スレットハンター 脅威を狩る者

白銀悠一

第1話 脅威狩り

 世の中には迂闊な人間が多すぎる、などと考えてしまうのは職業病ゆえだ。

 コートを着る茶髪の男は公園のベンチに座り、デジタルペーパーで構成された新聞を読むフリをしながら思索に耽る。

 緑豊かな自然公園という触れ込みのここはたくさんの家族連れでにぎわっている。噴水の周りでは子供たちが無邪気に走り回り、親たちははしゃぐ子どもを見て笑っている。

 平和だ。

 それ自体は尊いものだ。

 しかし平和がもたらされるものだった時代は、第三次世界大戦を皮切りに終結してしまったことを、彼らは忘れている。

 今の時代は努力が不可欠だ。自己防衛という名の。

 早速、努力をしなければならない事案が足音を立てて近づいてくる。


「きゃあ!」


 最初に悲鳴を上げたのは小さな女の子だった。すぐに悲鳴が伝播して、阿鼻叫喚の騒ぎとなる。

 公園の噴水がアトラクションのようにあらゆる方向へ水を噴射する。だが、本来は無色透明であるはずの液体は血のように赤い。それ自体に有害物質は含まれていないだろうが、無垢な人々を混乱させるには足る演出だ。

 人々が一斉に公園から逃げ出す。丁寧に木々を避けて通ろうとする子供の手を引っ張って、母親が生い茂る木のテクスチャを突っ切って駆けていく。


(自然公園の触れ込みが台無しだな)


 皮肉な笑みを浮かべて、それとなく男も退散……しているように見せかける。腕時計型デバイスがピカピカと明滅して鬱陶しいので、こっそりとランプをオフにした。

 同時にデバイスを操作して、コンタクト内の拡張領域に監視カメラの映像をダウンロードする。

 ……想定通り、映像が表示されている。もしこれが秘密裏の行動だったら失策だろう。公園のセキュリティを突破すらできなかった間抜けだ。しかし、男が見る限り、監視システムに細工を加えられた形跡はない。

 となれば、可能性は二つ。

 一つ、男と同じようにライセンスを持っている。

 二つ、最初から世間に自らの行動をアピールするのが目的。

 ……深く考えなくとも、後者のようだった。

 もしこれで同業者でした、などという結末だったら、説教するところだ。


「大丈夫かい、僕?」


 男の後方で、別の男がパニックに陥る公園内で固まっている少年に声を掛けている。一見すれば親切だ。まぁ、ピエロの仮装をしているというところに目を瞑れば、だが。

 もう十分だと判断して、男は逃走ごっこを止める。

 手を掴もうとしている迂闊な少年へ警告を投げた。


「そいつの手を掴まむなボウズ!」


 同時に懐から拳銃を抜く。大型の機構拳銃システマチックピストル。オートマチックではない。昔のなんちゃって自動ではなく、完全にコンピューター制御された賢い拳銃だ。同時に、組織的システマチックということでこいつには様々な素敵機能が搭載されている。


『発砲の可否を審議中……』


 このように、銃撃の必要性を議論し、引き金を引いてもなかなか撃たせてくれない感謝感激のシステムなどが。


「猟犬にしては随分鼻が効く……。一体どうしたんですか? 拳銃なんか取り出して。私が何かしましたか?」


 白々しく弁解するピエロ。この赤い水の吹き荒れる公園で微動だにしない事実こそが、このトラブルの主犯であることを示している。

 とりあえず子どもを引き離しておきたいが、子どもは事態が呑み込めずに呆然としている。よくあることだし、酷でもある。子どもに努力を……自己防衛を求めるのは。

 だが、くそったれなことに現実は平等主義者だ。子どもだろうが大人だろうが、脅威は同じように悲劇を巻き起こす。

 頭の良い拳銃が議論している間に、ピエロは子どもを抱き上げた。


「さて、逃げようねぇ、僕! 怪しい拳銃持ったおっさんからねぇ!」

「くそッ!」


 吐き捨てた直後に、発砲不許可というお知らせを拳銃が口にした。曰く、ピエロが人命救助者としか思えないかららしい。せっかくの犯罪検知システムが何の役にも立っていない。わざわざ事前に銃の使用許可を求めていたにも関わらずだ。


