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公園は遊具もろくにない小さなものだというのに、休日ということもあってか、子供を連れた家族が三組ほどいた。
「うん、良い光景だねえ」
甘栗の袋を抱えた師匠は甘栗の大袋を抱えてご機嫌でベンチに腰を下ろした。花野ミツがすかさずその隣に寄り添う。ベンチは二人座れば幅いっぱい、俺が座る余地はない。仕方なく俺は、二人の対面に立った。
で~んとベンチに座った若い女性二人の前に、いい年をしたおっさんが突っ立っているというのは、実に屈辱的な光景だ。しかもこれからこの二人に小説のダメだしをされるのだから、この上ない屈辱だ。
俺は少しでもこの屈辱を早く終わらせようと、まずは口火を切った。
「で、師匠、俺の小説の弱点っていうのは?」
師匠は全く慌てない。のんびりと甘栗の袋に手をかける。
「あんたの小説の登場人物、まったく『生きて』いないのよ。例えていうならば作者が作ったストーリーに沿って動かされるだけのマリオネットとおんなじ」
「当たり前じゃないですか、登場人物たちに好き勝手されたら、話が進まない。そうやって破たんした小説を、俺はいくつも見てきましたよ」
「どこで」
「カケヨメで」
師匠が「は」と鼻先で笑った。がその手元はひどく不器用で、いまだ開かない甘栗の袋をこねくり回しているのを、俺は見逃さなかった。
「師匠、おいしい昼ご飯をご馳走しますから、それはお家に帰ってから食べましょうね」
「ん~、あんたが私に寄越すべきは、美味しいごはんじゃなくて『美味しい小説』なんだけどな。そのために弟子にしたんだから」
「わかりましたよ、解説続けてください。俺が花野先生に負けたっていう、あれは?」
「あれはね~、あんたが作ったのは単なる設定、だけどみっちゃんは、ちゃんと生きた人間を構築したってことなんだけど、わかるかな~」
「いいえ、ぜんぜん」
「じゃあ、ちょっと特訓しようか」
「なんで急に?」
「だってあんた、私が文章のこと教えないって、昨日言ってたじゃないの。だから、たまには師匠らしいことでもしようかな~ってね」
「ハツカサンジュウニチには行かないんですか?」
「行くよ。今日の修行のタイトルは『異世界人、ハツカサンジュウニチへ行く』だからね」
「え、まさかこれが文章修行なんですか!」
「そ。あんたには今日一日、自分の小説の主人公として過ごしてもらうね。設定としては、ついさっき異世界からこちらへと迷い込んでしまった、つまり異世界人。具体的には……レクターでいいんじゃないかな?」
レクターとは、俺の小説に出てくるキャラクターの名前だ。
神速魔剣の使い手レクター・デ・ラクスター――王国第二師団長であり、冷静沈着を絵にかいたようなクールキャラ。彼は異世界へと飛ばされた主人公を拾い、自分の相棒と認めて行動を共にすることになるのだから、いわば副主人公であり、その役どころの重要性から実に細かく設定を作り込んである。
「ああ、理解しました。つまりレクターごっこですね」
俺の言葉に激高したのは、師匠ではなく花野ミツの方であった。
「おい! お師さまは修行だといっただろ! これは遊びなんかじゃなくて……」
師匠の方はのほほんと微笑む。
「いいから、みっちゃん」
「でもぉ、お師さまぁ」
「みっちゃんは私のやり方、良く知っているでしょ」
「知ってますけどぉ」
花野ミツはとことん甘ったれて師匠に抱き着き、その耳元でこしょっと囁いた。
「ミツ、このおっさんが師匠の望むような文章を書けるようになるとは思えないですぅ、だってこいつの小説読んだけど、クソでしたよ?」
本人はどのぐらい声を落としたつもりか知らないが、すべて俺にもまる聞え……いや、むしろ俺に聞こえるように言っているとしか思えない。だとしたらこれは、挑発の言葉だ。
「てかぁ、浅いですよね。異世界に飛ばされた主人公の驚きが『わあ、びっくりしたあ』に一言で済んじゃうとか、私の方がびっくりしちゃいましたよぉ」
断っておくが、俺の小説の評判は悪くない。カケヨメでは気に入った作品に三段階で評価がつけられる『星』と呼ばれるシステムがある。つまり、いまいちだった作品には星一つ、気に入った作品には星三つというように、自分の裁量で読んだ作品の価値を決めることができるのだ。
俺の作品にいれられたポイントは大概が星三つ、それに添えられるレビューも好意的なものばかりなのだから、俺は花野ミツの言葉を悪意で捻じ曲げられた単なるクレームなのだと感じた。当然に語気は荒くなる。
「それ、ちゃんと読んでないからだろ! さすがに俺も反応が薄いなと思ったから、『こんなに驚いたのは生涯でも初めてのことだ』って書き足しておいたんだけど!」
