優しい人たち

`アナスタシア´の撮影から数日後。


ユウはCM曲のレコーディングをしていた。


プロデューサーのヒロは、ユウの甘い歌声を聴きながら、顎に手を当てて何かを考えている。


(ユウのヤツ、何かあったか…。)



レコーディングの休憩時間、ユウはタバコに火をつけコーヒーを飲んでいた。


(レナ、今頃何してるだろうな…。)


ここ最近、レナは随分調子がいいようだ。


表情も随分明るくなり、ユウの問い掛けに対して、うなずいたり首を振るだけじゃなく、声は出ないが口の動きで言葉を伝えようとする。


部屋にこもる時間が減り、ユウが家にいる時は一緒に過ごす時間が増えた。


ユウが近付いたり触れたりしても、怖がって身をすくめたりしなくなった。


そしてなんと言っても、笑顔が増えた。


(改善の兆しだな。あとは声が出れば言う事ないんだけど。)


ユウがタバコを吸いながらレナの事を考えていると、ヒロが隣に座ってタバコに火をつけた。


「よぅ。なかなかいい調子だな。」


「あっ、ヒロさん…。」


ヒロはいつも、ユウの事を“うちの末っ子”、レナの事を“オレのかわいい娘”と言って気に掛けてくれる。


そんなヒロを、レナは“ダディ”と呼んで慕っている。


「お土産ありがとな。この間、事務所に寄った時にもらった。沖縄行ってたんだって?」


「あっ、ハイ…。」


「カミさんも喜んでた。早速一緒に頂いたよ。うまかった。」


「気に入ってもらえて良かったです。」


ヒロはタバコに口をつけ、煙を吐き出して静かにユウに問い掛ける。


「ユウ、なんかあったか。」


「えっ?!」


「社長がな、自分の都合で仕事のスケジュールを無理して調整するなんて、ユウにしちゃ珍しいってさ。決まってた仕事、先方に頼んで前倒しにしてもらったり、先延ばしにしてもらったり、かなり無理言ったんだって?」


「ハイ…。」


レナには“まとまった休みができた”と言ったが、決まっていたいくつかの雑誌の取材の日をずらしてもらって、無理して調整して作った休みだった。


「そうまでして沖縄に行った理由はなんだ?まさか、ありきたりの観光じゃないよな?やっぱりレナが関係あるんだろう。」


(さすがヒロさん…鋭いな…。)


ユウはタバコの火を灰皿の上で揉み消して、レナが病気になるまでの経緯とそれからの出来事を、かいつまんでヒロに話した。


「なるほど、それでか。」


「沖縄に行ってすぐは表情も暗くて、病気になった自分を責めて、いろいろ悩んだり落ち込んだりしてたみたいですけど…途中からは表情も穏やかになって、少し笑えるようにもなって…ここ何日かは落ち着いてますし、だんだん良くなってると思います。」


「そうか…。」


ヒロはコーヒーを一口飲むと、遠い目をして静かに話し出す。


「こういう商売してるとな、見ず知らずのヤツから嫌がらせされたり、訳のわからん理由で世間の目に晒される事がある。オマエにはその経験があるから、よくわかるだろ?」


「ハイ…。」


「オレら自身がそういう目にあうのは、自分の意志でこういう世界にいる以上、仕方ない部分もある。ただな…自分のせいで、家族がそれに巻き込まれて傷付けられた時…結局、守ってやれるのは自分しかいないんだ。」


「……。」


ヒロはユウの肩をポンと叩いて立ち上がる。


「オレにもそんな時があった。今はしんどい時だろうが、オマエの手でしっかりレナを守ってやれ。」


「ハイ。」


(そうか…。ヒロさんにもそんな事が…。だからヒロさん、余計に奥さんを大事にしてるのかも知れないな…。)



その日、レナは仕事に出掛けるユウを送り出した後、いつものように家事をして過ごした。


今日の仕事は加藤がカメラマンを務める、音楽雑誌の写真撮影だとユウが言っていた。


(今日の夕飯、何にしようかなぁ…。)


レナは冷蔵庫の中を覗き込んだ。


(そろそろ買い物に行かないと、食材が残り少ない…。)


最近はユウが代わりに買い物に行ったり、レナの調子がいい時には、近所のスーパーに一緒に行ったりもする。


でも、まだ人目が気になって、一人で買い物に行くのは怖い。


(あのスーパー遅くまで開いてるし、ユウが早く帰ってきたら一緒に行ってもらおうかな。)