「待て!」


 男はピエロを追跡する。あの赤鼻を食い止めるためには単独では厳しい。

 いや、できるかできないかと問われればできるが、円滑に事態の鎮静化を図るために仲間へと連絡を取った。


「カリナ」

『あ、おっさん。終わった? いくらもらえた?』

「おっさんじゃないし終わってもいない。現在犯罪者を追跡中だ」

『でも何の情報も出てないけど。いや、無関係な事件はいっぱいあるけどさ』

「警察は奴を貢献活動に勤しむエリート市民だと判断してる」

『ああそう。なら別にいいじゃん。私たちの不祥事じゃなくて警察の失態だし。もし後々問題が生じても責任押し付けられるでしょ。ごめんなさいでいいじゃん』

「ごめんなさいで済むなら俺たちは必要ないな。いいから手伝え」

『ごほうびは?』

「ああ?」

『ご、ほ、う、び』

「HV社のヒストリーログ」

『何世紀?』

「十九世紀後半アメリカ西部」

『やった! ほい!』


 喜ぶカリナの反応に呼応して、ルートガイドが目の前に表示された。黄色いパンクズのようなガイドは、正規の道案内とは程遠い。パルクールアクションを前提とした大胆な近道を呈示している。

 幸い得意分野ではあった。敵が交通ルールを守ってくれるなら使い道などなかったが、犯罪者というものは赤信号を平気で渡るし、立ち入り禁止エリアへ我が物顔で侵入する。


『現在妨害中……ありゃ?』


 走る男はナビゲーターの間の抜けた声に疑問を感じて上を見上げた。監視カメラがある――下部に犯罪者捕縛用のスタン弾を装着したオーソドックスな警備システム。通常モードでは緑色のランプが灯っているそれが今や煌々と赤い。

 先程の血水のように。


「チッ!」


 長年に渡る経験が功を奏した。スタン弾を回避し、カウンターハックをデバイスで行う。一時的に沈黙した監視カメラとお別れして、どんどん街の中を進んでいくピエロ男の追跡を再開した。

 賢い銃の搭載機能であるショットアンカーをビルの屋上へ射出。ソーラーパネルを滑るようにして駆けていく。


「まだか?」

『いやあ、やっこさんやり手だわ。情報間違っちゃったかな?』

「奴はパワーアシストか何かを装着してるようだ。全然追いつけない」


 子どもを抱えながらピエロはまさに曲芸師のように道路を爆走している。車を跳んで避けているので、むしろ補助デバイスを装備していないと考える方がおかしい。


『あー……オフラインみたい』

「だろうな。車を寄越してくれ」

『言われなくてもやってるって』


 建物から広告用ホログラムを突き破るように飛び降りて、丁度直地地点に到着した車の上へと飛び乗る。運転席に乗り込む時間は惜しいので、そのまま発進させた。

 特殊仕様のブーツのおかげで車から転げ落ちることはない。酸素供給もナノマシンが行うので、窒息の恐れもなかった。

 車が一般車の脇を縫うようにしてピエロ男を追跡する。子どもを抱えている都合上、急激な加速はできないであろうピエロ男の姿がみるみる大きくなっていく。


「ようやく追いつい……くそッ!」


 橋の上に入るや否や、ピエロは子どもを橋の下へと放り投げた。子どもの姿は見えなくなり……すぐさま再浮上する。

 ドローンのアンカーに括り付けられた子供が風船のように運ばれていくところだった。


「あれをどうにか――くッ!」

「邪魔はさせねえポリ公!」


 ピエロ男がボンネットの上に飛び乗って、パワーアシストレッグによる蹴りを放ってくる。それを寸前のところで避けて、懐へ手を伸ばした。

 伸縮式スタンバトンを展開、蹴りをバトンで受け流しながら、反撃の機会を窺う。

 敵は疲れ知らずだ。そのための脚部補助パーツ。人間工学と機械産業のベストマッチ。しかし弱点がないわけではない。パワードスーツは人を強化するが、進化させるわけではないのだ。


