第21話

 降り立った時、私とグラーシアの目に映ったのは、光の中でこちらを睨む魔女だった。その腕には、大事に抱えられたタマゴが。


 近付こうとするが、人間にも効く結界が張られていて、5メートルより向こうには近付けなかった。


 だが、それでいい。

 最初は戦闘も辞さないつもりでここに向かったのだが、光に充てられたようだ。

 私は、この一人の人間と話をしたくなってしまったのだ。


「グラーシア。この結界は壊さなくていい」


 そのまえにグラーシアを止めておく。

 グラーシアが動けば、対話どころではないからな。


 こくりと頷いた竜を確認した後、目の前の結界に触れ、魔女に声を飛ばした。


「それは、サラマンダーのタマゴじゃあないのか? なぜそれをお前が我が子のように抱いているんだ?」


 なぜそんなに寂しそうな光を放っているんだ? とは聞かない。なぜなら、相手は一人ぼっちなのだから。


 魔女はちらりと腕の中に目を向けた後、応えてくれた。


「そっちこそ、ドラゴンライダーのくせに何の用よ! アタシの大事な友達を奪いに来たっていうの!?」


 ん? 待て待て。今、聞き捨てならぬ単語が……。


「おい、今なんて言った?」

「大事な友達を奪いに来たの!? って言ったのよ!」

「違うその前だ」

「は?」


 魔女は自身の放つ光に照らされた小麦色の眉間に、ぐっと皺を寄せた。

 おかしいな。『ドラゴンライダー』とかいう甘美な響きが聞こえた気がしたんだがな。


「お前は今、『ドラゴンライダー』と言わなかったか?」

「……言ったけど?」

「私はそう見えるのか?」

「ドラゴンに乗って、その上会話までしてたらそうとしか見えないわよ」


 魔女はさらに目を細めた。


「そんなことより!」


 あぁ、私の夢の一つがそんなことで片付けられてしまった。


「なんで今悲しそうな顔したのよ……。まぁそんなことより! アタシの質問に答えなさいよ!」


 おっと。確かに忘れていた。

 ……いや、忘れていたというより、聞いていなかった。


「もしかしてアンタ、アタシの話、聞いてなかったの?」


 ……仕方ない。

 私は正直に頷いた。

 すると魔女は大袈裟に溜息を吐く。


「アンタの目的は何なのって聞いてんの!」

「目的? 目的は……」


 タマゴが無事なようだから、優先は――。


「タマゴの回収だな」


 私がそう言うと、胡乱げだった魔女の目が、はっきりと敵意を持ったものに変貌した。


「嫌よ! 絶対させないわ!」


 魔女はそう叫び、片手を私に向けた。


「何をするつもりだ? そんな結界に覆われていては、魔法もろくに使えないだろうに」


 人間も魔物も通さない強固な結界は、魔力の透過をも許さないはずだ。


「うるさい!!」


 だが、魔女の魔法はそんな理論も通り抜けてきた。それも、無詠唱で。


「ほう……」


 地獄から放たれたかのような業火は、結界の範囲を超え、周囲の木々を焼きながら私に迫ってきた。まるで炎の津波のようだ。


「【変換】」


 だが、私はそれを【変換】することで、ただ放出された魔力として散らすことができる。

 魔法の構造を知悉ちしつした私の前では、いかなる魔法も無力だ。

 今回も例に漏れず、魔法陣を通して放たれた私の言の葉を浴びた業火は、弾けるように消え、幾つもの白い玉となり、宙に溶けた。


 後に残ったのは、焦げ跡と引火した木々だけ。


 ……散った魔力が勿体無いか。

 それに火を残しておけば、山火事にもなり得る。


「【構築】【模擬魔法】ドロップレイニー」


 私は宙に溶け込んだ魔力を、ただの雨に変えた。


 さすがに、魔女が放った魔法というだけあり、込められた凄まじい魔力が尽きるまでに長時間雨は降り続けるだろうが、森が燃えるより遥かにマシだろう。


 ただ、彼女は無詠唱で魔法を放った。無詠唱だと、発動の際にロスする魔力量が尋常ではないため、魔力を膨大に保持していると自負する私でも、あまりやろうと思うことではない。

