第27話

 目の前の蛇龍は、私たちを凝視している。


 いつでも毒を噴射できるよう、身構えているのかもしれないし、逃げる機会を窺っているのかもしれない。


 こういうときには相手を刺激してはダメだ。

 どこから見ても、弱っている蛇龍の方が不利で、私たちは狩る方。下手に刺激して、相手に逃げられては困る。


 私は後ろの仲間たちが蛇龍を刺激しないよう、手で制した。


「ジャラララララ……」


 そして、私が手を背後に向けた時、蛇龍は舌を震わせ、威嚇の音を発した。

 どうやら攻撃を選んだようだ。よかった。


 私は背後に手を向けたまま、一歩を踏み出した。


「キジャア!!」


 すると蛇龍の細い牙から放たれた毒液。

 私はそれを避けることなく、浴びる。


「「キリシャ!?」」

「キリシャ君!!」


 三人が叫び、一歩を踏み出す。


「来るな!」


 さらにそれを制す。


 ……これが毒液か。魔力がぐんぐんと吸い取られていく。だが、これでいい。


 蛇龍は物凄い勢いで私の魔力を吸った。

 水を飲むことに例えるなら、10秒間に1リットルといったところだろう。


 この例えでいけば、あまりに濃く集約された私の魔力はもはや液体の域を超えており、まだまだ余裕はあるのだが、それでも魔力が減ってゆくのを体感することができた。


 このままだといずれ尽きると、そう思うほどに。


 だがそうなることはなかった。


 蛇龍の身体が少し大きくなった頃、彼は私があまりに多くの魔力を保有していること、それに、攻撃してこないことに驚き、吸収を止めた。


 そして、ようやく理解できる言語を使った。意思疎通を図ってくれたのだ。


「お前は、キリジャと言っダか?」

「あぁ」


 ところどころに無駄な濁点が付いて聞こえる、随分と乾いた声だった。喉の構造が人の言語に不向きなのかもしれない。


「なゼこのオレを狩ろうとジない?」

「貴方が竜で、私の尊敬する種族だからだ」

「オレはお前に尊敬されるようなゴドはジていないガ?」

「そんなことは関係ない。竜である時点で尊敬の対象だ」


 暴論だが、事実だ。彼は多くの人間を屠っているのだろうが、それも気にならない。

 人間を何人餌にしていようが関係なく、彼らは人間よりも上位の存在で、私もそうなりたいのだから。


「奇妙なオドゴだ。それだけでオレの餌になりにダのか?」

「いや、黙って餌になるつもりはない。貴方の毒液を少し分けて欲しい」


 私は白衣のポケットから二本の瓶を、左右一つずつ、人差し指と親指で摘むようにして取り出した。


「そんなことをしてどうするつもりダ?お前が吸収ギュウジュウした魔力バリョクを使えるわけジャないんだぞ?」

「あぁ。知っている」


 有名な話だ。

 ディライン渓谷でヨルムンガンドに襲われながらも、なんとか脱出した冒険者たちは、体内に進入した毒の解毒が終わるまで、何日も魔力を抜かれ続けたという。


 どうやら、魔力毒は毒の主と何らかのラインでつながっているようなのだ。

 今回は、それを利用した、そう――


「これは取引と言えるだろう」

「取引、ダと?」

「そうだ」


 すると、蛇龍は赤い眼を鋭く細めた。

 当たり前だが、人間と取引をするなんて初めてなんだろう。だが、この取引の利点を話せば、受け入れてくれるだろう。


「貴方は私に毒を渡す。私はその毒を武器に仕込み、戦闘で利用する。そうすれば貴方に魔力が渡され、私は戦闘で有利になる。相互利益のいい取引だろう?」


 これから私は戦闘に向けての準備を進めなければならない。クロエ・ワズナを私に押し付けたあの男がいる限り、戦闘は避けられないだろうから。


 少し俯いて、毒を交えた戦闘について考えた後、皮算用を止めて前を向く。


 ……目の前の蛇龍は考えている。

 魔力吸収は止めているので、少なくとも何かしらは考えている。


 そして何かしらの考えをまとめたのだろう。頷くと、裂けた口を開いた。


「お前の魔力をもっと吸わゼろ。そうすれバやろう」


 蛇龍が選んだのはなかなか欲深い考えだった。


「まぁ、それでいいだろう」


「キリシャ、大丈夫なの?」


