君がいなければ

レナが突然姿を消した。



ユウは呆然と、テーブルの上に残されたレナの結婚指輪を見つめる。


(どこに行ったんだ?!)


ユウは慌ててレナの結婚指輪をポケットにしまい、車のキーを握りしめて玄関を飛び出した。




「えっ?!レナちゃんが?!」


ユウは、レナは来ていないかとシンヤに電話をした。


しかしレナはそこにはいなかった。


ユウは、レナがいなくなってしまった事をシンヤに説明し、これから探しに行くと言った。


「お母さんの所とか、友達の家とか、レナちゃんが行きそうな場所は当たったのか?」


「まだ…。リサさんに電話してみる。」


シンヤとの電話を切って、リサに電話をして事情を説明したが、レナはリサのところにもいない。


(一体どこに…。)


それから、須藤にも電話をしたが、レナはいなかった。


ユウは、車の運転席に座って考えを巡らせる。


(レナが行きそうな場所は…。)


二人で行った思い出の場所だろうか?


それとも、ユウが思いつきもしない遠い場所だろうか?


(落ち着けオレ…よく考えろ…。)


二人の思い出のテーマパークだろうか?


(いや…今のレナが、人の多い場所に行くとは考えられない。それにもう閉園時間過ぎてるはずだし…。)


二人で行った思い出の場所と言えば、白浜に神戸。


(もう夜だし…一人で行くには土地勘もないのに、今のレナが長時間電車に乗って、そんなに遠くまで行くか?)


グルグルと思いを巡らせていると、白浜と言い神戸と言い、海が多いなとユウは思う。


(あっ…もしかしたら…。)


ユウは、レナと再会したばかりの頃に一緒に行った事のある、海辺の町を思い出す。


まだ付き合う前にレナと二人で行って、昔みたいにふざけて写真を撮り合った。


(とりあえず、行ってみよう。)


ユウはレナがそこにいる事を祈りながら、思い出の海辺の町へと車を走らせた。


(“ごめん”ってなんだよ…。どうして何も言わずにどこかへ行こうとするんだよ…。)




レナは、砂浜に座って夜の海を眺めていた。


時折吹き付ける冷たい風に吹かれながら、膝を抱えて波の音を聞いた。


ユウと再会したばかりの頃に、二人で一緒に来たことを思い出す。


(ユウと一緒に、ふざけて写真を撮って…転びそうになった私を、ユウが抱き止めてくれて…わけもわからずドキドキしたっけ…。あの時はまだ、ユウの事こんなに好きになるなんて、思ってなかった…。)


何も言わずに出てきたレナを、ユウは心配しているだろうか?


それとも、怒っているだろうか?


もしかしたら、これでもうレナの心配をしなくて済むと、せいせいしているのかも知れない。


(ユウには、私なんかよりずっと…いい人がいるはずだから…。)


ボンヤリと寄せては返す波を見つめ、ユウと過ごした幸せな日々を思い出す。


(こんな事になるなんて、思ってもみなかった…。ユウと一緒に幸せになろうって約束して…いつか子供ができたらなんて話して…。)


結婚したら、当たり前のように一緒にいて、何度も“愛してる”と言って抱きしめ合った。


でも今は、そうしたくても、できない。


そんなレナを見て、ユウは“無理をしなくていい”と言う。


(本当は…すごく悲しいって…ユウは思ってるよね…。)


だからもう、ユウを苦しめるのはやめよう。


見つめる事も触れる事もできないなんて、こんな自分にユウの妻でいられる資格なんてない。


(病気が治るかどうかもわからない…。病気が治っても、もしかしたらもう、前みたいには戻れないのかも知れない…。こんな私じゃ、ユウを幸せになんてできない…。これ以上苦しめないためにも…ユウと…さよならしよう…。)




ユウは、いつかレナと一緒に来た海辺に車を停めて、夜の砂浜にレナの姿を探す。


(あっ…いた…。)


膝を抱えて砂浜に座って海を見ているレナの背中を見つけ、ユウは静かに近付いた。


「風邪ひくよ。」


ユウは自分の上着を脱いでレナの肩に掛ける。


驚いて見上げるレナを、ユウは後ろからギュッと抱きしめた。


「良かった…。ここにいてくれて…。」


静かに呟くユウの腕が震えている事に、レナは気付いた。


「“ごめん”ってなんだよ…。なんで、何も言わずにいなくなるんだよ…。オレは、レナがいてくれたら…それだけでいいのに…。レナがいてくれなかったら…オレは、生きる意味なくしちゃうよ…。」


