第15話

 日が沈み、食事も済ませた後、女は急に席を立ち、改まった態度を取った。私たちはそれをぼうっと見つめる。


「これから、よろしくお願い致します」


 そして、私たちの視線が集まっていることを確認した女は、恭しく頭を下げた。


「あぁ……」

「はい……」


 私は、本当は断ってやりたかったのだが、もうそういうわけにもいかず、女の礼に、気の無い返事だけを返した。

 これからの生活が心配だ……。リーフでさえも、沈んだ顔をしている。


「あ! キリシャさん!」


 だが、この女はそれを気にする様子もなく、活き活きとしている。今も、はずんだ声で私に話し掛けた。

 このように、空気を読まずに、乱してくるのも私たちが沈んでいる要因だ。


「なんだ」

 嫌なのだが、無視するわけにもいかず、仕方なく反応した。

「この前に頼まれた、流行の物なんですけど……これです!」


 そう言って女が足元に置かれていた大きなカバンから取り出したのは――


「わぁ! 可愛い!」

 

 フリフリとした、白と黒の服だった。そしてそのあまり見ない衣服に、私たちの興味は釣り上げられてしまった。


「……ドレスか?」

「いえ、メイド服です」

「「メイド服?」」


 聞きなれない名前だ。

 そう思い、首を傾げた私たちを見て、クロエ・ワズナは自慢気につらつらと話しはじめた。


「はい! リーフさんからは、家事がしやすくて、やる気が出る服と言われ、キリシャさんからは最近、流行している物と言われました! この服は家事のための戦闘服であり、一世を風靡ふうびしている服でもあります。つまり、お二人のご要望の両方を完璧に満たしているのが、この服、メイド服なんです!」


 ほぉ。この女にしてはなかなか合理的な判断だ。今の仕事を辞めて、世人の服選びを手伝ってやる仕事に就けばいいのに。私はそう思った。

 そしてその才能を示唆するように、リーフも喜んでいる。


「へぇ〜! ありがとうございます! ワズナさん!」

「いえいえ。自分がこの服を選べたのは、キリシャさんの助言があったからですよ」

「そうですか! ありがとうございます! キリシャ君!」

「いや、私は別に……」


 私は別に何もしていないのだが……。

 まぁ、リーフが喜んでくれているのは事実だ。

 この女も私の助言が必要だったと言ったし、日々のお礼は成功した。それでいいか。予想以上にお礼が成功したというのは、私も嬉しいし。


「着替えてきてもいいですか?」

「あぁ」

「どうぞどうぞ!」

「やった!」


 リーフはクロエ・ワズナからフリフリのメイド服を受け取り、朝露をたたえた木の葉のような瞳で、ほんの少し私を見つめた後、キッチンに入って行った。

 ここ最近、キッチンはリーフの聖域と化してきているのだ。


「キリシャさん。先ほどは、照れてました?」

「だまれ」


 そんなわけはない。私は何もやっていないのにもかかわらず、礼を言われるのに違和感を感じただけだ。私は女に背を向ける。

 するとそれが良かったのか、女は素直に静かになってくれた。

 ずっと背中に気持ちの悪い視線を感じていたが。


 

 しばらくして着替え終わり、キッチンから出てきたリーフは、私たちの前でくるりと回って見せた。


「……どうでしょうか?」


 似合っていた。明るい緑の髪に瞳は、身に纏う黒と白の服を映えさせ、勤勉なイメージを、リーフに持たせた。

 だがそれは、当初思っていたドレスというよりも、まるで、職務に奮闘する新米使用人のような格好だった。


「おい、これはどういうことだ?」


 私は女の頭を引っ掴み、リーフに聞こえない声でそう言った。


「痛いですよ? ……どういうことってどういうことですか?」


 声を大きくされると少し困るので、手の力を緩めてやる。

 この女も、そのくらいのことは理解できたようで、私と同じ声の大きさで囁いた。


「あれはどう見ても使用人の服じゃないか」

「違いますよ。昔はそうでしたが、今ではもっぱら『メイドカフェ』とかで用いる制服ユニフォームとしての用途が一般的ですよ? 使用人の服として使うのは、もう古いんです」

