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あとに残されたのは静寂を許さぬほどの激しい打鍵の音、ハードロックのように間断なく荒れ果てたリズムが俺を急かす。
「俺も少し書こうかな」
ベッドにあおむけに身を投げた俺は、スマホを顔面の上高くに掲げた。このころの俺が愛用していた執筆用ツールは、これのみである。
「さてと、前回はどこまで書いたっけ……」
カケヨメのマイページ――つまり俺の小説を読むためのページへと飛ぶ。これがスマホで文字を書く利点である。
カケヨメユーザには親のすねをかじって日々を過ごす若い学生も多い。つまりはパソコンを買おうにも資金源は小遣いで賄わなくてはならないという中高生だ。それでも親にねだってスマホの一台も持たされていれば、ネットで小説を書くには困らない。
スマートフォンは多くの機能を備え、これが一台で十分にパソコンの代わりを果たす。まず、ネットに接続可能であるという、これが一番大きい。カケヨメは小説を読み書きできるという特色を備えた『普通の』サイトである。システム的には他のサイトと何ら変わることなく、インターネットに接続することができれば普通にネットを楽しむ感覚で開くことができる。作家として自分の作品を掲載するにはアカウントを作る必要があり、登録に際してメールアドレスやいくつかの個人情報が必要となるが、それも金銭のやり取りが発生するショッピングサイトに比べれば緩いものである。登録さえ済ませてしまえばサイト内にある執筆フォームの使用が可能となるので特別なワープロアプリなども必要ないし、つまり、スマホ一台あればネット作家としての活動には困らない。それに、こうして執筆中に自分の過去の文章を確認したくなったときにもワンクリック、ワンステージで確認作業ができるため、便利の極みなのだ。
そういうわけで、俺は愛用のスマホで見慣れた俺のマイページへと飛んだ。『異世界の車窓から』の更新は師匠が来てから止まってしまっているのだから、星の数には変化なし……新しいコメントも、新しい応援ポイントも、PVすら……。
そこまでチェックしたとき、俺は部屋が静寂に満たされていることに気づいた。あれほど激しく鳴り響いていた打鍵の音が、ぴたりと止まっているのだ。
「!?」
なんだかタナカ的な反応をしてしまったが、つまりそれくらい驚いたってことで……俺は体を起こしてクローゼットを見る。師匠はパソコンを打つ手を止めて、こちらをじっと見つめていた。
「それ、何してるの?」
「え、これは、執筆ですよ」
「ふうん、それにしては指の動きが鈍いみたいなんだけど?」
不服そうな顔……そらきた、と俺は思った。
文章が書けるつもりになっている人ほど、執筆のためのツールにこだわる。こちらがスマホのみで書いていると知ると、やれ手書きでなくてはいけない~だの、パソコンの方がレイアウトが~だの、小うるさいことを言いだすヤツが一定数いるのだ。だから師匠が言いたいのも、そういう言葉の類だろうと高をくくっていたわけだ。
「なんですか、もしかして、スマホで書いちゃいけないっていうんですか? そういう感じですか?」
「うん、スマホで書くのはやめたほうがいい」
しかし師匠が語った理由は、さらに斜め上を行くものだった。
「特にサイトの執筆ホームに直接入力はやめるべきね。手元に文章データが残らないもん。どうしてもスマホしか執筆ツールがないなら、文書のデータは必ず自分の管理下にあるクラウドに保存すること」
「え、あの、レイアウト云々とか……」
「スマホからカケヨメのフォームに入力した場合、レイアウトは一行二十文字、閲覧の時もほぼ同じ文字数で再現される。しかし同一文書をパソコン表示にした場合、一行は三十九文字となって入力時のレイアウトとは全く違ってしまう。さらに文字の大きさの設定を変えれば一行の文字数はその都度変化するわけで……つまり、ネットという媒体にのせるならばレイアウトなんか制御できないのよ」
「それでもさ、いざ出版とかになって、紙本とかになったら、一行の文字数は固定化されるわけじゃないですか!」
「あ~、わ~、弟子君って、そういうところコダワル人なわけ?」
「や、俺がじゃなくてですね……」
「まあ、確かに美しいレイアウトってあるからね、目指すのは悪くないよ。でもね、いまの君に大事なのはレイアウト以前の問題なんじゃないの?」
「なんすか、レイアウト以前の問題って」
「PVとかコメントとか、そんなものチェックしても文字数は増えないよ問題かな」
「んな!」
こういう時、素直に師匠のいうことに頷かないのが俺の悪い癖。
「だって、読者の反応って大事じゃないですか! この続きをどういう展開にしたら読者が喜ぶか、俺はそれを研究してたんです! つまり続きを書くためのヒント探しです!」
「ふうん、だったらまず、『続きをどうしたらうれしいですか』という、読者に対しての質問があってしかるべきだよね」
師匠は巣の中からよっこいしょと立ち上がり、縮めていた体をほぐすように大きく伸びをした。
「方向性も感情の向けどころも全くバラバラな意見なんか、いくつ集めたって目的地にはつかないよ、せいぜいが迷子になるだけじゃん」
「まあ、そうなんですけどね」
「だから私は、ちゃんと自分が進みたい方向を見つけるための質問を君にするよ」
「な、なんすか?」
「君は、私が死んだら悲しい?」
ドキリと心臓が跳ね上がった。
「死ぬって……」
「そんな顔しないでよ、仮定の話、もしも、だよ?」
「もしもでも、あまり考えたくないことです」
「ん~、じゃあ、もうちょっとマイルドにしようか。もしも明日、目が覚めて、私がいなくなっていたら、君は悲しい?」
「そりゃあ、悲しいですよ」
「御厄介かけっぱなしなのに?」
「あ、自覚あったんですね」
それでも俺は、師匠のために答えを考えた。腕を組み、少し首を落として、本当に真剣に考えた。
「俺は、小さいころからどういうわけか猫を拾うことが多くて……」
「なんで猫?」
「いいから、真面目に聞いてくださいよ」
「うん」
「その猫は……それはおとなしいやつもいましたけれどね、大概は行儀が悪くて、やんちゃで、手のかかるやつだったんです」
「あ~、まるで私だねえ」
「それでもね、どんなに手がかかろうが、めんどくさかろうが、俺はどの猫のことも愛していた。だから、いなくなったら悲しいに決まってるじゃないですか」
「それって、エロい感じの?」
「いいえ、家族に対する愛……愛情ですね」
「ふうん、つまり、愛情の対象が消失する悲しみか」
「師匠はないですか、そういうの」
もともとが愛情を理解しない師匠だ、答えを期待したわけではない。それでも意外なことに、彼女はしっかりとした声で答えた。
「ある、一度だけ」
「え、あるんですか!」
「ある……そうか、あれが愛情か……」
師匠は難しい顔で顎を落とし、静かに目を閉じた。
「師匠……」
遠い記憶をなぞる彼女には、もはや俺の声は届かない……
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