「人の悪事を邪魔する奴は、機械に蹴られて死ねぇ!」


 弾丸めいた蹴り。それを紙一重で避けると、男は足を掴んでバトンを思いっきり叩きつけた。向こう脛に。

 弁慶ですら泣くのだから、ピエロはひとたまりもない。スタンバトンは機械的防護されている部位に効果的なダメージを与えるために支給されている近接武装だ。悲鳴を上げてみっともなく足を抱えた瞬間に、遠隔操縦されていた車が急停止してピエロが転げ落ちる。


『よしっ! 天才少女カリナちゃんを舐めんな!』


 同タイミングでカリナがドローンへのハッキングを成功させたようだ。誘拐ドローンは一転、安全地帯へと子どもを引率するパトロールドローンへと早変わりした。


「くそが!」


 ピエロは吐き捨てると、橋の上からドローンに向けて跳躍する。アンカーを外して子どもを再び手に入れると、無人工場地帯へと逃げ込んだ。

 男も走ってくる車に気にせず反対車線へ走る。自動運転の車が人を感知して急停車した。

 役立たずな議論拳銃のアンカーを使い地面へと着地。監視カメラの映像から男の居場所を割り出して移動する。


「警備は黙らせといてくれ」

『了解。アウトローが私を呼んでいる……』


 浮かれているカリナに呆れつつも男は気を引き締める。カリナは仕事を果たした。動機は不純だが、綺麗事を言いながら何もしない奴よりはずっといい。

 次は男が仕事を終える番だ。ピエロの計画はご破算となり、完全に追い詰められている。彼は男を始末しなければ計画の達成は有り得ないと悟ったようだ。わざと袋小路へ逃げ込んで、男に短期決戦を仕掛けようとしているのがわかった。


「おっさんに俺が追い詰められるとは……」

「まだ二十代なんだがね」


 思いのほかおっさんという単語は傷つくのだ。特にピエロに言われるならなおのこと。


「ピエロ野郎にどうこう言われたくないな」


 そもそもなんでそんな恰好をしているのか訊きたいぐらいだ。犯罪映画では確かにピエロの被り物をした強盗犯などが登場する場合があるが、そこまで徹底して仮装はしない。

 いや、あえて印象をつけることで、インパクトを残す腹積もりか。


「何が目的――」

「おいおい、仲良くコミュってる暇があるのか? こいつが見えねえか?」

「ひっ!」


 子どもが怯える。喉元にナイフを突きつけられたら、恐らく大人でも怯えるだろう。

 自分もちょっと怖いだろうな、と思うので特に驚きはしない。

 誘拐に失敗した誘拐犯の典型的な末路だ。俺を逃がせ、だの、武器を捨てろ、だの、誘拐犯のレパートリーというものは残念ながらそれほど多くはない。

 そして誘拐犯罪が完全にうまくいくことも少なかった。金を奪うなら銀行強盗の方がよっぽど効率がいい。金を奪うのが目的なら、だが。


「俺は子どもを平気で殺すぞ。そのために攫ったんだからな!」


 ピエロがにやりと笑う。本職の方には失礼だが、犯罪者のピエロというのは確かに不気味だ。白色の肌と赤い鼻。冗談みたいなアフロヘアー。子どもが泣きそうに……いや、現在進行形で泣くのもわかる。

 だから、男は機構拳銃を構えた。ピエロが威嚇してくる。


「殺すって言ってるだろ!」

『発砲の可否を審議中』


 刑法と状況と犯罪データから拳銃が撃つべきか撃たぬべきかシンキングしている間にも、ピエロは恫喝してくる。ピエロは子どもを殺しても構わないと言いながらもぎりぎりまで殺せはしなかった。当然だ。今殺したら即座に射殺される。

 だが、かと言って悠長に待ち続けるわけでもない。遠方からサイレンの音はしているし、本当ならすぐにでも警備用アンドロイドが駆けつける状況だ。カリナがライセンスを使って邪魔をしないように手配をしてくれているからに過ぎない。

