二人の時間

小浜島での5日間の旅行を終え、ユウとレナは東京の住み慣れたマンションに戻った。


翌日には、旅行の最終日に売店で買ったたくさんのお土産が、宅配便で届いた。


「バンドのみんなとヒロさん、シンちゃん、リサさん、おふくろ夫婦、須藤さんには泡盛。ヒロさんの奥さんと佐伯とサトシんちにはサーターアンダーギー。両方の事務所にはちんすこう。泡盛ばっかりだな…。」


ユウは呟きながら荷物の中身を確認する。


「そうだ。フミにも泡盛渡すか。」


ユウがポツリと呟くと、レナが不思議そうに振り返って首を傾げる。


「あぁ、レナの同僚の加藤くん。史彰だからフミ。この間、用事があって須藤さんに会いに行った時に友達になった。」


(フミが言ってた事は気になるけど、今は何も聞かない方がいいかも…。)


やっと少し明るくなってきたレナを、あまり刺激しないようにしようと、加藤の言っていた事には触れないでおこうとユウは思った。


「もうすぐ`アナスタシア´の撮影だな。」


ユウは話題を変えようと`アナスタシア´のCMと写真撮影の話をする。


レナが小さくうなずくと、ユウは話を続ける。


「夫婦で共演だって。なんか照れ臭いな。」


ユウの言葉にレナがうなずく。


沖縄に行く前よりもレナの表情は明るく、ユウの問い掛けへの返事も、随分ハッキリするようになってきた。


(レナ、少しずつ良くなってるみたいだ。きっともうすぐ声も出るようになるはず…。)




翌日、仕事に出掛けたユウは、バンドのメンバーや事務所に沖縄土産を渡した。


「なんで急に沖縄?」


仕事のスケジュールを少々無理して調整してまで夫婦で沖縄に行ったユウを不思議に思ったタクミが尋ねる。


(みんなにはちゃんと話してなかったな…。)


ユウは、スタジオでバンドのみんなにレナの病気の事を簡単に説明した。


「前から一緒に行こうって言ってたんだ。沖縄でのんびりして、キレイな海でも眺めて好きな写真撮ってさ、少しでもレナの気が晴れればいいなと思って。」


「そうか…。そんな事になってたんだ。だから今度の写真撮影のカメラマンも、あーちゃんじゃないんだね。」


「うん…。今は仕事休んで家にいるから。」


「少しは良くなった?」


「少しずつだけどな。いい日があれば、あまり良くない日もある。でも、前よりは良くなってると思う。」


「そうなんだ。早く良くなるといいね。なんか協力できる事があれば言ってよ。」


タクミとの話を聞いていたリュウ、トモ、ハヤテも、レナの事を心から心配し、ユウにも“無理するなよ”“いつでも力になるからな”と温かい言葉を掛けてくれた。


「ありがとな。」


`ALISON´のみんなに励まされ、ユウはいい仲間を持って幸せだと改めて思った。



旅行から帰ってから数日。


ここ最近、レナはやけに髪を気にしている。


ソファーに座って一緒にカフェオレを飲んでいると、レナが自分の前髪の毛先をつまんで、じっと見つめている。


「髪、気になるの?」


ユウが尋ねると、レナは静かにうなずく。


「美容院、予約する?」


レナは少し考えて、首を横に振る。


(まだ、あまり人に会いたくないんだな…。)


声が出なくなってから、ずっと部屋にこもって塞ぎ込んでいたレナを見て、以前週刊誌で記事を書かれた時の自分のようだとユウは思っていた。


そんな時も、レナは変わらずユウに接して、いつもより優しく抱きしめてくれた。


(あの時オレは、そんなレナの事も遠ざけてしまったけど…。レナはオレに少しでも近付こうとしてくれてるんだ。)


ユウは、相変わらず前髪を気にしているレナを見て微笑んだ。


「オレが切ってあげようか?」


レナは少し驚いた様子でチラリとユウを見る。


「昔、リュウに教えてもらった。リュウ、親が美容師で、実家が美容室で…。中学出て親の美容室で仕事しながら、美容学校の通信で3年勉強して資格取って、ロンドンに行くまで美容師やってたんだって。オレもロンドンにいた頃、よくリュウに髪切ってもらった。英語で説明するの難しくて。そうしたらリュウが、めんどくさいから、前髪くらいは自分で切れって教えてくれた。」


ユウがレナの前髪に触れると、レナはほんの少し身をすくめた後、ユウを見る。


「オレじゃ不安?リュウに頼もうか?」


レナは首を横に振る。


「じゃあ、髪切る用のハサミとか、道具買って来るかな。オレ、結構うまいよ。」


ユウが笑って言うと、レナは小さくうなずく。


「よし、じゃあ決まり。」


沖縄では手を繋いだり、抱き合ったりキスをしたり、ユウが触れる事に抵抗がなくなったように見えたが、帰ってからのレナは、時々以前のように急に落ち着かなくなったり、ユウが近付いたり触れたりすると、驚いて身をすくめたりする。