レナは冷蔵庫のドアを閉め、キッチンでお湯を沸かし、ミルクティーを淹れてダイニングの椅子に座る。


熱いミルクティーにふうふうと息を吹き掛けて冷ましながら、なんとなくユウの事を考えた。


あんなにもユウに怯え、目が合わないように下を向いていたはずなのに、小浜島のビーチでのできごとから、不思議とユウに対する恐怖心が薄れて、笑えるようになった事をレナは自覚している。


(沖縄でも、帰ってからも…ユウに抱かれても苦しくならなかった…。)


お酒に酔っていたせいなのかとも思ったが、意識がなくなるほど飲んでいたわけでもない。


ユウに迫られたわけでもなく、レナの意志でユウを求めた。


(私、やっぱりユウの事、すごく愛してるって実感した。ずっとそばにいたい、これからもユウの奥さんでいたいって…。)


ミルクティーを一口飲んで、レナはユウが切ってくれた髪に触れ、ユウの優しい笑顔を思い浮かべて微笑んだ。




“撮影の後、みんなで食事に行く事になった。

料理が美味しい個室の居酒屋があるんだって。

みんな、レナに会いたがってるよ。

レナも気分が良ければおいで。

迎えに行くから。”


ユウからのメールを見て、レナは少し考えてから返信した。


“わかった。

撮影が終わったら連絡して。”


`ALISON´のみんなとはしばらく会っていないので少し緊張するけれど、ユウと一緒ならと、思い切って出掛ける事にした。


(夕飯作る前で良かった。)



夕方、洗濯物を取り込み片付けてしばらくすると、ユウから撮影が終わったと連絡があった。


レナは出掛ける支度をしてユウを待つ。


久し振りにスカートを履いて、化粧をした。


(こんなふうに出掛けるの久し振り…。)


しばらく経って、レナを迎えに戻って来たユウが、目を細めてレナの頭を撫でる。


「やっぱりオレの奥さん、世界一かわいい。」


レナが照れ臭そうに微笑むと、ユウは笑って手を差し出す。


「行こうか。」


レナはユウの手をそっと握ってうなずいた。


お酒を飲むので、車を置いてタクシーでみんなの待つ居酒屋に向かった。


「腹減った。」


“私も”


「いっぱい食べていいよ。料理が美味しい店らしいから。」


“楽しみ”



タクシーを降りて居酒屋の個室に入り、久し振りに`ALISON´のみんなと対面する。


メンバーと一緒に、加藤の姿もあった。


緊張の面持ちのレナの肩をそっと抱いて、ユウは優しく話し掛ける。


「緊張しなくていいよ。みんな、レナの事が大好きだから。」


レナがうなずくと、ユウはレナの手を引いて壁際の席に座らせた。


「あーちゃん、久し振りだね。」


レナは笑顔で話し掛けるタクミにうなずく。


「髪切ったんだ。」


リュウが、レナの髪に一番に気付く。


「さすが元美容師。」


リュウの隣でトモが笑う。


“ユウに切ってもらった”


レナがいつものように口を動かすと、みんなはレナが何を言ったのかわからず首を傾げる。


「ユウに切ってもらった、だって。」


ユウがレナの言葉を伝えると、みんなは驚いた顔をする。


「そうなんだ。言ってくれたら、オレが切ってあげたのに。」


「って、オレも言ったんだけど…レナはオレに切って欲しかったんだよな。」


ユウの言葉に、レナが照れ臭そうにうなずく。


「相変わらず仲良しだ。」


ハヤテが二人の仲睦まじい姿に微笑んだ。


「髪少し短めにしたんだね。よく似合うよ。」


タクミに誉められ、レナは嬉しそうに髪に触れて微笑んだ。


「レナさん、久し振りだね。オレ、誘ってもらっちゃった!!」


嬉しそうにしている加藤を見て、レナは穏やかな顔でうなずいた。


「さぁ、食べて食べて。飲み物は何にする?」


ユウとレナは生ビールをオーダーして、たくさんの料理を取り皿に取って食べ始める。


「おっ、うまいな。」


“美味しいね”


「うん、レナもしっかり食べな。」


“唐揚げ食べたい”


「ん、ほら。」


ユウが唐揚げを取ってレナのお皿にのせる。


“ユウ、これ好きでしょ”


「うん、好き。食べたい。取って。」


“ハイどうぞ”


