第16話

「おはようございます、キリシャ君」

「あぁ、おはよう」


 雲の上に太陽が見え始めた頃、リーフは目覚めた。いつも早起きなのだ。

 そして、奴はまだ起きていない。


「キリシャ君は寝なかったんですか?」

「あぁ」

「やっぱり……。ワズナさんがいる間、そんな生活を続けるつもりですか?」

「仕方ない」


 あの女が私の研究を理解できるとは思わない。だが、それでも報告はするのだろう。

 その時に、私の研究が国にとって『害悪』であるとされた瞬間、全てが終わる。


 ……あの王国は、考えれば考えるほど、私を悪にしようとしている節がある。

 この前の高官は私を挑発し、挙げ句の果てにクロエ・ワズナとかいう挑発の天才を、私の家に『監視』として住まわせた。

 私に、早く手を出せと言わんばかりに。


 おそらく、危険要素わたしを排除する正当な理由でも作ろうとしているのだろう。


 机に座り、少しだけ回転が鈍ってしまった頭でそう考える。すると、リーフが私の顔を覗き込んできた。


「あの……。気に障ったらごめんなさい。えっと、キリシャ君の研究って、そんなに隠さないといけないものなんですか?」


 リーフは、私が研究を進める理由を知っている。私は仲間に隠し事はしたくないたちなのだ。

 だから、あの女に隠す理由も話す。


「いいや。そういうわけではないが――」


 私は、あの女を動かしているのであろう男の危険性、やり口を話した。


「――というわけで、あの女に知られるのは危険なんだ。ただでさえ、グラーシアのことで警戒されているからな」

「そうですか……。でも、あの人自体は、悪い人じゃないですよね?」

「あぁ、そうだろう」


 ただ、鬱陶しいが。


「じゃあ、ちゃんと話して説得したら、わかってくれるんじゃないですか?」


 ……それは、リスクが大きい。あの女の考え方の軸がわからないままに、懐柔かいじゅうを迫れば、失敗し、崩壊する可能性が高い。


「それは、危ういな……」

「やっぱり、そうですよね……。ごめんなさい」


 リーフはそう言って、残念そうにキッチンへと入って行った。

 私はただ、そのさみしそうな背中を眺めるだけだ。


 ……事態は難航。まだ解決策も見つかっていない。

 窓の向こうには薄暗い灰色が広がっており、太陽も本来の輝きを出せずに、くすぶっているように見える。


 私はつい、溜息を零した。



 だが、一雨降ると予想していた昼頃、天気は見事に好転した。

 クロエ・ワズナを含む私たちは、あまりの天気の良さに、皆して外に出たほどだ。


「いい天気ですね! びっくりです!」


 リーフが笑顔を見せた。

 確かに驚きだ。夜明けの雲はどこに吹き飛んだのやら、空の中心には太陽が陣取り、煌々と気温を上げている。


「そうですね! ピクニックにでも行きますか?」

「そうだな!」


 そして魔物にでも喰われるといい。


「キリシャ君も乗り気ですし、三人で行きましょうか!」

「いや待て、五人だ」

「何を仰るんですか? 今は三人ですよ?」


 クロエ・ワズナが私に胡乱げな目を向けてきた。細められたその目は、どうか自分を殴ってください! と言っているようにしか見えない。

 ……だが、我慢だ。


「……ほら、あそこを見てみろ」


 私は握った拳からなんとか人差し指を立て、バカにわかるように空の片隅を指差した。そこには、肉眼で確認できる赤い点が一つ。


「……り、竜?」

「あれは……グラーシアさんですか?」

「あぁそうだ。エレンもいるな」


 肉眼では見えないが、魔力で視力を強化すれば、隣を飛ぶエレンの姿も伺える。


「じゃあ私、五人分のお弁当を作ってきますね!」

「あぁ、頼む」

「え、えぇ……竜とピクニック……?」


 どうやら、この女はグラーシアたちには慣れていないらしく、みるみるうちに萎縮いしゅくしていった。いいぞ、このまま大人しくしていてくれ。


 それから、リーフが家に帰ってしばらく経つと、四本の、赤雷を表現したかのような芸術品が地へと降り注いだ。


「久しぶりだな。また遊びに来たぞ、キリシャ」

「久しぶりだね!」

「あぁ、久しぶりだ。グラーシア、エレン」

「そこのクロエ・ワズナとやらも久しぶりだな」


 グラーシアはその欠けた月のように鋭い瞳を、奴に向けた。その眼光が放つ重圧は、さすがだと言えよう。

 奴もすっかり固くなっている。


「あ、はい。お久しぶりです……」

「どうして王国の人間である貴様がここにいるのだ?」

「それはな。監視らしい」

「ん? 監視?」


 グラーシアはゴゴゴゴッと太い首を傾げた。


「あぁそうだ」


 私は昨日の出来事をつぶさに話した。

 ……多少、あの男の行動を大袈裟に話したのは、もう仕方のないことだろう。