切なげに呟くユウの言葉を聞いて、レナの目に涙が溢れた。


「どこにも行かないで、ずっとオレのそばにいてよ…。オレは…どんなレナでも愛してるって言っただろ…。」


レナを抱きしめるユウの手に、力がこもる。


ユウの温かい胸の中で、レナは涙を流しながら“でも…”と首を横に振る。


ユウはレナを抱きしめながら、優しくレナの頭を撫でる。


「オレの奥さんは、レナしかいないよ。」


ユウはレナの華奢な左手を取り、薬指に結婚指輪をはめて、レナを抱きしめた。


「どんなレナも愛してる。だから、ずっと一緒にいよう。レナがいてくれたら、オレはもう、他に何もいらないから。」


波の音を聞きながら、ユウはしばらくそうして涙を流し続けるレナを抱きしめていた。


「レナ…帰ろう、一緒に。」


レナが小さくうなずくと、ユウは優しくレナの手を引いて砂浜を歩き、車の助手席に乗せた。


うつむいているレナの頭を優しく抱き寄せ、ユウは静かに呟く。


「レナ…。オレはレナに“ごめん”じゃなくて“ありがとう”って言ってもらいたい。でもホントは“ありがとう”より“大好き”って言って欲しい。」


レナの額にそっと口付けて、抱き寄せるユウの手が離れると、レナは細い指で涙を拭って、ユウを見た。


ユウは優しく笑ってレナの頭を撫でる。


「オレは、レナが大好きだよ。これからもずっと。」


そう言ってユウは車を発進させた。


前を見て運転しているユウの横で、レナは小さく口元を動かす。


“ユウ、ありがとう。大好き”



家に帰る途中で車を停めて、ユウはシンヤとリサ、須藤に電話を掛け、レナが見つかった事を報告した。



そして、自販機で温かい缶コーヒーを買ってレナに手渡す。


“ありがとう”


「うん。」



車を走らせながら、ユウはレナに話し掛ける。


「佐伯が、レナにありがとうって。無事に出産できたのは、レナがそばについて励ましてくれたからだ、って言ってたよ。シンちゃんが来るまで、ホントはすごく不安だったんだって。でも、レナがずっと腰をさすりながら声を掛けてくれたから、頑張れた、って。」


レナが小さくうなずくとユウは笑って続ける。


「赤ちゃんの名前、マコトだって。誠実な人になるように。」


レナは穏やかな顔をしている。


「シンちゃんと佐伯にとっての幸せの形があるように、オレたちにはオレたちなりの幸せの形があるよ、レナ。オレは、レナがそばにいてくれる事が、オレにとっての一番の幸せだと思ってる。だから、二人で幸せの形を作って行こうよ。オレたち、夫婦なんだから。」


レナはまた、涙ぐんでいる。


「泣くなよ。」


ユウは左手で、レナの頭をポンポンと優しく叩く。


「レナ、腹減ってるだろ?だから、すぐに泣きたくなるんだよ。オレ、レナと食べようと思ってタイヤキ買って来たから、帰ったら一緒に食べような。」


ユウの言葉に、レナは涙を拭いながらうなずいた。





それから数日。



相変わらずレナの声は出ないが、以前よりもレナが、ほんの少し穏やかな顔をしているとユウは思う。


まだ目を合わせる事も、ユウに触れる事もできないが、レナがユウのそばで過ごす時間が、わずかに増えたような気がした。



その日ユウは雑誌の取材を終えた後、事務所のスタジオで`アナスタシア´のCM用の曲を作っていた。


(今までのソロ曲はバラードばっかりだったから、今回は少し明るめの曲がいいかな。あまりうるさくなく、でも重くなくて…明るい気持ちになるような…。CMだから頭に残りやすいフレーズとかできるといいんだけど…。)


レナに喜んでもらえるような、気に入って何度も聴いてもらえるような、あたたかくて優しい曲を作りたい。


それを聴いたレナの心が少しでも明るく、穏やかになってくれたら…。


(ホント、オレの頭の中はいつもレナばっかりだ。レナがオレのすべてって言ってもいいくらい…。なんて言っても、オレの生きる意味はレナを愛して守って幸せにする事だからな。)


ユウは自分の考えに照れ笑いを浮かべ、ギターの弦を弾きながら、ふと思いついたフレーズをメモする。


(うん、オレの気持ちそのものだ。)


この曲を聴いたレナに、自分がどれくらいレナを愛しているかをわかって欲しい。


一生、レナに必要とされたい。


もちろんユウにだって不安がない訳ではない。


レナの病気が治るのか?