みんなはユウとレナが会話しているのを、不思議そうに見ていた。


「ユウくん、なんでわかるんだろ?」


「仲良し夫婦だからじゃない?」


加藤とタクミが小声で話すのを聞いて、トモが笑いながら親指でユウを指差して、同じように小声で話す。


「ユウがハニーの事、好きで好きでたまんねぇからだよ。見てみ、ユウのあの目。」


リュウが、ユウの方をチラッと見て笑いながら声を潜めて言う。


「奥さん見てる時のユウの目は、特別甘くて優しいよな。いつか溶けてなくなるぞ。」


「そんなに好きになれる相手に巡り会えるなんて、ホント羨ましいなー。」


仲睦まじいユウとレナの様子に目を細めて微笑んでいたハヤテがしみじみ呟く。


ずっと聞こえないふりをしていたユウが、赤い顔をして、みんなをにらむ。


「オマエらうるさい。それ内緒話のつもりか?まるごと全部聞こえてるっつーの。恥ずかしい事ばっか言うな。」


ユウの隣で、レナも恥ずかしそうに頬を染めている。


「でも、ホントの事だろ?」


リュウがニヤリと笑う。


「そうだけど…もう勘弁してくれ…。」


照れ臭そうに頭をかくユウを見て、みんな優しい目をして笑った。


美味しい料理とお酒を楽しみながら、みんなで他愛もない話をして盛り上がる。


最初は少し緊張していたレナも、久し振りのその雰囲気に、いつしかすっかり馴染んで楽しんだ。


しばらくして、レナが化粧室に行くと言って席を立った。


レナが席を外すとみんながレナの話を始める。


「レナさん、思ったよりずっと元気そうで安心したよ。」


加藤が安心したようにユウに話し掛ける。


「うん。最初はフミが言ってたみたいな感じでひどかったけどな…。最近はかなり良くなってきてる。」


「でも、声はまだ出ないんだな。」


トモがタバコを吸いながら呟く。


「まぁ…。どのタイミングで、何がきっかけでそうなったのかもわからなければ、治るのも同じって事かな。治るのを気長に待つしか…。」


ユウたちが話していると、隣の個室から大声で騒ぐ声が漏れ聞こえて来た。


突然騒がしくなったところを見ると、恐らく入店したところなのだろう。


「うっせーな。若造か。」


リュウが忌々しげに舌打ちをする。


「オマエが言うと、めちゃくちゃこえーよ、リュウ。」


トモがおかしそうに笑う。


「なんで?」


不思議そうにユウが尋ねると、トモが答える。


「リュウ、昔、激ヤンだったんだよ。オレ、中学からのツレだから、よく知ってるけど。リュウの姉ちゃんもな。」


「昔の事は言うなよ。」


リュウはそう言ってタバコに火をつけた。



『シオン、誕生日おめでとーっ!!』



「しかしうるせぇなぁ…。」


「誕生日パーティーでテンション上がってんだろ。少し多目に見てやろ。」


苦々しく呟くリュウを、ユウがなだめる。



『シオンさぁ、あの話、どうなった?』


『あの話ってなんだよ。』


『シオン、歳上の人妻狙ってるって。めっちゃ美人なんだろ。』


『すげぇ美人なんだけどさぁ、オレより、一回りも上。30だってよ。オレの母親と4つしか変わんねぇの。』


『マジか!!』


『で、どうなんだよ。』


『いいタイミングで二人っきりになったから、やっちゃおうと思ったんだけどさぁ…。イイところで邪魔が入って逃げられちまった。これからってとこだったんだけどな。』


『なんだよー。失敗かぁ。』



隣の個室からは、こちらが聞く気はなくても、会話の内容がハッキリわかるほど大きな声で話す声が聞こえてくる。


「一回り上が30なら、コイツ18だよな?」


「最近のガキは恐ろしいな…。」


トモとリュウが隣の個室から聞こえる会話に、呆れた顔をする。


(30って言ったら、オレとレナと同じだな。)


ユウはビールを飲みながら、両方の会話をなんとなく聞き流す。


(そう言えばレナ、なかなか帰って来ない…。どうしたんだろう?)


「なぁ…。この声、アイツに似てない?」


タクミが険しい顔で隣の会話を聞いている。


「アイツ?」


「ほら…。なんとか言うアイドルグループの、シオンってヤツ。前に歌番組で一緒になった時に、すごく声に特徴あるなって思って。昔の友達と同じ名前だから、余計に覚えてた。」


「あぁ…。確かさっき、そんな名前聞いた。」


ハヤテがメニューを見ながらそう言うと、加藤が慌てふためいてユウの方を見た。


「フミ…どうした?」


ただならぬ様子に驚くユウの腕を掴んで、加藤は低く呟く。


「ユウくん…。前に言ってた、控え室にいたアイドルって、確かシオンって名前だった…。」


「…えっ?」


「アイツの言う30歳の人妻って…もしかして、レナさんの事じゃ…。」


「まさか…。」



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