゃいないのに!」
「他人のデータを盗むのは正しいことなのか?」
「大義のためだ! 僕には世界が、企業が公正明大に業務を行っているか監視する義務がある!」
「そうかい」
エリックは相槌を打って、男に手錠を掛ける。男は手錠の材質を見て白目を剥いた。時代遅れのアンティークだったからだ。外部接続はされていない。
「珍しいか? だよな。大体は電子ロック式だが……」
エリックは手錠のカギを見せつけた。
「クラッカー相手に電子式はな」
世界はクラッカーによってボロボロにされながらも、ネットワークの恩恵を享受することを選んだ。軍用兵器の暴走は手酷い痛手だったが、ネットワークでの情報共有によって、救われた命が多いのも事実だ。
エリックが所持する機構拳銃も常時警察の監視ネットワークに接続されている。徹底した監視社会を作ることで、世界はクラッカーが暴走しづらい環境を構築した。
……と学校の授業では教えているらしいが、世界は安全には程遠い。
そんな危険な社会を少しでも良くするのがエリックの仕事なので、自己正当化男を立ち上がらせる。
「警察署に行くぞ。アンドロイドがお前の意見を聞いてくれる」
「権利侵害だ! 僕の人権を……」
「あんまりうるさいとナノマシン弄るぞ」
軽く男を脅しながらカリナが回していた車の後部座席に男を詰めし込む。昔の警察映画にありがちな警官を振り切って逃亡などという馬鹿な真似は起こさない。もしそうやって逃げたとしてもスタン弾の餌食になるか、最悪射殺ということもあり得るからだ。
「いいぞ。自己防衛だ」
「不当逮捕だぞ、くそっ」
「だったら不当射殺されないように自分の身は守っておけ」
軽口を叩いて、車に乗り込む。小金稼ぎにはいい仕事だ。
悪党を捕まえて報酬をもらう。その流れは気分が良くなる。
もっとも、すぐに気分だけではモチベーションを保てなくなるのだが。
「サーバーを管理するSN社、民間サイバーセキュリティを担うガーディアン社、情報監視システムを司法組織と分担するプロヴィデンス社、総合保険を取り扱うセカンドライフカンパニー……これらを監視するのが僕の役目だ。お前たちのような節穴では、企業の不正を見抜くことはできない」
「そうかよ」
まともに会話をするつもりは毛頭ない。この手の奴はどれだけ正しさを説いたとしても聞く耳を持たないと相場が決まっている。話し合いをする気がないのだ。
自分の意見だけを盲信して、他人の意見は問答無用に否定する。話し相手としては最高すぎて、恐れ多い手合いだ。
なので無視する自由を行使していると、車内のホロディスプレイに映像が流れ始めた。
男のプロフィールだ。犯罪を犯せば、全てが公表される。それがクラッカーに対して行う報復措置だ。……抑止力になっているとは言い難いが。
「僕は正しいことをしているのに卑劣な……!」
「正しいことをしてるんだろ? なのになんで胸を張れない?」
「酷い陰謀だ。正義の味方をこうやって……」
「もしお前が本当に正義の味方なんだったら、個人の自由だとか幸せな生活だとかは斬り捨てるこったな。その身を全て信ずる正義とやらに投げ出せ。その覚悟がないなら向いてないぞ」
正論を突きつけたつもりだが、返ってきたのは僕が正しいんだ、というセリフだった。さながらオウムめいている。自己正当化男からオウム男へクラスチェンジだ。
「言っておくが、オウムさんよ」
「僕は正義の使者だ!」
「死者だって? 確かにお前は死人みたいだが」
「人権侵害だ!」
「いいから聞けよ。尋問アンドロイドは俺みたいに優しくない。質問に対し要領を得ない返答をした場合、同じ質問が繰り返されるようにできている。その調子だと永遠に拘束されるぞ。冤罪を防ぐという名目で、会話が成立するようプログラムされてるからな」
「権力の暴走だ」