病気が治れば、以前のように笑ってユウを見つめてくれるのか?


(せめて、オレがそばにいる事に、安心してもらいたい…。)




ユウがスタジオを出ようとした頃、ユウのスマホの着信音が鳴った。


(須藤さんか…。)


ユウは画面に映る名前を確認して電話に出る。


「もしもし…。」


「もしもし、須藤です。」


「どうも…。この間はご心配掛けてすみませんでした。」


「いや、何事もなくて良かったよ。その後のレナの様子はどうかなと思って。」


「相変わらずですね…。声は出ないし…部屋にこもってます。」


「そうか…。」


須藤はそう言って少し考えているようだった。


「ユウくん、今、時間あるか?」


「ハイ、大丈夫です。」


「ちょっと事務所に寄ってくれるかな。」


「今日は車じゃないから…タクシーなら20分くらいで着くかな…。」


「うちの若いの、迎えに行かせるよ。どこにいるんだ?」



近所のコーヒースタンドを待ち合わせ場所にして、ユウはコーヒーを飲みながら外の席に座って迎えを待っていた。


加藤と言う男の人が迎えに来るらしい。


(須藤さん、何の用だろう?)


しばらくすると、ユウの座った席からよく見える場所に、一台の車が停車した。


車の助手席の窓が開き、運転席に座った青年がユウに向かって手を振る。


「お待たせしました、加藤です!」


加藤の運転する車の助手席にユウが座ると、加藤は嬉しそうに話し出す。


「はじめまして。レナさんの同期の加藤です。歳はレナさんより2つ下なんですけどね。」


「はじめまして、ユウです。妻がいつもお世話になってます。」


(こういう台詞、言ってみたかったんだ。)


「オレは須藤さんがニューヨークに移る時に一緒について行ったんで、それからは別々の職場だったんですけどね。今は、川田さんの病気があって、日本の事務所の応援に来てます。」


「そうなんだ…。レナまで休む事になって、迷惑かけてすみません…。」


ユウが申し訳なさそうに謝ると、加藤は首を軽く横に振る。


「それは仕方ないです。人間だから、病気になる事もあるでしょ。」


加藤はさらりとそう言って笑う。


「オレが`ALISON´のファンだって言ったら、レナさん、今度ユウさんに会えるよう頼んでみるって言ってくれて…。まさかこんな形で会う事になるとは思ってなかったけど。」


「そうなんだ…。じゃあ、今度ライブに招待しようか。」


「マジすか!!やったぁ!!」


(明るいなぁ…。)


「今度、音楽雑誌の撮影なんですけど…オレが`ALISON´の写真撮る事になると思います。」


「そっか…。よろしく。」


須藤写真事務所のカメラマンが`ALISON´の撮影をする時は、いつもレナがカメラマンを務めていた。


(仕方ないな…。レナがあんな状態じゃ…。)


信号を待ちながら、加藤が静かに口を開く。


「レナさん…何か変わった事、ないですか?例えば…ずっとソワソワしてるとか…ビクビクしてるとか…。」


「えっ?」


須藤にもレナの状態のすべてを話していたわけではないのに、加藤にレナの事を尋ねられてユウは驚いた。


「うん…ずっとそんな感じなんだけど…。加藤くん、何か知ってる?」


「いや、ちょっと気になる事があって…。」


信号が青になると、加藤はゆっくりと車を発進させて、笑った。


「あ、それから、フミでいいです。オレの名前史彰なんで。須藤さんにもそう呼ばれてますから。」


「あ、うん。じゃあ、フミも敬語じゃなくて、普通にしゃべってくれていいから。」


加藤は前を向いて、車を運転しながら話し始めた。


「レナさんが休む前の日、現場の撤収の手伝いに行ったんだけど…。その時のレナさんの様子がおかしくて、それがずっと気になってて。」


「様子がおかしいって?」


「うーん…。なんか慌ててる感じもしたし、普通に話しかけられてもビクッとしたり…。目が泳いでるって言うか、落ち着かないって言うか…挙動不審な感じ?」


(今のレナだ…。)


