第10話

 盗賊たちを一掃してから数日が過ぎ、リーフもここでの生活に馴染んできた。

 と思う。


「キリシャ君、お茶はいかがですか?」


 私が書物を閉じ、長い息を吐いたところで、リーフはそう言った。


「あぁ、頂こう」


 リーフがこの辺りに自生する香草ハーブで作るお茶は、とても落ち着く香りがして、飲むとかなり体力、集中力が回復する。おそらくポーションとしても有用だろう。


「はい! じゃあすぐに淹れますね」


 リーフが元気よくそう言ってからしばらくすると、部屋には副交換神経の働きを助長するような、香りが漂ってきた。

 この香りと、窓から射し込む暖かな陽の光を同時に浴びると、まるで全身を羽毛に優しく包まれているかのような感覚がする。


「どうぞ」

 机が小気味良い音を立てた。


「……あぁ、ありがとう」


 すっかり安らいでいた……。リーフに礼を言うのが少し遅れたくらいだ。

 それを見たリーフはくすりと柔らかい笑みを浮かべる。


 ……これは、見る人にとっては一見、主人と使用人の日常のように映るかもしれない。だが、決してそうではない。


 私が使用人のような真似はしないでくれと、そう言った旨のことを言うと、リーフは「これが私のしたいことなんです。我儘を許してくれたのはキリシャ君じゃないですか」と返してきた。

 こう言われると、私は引き退がるしかない。


 このようなやり取りがあったのはほんの五日前のこと。

 今、私は私の中である仮説を立てている。


 それは、リーフはおそらく、喫茶店か飯屋でも開きたいのだろうという仮説だ。『やりたいこと』というのがお茶を入れたり、食事を工夫したりと、そう言った業種に分類されるものなのだから。

 そして、ここで独自の修行をし、十分実践で活かせるほどの技能を得たとき、ここを離れるのだろう。


 そんなことを考えながら、目の前のお茶を一口啜すする。


 ――ん?


 その時、人間である私の中の、醜い欲が働いたのか、それとも集中力が回復したからなのか、私の脳が回った。


 いつかリーフがここから去った時から、私はこの素晴らしいハーブティーを飲めなくなるではないか、と。


 それは、まずい。生活が急に変化すると、研究に影響が及ぶ。ルルの時もしばらくそうだった。


 自分でも作れるようにならなければ。


 すぐさま思い立って、リーフの方を見やる。

 リーフは今、自分のコップにお茶を注いでいた。


「リーフ、このお茶の材料と作り方を教えてくれないか?」

 私がそう単刀直入に聞くと、リーフは首を傾げた。

「どうしてですか?」

「いや、単に私が自分で作れるようになりたいだけだ」


 私がそう言うと、どうしたことだろう。リーフは少し肩を窄め、小さい声だったが、「ダメです」とキッパリ断って見せたのだ。


「キリシャ君のお茶はずっと私が淹れますから、キリシャ君は見ているだけでいいんですよ」


 ほう、私にも教えられない企業秘密というやつか。


 この瞬間、私の中で立てていた仮説が真実へと昇華した。


 リーフが言うことには、大切な技能や知識をやってたまるか、わかるものなら目で盗め、ということらしい。つい最近まで盗賊に怯えていたようなヤツが随分と回復したものだ。


 私は嬉しさと楽しさでつい顔をほころばせてしまった。


「わかった。受けて立とう!」


 リーフも、私という好敵手ライバルを得て、楽しくなったのだろう。弾けるような笑顔を見せてくれた。


「はい!」


 そして、陶器を机に置く、弾むような音が静かに、なおかつ高らかに響いた。それはまるで戦いの火蓋を切るファンファーレのように、お互いの脳裏に深く残ることだろう。


 私たちがそうやってジリジリとした熱い視線を交わしていると不意に、

 コンコン

 とドアがノックされた。


 私は椅子から飛びのいて迎撃体制を取る。


「誰だ」


 ハッキリ言って、油断していた。結界の中への侵入者がいれば、感知できるはずなのだが、リーフとのやり取りでつい興奮してしまい、おろそかになっていた。


「自分は王国から派遣されました。クロエ・ワズナという者です。盗賊を倒した方に謝礼金等の報酬をお持ちしました」


 ウロコを模した扉の向こうから聞こえてきたのは女の声。敵意は感じない。


「リーフ、部屋の奥へ」

「はい」


 だが、アサシンを極めた者は敵意など思いのままだと聞く。用心するに越したことはない。


 警戒しながら扉を開くと、そこにはカウパティ王国の軍服を着た長身の女が立っていた。その深淵の底のように深い色をした黒髪、黒目は、闇夜の仕事に適しているのだろう。


 見た感じでは、いかにも優秀な奴といった感じか。魔力の流れはメチャクチャだが、それも私を油断させるためかもしれない。


 私は警戒を増す。


「そんなに警戒しないで頂きたい。この通り、自分は丸腰です。謝礼金しか持ってきておりません」


 ……確かに、腰に結んでいるジャラジャラとうるさい巾着袋以外、何も持っていないように見える。それに、腰に目を移した際にようやく気づいたのだが、膝が微妙に震えている。


 これは震えを隠そうとしたが、隠しきれなかったという部類の震えだ。やろうとしてできるものでは決してない。


 どうやら、本当に敵意はないようだ。


 そう判断した私は警戒を緩め、女に背を向ける。


「リーフ、何か欲しい物はあるか?謝礼か何かで色々と貰えるようだ」


 リーフは部屋の奥の、キッチンから顔を覗かせていた。


「え!? キリシャ君への謝礼なのに、私が頂いちゃってもいいんですか!?」


 声を上げるリーフ。緑の丸い瞳がその全貌を覗かせた。


「あぁ、私の欲しい物は人里にはない」

「……なるほど、わかりました。では、調理器具や調味料などが欲しいんですけど、どうですか?」

「聞いてみよう」


 再び女に顔を向ける。未だに緊張が解けていないようで、表情が一切変わっていなかった。よく見ればなかなか面白い。カチカチだ。


「今の話、聞いていたか?」

「はっ」

「できるか?」

「はっ、ワイバーンの輸送部隊を使えば、できるかと」

「よし。では、リーフが欲しい物を言い連ねていくようだから、お前はリストを取れ」

「はっ」


 リーフは文字を扱えないため、女にリストを取れと言ったのだが、女はその場から動こうとしなかった。


「どうした、入れ」

「……申し訳ありません。足が、動かなくて……」

「はぁ」


 凛々しいのは見た目だけか。

 ……こんなヤツを寄越して、カウパティの奴らは何を考えているのかわからない。


 仕方なく肩を貸してやり、中に引き入れた。


「申し訳ありません……」

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