「それと、お前がもし精神病の類であるなら、問答無用で精神監獄行きだ。一昔前は犯罪者が逃げ道で精神病のふりをしたなんてフィクションがあったが……今は、現物を見たことある奴は口を揃えて普通に刑期を全うした方がマシだと述べる、とだけ言っておく」
以前捕まえた犯罪者の一人がそうやって刑期を軽くして出所しようと画策したようだが、最終的に泣きじゃくりながら僕は精神疾患なんてないんだ、と告解してたのを思い出す。
仮に病状を偽った場合、偽った分の年月は刑期にカウントされない。つまりまた最初から同じ年月、刑を受ける羽目になる。……いやーわからなかったからしょうがないね、と棒読みするオリヴィアはとても嬉しそうに笑っていたが。
「嘘を吐かない限りは、ちゃんと対応してくれる。嘘を吐いて不利益を被っても、それは自業自得だ。……自己防衛をしっかりな」
バックミラーに項垂れる男の顔が映る。エリックは昼飯をどうするか考え始めた。
「でも、不審なのは事実だ。犯罪者たちの行動が、大きな目的を持って行動しているようにしか思えない。いくつかの会社は、犯罪行為が加算されるごとに、業績が上がってるんだ……」
男の誇大妄想を聞き流して。
※※※
ハッカーというものは、とても地味だ。パソコンの前でキーボードを打つ。ホロボードでカタカタと。
常に、カタカタ、という音がいっしょだ。もしカタカタが嫌いなら、ピアノの音源を再生するようにしてもいい。或いは、銃声なんてのもエキサイティングかもしれない。
前にリアルな銃声――SAAの発砲音――に設定したせいで、同居人に怒られてしまったが。
「ウキウキするんだけどなぁ、ハートが」
カリナはエリックに心臓に悪いから止めろという文句を思い出しながらひとりごちる。丸椅子の上でくるくるくるくる。刺激が足りないインドアの中で回り続けている。
エリックのことは嫌いじゃない。むしろ好きな部類だ。もちろん、親愛的な意味合いで恋愛感情なんてものは含まれない。家族であり、仕事仲間だ。
彼はカリナをハッカーとして徴用した。正確には、暇でしょうがないから仕事を手伝わせろ、とカリナが強引に詰め寄ったのだ。……理由は他にもあったのだが、それは内緒にしている。気付かれてるかもしれないけれど、口に出されなければノーカンだ。
「街は犯罪者だらけなのに、どうして私は退屈なの、カリナ」
自問。……美少女ハッカーカリナちゃんは、その美貌のせいか、ほとんど外――SNSでの交流も含まれる――に出ないせいなのか、友達は少ない。
そもそも他人なんてあまり信用できたものではない。悪者優位な世界では。
いや、本当は違う理由がある。けれど、そのことを真面目に考察するのは嫌だった。それらしき理由をそれっぽく見立てて納得して、カリナは自答する。
「銃を撃てないからね!」
立ち上がって、エアーガンのリボルバーを取り出した。これもまたSAA。西部劇におけるガンマンの魂。
リアルでの銃撃戦はくその極まりだ。的を撃ったりゲームするのは大好きだが、本気で人殺しをする気はない。
でも、銃は好きだった。どうして好きになったのかはわからない。
たぶん、戦う力そのものに惹かれたのだ。人殺し、という側面ではなく。
自衛のための力として。人を守るための、アイテムとして。
……それを使って戦う人を見たからだ。
「自己防衛だねぇ」
撃鉄を起こして、バーン。
一応銃の携行許可証は持っているし、今も机の引き出しの中に銃は入っている。おまわりさんの代理人であるスレットハンターには銃を持つ権利がある。一般市民にはその権利はないので、他に銃を扱ってるような奴は問答無用で犯罪者だ。
……中には自警団のような連中もいる。しかしそれらももれなく犯罪者。犯罪者であることを認めながら、それでも人々のために戦うなんて正直とってもクールだと思う。理想的なアウトローだ。ダークヒーロー。しかし、悲しいことに現実にはエリックが二時間前に逮捕、警察へ連行した自己正当化男みたいな奴しかいない。