そうかと思えば、穏やかな顔でユウのすぐ隣に座っていたりもする。


レナの中で一体何が起こっているのかはわからないが、ほんの少しずつでも、ユウが触れる事をレナが怖がらないようになってくれたらとユウは思う。


いつかまた、声が出なくなる前のように、名前を呼んで“大好き”と笑って欲しい。


(焦らなくていい…。ずっとそばにいるんだから…。)




`アナスタシア´のCMと写真撮影の当日。


ユウは車にレナを乗せ、仕事に行く前にホームセンターに寄って、レナを車に待たせて買い物をした。


髪を切るハサミやケープ、櫛、下に敷くシートなど、散髪に必要な道具を一通り揃える。


買い物を終えると、撮影現場となるハウススタジオに向かった。


いつも二人で過ごしている雰囲気に近付けるように、大きなソファーのあるセットを用意してもらった。


レナは少し緊張しているようだが、隣にユウがいる事で、表情は穏やかだった。


「いつも二人で家にいる時みたいに、ゆっくり寛いで下さい。セットは自由に使っていいですよ。キッチンも使えますから。」


「わかりました。」


ユウとレナは`アナスタシア´から発売されるルームウェアに着替え、セットのソファーに座る。


「緊張してる?」


レナがうなずくと、ユウはキッチンでカフェオレを淹れて、カップをレナに手渡す。


「これでも飲んで、ゆっくりしよ。」


レナはカップを受け取りうなずいた。


カメラが回っている事を意識せずに寛ぐと言うのは難しいが、ユウはレナを緊張させないように、できるだけいつも通りに話す。


「美味しい?」


カフェオレを飲みながら、レナがうなずく。


少しすると、カップをテーブルに置いて、レナはまた前髪を気にし始めた。


「そうだ。さっき、髪切る道具買ってきたんだ。ここで切っちゃおうか?」


レナは少し驚いてユウを見る。


「そうしよ。家だと思って好きにやっていいって言われてるから。」


ユウの言葉にレナがうなずくと、ユウはスタッフに話して、さっき買ったばかりの道具を持って戻って来る。


「いいって。じゃあ、ここに座って。」


ユウはレナをイスに座らせると、肩にケープを掛け、櫛でレナの前髪をとかす。


「このくらいの長さでいい?」


鏡を見てレナがうなずく。


ユウは慣れた手付きでハサミを持ち、レナの前髪を切り始めた。


“上手だね”


「そうだろ?ほら、かわいくなった。」


レナは鏡を覗き込んで、少し笑みを浮かべた。


そして、背中の真ん中辺りまで伸びた髪を指でつまんで、何か言いたそうにしている。


「後ろも切りたいの?」


レナが肩より10㎝くらい下の辺りのところで髪をつまんで見せる。


“これくらい”


「そんなに?うまく切れるかなぁ…。失敗しても、怒らない?」


“怒らないよ”


レナが口の動きだけでそう言って少し笑う。


「よし、じゃあ挑戦してみようか。」


ユウがレナの髪を切る。


茶色く長い髪が、少しずつ短くなる。


「後ろの髪を切るのは意外と難しいぞ。」


“大丈夫”


「ホント?」


“ホント”


ユウは慎重にハサミを動かし、レナの髪を切り揃えた。


「こんなもんかな。どう?」


“上手”


レナは、鏡に映る髪の短くなった自分の姿を、満足そうに眺めている。


「サッパリした?」


“サッパリした”


ユウがレナの髪を櫛でといて、肩からケープを外すと、足元に散らばった茶色い髪を見て、レナがユウの方を見る。


“いっぱい切ったね”


「ホントだ。オレ、美容師になれるかも。」


ユウが笑って言うとレナが穏やかに微笑んだ。


“そうしたらいつもユウに切ってもらえるね”


「よし、少し休憩しよ。」


ユウは髪の短くなったレナの手を引いて、ソファーに向かう。


「次は何しようかなぁ…。」


すっかり冷めたカフェオレを飲みながらユウがが呟くと、レナが口を動かす。


“ユウのギター聴きたい”


「ギターか。確かにいつもそんな感じだ。」


ソファーの後ろに用意されていたアコースティックギターを手に取ると、ユウはゆっくりと弦を弾く。


「何がいいかなぁ…。」


“ユウの曲”


「好きなの?」


“すごく好き”


「それじゃあ…奥さんのリクエストにお応えして…。」


ユウは静かにギターを弾き始める。


レナは穏やかに微笑みながら耳を傾ける。


しばらくすると、レナがユウの肩にもたれてうたた寝を始めた。


(寝ちゃったのか…。夕べ、緊張してよく眠れなかったのかな?)