「そうなのか?」

「そうなのです」


 そこまで聞いた私は女を放し、リーフの方に向き直った。

 ……よく似合っていると思う。


「どうかしたんですか?」

「いや。似合っている」

「はい! とっても! キリシャさんも見惚れていますよ!」

「え?」

「………」


 私は少し調子に乗ってきた女を睨んだ。

 この女は、確実に私に対する会話のレベルを下げている。


「ほら、照れてますよ?」

「そうですか? えへ、えへへ」


 奴はリーフの腕を、気持ち悪い顔をしてつっ突いた。

 ……前回、リーフに淹れてもらったハーブティーを飲んでから、明らかにリーフへの態度が軟化していたが、突っぱねたはずの私に対する態度も、軟化(というよりは悪化)している。


 どうやらこの女は、一度相手に気を許せば、とことんそれを突き通す奴のようだ。

 私に対する態度は、まぁ千歩譲って我慢するとして、いつか、リーフが嫌がる素振りを見せたら、一度奴の身体に直接、しつけを施そう。私はそうやって女を睨みながら、心の隅に苛立ちを置いておいた。


「それでですね、もう睡眠の時間じゃないですか?」

 話題を切り替え、クロエ・ワズナがそう言った。

「そうだな!」

 私は嬉々として返す。


 早く寝ろこの女。


「……? それでですね、この通り、大きなベッドを持って来たので、お二人はそちらで寝てください。その……以前のベッドは狭いでしょう?」

「何を言っている?」

「そ、そそそそうですよ!? 私たちはそんな関係じゃないって初めに言ったじゃないですか!!」


 よくわからないが、リーフが怒った。私も怒るべきなのか?

 よく理解できていないが、とりあえず女を睨んだ。なにかリーフに失礼なことを言ったに決まっている。


「……そうですよね。わざわざ口に出した自分がバカでした。大きなベッドはお二人へのプレゼントですから、自分はこちらで……」


 私はこの時、この女が取った行動に、二度驚いた。

 物分りの悪いと思っていたこの女がすぐに謝ったのと、女はそそくさと、リーフが使っているベッドに潜り込んだからだ。

 何を勝手な、と引っ張りだしてやろうかと思ったが、リーフがなぜか女の言い分を受け入れ、大きいベッドの方で寝ようとしていたので、止めた。


 どうやら、二人の間で私の知らない意思疎通が行われたらしい。

 だが、一応聞かずにはいられない。


「リーフ、そっちの方がいいのか?」

「あ、いえ、その……。キリシャ君はこっちじゃダメなんですか?」


 ダメ……か。リーフは本当に大きいベッドの方がいいようだ。

 よく考えれば、リーフが今まで寝ていたベッドは一人で寝るのには十分なサイズだが、囲いがないために、大きめの寝返りを打てば落ちてしまう。

 ルルがあのベッドで寝ていた頃、よくベッドから落ちていたことを思い出した。


 だが、クロエ・ワズナが持って来たベッドなら、そうそう落ちることはないだろう。二人は優に寝れるサイズだ。つまり、ベッドの上での自由な空間が広いのだ。自由を求めるリーフなら、そっちを求めて当然か。


「いや、ダメだということはない。リーフがそちらでいいなら、そちらで寝てもいいぞ」

「そうですか……。じゃあ、こっちで……」

「あぁ。おやすみ」

「はい」


 私の【シャイン】を弱める前に、一瞬見たリーフの顔は、なぜか赤らんでいるように見えた。


 部屋の右奥からはすでに、すぅすぅと呑気な寝息が聞こえる。なかなか寝るのが早いようだ。よし。


 ようやく、私の時間だ。色々と考えたいこともあるのだが、これからの時間を無駄にするわけにはいかない。

 私は机の上だけを光で照らし、研究を進めた。

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