悪事を働きながらその罪を認めようとしないのはクールじゃない。どうせならば……。
「フッ、罪があるのは知っている。だが、必要な行為だ。文句があるのなら俺を捕まえてみせるんだな!」
『……文句は大ありだ。遊んでないでモニタリングを続けろ』
「きゃあエリック乙女の会話を盗聴するなんて変態すぎ!」
恥ずかしさのあまり誤魔化したが、これは自分の失態だ。映画のセリフを引用する時に大切なのは通信を切ること。じゃないと恥ずかしいことが全部筒抜けになってしまう。
いや、本当は回線に会話を流すだけで相当危険が含まれているのだ。ハッカーであるからこそ、カリナにはよくわかる。
……過去の経験も役に立っている。文字通りの黒歴史が。
盗聴防止のためのセキュリティは常にアップデートが欠かせない。暗号化はもちろん、どの情報の海に潜ませるかも。
しかし人々は面倒な安全よりも危険な便利を選択しやすい。企業が運営する通信システムも、安全なふりをしたデンジャラスゾーンだ。ほとんどの情報が抜き取られている。それでも人々が利用し続けるのは、目に見える実害がない場合がほとんどだからだ。
『本当に正しいのか?』
「天才ハッカーを舐めないでって。感染経路の特定は済んでる」
クモの糸のように張り巡らされた可視化ネットワークは、どこもかしこも赤い。せいぜい薄いか濃いかぐらいかで、危険性がないと断言できるのは完全独立した回線ぐらいだ。それでも、犯罪を百パーセント防ぐことはできない。犯罪は成長する。
今回の本命……脅威は、今のところ軽犯罪にカテゴライズされるものだ。しかし、カリナは今までの経験と犯罪への知識から、カテゴリーの上昇があると確信している。
『よく見つけたもんだ。こんな作業、骨が折れるはずだが』
「ま、あえて泳がせることも重要だってこと」
『罠を仕掛けたのか』
「そーそー。犯罪者ホイホイ」
昔は犯罪者が使う経路を潰すことに躍起になっていた。警察や軍隊は。
しかし、カリナはそのようなルートを見つけても、あえて潰さずに泳がせることにしている。そこを見張ることで、安全だと過信している犯罪者たちを簡単に追跡できるようにしたのだ。
犯罪は力で撲滅できない。犯罪をしなくても問題ない土壌を作ることでしか対処できないのだ。
下手にルートを潰して犯罪ルートの新規開拓を促すよりは、まだ見知った道で犯罪を監視する方が犯罪を食い止めることができる。
「さってと……びりびり棒クリアしなきゃ……」
カリナは画面を切り替えてアクセスを開始する。手口は巧妙で、外部からは簡単には気付かれにくいが、既にスパイウェアを仕込んである。
内部に入ってしまえばこちらのものだ。どれだけ表面装甲を分厚くしたところで、中に爆弾を仕掛けられていたらどうしようもない。
警報を鳴らして相手に勘付かれるようなミスも犯さなかった。というより、今回のクラッカーもあえて敵に探知されるようなやり方をしている気がする。見せつけている、と言うべきか。
「どうしてそんな真似を……よしっ! どれどれ」
監視システムと同調成功。カリナは犯罪者の部屋の盗撮を開始する。
※※※
……恐ろしさで、少女は身を震わす。
情報技術は小中高と全ての学校過程で必修となっている科目だ。だから、知識はあったし迂闊なことはしないよう心掛けて来た。
しかし今、呼び出されて部屋の中へと連れ込まれた。
発端は携帯端末の呼び出しだ。知らない番号から電話が掛かって来て、しかし少女は着信を拒否した。何度もかかってきたので迷惑電話として登録。それでも番号を変えて電話が掛かってくるので、デバイスの番号を変えた。
なのに、電話は鳴り響く。電源を切っても同じだった。新しく買い替えても同じ。
