第30話
私たちは空を飛んでいる。
家と渓谷の中間辺りだろうか。ルルにはゆっくりと飛んでもらっているため、空はもう紅く染まっていた。
「すまないな。お腹が減っていると言っていたのに」
私は今日中に帰れそうにないことを謝る。
「いえ、そんな、謝ることないですよ」
私の後ろから、リーフが顔を出し、そう言ってくれた。
「そうね。帰ったらいっぱい食べるからいいわよ」
私の腿の間のアイーシャは、首を曲げて私を見上げた。
「そうか、ありがとう」
「待って、ボクはまだ何も言ってないよ?」
「……許してくれないのか?」
許さないと言われてしまえば、今の私はもうどうすることも出来ない。どう考えても悪いのは私なのだから。
「そうだね。キリシャが、ボクが喜ぶようなことをしてくれたら、許してあげるかな」
あまり怒っているようには聞こえないが、今の私には軽口を叩くような精神はない。
「具体的になにをすればいい?」
贖罪ができるのなら、喜んでしたい。
大切な仲間をおざなりにしてしまった分を、私は取り戻したい。
「ん〜、そうだね。ボクのどこでもいいから、口づけしてくれないかな」
「ちょ、ちょっとルルさん!? そんなのズルいですよ!」
「そうよ! そんなのは反則よ!」
ルルが戯けたような声で言うと、リーフとアイーシャが本気にした。あまり身を乗り出されると危ない。
「冗談だよ、冗談。でもキリシャがやりたいって言うならしてもいいけどね?」
ルルは楽しそうに、くふふっと太い喉を鳴らして笑った。それを聞いたリーフとアイーシャは、ふんすっと荒く息を吐いて腰を下ろす。そして、二人同時に、困った顔の私を見た。
「キリシャ君、ダメですよ」
「そうよ」
何がダメなのかは分からないが、二人の目が本気だったので大人しく頷いた。
それから、沈黙とともに、夜の帳が下り始めた。
私の身体を挟み込むような体温が、少し高くなった。恐らく、眠いのだろう。
申し訳ない。私が馬鹿なことをしなければ今頃はベッドの上だったろうに。
私は二人が落ちないように、優しく二人の腕を掴んでおく。
「ルルは、眠くないか? 大丈夫か?」
しばらくは返事が返ってこなかった。
まさか、寝てしまったのか……?
当たり前だが、居眠り飛行は即、死。血の気がサッと引いていくのを感じた。
「おい、ルル……?」
「大丈夫だよ」
恐る恐る、少し声を大きくして問いかけたところ、あまりに冷静な声が返ってきた。
少し、別の意味でヒヤリとする。
「ねぇキリシャ。今日のこと、気にしてるんだよね? 迷惑かけたって。だからそんなに大人しくなってるんだよね?」
「………」
私は黙った。少し、言葉を選ぶ時間が欲しかったからだ。
だがその沈黙が、何よりの答えになってしまったようだった。
「キリシャはね、ボクたちがどうして怒ったのか、ちゃんとわかってないと思う」
そんなことは――言おうとしてやめた。口を「そ」の形にしたまま、私は止まれた。
止まれてよかった。もし、最後まで言っていれば、先ほどの繰り返しだ。
「よかった。ちゃんとボクの話、聞いてくれるみたいで」
ルルがそう言って、私はようやく、口を「ほ」の形にできた。
「キリシャ、ボクたちはね、キリシャに迷惑掛けられたから怒ったんじゃないんだよ」
ルルはそう言った。
どういうことだ?
迷惑に対して怒っていないなら、他に怒る要素はなんだ?
しばらく頭を巡らせる。
だが、答えは出せない。私はそう気付いてすぐ、降参した。
「……どういうことなんだ?」
「やっぱり、わかってなかったんだ」
ルルは嘆息するように声を出した。
「すまない……」
「いいよ。キリシャは多分、悪くないから。人間の世界で過ごした環境が悪かったんだね」
ルルは私を慰めるようにそう言った。飛行中のルルは、正面を向いていて顔を見せない分、声に感情をたっぷりと乗せている。
だが、そのことはもう腫れ物として扱われなくとも、乗り越えていることだ。
「それはもう関係のないことだろう? 私はあの場所から離れて久しい」
「そうだね。だけど、キリシャの根幹が出来たのはその頃だよね?」
「まぁ、そうだな」
私の願い――仲間が欲しいという願いが出来たのは、確かにその頃だろう。
「その時、キリシャに『仲間』っていう存在を教えてくれた人はいた?」
「……いや、いなかったな」
「それでキリシャは『仲間』っていうのが何か、わかってるの?」
言われてみれば、そうだ。
私は、教えられていないものがたくさんあった。
愛情、幸せ、恋、友情、喧嘩、そして仲間。
パッと思いつくだけでもこれだけある。
そんな私が、それは「友情」だ、それは「幸せ」だ、それは「仲間」だ、なんてどうして決められよう。
正しい定義を、正解を、私は誰にも教えられていなかった。
「ボクにも、これだって言い切れるものはないけどね、でもこれだけは言えるよ。ちょっと迷惑を掛けられたぐらいで見返りや謝罪を求める仲間なんて、『仲間』じゃない」
ルルが首を曲げ、私と目を合わせてから、再び前を向いた。私の芯を貫くような、矢のような目をしていた。
私は思わず、身体に芯棒を入れられたかのように、背筋を伸ばした。
ルルは続ける。
「ボクたちが怒ったのはね、キリシャが――大切なキリシャが、自分を大切にしてくれなかったからだよ。自分より、あんな悪い竜なんかを優先して。あいつにも腹が立ったけど、キリシャにも腹が立ったよ」
ルルは声に怒気を込めた。
ルルは怒っている。私が間違えたことに、怒っている。
「『仲間』ってそうなんだと思うよ。大切な仲間なんだから、居なくなったら嫌なんだよ。そんなのに比べたら、迷惑くらい、いくらでもいいんだよ。……わかったらキリシャ、もう自分を粗末にしないで」
次いでルルは慰めるような優しい声を出した。この声を聞くと、少し安心して、裏切りたくないという気持ちが湧いてくる。
「わかった。約束しよう。仲間のために」
「うん。……嘘ついたらハリセンボンだよ」
「あ、あぁ」
ルルの声は本気だった。
「くふふっ」
そして、悪戯が上手くいったように笑った。私もつられて笑う。
「ふふっ」
あぁ、ルルは凄い。
不意にそんな思いが湧いてきた。
ルルは私を叱ったはずなのに、仲間が何か、自分が思うことを伝えて、私を正して、その後笑顔にまでさせたのだ。
それを尊敬しないで、どうするというのか。
「ルル……」
「ん? なに?」
気になる声だったのか、ルルは私を見た。
「ありがとう。ルルは凄い、尊敬する」
「ちょっとなにさ……! いきなりそんなこと言って……。いつものキリシャでいぃよぉ……。なんだか、嵐の前の静けさみたいで、何かありそうだよ」
言いながら、ルルの目の奥が淡く光ったのを、私は見た。
星の瞬きのようだった。こんどは気のせいではない。
ただ、ただ息をのむほど、綺麗な光だった。
「もう、また黙って。ふ、ふんっ」
ルルはそれっきり、振り向くのを止めた。
私はもう少し見ていたかったのだが、なぜか怒っていそうだったので、それも憚られた。
仕方なく、星の瞬きでも見ようと空を見上げたが、分厚い雲が、空を覆い始めていた。
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