第29話 (前話の半日前)

「ルルさん! あそこに朝の洞窟があります! そこでキリシャ君を!」


 リーフの声がぼんやりと聞こえる。

 魔力が速度を増しながら、消えていく。

 頭が回らない。目が霞む。

 わからないことが多い。


 ――なぜルルは空を飛んでいる。


 わからない。


 ――こうなる前の最後の記憶は。


 蛇竜と取引していた。


 ――そこで何があったか。


 わからない。彼の尻尾で掴まれて、それから……何があったのか。


 ダメだ。何もわからない。

 考えれば考えるほど、魔力が消えて、脳がぼやけてくる。


 そのまま、よくわからないまま、私は土の上に降ろされた。ほんの少し粘性のある液体で、身体が湿っぽい。


「アイーシャ! 水魔法を使えるならキリシャにかかった毒を洗い流して!」


 張り詰めたような声でルルが叫んだ。


「わかったわ! 【スプラッシュ】!」


 アイーシャが応えるように声を張り上げる。

 同時に、バシャバシャと冷たい水が身体中に掛けられ、私はようやく、侵されていた毒から解放された。


 頭に掛かった霞が、すっと晴れていく。

 見渡せば、黒色の土が広がる穴の中、三人が眉を下げ、私を見つめていた。


 状況が飲み込めない。


「すまないが、何があったのか教えてくれないか?」


 私は視線を落とし、前髪から滴る雫を見つめながらそう言った。


 考えているのか、しばらくは沈黙が続いた。


 その沈黙を破ったのは、ルルだった。


「キリシャ。君はあの竜に裏切られたんだよ」


 何を言うのかと思えば。

 ルル以外の二人が、なにを言っているんだ、という顔でルルを見つめた。

 いや、三人だ。私もそう思う。


「リーフ、アイーシャ。ここで本当のことを言わなきゃ、キリシャのためにならないよ。キリシャの勘違いを、ここで正してあげなきゃ」

「どういうことだ? 私が勘違いだと?」


 勘違いをしているのはルルの方だろう? と、二人に言おうとしたが、言葉は出なかった。


 二人が、決心したような顔で、私を見つめていたからだ。

 そして頷き合い、口を開いた。


「……キリシャ君。よく聞いてください。ルルさんの言うことは本当なんです」

「そうよ……。キリシャは、あの蛇の餌にされそうになってたのよ」


 二人は真に迫る顔をしていた。

 私はその真剣な表情に気圧され、一歩後ずさる。


「そんな馬鹿な……。相手は竜だ……。そんなはずがない……」

「キリシャ。竜はそんな、キリシャが思ってるような神聖な存在じゃないんだよ」


 私の認識が間違っている……?

 そうか……?

 いや違う、違う、違う! それは違う!


「そんなはずはない! 最初の白銀の竜やグラーシア、エレン、それにルルだって! 変わらず私に希望を与えてくれたじゃないか!」


 そうだ。あのヨルムンガンドだって、私にこの毒を与えてくれた。

 私は震える手で、白衣のポケットにある、一本の細瓶を取り出した。


「あの竜だって、この毒を与えてくれた」

「……それはキリシャ君の希望なんですか? キリシャ君の希望って、なんなんですか?」


 リーフが言った。

 瓶が私の手からするりと溢れ落ちた。

 黄金色のそれはきめの細かな黒土に浮かんだ。


「キリシャ、もう自分でわかってるんでしょ?」

「………」


 わかっている、だと? そんな……。

 人から離れ、竜を見つけた。そんな私が竜を失えば、あとはなにが残るというんだ。


「竜も人間も同じなんだよ、キリシャ」


 そんなわけはない。竜は、竜だけは私の味方だ。竜だけなんだ。


「キリシャ聞いて」

「うるさい。うるさい、うるさい!」


 もう聞きたくはない!

 竜に裏切られたら、私はどう生きればいいんだ!

 それ以上言われたら、生き方がわからなくなる!