携帯端末なんて解約してしまいたい気持ちに駆られた。でも、今や生活においてスマートデバイスは必需品だ。
なので、警察署へ相談しに行こうとした。そして……電話を受けてもないのに、突然声が話しかけてきたのだ。
『いいのかな? 警察に行ったら個人情報を全部流失させちゃうけど』
「――っ」
恐怖に目を見開いた。……高校生というものは、多感な時期だ。
隠したいこと、知られたくないことがたくさんある。
慄く少女に、男はさらなる要求を口にした。
『俺もさ、別に鬼じゃないから。お金欲しいとか、そんなこと言わないよ。大変だものね。とりあえずさ、いろいろ話し合うために一度お茶しよっか』
冷静に判断すれば、無視するべきだろう。誰だってそう思いつく。
だけど、キッチンの暴走に巻き込まれて母親が火傷を負ってから気が変わった。
握られているのは恥ずかしいデータだけではない。
家族の命まで握られているのだ。
自然と足は動いていた。恐怖によって。
「吉川文香ちゃんだよね。一発で分かったよ」
公園で待ち合わせをして、男に声を掛けられる。風貌は普通のサラリーマンだった。ビジネススーツに身を纏った優しそうな青年。
だが、彼は笑顔のまま自宅へと文香を連れ込んだ。そして今、コンピューターのある部屋の中で待たされている。
足の震えが止まらない。これから何を要求されるのか。……薄々気付いている。
カメラがこれ見よがしに置いてある。高性能の物理型タイプ。外部と遮断されるようなモノを撮影したい時にマニアが使うタイプだ。
「お待たせ、ごめんね、準備に手間取っちゃって」
「ひっ!」
社交的な声音で戻って来た男の風貌に恐怖する。男はビジネスマンからピエロ男へ姿を変えていた。本来なら人々を楽しませるはずのピエロが、文香を恐怖で磔にしている。
知らなかった。ピエロがこんなに恐ろしい存在だとは。
「さぁ、早速始めようか」
男は柔和な笑みを浮かべるが、ピエロの化粧が邪悪さを助長させている。
彼はカメラのスイッチをオンにした。
「服を一枚ずつ脱いで」
「えっ、あの……!」
文香は当然、拒絶反応を示した。逃げようと部屋から出て行こうとするが、
「いいのかなぁ? みんなに君の情報ばらまいてさ? 俺だったら耐えられないかなぁ。君の恥ずかしい趣味とかさ、世界に公開されちゃうよ? 後悔しないのかなぁ?」
「……っ!」
逃げられない。例え逃げても、絶対に逃れられない。
なぜ、どこで目をつけられたのかは全くわからない。けれど、ピエロは確実に文香のことを狙っている。年相応以上に発育された身体を。
目から涙が零れ落ちてきた。しかしピエロは嗤うばかり。
「いいよ。従順なのは。そうだよ、そう。大人の言うことは聞かないといけないんだよ。怖がらなくていいんだ。君は今から勉強をするのさ。大人へとステップアップする勉強をさ。さぁ、早く脱ごうか」
「で、でも私――きゃあ!」
ピエロは文香を強引に押し倒す。無理矢理制服を剥いで豊かな二つの膨らみを露わとする。そのまま下着を剥ぎ取られそうになったところで、チャイムが鳴った。
「んだよ……いいところだったに。そこで待っててね、文香ちゃん。ああ、そうそうもし変なことしたら……簡単だからね?」
「あ、ああ……」
もうどうしようもない。不意に発生した猶予も、文香の絶望を深めるだけだった。頭の中を掠めるのは、どうして私が。
――何で私が、こんな酷い目に遭わなくちゃいけないの。
でも、理由は思いつかない。当然だ。無作為に選ばれただけだったのだから。
せいぜい、顔と身体が好みというだけで、犯される。その理不尽は文香から気力を奪っていく。
だから、その銃声は全くの不意打ちだった。
「えっ何? えっ!?」
閉じられた扉の方を凝視する。直後に男の悲鳴が聞こえて来た。
※※※