花野ミツは呆れきったようにこめかみを押さえ、深いため息をついた。
「レクターはそんな口調だったか?」
「は?」
「彼は冷静沈着で、決して言葉を荒げない男だ。それが私の挑発ごときで取り乱し、みっともなく喚くような反論の仕方をするのか?」
「え、あの……その……」
花野ミツは容赦ない口撃を緩めようとはしない。
「いまだってそうだ、理知的にすべてを見透かし、良く考えて物言う彼が私の言葉ごときにうろたえると?」
「あ。あううううう……」
これを見かねたか、師匠が花野ミツの顎の下をこちょこちょと撫でた。そう、子猫をなだめるような手つきで、こちょこちょと。
「こぉれ、まだ始まってもいないうちから、そんなにいじめ無いの」
撫でられた花野ミツは、それこそ子猫のように体を伸ばして目を細める。声も子猫が鳴くがごとく。
「でもぉ、お師さまぁ、ミツはこいつ、つぶしたいですぅ」
「かわいい声で物騒なこと言うね~」
「だって、今日のお師さまの格好、かわいすぎるんだもん……あいつがお師さまの魅力に気づく前に、ぷちりってつぶしちゃいたいの~」
「ノミとり感覚だね」
「いやん、あんな奴、ノミ以下ですぅ~」
こちょこちょする手を止めて、師匠は花野ミツの鼻先で手を広げて見せた。それは子猫をあやす和やかな雰囲気から一転、獰猛な猟犬に『待て』をくらわす猟師の姿だった。
「もちろん、つぶすつもりでやっちゃっていいよ、そのつもりでみっちゃんを呼んだんだから」
「ああん、お師さま、過激~♡」
「だけど、いきなりはダメ。ちゃんと説明するから、その間だけ待て」
「ワン♡」
師匠、恐ろしい人だ……何が恐ろしいって、自分に好意を向ける少女の心を弄び、絶対服従させてすら良心の痛まぬ様子なのが恐ろしい。
そんな恐ろしい師匠が、ゆらりと揺れて俺の方へ向き直った。
「さてと、これでルールはわかったかな」
俺はごくりと生唾を飲み下す。
「ええ、つまり……レクターになりきって行動しろと、そういうことですね」
「そのとおりよ。さて、レクターの基本的な設定をおさらいしようか」
「おさらいって……彼は生まれ生国から今の地位に至るまで綿密な設定があって、それを語るには、ここでちょっとってわけには……」
「そんなのは『作者』だけが知っていればいいこと、いまここで大事なのは、異世界人であるレクターから見てここはどういう世界なのかということだけ」
「それだけ?」
「そ、それだけ。それを忘れないで行動してね」
師匠の手元にあった甘栗の袋は、ついにその口を強引に引きちぎられて開封された。砂糖の焦げた甘ったるい匂いがあたりに広がった。
「さて、始めようか、『レクターごっこ』を」
この言葉を待ち構えていたかのように、花野ミツが声をあげる。
「ほら、レクター、師匠が甘栗を食べようとしているぞ!」
「え、あ? ああっ!」
しばしの逡巡の後、俺はいちばん『レクターっぽい』と思われる言葉を選び出した。
「ダメです、わが主、これからとびきりのランチをと予定していた私の身にもなってください」
師匠は構わず甘栗を袋に手を突っ込んだ。
「なるほど、主ってことは、私は君が所属する師団を抱えるアースリア皇国皇帝、ということでいいのかな?」
「そうで……さようにございます」
「ふん、ならばそれらしく振舞うべきかのう」
師匠は花野ミツに向かって、甘栗の一個を突き付けた。
「これ、そこな娘、この珍奇なものが本当に食い物だと申すか」
花野ミツはいつものようにでれ~っとした声を出す……かと思いきや、ぐっと顎を引いて不審の目を師匠に向けた。声もひどく冷たい。
「なにそれ、まだ違う世界から来たって言い張るつもり?」
俺は驚きの声をあげる。
「ええっ、ねえ、これ、どうなってんの? なんか打ち合わせとかしたの?」
師匠は平然とした顔をして、甘栗の固い殻に爪を立て始める。
「そんなわけないじゃん、即興よ、即興」
思いのほか固い一果をとってしまったのか、師匠の爪は渋茶の堅果の表面を滑る。それでもあきらめず再び爪を甘栗に立てながら、師匠は話を続けた。
「私たちに与えられているのは、この場での役割だけ。まあ、要するにロールプレイングだよね。こういうことをするとさ、細かな設定を持っている分、レクター君はずいぶんと有利なはずだよね」
「ええ、まあ」
「さて、みっちゃんは異世界から来た人物に出会ってしまった一般人って設定のようだ。次はどうする、レクター君?」
師匠はついに堅果の口を開くことを諦めたか、それを花野ミツに向かって差し出した。
「開けて」
「ええ~、なんで私がぁ?」
俺はとりあえず師匠から甘栗を取り上げようと手を伸ばす。
「だから、昼飯前に食うなって……」
師匠と花野ミツ、二人の鋭い声が重なって俺を責めた。
「レクター!」
最初にダメを出したのは師匠の方。