 男は観念して拳銃の銃口を下げた。ピエロの表情が僅かに緩む。

 緩んだのは顔だけではない。手もだ。ナイフが子どもからほんの僅かに離れた。

 瞬間、男は拳銃を投げ捨てて、コートの懐に手を伸ばす。ホルスターから抜き出したのは銀色のリボルバーだ。

 マテバオートリボルバー。オートマチックとリボルビングの二つの機構を融合させた珍銃。


「まさか――」

「あばよ」


 男は引き金を引いた。自動で撃鉄が起こされる頃には、ピエロは地面へ斃れていた。銃声に驚いて子どもが泣き叫ぶ。その子へ近づいて、肩をポンと叩いてやる。


「落ち着けボウズ。終わったぞ。すまなかったな」

「う、ううん……おじちゃんは僕を助けてくれた……」


 お兄さんと訂正するのは憚られた。背後で機械音声がして振り向く。


「審議終了。発砲を許可します」

「遅えぞノロマ」


 こういうことがあるから、旧式銃アンティークは手離せない。全てを機械化しようとしたツケだ。責任までをもシステムに委ねようとするから、こういう間の抜けた事態が発生する。


「おじちゃんは……警察官なの?」


 涙目の少年が問うてくる。男は警官じゃないと否定し、


「じゃあ……」

「そうだ、ボウズ。お察しの通り――俺は、脅威狩り《スレットハンター》だよ」


 少年に微笑んだ。



 ※※※



「民間車の無断使用、市街地での暴走行為、個人携行銃の発砲による犯罪者の射殺……一連の行為には問題がなかったとあなたは認識しているのですね?」

「ああ、その通りだ」


 取調室の中で男はぶっきらぼうに応じる。


「懸念されるべき銃の発砲についても、そのように?」

「あんたがたに借りた機構拳銃はちゃんと発砲許可を取ってくれた。ま、仮に取ってくれなくても俺は撃ったと思うがな」

「その場合はあなたも刑事責任を負う可能性が極めて高いですが」

「そうだとしても、俺は撃った。言われなくても責任は取るさ。代理執行官……正義の側だから何をしてもいいなんて考えちゃいない。もし逮捕したいというのなら好きにしろ。そういう契約だろ?」

「……以上で尋問を終わります」


 眼鏡をかけた女性が事務的な口調で終了を告げる。

 そして次の瞬間には表情が切り替わっていた。


「ありがとうエリック! またクソ犯罪者を葬ってくれて! おかげで助かっちゃったぁー!」

「いつも思うが、ビジネスとプライベートでキャラ違い過ぎだな」


 顔なじみの査問官に呆れつつ、エリックは椅子の背もたれに身を任せた。

 彼女の名前はオリヴィア。かつて情報軍特殊作戦群セキュアに所属し、現在は警察のスレットハンター査問官に身を置いている。


「だって警察官ってお堅いものでしょ。軍の方が自由だったなぁ」

「脅威狩りも気楽だぞ」

「でも、自営業でしょ? 全部自分でやるんでしょ? 私には無理だって。警官だと福利厚生に衣食住まで保証してくれちゃうし」

「生活が保障されるからって理由で軍に入ったお前には無理だろうな」


 オリヴィアの価値観はズレていると常々思っているが、そのズレに救われていることも多々あるので異論はない。


「それで、あのピエロは何者だったんだ?」

「……くそ犯罪者?」

「おい、情報は何もなしか? 金だけやるから追及するなって?」

「まさか。警察の補助組織であるスレットハンターたちにはいつも助けられてるし」


 そう聞くと聞こえはいいが、実態は人数不足から発生した職業だ。かつてアメリカの西部開拓時代に登場したシステムを改変し、現代に登用するぐらい切羽詰まっていたに過ぎない。

 警察が直接スカウトしたくないような人材が、スレットハンターとなるのだ。


「じゃあ?」

「最近たくさん出てくるゾンビ」

「死体情報をクラックしたなりすましか」


 二十二世紀になっても未だ情報セキュリティの脆弱性は改善されない。……そもそも強固にすること自体不可能なのだ。脆弱性の穴を開く度に塞ぐよりも、ネットに繋がない方が遥かに安全だろう。