「何がきっかけになったのか、わかる?」


「いや…。オレがスタジオに着いてレナさん見た時には、もうそんな感じだったから。でも、ルミちゃんがスタジオにいる間は、そんな事まったくなかったって。」


「その日の朝も、特に変わった事はなかったけどな…。早起きして料理作ってたし…。」


「ルミちゃんが別の現場に行ってから、オレが手伝いに行くまでの間は、うちの事務所の人間はレナさんだけだったから、誰も事情がわからなくて。」


「何があったんだろう…?」


「オバケ見たとか?」


「まさか…。レナはそういうの見えないよ。他に誰かいなかったのかなぁ…。」


ユウは顎に手をやりながら考え込む。


「その日撮影してたアイドルグループのメンバーが控え室でマネージャー待ってたみたい。マネージャーが迎えに来たのはオレも見た。」


「ふうん…。」


(あまり関係あるようには思えないな…。)


加藤の話を聞いて、ユウはますますわからなくなった。


(仕事はちゃんとできてたのに、その後から様子がおかしくなって…オレの事が怖くなるなんて…全然繋がらないよ…。)



須藤写真事務所に到着して応接セットに通されると、ユウは須藤に大きな封筒を手渡された。


「…これは?」


「開けてみて。」


ユウが封筒の中から取り出したのは、レナの写真だった。


(あっ…レナだ。…ん?)


そこに写っているのは確かにレナなのに、どこか違和感を感じる。


(なんだろう、この違和感…。)


須藤はユウにコーヒーを差し出すと、向かいの席に座ってタバコに火をつける。


「どう思う?」


「レナ…ですよね。確かにレナなんだけど…何て言うか…。」


「違和感あるだろ。」


「ハイ…。なんだろう、この違和感…。」


ユウはまじまじと写真を見つめる。


何枚もある写真を1枚ずつ見ながら、ユウは写真の中のレナをまるで別人のようだと思う。


(なんか…よく雑誌なんかに載ってる、普通のモデルみたいだ。)


「あっ、そうか!!」


「わかったかな?」


「ハイ…。普通のモデルみたいです。」


ユウの言葉に、須藤はおかしそうに笑う。


「だよな。普通のモデルみたいにカメラに向かって笑うのも、カメラ目線も、レナは苦手だから。」


どの写真のレナもカメラに向かって作り笑顔を浮かべたり、じっとカメラに目線を向けたり、ポーズを撮ったりしている。


「レナのこんな写真、初めて見たかも…。」


そこに写っているレナは、モデルとして確かにキレイだとは思う。


だけどユウは、いつも須藤が撮る写真のレナの方が、レナらしいような気がした。


「この写真、うちの若い女の子が撮ったんだ。モデルのレナとカメラマンのルミ、お互いの練習のためだって。」


「練習…ですか?」


「レナから練習しようって言ったんだってさ。モデルとしてのキャリアは長いのに、モデルらしい事をするのが苦手だからって。レナは人見知りだからな。カメラマンがよく知った相手のルミだし、ルミの腕がいいからまだキレイに撮れてるとは思うが…。」


「素人のオレが言うのもなんですけど…これ…レナらしくないです。別の人みたいだ。」


「さすがだな。」


須藤は満足そうに笑ってコーヒーを飲む。


「作り物じゃない自然なレナが一番だと思うから、オレはレナを撮る時、カメラを見ろとか笑えとは言わない。」


「レナ、嘘つくの苦手だから。」


「ユウくんは嘘つくのも隠し事も苦手だろ。」


「えっ?!」


「二人が似た者同士だって事も、お互いどれくらい大事に想ってるかも、オレはわかってるつもりだ。だから、ユウくんが何か言いにくい事をオレに隠してるって言うのもわかる。」


「えぇっ!!」


(須藤さんこわっ…!!)


「カメラマンの眼力を舐めちゃいけないよ。」


驚くユウを見て、須藤はニヤリと笑った。


(シンちゃんと言い、ヒロさんと言い、タクミと言い、須藤さんと言い…なんでオレのまわりは、こんな鋭い人ばっかりなんだ?!)