「む。そうか」

「と、当然のことですよ。国を滅ぼし得る力があなたたちにはあるんですから。善か悪かを見定める必要があるんです!」


 奴はその姿勢を頑なに崩さない。

 全く、人間は……。一度は無駄な、空虚な力だと突き放し、力を身につければ危険だと縛り付ける。

 なぜなのだろう。私は人間の世から離れたはずだった。だがそれでも、人間である故に、人に縛られている。

 あぁ、早く竜になりたい……。


「でもお兄ちゃんはいい人だよ! 僕を助けてくれたもん!」


 私が遠い大空を眺めていると、エレンがそんなことを言ってくれた。


「え?」

「うむ、そうだな。キリシャはこの子が危篤に落ちいっていた時、治療を施してくれたのだ。これは、善ではないのか?」

「え、でも……。竜を助けたといっても目的が仲間にするためだったら……」


 なぜなのだろう。良いことをしたと竜が言ってくれているのに、なぜそれを否定したがるのだろう。あの男に何か言われているのだろうか。


「……実を言うとな」


 すると、なぜか頑固になる奴の様子を見たグラーシアは、まるで、、、隠していたことがあったかのように空を見上げ、ぽつぽつと話し始めた。


「我は、エレンがあのまま助からなかったなら、その辺りの人里に降りて、火を吹いて回ろうと思っていたのだ。つまり、八つ当たりだ」

「……へ?」


 私は黙ってそれを聞く。


「このキリシャという男はそれを未然に防いでみせたのだぞ? どう考えても『正義』ではないのか?」

「正義……」


 奴はその言葉を反芻した。

 ……そうか。この女の軸は、『正義』なのか。このとき私はようやく気付いた。同時に、私の何倍もの速さでそれを見抜いたグラーシアを見上げる。

 グラーシアは、欠けた月のような瞳を穏やかに細め――やはり母親の顔をしていた。


「確かに、それが本当ならキリシャさんは正義ですね……。でもあの人は……キリシャさんは国の重要機密書類を根こそぎ奪っていった悪者だって……」

「……そんな嘘を言われたのか」


 それが本当なら監視などぜずとも断罪できるだろうに……。こういう、この女の抜け目を狙われたわけか。


「嘘……?」

「あぁそうだ。……言いたくなかったのだが、私は王国の研究施設に勤めていた時に、何度か殺されかけてな。その証拠をばら撒かれたくなければ、と脅して、王国のみならず、様々な貴族から研究用の紙や書物を徹底的に奪ってやったんだ。これは機密になっている事だがな」


 私の場合は、調べれば事実かどうかの判断が付く。だから本当のことを話した。

 効果は……覿面てきめんだった。


「自分は、グロリエス局長に、騙されていた……?」

「まぁ、そうなるな。私はこの前S級盗賊団を倒したろう? それでお前がここに来たように、国外に隠遁いんとんした私に注目が集まるよな? その際、過去のいざこざが明るみに出ることを懸念したんだろう」


 ……全ては憶測に過ぎないが。今のところ、私の中で一番有力な『仮説』を、この女には話した。


「自分、どうやら間違っていたようです」


 懐柔、成功だ。


「そうか。わかってくれて嬉しい」

「自分、このことをグロリエス局長に話して、監視を止めさせます」


 バカなのはどうにもならないようだが。


「止めろ。殺されるぞ」


 あの男の左右にいた従者は、殺人をなんとも思わない、鬼の眼をしていた。

 この女が直訴しに行けば一瞬で首が飛ぶことだろう。もちろん物理的に。

 そしてその罪は私に被せられ……。


 ダメだ。絶対に。


「お前はこれまで通り、監視を続けているフリをしろ。そして、国に戻るたびに、竜関連の依頼を貰って来い。私が『正義』だということを、世が認めざるを得なくなるまでこなしてやる」


 私は女の表情を伺いながら、ゆっくりと喋った。女は私の言葉を一つ一つ嚙み砕くように吸収していく。

 ――今日の朝は、こんなことになるなんて夢にも思わなかった。


「わかりました。『正義』のために、協力します!」

「わかってくれたか。ありがとう」

「いえ! これまで間違っていたことをした自分を許してください!」

「あぁ、いいだろう」


 これから竜の依頼を運んで来てくれるのだから。


 その日、私たちはこの青空のように、清々しいピクニックをすることができた。


「ありがとう、グラーシア」


 私はリーフの作った料理を、人の姿で食すグラーシアにそっと礼をした。


「ん?」


 グラーシアは我が何かしたか? というような顔をした。まったく、素晴らしいドラゴンだ。


 今日からは、いつもと同じ研究ができることを、グラーシアに心から感謝した。

 

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