「死人のセキュリティは生者よりどうしても薄くなるから。極端な話、取られても普通は問題ないし」


 死人が情報を盗まれたと警察に訴えることはまずないので、問題の発覚が遅れてしまうのは致し方ないと言える。遺産などの死した後のイベントごとに関わっていれば話は別だろうが、単純に戸籍情報を借用するだけならば、低リスクで利用することが可能だ。

 守る側より攻める側の方が有利なのは、いつの時代も変わらない。


「人材不足だからねー。死者を守ってる余裕はないし。お金持ちに回されるリソースをちょっとでも配分できればまた違うんだけど」

「高度なセキュリティ維持には人員が必要になる。二十四時間の監視体制を死人に貼らせるのは酷だろうな」

「怪しい奴を片っ端からぶっ殺した方が早い」

「血の気の多い発言は控えろよ」


 オリヴィアは机の上にだらしなく突っ伏した。


「というか、うん、これは頭のいい奴がバックにいる」

「データベースで容疑者は絞り込めないか?」

「そんな迂闊な奴じゃないし。何よりあっちはこちらの手を完璧に理解している。警備システムに自己投影して、自分がやられたら一番いやな手を実行してくるの。マジで魔術師ウィザード

「本気出せばいいだろ? 軍人時代のお前はそれはもう」

「黒歴史だからやめて。……ま、なんとかするよ。エリックも頑張って」


 おざなりにあしらわれたエリックは椅子から立ち上がる。


「カリナちゃんによろしく」

「ああ、伝えとくよ」


 通路へと出て、自立型のパトロールアンドロイドとすれ違う。今やメインの部署の一つとなったサイバー犯罪対策課の横を通って外に出ると、可愛らしいアイドル型マスコットキャラクターのホログラムが、サイバー犯罪の危険性とサイバーセキュリティ対策の重要性を訴えていた。


『皆さんの情報は資産です。セキュリティソフトをインストールし、迂闊な行動は慎みましょう。異常を検知したらすぐに警察署へ連絡を。サイバー犯罪対策課は、高度な技術で犯罪者を追い詰めます』

「嘘つけ」


 元々警察組織は受け身型だったが、サイバー犯罪の増加につれてその傾向がより顕著になった。戦争によって急速発達したネットワークが民間に浸透し、誰でもその恩恵を受けられるようになった一方で、専門知識のあるクラッカーがその勢いを増していった。

 その結果、低リスクで誰でも簡単に犯罪を行える地獄が出来上がってしまった。直接財布を盗むよりも、銀行の口座番号をクラッキングで入手して引き落とした方が遥かに楽だ。

 もちろん、セキュリティの方も進歩している。だが、犯罪はいたちごっこ。加えてサイバー犯罪は勉強すれば誰でもできる。事前準備の必要性が肉体を用いた犯罪に比べてイージーなのだ。


「……自己防衛だぞ」


 独り言ちて、アンドロイドと人間がひしめく雑踏の中に消えていく。様々なテクスチャがあらゆる商店やビルに貼り付けられている。エリックも身に着けているコネクティングコンタクトを通してみれば、広告データをダウンロードし、丁寧な説明やCMまでをもチェックすることができる。