 アイーシャは帰りの支えを心配しているのだろう。そこはルルがどうにかしてくれるはずだ。


「大丈夫だ」


「ルルさんにも魔力をあげてましたよね? キリシャ君。本当に大丈夫なんですか?」


 リーフが心配しているのは私の魔力残量か。帰りに必要魔力は最低限残してもらえればそれも大丈夫だ。


「本当に大丈夫だ」


 私はそう断言する。眉をハの字にしているが、リーフはわかってくれたようだ。


 だが、そうはいかないヤツが一名。

 白い光と共に、風が巻き起こったときはヒヤリとした。


「キリシャは大丈夫だって言うけど、ボクはそう思わないから」


 そう言って光の中からルルが現れる。

 チラリと蛇龍を伺えば、血のような目で睨み付けているものの、なにか行動を起こすようでもなかった。


 私は一先ず息を吐く。一応、彼にも頼んでおいた方がいいだろう。


「すまないな。仲間たちがあぁ言っているからな。帰りに必要な分の魔力は残しておきたい」

「ジャラ……。いいダろう」

「よし。取引成立だ」


 そう言って乾燥した灰色の地面の上に座ると、私の魔力がまた吸い取られていった。


 後ろで、ルルがゴクリと喉を鳴らすのが聞こえた。それを諌めるように、アイーシャとリーフが寄り添う。

 私は振り向いて、こちらには近付いてこないことを確認し、また蛇龍の方を向いた。



 しばらくすると、太いといっても綱のようでしかなかった蛇龍の身体が、太く、長く変化した。


「ジャララ……。瓶を一ヅ寄ゼ」


 私は言われた通り、一つ投げた。

 すると、蛇龍は口を使って器用に蓋を開け、牙から分泌する液体を中に満たした。

 そして蓋が閉められ、返される。


 どうやら、一定の魔力と交換にするつもりのようだ。


 私は受け取った瓶をポケットに入れ、もう片方をいつでも渡せるようにしておく。



 また蛇龍が大きくなった。

 大きさは目分量で、長さ5〜6メートル、太さ40〜50センチ。蛇の魔物でも、このくらいが最大だろう。

 そして、今居た場所が狭くなったのか、木を薙ぎ倒してスペースを作った。


 それそろ次の瓶の出番か。


 そう思ってしばらく。

 また一回り蛇龍が大きくなった。もう、龍と言って憚られないほどの大きさだ。


「おい。もう片方はまだなのか?」


 さすがにもういいだろう。

 私は立ち上がって瓶を渡しに行こうとした。


 ――バキバキバキバキ!!


 瞬間、薙ぎ倒された木々。私は何事かと振り向く。


 その時私の身体を浮遊感が襲った。


「「キリシャ!!」」

「キリシャ君!!」


 三人が悲鳴に近い声を上げた。

 私には、何が起こったのかわからない。


「……どういうことだ?」


 彼はどうして私を掴み上げた?


「ジャラ? 決まっているダろう? お前を持っデ帰るンダ」


 言っていることがよくわからない。

 一先ず周りを見渡す。

 私を掴み上げている彼の尾は、私から見て左手の木を薙ぎ倒して伸びていた。


「お前!! よくもキリシャを!!」


 ルルが激昂する。


「ジャララララッ! この馬鹿は魔力ダけは達者ダガらな! オレの餌に決めた!」


 なに、を……? なにが、おこってる?


「この野郎!!」


 アイーシャが火を放った。


「ギャア!!」


 蛇龍のウロコが黒く焦げる。


「今だ!!」


 ルルが宙を駆け、蛇龍の尾を食い千切った。


「グジャャャャァァァァァ!?」


 支えを失った私は、乾いた地面に打ち付けられた。ガーンという衝撃が頭に走る。


「アイーシャ!リーフ!ボクに捕まって!」

「はい!」

「わかったわ!」


 ズキズキと頭が痛む。

「うぅ……」

 私が呻いているその間に、ぬらりとした感触と、ふわりとした浮遊感が。


「ニガスカァァァァ!!」


 目を開けば、離れいく地面。伸びてくる鋭い牙。


 牙は、私の眼下1メートルほどで停止し、離れていった。


 ズーン!!


「クソガァァァァァ!!」


 ディライン渓谷と、私の頭に、その声が木霊した。

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