チャイムを鳴らして様子を見ると、ホロで容姿を変更した男が出てきた。スーツ姿の好青年だ。とても悪事を働く風貌には思えない。
まあ、そんな見た目には何の意味もない。重要なのは中身だ。なので、エリックは機構拳銃を見せた。
「俺は法の代理人だ」
「スレットハンター、ですか。委任執行官が何用で?」
「聞かなくてもわかると思うが」
「わからないから聞いてるんですよ。おっと」
中に入ろうとすると男はチェーンロックを掛けた。
「令状がないと、ちょっとね。プライバシーにかかわることなので」
「それでいいのか?」
エリックは威圧さを滲ませて問い質す。男はわざとらしく怯えて、
「怖いなぁ。訴えますよ?」
「自己防衛だぞ、
エリックはマテバを引き抜いて間髪入れずにチェーンを撃つ。壊れたチェーンの破片が男の腕に突き刺さり、腕を押さえて中へと逃走する。その最中に偽装は剥がれ、ピエロの仮装が露出していた。
エリックはドアを開けてマテバを構えた。しかし部屋の狭さが仇となった。
「きゃあああ!」
服が乱れた少女に、ピエロが拳銃を突きつけている。かつてのサイバーテロ戦争で使われたもっともポピュラーな拳銃だ。エリックのマテバより新しい。非人道的行為に軍人が奔ることがないようシステムに組み込まれた機構拳銃の初期型だ。
「そんなもの持ってどうする?」
「ふん! ハッキングできるものならしてみろ! こいつに組み込まれたセキュリティは堅牢だ! 一流ハッカーでも崩せやしない! 軍のように武器を奪われたりはしないぞ! 装填されているのもスマートバレットだ。馴染みだろ? あんたの頭を吹っ飛ばすのも造作もない! 或いは、いいぞ。今からこの女の頭を吹っ飛ばしてもいい!」
少女が悲鳴を上げた。自己責任、だとは思わない。
警察のリソース不足だ。そして、予想外の脆弱性のせいだ。
「スレットハンターが金目当てに無理矢理事件を解決しようとして、無実の少女の頭が吹き飛ぶ。なかなかドラマティックでセンセーショナルだ。当初の目的とは違うが、劇的でいい!」
「やだッ! 死にたくないッ!」
少女が涙目で叫ぶ。厄介な事態だ。エリックは銃の扱いに自信がある。彼女を傷つけずに撃ち抜くことも可能だと自負できる。
だが、世の中には万が一がある。それに今の口ぶりでは世界中に配信されているのだろう。
例え正確に撃ち抜けたとしても、世論がどう動くかはわからない。下手な行動は敵の思惑に沿ってしまう恐れがある。脅威を狩る側が脅威を増やしてしまうのは避けたかった。
なので、あっさりと銃を捨て降伏する。
「参った、降参だ」
「お、おいおい、だいぶ話がわかるな。機構拳銃も床に置け。こちらに蹴飛ばせ! いいぞ。あ、ああ……だとすれば、方針転換を余儀なくされるな。今からあんたを拘束して、目の前で、この女を犯す。警察組織の代理人であるスレットハンターが、むざむざ犯罪行為を見逃す! 素晴らしい、報酬もたんまりもらえるだろう」
「いや、それはどうかな」
エリックは拳を握りしめた。得物を捨てながらも闘志は捨てないという意味不明な行動にピエロが瞠目する。
「は? 意味がわからん。いや、いい。それもいい。どれだけ勇敢でも銃弾には敵わない。その現実を世界に教えてやる!」
エリックは雄たけびを上げて走り出す。しかし、五メートル以上距離があるので、どうしようもない。カチリ、と引き金が引かれる音がする。
銃声はしなかった。は? と訝しんでるピエロの顔面に拳がめり込む。
呻いてる男の前でマテバを回収し、突きつける。殺さないでくれ、と懇願しているピエロを左手で握る機構拳銃でスキャニングした。
議論結果は捕縛。ダウンしたことで殺害必要性が下がったようだ。あのまま少女に拳銃を突きつけていたままなら、間違いなく認可が下りていただろう。スタン弾を撃って、行動不能にする。
「運のいい奴だ」