安心しきった寝顔を見て、ユウはレナの髪をそっと撫でた。


しかし、カメラの回っているところで眠れるとは、レナも大物だなとユウは思う。


(こういうところもかわいいな…。オレが隣にいる事に安心してくれてるのかな…。)



しばらくすると、CM撮影は無事に終了した。


平行して行われていた写真撮影もそれと同時に終わり、ユウとレナはホッと胸を撫で下ろす。


レナが控え室に戻ると、ユウは制作スタッフに挨拶をした。


「今回は無理を聞いてもらってありがとうございました。」


ユウが頭を下げると、CM制作の責任者が感心したように言う。


「ユウさん、さすがですね。」


「何がですか?」


ユウは言葉の意味がわからず不思議そうに尋ねる。


「いやね…。レナさんと会話してたでしょう。ユウさんにはレナさんの言ってる事が、ちゃんとわかるんですね。」


「えっ?普通にわかるでしょう?」


「いやいや、全然わかりませんよ。大きくハッキリ口を動かしていても声がないとわかりづらいのに…。レナさんは小さく口元を動かしているだけなのに、ユウさんにはレナさんの言ってる事がハッキリわかるんだなぁと、みんなで感心してたんですよ。夫婦の絆ってやつですかねえ。」


ユウは照れ臭そうに頭をかく。


「そんな大層な事じゃないですって。物心つく前から一緒にいますから。」


謙遜したものの、ユウは少し誇らしい気持ちになった。


(オレがレナの夫だって…オレとレナが、夫婦として認めてもらえたって事かな…。)



撮影が終わり、沖縄土産を須藤に手渡してから、二人でマンションに戻った。


レナは短くなった髪を満足そうに見ている。


「レナの髪がこんなに短いの、久し振りに見るかも。子供の時以来かな。」


ユウの言葉にレナがうなずく。


“似合う?”


「似合うよ。世界一かわいい。」


ユウが頭を撫でると、レナは照れ臭そうに微笑んだ。


それから二人で一緒にキッチンに立ち、夕飯の用意をした。


「今日の晩飯は何?」


“お好み焼き”


「いいね。じゃあオレ、キャベツ切るよ。」


“お願い”


レナは粉やだし汁の分量を計り、卵や山芋と一緒に混ぜて生地を作る。


「楽しいな。」


レナが微笑みながらうなずくと、ユウはレナの頬にそっと口付けた。


「やっぱり、オレの奥さん世界一かわいい。」


レナは照れ臭そうに微笑んだ。


二人で作ったお好み焼きを食べ終わってしばらくすると、レナが後片付けをして、ユウがお風呂の用意をした。


入浴を済ませてから、沖縄で買ったお揃いの琉球ガラスのグラスで、泡盛のシークワーサージュース割りを二人でソファーに座って飲んだ。


「うまいな。」


レナもグラスを傾けてうなずく。


「また行こうな。今度は那覇にも行きたい。」


“国際通り”


「そう。タコライスのうまい店があるって。首里城の近くに、ソーキそばのうまい店もあるらしい。」


“くいしんぼ”


レナが笑う。


(今日は気分がいいのかな…。レナ、よく笑う…。)


レナの笑顔を見て、ユウも嬉しくなって笑う。


(レナが笑ってくれると、オレも幸せだ…。)


泡盛のおかわりを飲んで、二人ともほろ酔いになり、お互いの肩にもたれるようにソファーに寄り添っていた。


「そろそろ寝る?」


ユウが尋ねると、レナはユウの手を握り、トロンとした目でユウを見る。


「一緒に寝たいの?」


レナがうなずくと、ユウはレナの頬にそっと口付けた。


「そんなかわいい顔されたら、オレ、我慢できなくなるよ。それでもいいの?」


レナが小さくうなずくと、ユウはレナの手を引いてベッドに向かう。


一緒にベッドに横になり、ユウはレナの髪を撫でた。


「無理しなくていいんだよ?」


“してないよ”


レナがユウの頬にそっと触れ、じっと見つめると、ユウはレナの唇に優しくキスをした。


「じゃあ、オレも我慢しない。」


何度もキスをして、ユウはレナのパジャマを脱がせ優しく肌に触れて口付ける。


ユウの手と唇の柔らかな感触に、レナが肩を震わせる。


「レナ、かわいい。愛してる。」


“私も愛してる”


そして、レナはユウの背中に腕をまわし、愛するユウの温もりを確かめるように抱きしめた。


ユウは愛しそうにレナの体に触れ、何度もキスを落とす。


愛してると何度も囁きながら、甘く優しい二人の夜が更けていった。



そして、身も心も満たされた二人は、手を握り指を絡めて幸せそうに眠りに落ちた。



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