「あんた、自分が仕える皇帝様に命令とかするの? レクターって、そんなキャラだっけ?」
次にダメを出したのは花野ミツ、こちらはすっかり地に戻ったのか、短く。
「やりなおせ」
俺は仕方なく、師匠の前に跪いて畏まって見せる。公園で遊んでいたちびっ子たちが何事が始まるのかと向けてくる視線が……痛い。それでも、このミッションをこなさねば目の前にいる二人の女性は絶対に納得しないだろう。
「皇帝陛下様に申し上げます、これよりわが相棒より伝え聞いておりますイオ○という商業施設の視察へと向かいます。こちらは一個の大きな建物の中に様々な商店を詰め込んだ、いわば商店街のみで出来上がったような建物なのだと……そこで昼食においしいものをと思っておりますゆえ、いまここで腹を膨らませてしまってはせっかくのお食事が楽しめないかと」
「ふむ、ならばこれは土産にするとしよう」
師匠は甘栗を袋に戻した。ここまでは順調だ。
次は花野ミツのターン、彼女のひとことは、俺が想定すらしていなかったものであった。
「それじゃあ、私は帰っていい? だってさあ、私、無関係じゃん?」
「待てよ、お前が師匠を置いて帰るとか、嘘だろ……」
「『レクター』!」
「ええっと……」
師匠がにやにやと笑っている。
「ほうらね、あんたの弱点、さっそく出た」
「こ、これが弱点?」
「あんたは、みっちゃんが『じゃあ、イオ○はこっちです』と先頭を切って歩き出すとか、『イオ○に行くの? ならば私もついていくわ!』みたいな、すでに一緒にイオ○まで行くことが決定づけられている行動を想定したんでしょ」
「それは、だって……そのために花野先生を呼んだんでしょ」
「ううん、一緒にイオ○に行くためじゃないよ、あんたの修行に付き合ってもらうためだもん。つまり、あんたはここで、みっちゃんがイオ○へいく理由を作ってやらなくちゃならないのよ、それもレクターとして、ね」
花野ミツは、名残惜しいのか師匠の体をしっかりと抱き寄せて涙目だ。
「ほら、さっさとしろ。本当に帰ってしまうぞ」
「いや、帰る気ないじゃん……」
「帰りたいわけがないだろう、私だって師匠とハツカサンジュウニチしたい!」
っていうか、俺的には花野先生にはご帰宅願いたいところなのだが。
ついにじれたか、花野ミツは俺に向かって言った。
「ヒントをくれてやる、良く聞け!」
「え、ヒントって……」
「物語を動かすきっかけは、いつだって主人公だ。今はこちらの世界にうっかり現れてしまったレクターの物語を再現している、つまり、お前が主人公だ。お前から働きかけねば物語は進まず、お前からの働きかけによって物語は進む」
「えっと、じゃあ、例えば……『私も主もこの地に不案内であるがゆえ、イオ○までの道案内を頼めないだろうか?』とか」
「ふん、ヘタクソだが合格だ」
花野ミツは、超高速で師匠に頬ずりをし始める。いや、もう、摩擦で火が付くんじゃないかという勢いで。
「『わかったわよ、その代わり、イオ○まで道案内するだけだからね』と返しておく。これで私がイオ○までともに行く理由ができたわけだ」
セリフと行動がまったく一致していないが、とりあえず課題をクリアしたのだから良しとしよう。俺は二人の前に立って歩き出そうとした。
「イオ○はこっちだ」
そんな俺に、再び二人の鋭い声。
「レクター!」
まずは師匠が。
「この世界に来たのは初めてだというのに、なぜお主は道を知っておる?」
さらに畳みかけるように花野ミツ。
「なんだかこの人、おかしいわ。本当に異世界から来た人なの?」
ふと気が付くと、俺たちは公園中の視線を集めていた。子供のみならず、大人までもが何事かと俺たちの茶番劇を見守っている。いまさら周りに気を使ってうろたえるよりも、これは芝居なのだと押し通してしまう方が納得されそうな気がする。
おかしなもので、こうなってしまうと逆に開き直れるものだ。俺は思いっきり芝居がかったとびきりのイケボで『レクターの』言葉を代弁した。
「この商店街のことは相棒から聞かされていましたからね。実際に歩くのは初めてですが、城に引きこもってばかりの主さまや、そちらの明らかに方向音痴そうなお嬢さんよりは俺の勘の方がまだ使い物になるんじゃないですかね」
師匠がにやりと笑う。
「やるじゃん」
「あざぁっす」
「それもレクターで」
「おほめにあずかり、光栄にございます」
「ん、調子でてきたね。『では参ろうか、レクター、ハツカサンジュウニチを目指すのだ』」
「御意」
こうして俺たちは、商店街のアーケードを抜けて駅のど真ん前にそびえたつイオ○を目指すために小さな児童公園から旅立ったのであった。
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