 いくら魔女とはいえ、その消耗には目を瞑れまい。


 その消耗具合を推し量ろうと、魔女を伺い見た。

 すると、彼女はわなわなと震え、私を指さしていた。


「アンタ今どうやったのよ……。アタシそんなの知んないわよ……」


 そんなの。世界は知らないことだらけだろうに。私だって、彼女の魔法で知らないことがあった。


「私もお前がどうやって魔法にこの結界を透過する効果を付与したのかわからない」


 これは、欲しい。私の結界と応用すれば、結界の中から攻撃できる、要塞が完成するじゃないか。

 これは……仲間にしたい。


「……お前、私の仲間になる気はあるか?」

「は?」


 いや別に、仲間にしなくとも、魔法に関する知識の一部を交換するだけでよかった。

『仲間』という言葉が出たのは、やはり私があの寂しげな光に影響されたからだろう。

 それでも、したいと思ったことは仕方ない。

 そして……これから始めるのは、誘惑だ。


「私の仲間になれば、私が編み出した魔法構築技術を教えてやらんこともないが?」


 魔導を志す者、未知なるものを見せつけられて、欲が湧かないわけがない。お互いに。


「アレを、教えてくれるの?」


 ほら。食い付いてきた。


「あぁ、私の『仲間』になってくれれば、知識は共有するつもりだ」

「なかま……。それって、友達以上なんでしょ? いいの? アタシがなっても」

「もちろんだ。私たちはお互いに求め合っているのだから」

「お互いに……求め合ってる……。アタシ、求められてる……」


 結界が消えた。彼女が、浮かせた光球と共に歩み寄ってくる。私も、距離を詰める。


 黒い炭の上をザクザクと音を立てて歩き、彼女の寂しげな紅い瞳を知覚した時、私は歩みを止め、片手を差し出した。


「私はキリシャだ」

「アタシはアイーシャよ」


 差し出した手が、小さな手に握られた。


 私たちは暫し見つめ合い、仲間と認め合った――のはいいが、アイーシャが抱え持つタマゴは、どうしたものか。


「それで、アイーシャ。そのタマゴはどうするつもりだ?」

「そうね……」


 アイーシャはたっぷりとタマゴを見つめた後、「うん!」と自身の中で何かを決めたようだ。


「このタマゴはサラマンダーたちに返すわ。だって、キリシャがアタシの仲間に――友達になってくれるみたいだから、わざわざ盗んできた子を友達にしなくてもよくなったもの」

「そうか。なら、私たちが巣に返しに行こう」

「いいの?」

「あぁ。アイーシャが行けば、サラマンダーたちはまた、戦闘を起こすだろうからな」

「そう……。ありがと。許されないだろうけど、サラマンダーたちに、ごめんなさいって伝えて」

「わかった。だがひとまず、私の家に連れて行こう」


 私は、完全に陽が沈み、あとは紫の雲を残すだけとなった空を見つめてそう言った。


「家に行ってもいいの?」

「あぁ、もちろん。『仲間』だからな」

「ありがと。ふふっ、他人の家に行くなんて初めてよ」

「そうか……」


 その後私とグラーシアは移動し、家に、リーフ、エレン、アイーシャ、それにクロエ・ワズナを残してから、再びサラマンダーの巣穴へと、タマゴを返しに向かった。


 タマゴを受け取ったサラマンダー夫妻は、涙を流し、帰ってきた我が子を抱いていた。

 アイーシャが謝っていたことを伝えると、少し顔を顰めたものの、『タマゴを奪われたのは、実力が足りなかったから。それに、我が子はこうして戻ってきてくれたのだから、もういい』と言ってくれた。


 そしてグラーシアと共に家に帰り、そのことをアイーシャに伝えると、「そう。ありがと」と言い、


 ――『ありがと』なんて使ったのも、何年ぶりか、わかんないくらいよ。


 と、憂いの無い顔で笑った。



 その後、グラーシアはすぐ、人の姿で寝ていたエレンを抱いて帰って行ったが、家にはリーフとクロエ・ワズナが居る。


 二人はこの少女のような娘が魔女であると知っており、自身の側にいることに少し順応できていないようだった。


「紹介しよう。新しい、二人目、、、の仲間、アイーシャだ。仲良くしてやってくれ」

「アタシは、アイーシャ。友達が欲しいから、仲良く、して?」


 アイーシャは魔女だ。おそらく、もう100年は生きているのだろう。だが、その姿は未だ少女のもので、いじらしく友達が欲しいと告げるその姿は年相応だ。

 そしてその姿に母性本能でもくすぐられたのか、先ほどまでは気まずそうにしていた二人は、とつぜん、左右からアイーシャを抱きしめた。


「「か、かわいい〜〜!!」」


 またしばらく、騒がしくなりそうだ。

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