 ただテクスチャが剥がれると、そこは何の飾りつけもない寂しげな店頭だ。技術の進歩によって滅びた職業は数多ある。塗装業もその一つだ。

 しかし時代が変わっても滅びない職業もある。警官とエリックがかつて所属していた軍などは。


『エリック、まだ?』

「ああ今帰るよ」


 声を弾ませる相棒に応えてエリックは自律型のタクシーを呼び出す。運転手のいないタクシーに目的地を告げて、帰路についた。




「エリックおかえりぃ! 待ってたよ!」


 帰宅早々目をらんらんと輝かせる茶髪少女にエリックはうんざりさせられる。

 コートを脱いで、ハンガーにかける間も、少女はひよこめいてエリックの背後を追尾していた。


「ねぇ、ねぇねぇねぇ」

「わかったよ、ほら」


 デバイスを操作して、帰宅途中に購入したデータを彼女へ送信した。


「やったエリック愛してる!」

「安い愛だな、カリナ」


 しかしカリナはエリックの皮肉に取り合わずベッドへダイブすると、ヘルメット型のデバイスを装着して早速楽しみ始めてしまった。

 その姿は非常に無防備だ。成人男性の住まう家で無防備な姿を晒す少女、と聞けば犯罪チックにも聞こえてしまう。

 しかしそのような間違いが起こるはずもなかった。

 でなければ、わざわざ保護したりはしない。

 軍を辞めたりも。


「助かったぞ、カリナ」


 ゲーム内に意識をダイブしたカリナへ囁く。返事はないが身体は嬉しそうにもぞもぞと動いている。エキサイティングな体験をしているのだ。犯罪を犯したアウトローを賞金稼ぎとなって追跡しているのだろう。いや、アウトローが犯罪に手を染めた保安官を殺す話だったか。

 エリックはメインコンピューターへとアクセスする。拡張現実内にいくつかのタグが散見されたので確認すると、凶悪犯罪の発生確率が高い地域がマッピングされていた。


「本当に助かる」


 犯罪検知システムは優秀だが、犯罪者もただ撲滅されるだけに留まらなかった。検知されてしまうなら撹乱すればいい。さながらDDOS攻撃めいている。

 一つの主目的の犯罪を行うと同時に撹乱用の囮犯罪を実行するのだ。警察はどの犯罪にも対応しなければならないためパンク状態に陥る。

 それを回避するためのスレットハンターだが、どの犯罪が本命なのかを見極める必要があった。

 その作業には根気を要する。しかし優れたハッカーであるカリナは様々な情報からそれらをリストアップしてくれた。

 嬉しい反面、複雑な心境に陥る。


「こんなことをさせたかったんじゃないんだがな」


 しかし人生はままならない。誰だってそうだ。

 だから街のあちこちにテクスチャを張って、誤魔化そうとする。

 世界の惨状から目を背けるように。

 エリックは賢い銃と昔の伝手を使って手に入れたマテバを机の上に置いた。

 ハザードマップを画面に表示する。ワールドワイド版ではあちこちが赤く染まり、日本自治区へと縮小しても赤の割合はほとんど変わらない。

 二十一世紀は様々なものが壊れた時代だった。世界地図と銘打ってはいるものの、今や世界に国という境界線はない。

 線を引いている余裕がなくなる事態が起きた。クラッカーたちによって、世界の在り方は様変わりした。

 敵に国境はない。人種も、思想の違いもない。あるのは一つの目的だ。

 世界は後手に回っていた。本来連携を取るべき味方とくだらないゲームをしたせいだ。

 その結果として、まず核抑止論の崩壊が始まった。核兵器の抑止力は国に対して作用するものだ。個人集団であるクラッカーや犯罪組織にはほとんど効果がない。むしろクラッキングによって核兵器を誤作動されるようなケースが散発的に起こった。

 軍が持つ敵を殺すための武器が、軍を殺すための武器として早変わりし、気付けばアメリカとロシアの旧二大国家は致命的なダメージを負っていた。

 かつての日本も例外ではない。むしろ発展途上国とされる国家群の方がダメージが少なかったくらいだ。

 ネットワークは持たざる者にとっては最強の兵器となる。ネットワーク接続されている武器は全てクラッカーの武器へと成り代わる。

 敵の動きは迅速だった。対策を取られる前に、ことを一気に起こした。最終的に全ての国が核兵器や原発施設などを放棄することになった。

 敵と同じく持たざる者になること。サイバー犯罪に対する最大の防衛策だ。

 最悪なのはその後に今までロクに支援してこなかったボロボロの先進国と、それまで理不尽な思いをしてきた発展途上国による第三次世界大戦が起きたことだ。

 気付いた時には、世界はボロボロだった。世界は負けたのだ。

 インターネットという名の怪物に。

 しかしまだ自分たちは生きている。テクスチャで見て見ぬふりをしていても、歴史は変わらない。


「さて……仕事するか」


 エリックはカリナがリストアップした情報を吟味し、どれが一番儲けられそうか模索し始めた。

 スレットハンターとして。

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