第6話
その日私は朝からグラーシアに寝床へと招待され、かなり興奮していた。ほくほくとした体温や、抑えられない口角でさえも私に喜びを実感させていた。
私はとても高いところに登っていたのだ。
だからこそ、家の扉を開いた時の――落ちた時の
火竜についての研究が記されている資料を置いていたはずのテーブルには、ただ一皿の料理が。そして、テーブルに着いているのはニヤリと笑っている白衣の女だった。
「おい、お前。私の研究資料はどうした?」
ずいぶんと落ちたからだろう。私の一番低いところから声が出た。
それに返ってきたのは、何かが詰まったような声にならない声。
「ひっ……!」
さらに女はガタンと椅子から転げ落ち、這いずるように部屋の奥へと逃げていった。私はそれをゆっくりと追う。
敵を――白衣の人間を久しぶりに見たせいで、私の中の原動力となっていたものが熱を発し、私を動かした。
「どうしたんだと聞いている」
女の背が、食料庫の扉に着く。そして、これ以上後ろへ退がれないとわかった女は――身体のあらゆる部分から液体を排出した。
その液体は、さーっと床に広がってゆく。
「おい貴様、ちゃんと周りを見ぬか。此奴はこの部屋を片付けてくれたのだぞ?」
女の叫び声が聞こえたのか、私の背後から部屋を覗き込むようにして出てきたグラーシア。
「片付けた……?」
部屋を見渡せば、床に置いていた研究資料は一切なく、その代わりに茶色い木目が整然と並んでいた。
整然としていたのは床だけでなく本棚も。
おそらく、わたしが外出している間にこの女が書物を移動させたのだろう。
盗んだり燃やしたりしたわけではなかったのか……。私は、自身の熱が急激に冷めていくのを感じた。それと同時に、目の前の女が酷く、あまりに酷く怯えているのが目に入った。無害な小動物のように小刻みに震えている。
無害な小動物は私の書物を動かしただけ。
この女が私の敵であるなど、勘違いだったのだ。
「わかったなら謝るなりせぬか」
「……あぁ」
グラーシアに言われて、再び女に向き直る。すると女は自分の身体から出た液体を隠すように覆い被さり、
「すみませんでした!すべて元にお戻し致します!私の
と謝ってきた。
謝るのは私の方だというのに。
「いやいい。私がやるから」
できるだけ謝っていると思わせられるように、声色に意識を払って言葉を発する。
すると女は、顔を上げた。
「すまなかった。どうやら、私の勘違いでお前に嫌なことを思い出させてしまったようだ」
「それじゃ誠意は伝わらぬ。頭を下げんか」
「うぐっ」
竜なのだから当たり前なのだが、ぐいと私の頭を押すグラーシアの手は、かなり力が強かった。
「すまなかった……」
ちゃんと頭を下げて謝る。そして顔を上げたのだが、女はまだよく状況が掴めないといった顔をしていた。……これは、行動で示さないとダメか。
「あー、その。何かして欲しいことはあるか?」
そのままの格好では気持ち悪いだろう。だから、今着ている服を変えないか?という意味で言ったのだが、残念ながら通じず、女の返しは明後日の方向に向かって発されたようだ。
「天国に連れて行ってください……」
その言葉を聞いた私は固まり、グラーシアの方は大袈裟にため息を吐いた。
「見たことか。貴様がよく見もせずにあんなに威圧するからだ。どうしかせんと、あの眼は死にたい奴の眼だぞ?」
確かに女の眼には覇気や生気といったものが無い。まるでもう既に自分は死んでいるとでも思っているかのように暗いのだ。
その眼を見ていると、過去の私のものを見せられているように感じた。暗い底から引っ張り上げてやりたくなった。親近感――のようなものが湧いてきたのだ。
「お前は天国には連れて行ってやれん」
「どうしてですか?そんな、酷い……」
「お前は今日からここに住め。そして私のようにどうしてもやりたいことを見つけろ。そうすれば希望を持って生きていけるはずだ」
「……私はもう死んでいるのに、ですか?」
彼女は本当にそう思っている。
この女の眼がそうなんだと、希望なんて無いんだと、切実に訴えていた。言葉よりも
「お前はまだ死んでなんかいない」
なるべく驚かせないように、ゆっくりと近づき、手を握る。
「あ、え?」
「お前はこうやって体温を持っているじゃないか。
あぁ……私はもう、この女を仲間だと認めてしまっている。眼が、同じだったから。あの頃の私と。その仲間に――やはり『同類の好』だろうか――そういったものが湧いてきて、気づいたらこんなことを言っていた。
「私は、まだ生きているんですか……?」
「あぁそうだ」
「魔力が尽きて落ちて死んだんじゃあないんですか?」
「あぁ、後ろの竜がお前を助けたからな」
「貴様も傷を癒したろ。それを省くな」
後ろのグラーシアが照れて訂正する。
「私、生きてる……。生きて、自由になってる……!」
女は自分の胸に手を当て、鼓動を――生きていることを、そして何より自由であることを確認して、涙を流した。
「そうだ。お前は自由に生きていて、力を持っている。後は、やりたいことが見つかるまでここにいればいい」
「それがいい。貴様は全く生活能力がないようだからな。此奴に助けて貰うといい」
グラーシアは、エレンを抱いたまま、優しい母親の顔をしていた。
「ありがとうございます……!私、リーフと申します。頑張って働きますから、よろしくお願いします!」
女も、ようやく笑顔を見せてくれた。その顔は、涙や鼻水で物理的に輝いていたが、本当に輝いて見えた。竜には遠く及ばないが、美しかったと思う。
「キリシャだ。こちらこそよろしく頼む」
――こうして、私に仲間が一人できたのだった。
「……さあ。とりあえず、
「あ、すみません……」
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