それからユウは、レナの詳しい様子を須藤に話した。


ただ声が出なくなった事を気にして落ち込んでいるだけではなく、夢を見てうなされてから、ユウに怯えているようだと話した。


「塞ぎ込んで部屋にこもりっきりで…。オレが近付くとビクッとして、オレの目を見る事もできなくて。でも、その事でレナはオレに対して罪悪感って言うか…。」


「それで、出て行った、と。」


「レナ、結婚指輪置いて出てったんです…。オレといる事がつらいのかな…。」


「あれだな…。鬱ってやつだ。レナは真面目だから、ちゃんとしなきゃって頑張り過ぎる。」


「オレもそう言って、できる家事はするんですけど、レナは甘やかさないでって、余計に無理して頑張るし…。モデルとカメラマンを両方続けている事についても、知らない人に悪く言われて悩んでたみたいだし…。先輩の病気で急に仕事の環境が変わったり…。他にも、目の前で事故見ちゃったりとか、友達のお産に居合わせちゃったりとか…。いろんな事がいっぺんに起こって、参ってたと思うんですよね。」


「そうか…。」


須藤は腕を組んで考え込む。


そして、机の引き出しから、手紙のような物を取り出しユウに差し出した。


「これ、レナから届いたんだ。」


ユウはそれを受け取り、開いて見る。


「退職願?!」


「レナがいなくなったって言ってた次の日の消印だった。職場にもユウくんにも迷惑掛けるのがつらかったんだろうな。」


「知らなかった…。」



自分の知らないところで、レナはそこまで思い詰めていたんだと思うと、ユウの心はギュッとしめつけられた。


「レナがカメラマンとして独り立ちしてフリーになるって言うならともかく、オレはこんな理由でレナを辞めさせるつもりはないよ。レナのカメラマンとしての腕を見込んで採用したのはオレだからな。」


須藤の言葉を聞いて、ユウは、いつか書店で聞いた女の子たちの話を思い出す。


「須藤さん…失礼な事、聞いていいですか?」


「失礼な事?」


「須藤さんがレナを採用したのは、レナの事を好きだったからですか?」


ユウの唐突な言葉に驚いた須藤はむせかえる。


「な…なんだその個人的な理由は?!そんな事あるわけないだろう?!」


「すみません…。モデルとしては親の七光り、カメラマンとしては須藤さんの力で、有名になったのはオレとの騒動があったからだって、知らない人に噂されてたのを、レナが聞いてしまって…。それを気にしてたので…。」


ユウが説明すると、須藤はなるほどと言ったようにうなずく。


「そうか…。それで練習だったんだな。」


須藤はタバコに火をつける。


「レナを採用したのは、私情をはさんだ訳じゃない。それだけの腕があるし、まだまだ伸びる可能性も感じた。それに、真面目だ。」


「そうですか…。」


「レナは元々、風景とか物を撮るのが得意なんだ。人物を撮るにしても、被写体の自然な表情を捉えるのがうまい。でも最近はどうしても、芸能人の撮影が増えてきたもんだから、レナにもその仕事に回ってもらってたんだが…。元々人見知りで引っ込み思案のレナには、しんどい仕事だったのかも知れないな。」


須藤の話を聞きながら、ユウは写真を撮っている時のレナの横顔を思い出す。


「須藤さん、レナが写真を撮っている時の顔、知ってますか?」


「写真を撮っている時の顔?」


「海とか、パンダとか、夕陽とか…それからオレたちのライブの時とか…。写真を撮ってる時のレナは、すごくいい顔してます。高校時代も、いつも楽しそうに写真を撮ってました。だけど…今のレナにとって、写真を撮るのは楽しいんでしょうか…。」



「好きなものを撮っている時のレナの顔だな。自分が好きなものや撮りたいと心を動かされたもの…。自分にとって大事な宝物…。」


須藤は立ち上がって、パソコンを操作する。


そして、いくつかの写真をプリントアウトしてユウに手渡した。


それは、付き合う前に二人で行った海辺の町の砂浜で、ふざけて撮り合った写真だった。


真剣な目で、海に向かってファインダーを覗くレナ。


カメラを見て楽しそうに笑うレナ。


そして、無邪気に笑っているユウ。


「ユウくん…。レナは、大好きな人の最高の表情を撮る事にかけては天才だ。それから…カメラ目線も、作り笑顔も苦手なレナが、カメラを見て心から幸せそうに笑える相手は、たった一人…君だけなんだ。」



ユウはじっと写真を見つめる。


(最近、こんな顔見てないな…。)


「ユウくんに時間がある時にでも、カメラ持ってどこかに連れて行ってやったら、少しは気晴らしになるかも知れないな。声が出なくても、写真は撮れるんだから。」


「なるほど…。それ、いいですね。」


「君がいれば、大丈夫だ。レナに後悔はさせないんだろ?」


「もちろんです。」


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