 私は耳が潰れるほど強く塞いだ。

 逃げた。


「キリシャ!!」


 だが、逃避は許されなかった。

 ガッと両腕を掴まれ、ルルに押し倒された。柔らかい泥の上といえど、鈍い痛みが身体に走った。


 私は目を見開く。

 ルルに押し倒されたからではない。

 ルルが泣いていたからだ。


「キリシャ。ちゃんと見てよ」


 ルルは手を離し、その場にへたり込んだ。

 灰色の、ザラザラとしたワンピースのような服が、黒く汚れていた。

 その側には、リーフとアイーシャが居た。


「キリシャ。ボクも竜なんだよ」


 やめてくれ。


「それ以前に、ボクたちはキリシャの仲間のはずなんだよ」


 それ以上言わないでくれ。


「そんなボクたちと、あんな奴の、どっちを信じるのさ」

「………」


 私の願いもむなしく、ルルは私にトドメを刺した。


 ……あぁ、確かに私は薄々、自分で気付いていた。それでも考えないようにしていた。考えないほうが楽で、幸せだったからだ。なのに、そう言われてしまえば、もう信じるしかなくなるじゃないか。


 もう、ダメだ――。


「そんなに悲しそうな顔をしないでくださいよ……。キリシャ君が、どれだけ他の人や竜に裏切られたって、私たちは絶対に、キリシャ君の味方ですから」


 リーフ……。

 優しい声が聞こえ、顔を上げると、そこには優しくも力強く私を見つめる、リーフが居た。


「そうよ! キリシャに嫌なことする奴なんか、アタシが魔法で吹き飛ばしてあげるわ!」


 アイーシャ……。

 元気な声の方を向けば、活力に溢れた目で私を見つめるアイーシャが居た。


「キリシャ。もうわかった? ほら、そんな希望がない人の顔はやめて、帰ろうよ。ボクらには、キリシャが作ってくれた帰る場所があるんだから」


 ルル……。

 私の正面には、指で涙を拭いながらも微笑む、ルルが居た。


 皆んな私の仲間だった。

 そうか。私の家が、皆んなの帰る場所になっているのか。


 そう思えば、泣けてきた。

 私の求めていたものが、いつの間にかこの手の中にあったのだ。

 それを私は、無下にしていたのだ。


「いいのか? そんなこと……。今、私は正しいことを言っているはずの仲間を怒鳴ったんだぞ? ただ気に入らないと、それだけでだ……」

「キリシャ。まだ大丈夫だよ。謝って、ボクらを信じてくれれば、やり直せるよ」

「そうですよ」

「そうよ」


 ……私の失態を、許してくれるのか。いつの間にか、そんなにも深くて素晴らしい仲間になってくれていたのか。


 私が勝手に『共通点』を見出して、仲間だと言っていただけなのに、彼女らは『真の仲間』だと思っていてくれたのだ。


 ……私は馬鹿だった。大馬鹿だ。


 だが、そんな私でも、やるべきことは、今見つけた。まずは償い。そして恩返し。これだけじゃない。目白押しだ。


 与えてくれたものが、大きすぎる。

 込み上げて来たのは、喜び、感動、感謝、そして、言葉にもなった。


「ルル、リーフ、アイーシャ……。すまなかった。そして、ありがとう……」


 私がそう言うと、ルルの瞳の奥が、淡い銀に光ったような気がした。

 私はついそれを、息を飲んで見つめた。

 すると、ルルはすっくと立ち上がり、まるでなにごともなかったかのように伸びをした。


「じゃあ、キリシャも謝ってくれたことだし、帰ろうか!」

「そうですね!」

「そうね! アタシ、お腹すいたわ!」


 今日は、私のせいで大変な目に合ったはずの仲間たちは、もう何かあったなんて忘れた、とでも言うような、そんな声を上げた。


「そうだな。帰ろうか」


 私はそれに甘えさせてもらうことにした。

 私は、幸せだったのだ。

 失う前に気付けて良かった。そう思った。

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