「ぐ、そ、どう……して……」
「言う必要あるか?」
カリナがハッキングして拳銃を動作不全にした、というわかり切った事実を。
「大丈夫か?」
ブラジャー姿の少女へエリックは語り掛ける。はい、と返事をした後に自分の状況に気付いて赤面した。エリックは彼女から視線を外して室内を物色。強引に脱がされた制服の上着を見つけたので彼女に渡し、着替えが済むまで待った。
「吉川文香だな?」
「はい……ど、どうして」
「俺の子飼いハッカーが、君の情報が抜き取られているのを検知した」
「で、でもどうして……」
「マルウェアにやられたんだ」
「学校で、習いました。でも、マルウェアに感染するようなことなんて」
「あー……言いにくいんだが、子どもが見ちゃいけないサイトがあるだろ」
デリケートな部分に触れる発言に文香は顔を真っ赤にした。
「ふえっ。あ、あのでもその私は!」
「落ち着け。履歴は調べてある。君じゃなくて友人だな。君はそういう不審なサイトにはアクセスしていない。だが、友達は違った。電話番号を変えようがメールアドレスを変更しようが無意味だったのさ」
「あ……!」
どれだけサイバーセキュリティ対策を整えたとしても抜け穴は必ずある。情報流失は本人のミスが原因で起こることばかりではない。いくら文香が番号やアドレス、セキュリティコードなどを変更しても、仲の良い友人には教えてしまう。その友人から文香の情報は筒抜けだった。
「こればかりはどうしようもないから元気を出せ」
「は、はい……ふぅ」
文香は安堵の息を吐いたが、
「情報流出における最高の自己防衛は、盗まれても気にしないことだ。君の趣味についても胸を張ればいい」
「えへあっ!?」
間の抜けた声を放って、顔をますます赤らめる。
「なっ、え、わ、私の趣味――!」
「別にいいじゃないか。俺はよくわからんが、なんだ、BLって奴か? 君ぐらいの年頃なら誰だってそういう事項に興味が湧くだろうし、恥ずかしがる必要も、脅しに屈する必要も――うわッ!?」
「エリックのあほ――!」
強烈なキックに見舞われて、エリックは体勢を崩した。その拍子にピエロの顔面に肘鉄を喰らわせてしまったが、まぁ致し方ないだろう。
振り返ると、滅多に外に出て来ないカリナが立っていた。
「何すんだ!」
「エリックのバカ! 変態! デリカシーなさすぎ!」
「俺はただセキュリティ担当として助言をだな!」
「それが的外れだって言ってんの! ほら、文香が今にも泣き出しそう! あんたのせいだよエリック! かっ飛ばしてきて良かった! こうなるのは目に見えてたし!」
「そうは言うが俺の経験上……!」
「反論は認めません! ほら、涙拭いて……」
小動物のようにふるふる震える文香にハンカチを手渡すカリナ。
「ネット切ってたからよかったけど、これが配信されてたら炎上だよ!?」
「けどな!」
「けどなじゃない! こんなデリカシー欠如のおっさんは置いといて行こ、文香。今後のことについて優しく説明してあげるから」
「う、うん……えっと、あなたは?」
「私はスーパーハッカーカリナ! よろしくね! 文香!」
カリナは文香の手を握って出て行ってしまう。うら若き乙女たちは去り、廊下に残されたのはおっさん呼びされた二十代後半と、女子高生を脅してレイプしようとしたクソ野郎だけ。
ピエロが何とも言えない表情でエリックを見上げている。
「そんな目で見るじゃねえよクソ野郎」
エリックはため息をついた。しかしくそったれなことばかりでもない。
(あいつが同年代の子と話すの久しぶりに見たな)
気を取り直して、ピエロに手錠を掛けた。
「行くぞピエロ野郎。
またピエロが現れたという事実が何を意味するのか思案しながら。
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