俺たちは二手に分かれた。花野ミツは下りの、俺は上りのエレベーターへと。

「師匠、無事でいてくれ!」

 エスカレーターの動きさえ無視して一気に三階へと駆け上がり、まずはゲームコーナーへと飛び込む。最初に目についたのは入り口に近いお子様向けに興じるちびっ子と、それを見守る親の姿。

 この辺りはゲーム機そのものが俺の肩よりも小さいため、見渡すのも容易だ。師匠の姿がないことを確認する。

「師匠……」

 足元の子供たちに気をつけながら、さらに奥へとすすむ。プリクラやユーフォーキャッチャーなどが立ち並ぶここは、このゲームコーナーで最も人探しに向いていない一角である。俺はプリクラ機にかかった遮光カーテンを跳ね上げる。

「師匠!」

 中は無人。

「くそっ!」

 地面に這いつくばり、遮光カーテンの足元からすべてのプリクラ機を透かし見る。

 隣は女子高生の一段だろうか、白いソックスにローファーを履いた足が押し合いへし合いしている。その隣は無人で、さらに隣はカップル、ただし、赤いヒールのついた靴を履いた足元は、間違いなく師匠のものでは無い。

「師匠!」

 跳ね起き、ユーフォーキャッチャーの立ち並ぶ通路へ。俺の背丈を超す大きな筐体と、賞品を照らす明るいライトが俺の視界を塞ぐ。それでも目を凝らし、師匠の姿を探す。

 そこを抜ければ、いちばん奥は少し明かりを落としたメダルゲームコーナーだった。ここは店に預けたメダルをちみちみ消費するような常連が多いため、人は思いの他少ない。それでも、ど真ん中にでんと居座った大型のコイン落としゲームが視界を塞いでいる。これをくるりと一周するが、やはり師匠の姿はなく……。

「ここじゃないのか」

 ふと足を止めた俺の耳に、パチンコ台の椅子を占拠したガラの悪い男たちの会話が飛び込んできた。

「なあ、なんかさ、かったるくね?」

 男とはいっても、あどけない顔をしている。休日、粋がって出かけたはいいがロクに金もなく、ゲームコーナーで暇をつぶす高校生といったところだろうか。会話ももちろん粋がって、イキって。

「セックスとかしたくね?」

「あ~、したい~」

「そこらで適当な女拾ってさ、男子便所に連れ込んでさ」

「王道肉便器だな」

 品無く笑いあう声を聴くうちに、俺の視界がぐらりと揺れた。

 俺だってあのぐらいの年のガキのフカし話を真に受けるほど馬鹿じゃない。だが、タイミングが悪すぎる。

「やべ、吐きそう」

 あの師匠は、泣くだろうか……想像がつかない。だがもし、彼女があられもない姿でこちらをみあげ、涙なんぞ浮かべていたら俺は……。

 怒りでガクガクと体が震える。

「無理だ」

 俺は少し気分を落ち着けようと、ゲームコーナーを離れてトイレへと向かった。

 この店は古い建物ということもあり、トイレはフロアの一番奥にある。小さくて活気のない寝具コーナーのさらに奥に、その入り口はある。その寝具コーナーのど真ん中で、一組の男女がくんずほぐれつしている。

 男は俺より少し年上だろうか、むっちりと小気味よく太ったさえない男で、みっともなく女の腕を捕まえて取りすがっていた。

「お願いです、お願いですから、一緒に来てください!」

 女の方は驚くことに、俺が今までさんざんに探し回っていた師匠本人だ。彼女は男の腕を振りほどこうと身をよじり、じたばたと足を踏み鳴らしている。

「放して、放してよお!」

 男がその体をぐい~っと押した。

「ね、お願いですから、一緒に来てくださいよぉ」

 一緒に来てくれったって、この先は男子トイレだ。

「やだ、絶対ヤダ!」

 大暴れする師匠の体を、男は壁際へと押し付けた。

「そんなこと言わないで、ね、今日は話だけでいいから」

「うそだ! そんなこと言って、いつも無理やりねじ込むじゃん!」

 い、いつも? ねじ込む?

「今日は大丈夫、ちゃんと喜ばせてあげますから、ね」

「い~や~だ~!」

 俺は反射的に駆けだし、その速度にのせてこぶしを振りぬいた。

「てめえ、うちの師匠にナニしてんだよっ!」

 拳は男の横っ面にめり込み、わずかにメキョっと音をたてた。いや、俺の拳の方がね。

 当たり前だ、自慢じゃないが俺はおとなしい性格で、人など殴ったことがない。それでも男はわずかによろけて師匠の腕を手放した。

「師匠、師匠!」

 痛む指を広げて、師匠の体を引き寄せる。

「ああ、よかった、師匠、ししょおおおおお」

 鼻声になって連呼すれば、師匠がものすごく困った顔で俺を見上げていた。

「あ~、えっとね……」

 男の方は、俺の拳など大したダメージでもなかったのだろう、口の端をふきながらゆらりと立ち上がる。

「センセイ、こちらの方は誰ですか?」

「えっと、新しい弟子なんだけどね」

「へえ、君が噂の……ほうほう」

 男は傍らに落ちていた鞄を拾い上げ、その中へと手を突っ込んだ。

「ま、待て、まさか凶器!」

 俺は男の次の一手に備えて固く師匠の体を抱く。もしも刺し殺されることがあったとしても、彼女だけは守り抜く所存だ。

 しかし、男が俺に突き付けたのは手のひらほどの小さな紙片――名刺だった。

「初めまして、WADOWAKA文芸担当のタナカです」

「はあ? もしかして編集さんってやつ?」

「ちょうどよかった、若菜先生の新しいお弟子さんにも、是非にご挨拶をと思っていたんですよ」

「若菜先生って、だれ?」

 俺の腕の中で、師匠がむくれた顔で言った。

「千ある私の名の一つ……だけど、その名前、嫌いなのよね」

 師匠はそれっきりふいっと横を向いてしまう。対面に立つ男はニコニコと笑顔で名刺を差し出している。

 ひとり、状況を飲み込めない俺だけが、呆然と立ち尽くしていたのだった。

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