09 何故約束を守るのか

 アンジェラの言っていた方向に向かうと、目的の公衆浴場が見えてくる。

 アゾルは浴場に入れないので、龍巍と共に待機してくれるとの事だ。ひとまず中へと入っていくが、それでも龍巍の事が気になってしまうジーナだった。


 かと思いきや、


「はぁ……いいお湯だわ……」


 浴場に入ってみると、すぐに不安が消えてしまった。

 綺麗な空間に、そこに設置された巨大な風呂。すぐに入ってみると、旅の疲れが抜けていくのが感じる。


「ジーナさん、相当疲れていたんですね……」

「ええ、そうかしらぁ? でもそうかもねぇ」


 きっとマイアからは、崩れた自分の姿が映っているのかもしれない。ただ浴場の気持ちよさに比べればどうという事はない。

 そう思っていたジーナが、おもむろにマイアを一瞥した。彼女は自分よりも小柄であるが、胸が豊満で柔らかそうである。

 

 対しジーナは、大きくも小さくもない普通……。


「……羨ましい……」

「はい?」

「あっ、いや、何でもない……。それよりもマイアとアゾルはどうして旅を?」


 独り言が聞こえてしまいそうだったので、すぐに話題を切り替えた。

 もちろん彼女達の事を知りたいのも事実である。


「私の一族はある程度の歳になると、従属のワイバーンを連れて旅をするんです。独り立ち出来やすくする為とか、精神を鍛える為とかの理由がありまして」

「ああ、いわゆる掟ね」

「はい。ただアゾルが臆病でして……旅を行くたびにビクビクしちゃうんですよね……。もちろんワームから全力疾走で逃げてくれるので、色々と助かっていますが……」

「ああ……そう……」


 マイアの苦労が目に浮かぶようである。ジーナはアゾルの姿を思い出しながら苦笑いしてしまった。

 ただ臆病なのは決して悪い事ではない。勇猛だけでは生き残れないのは、ドラゴンであるジーナ自身がよく知っている。


「そういうジーナさんとリュウギさんは?」

「私もあなたと同じ理由かしら。その旅の途中にリュウギを拾って、今に至るという訳で」

「なるほどぉ。ちなみに付き合っているとかそんな関係で?」

「……ああ……そんなんじゃないわよ……」


 アンジェラといい、マイアといい、どうしてカップルと思われてしまうのか。

 ジーナが呆れと共に、頬が熱くなるのを感じてしまう。こればっかりはお湯のせいだと、彼女は思いたかった。


「そうですか……それよりも初対面なので何とも言えないですが、リュウギさんって素直な人なんですね」

「ん? どういう事?」


 そのマイアの言葉に、ジーナが怪訝に尋ねる。

 すると彼女もお湯のせいか、頬を赤くしながらもニコニコしている。


「さっきジーナさんの言いつけを応じたじゃないですか。それにアゾルが鳴き声を上げていないって事は、彼がちゃんとその言いつけを守っているって証拠ですし。

 何と言うか……悪い人じゃないかもって思う」

「……ああ、そういう事か……」


 龍巍がどこか行けば、アゾルが騒ぎ出すだろう。確かにその声が聞こえないので、ちゃんと約束を守っているという事になる。

 それにマイアが悪い人ではないと言っている。真の姿があるのを知らない彼女だが、それでもそういう印象があるという事だ。


「……そうね、悪い人ではないかもね」


 いつしかジーナは、自分の事のように嬉しく思う。 

 何故か分からないが、そう感じるのだ。




 ============================




 龍巍はジーナの約束通り、浴場の前でじっと待っていた。

 近くでアゾルがじっと見ているが、特に気にしてはいない。それよりもここで離れてしまったら、それこそ約束を破ってしまう事になる。


 しかし何故、彼女の約束を守っているのだろうか。


 自分がしている事に、ふと龍巍は疑問を抱く。彼女はこの世界を教えてくれる存在なのだが、それ以上の事はないはず。

 彼女は龍巍の一体何なのか。そう考えた時、浴場の中から彼女達が戻ってくる。


「お待たせ、結構風呂楽しかったわ」

「……ああ」


 ジーナが微笑んでいる。

 そういえば旅をしている時、いつも彼女が笑顔を見せていた。さっき「ありがとう」と龍巍が言った時も同様である。


 それで龍巍は察した。もしかしたら自分が、その笑顔に興味を持っているのではないかと。


 まるで特別な物であるかのように、龍巍にしか見せない物。それが気になって、こうして約束を守っているのではないだろうか?

 そう考えると、ジーナの存在は龍巍の中で大きくなっているような気もした。それが何を意味しているのか、今の所は分からない。


 ただ分からないのであれば、これからも彼女と共にいよう。自身にとって笑顔が何を意味しているのか、自身にとってジーナがどのような存在か、それを知る為に。




 ============================

  



 それから翌日の事だ。

 

「アゾル、もうちょっと下に降りて。ジーナさんの方は大丈夫ですか?」

「ええ、何とかね。スカート対策としてリュウギが見張ってくれているしね」


 ジーナとマイア達が次の仕事を任せられていた。今度は、街の真ん中にある神像の掃除だという。


 まずマイアはアゾルの上に乗って、神像の上辺りに浮かんでいた。対してジーナはその足元辺りで掃除している。

 龍巍はというと、二人の「スカート対策」として見張りを頼まれていた。何でも誰かが二人の下に来たら、睨んだり声を掛けたりすればいいらしい。現に男性がいたので声を掛けようとした所、すぐに逃げてしまったのである。


 それよりも掃除している神像は、ドラゴンの姿をしている。六本の角を持った頭部に六枚の翼、尻尾の先端は二つに分かれている。

 当たり前なのだが、少なくともジーナのドラゴン姿とは別物だろう。


「ジーナ、さっきから思ってたが、そのドラゴンは何だ?」

「ああ、このドラゴンはエルダーよ。この世界の頂点に君臨する者、世界を見つめる者と言われている。本当の名はドラゴンですら発音不可能だから、便宜上エルダーって呼ばれているの」


 そう言ったジーナが神像を見上げた。

 その時の目が、まるで特別な物を見るかのようである。


「伝承だから本当の所は分からないけど、この世界は多数の竜神の亡骸によって作られたとも言われているわ。エルダーはその神々の最後の生き残りで、仲間の亡骸でもある世界をいつまでも見守っているんですって」

「……見守る」

「ええ、エルダーはこの世界にとっての最高神……守り神でもあられるの。数百年に一度ってくらいに姿を現さないけど、世界に未曾有の危機が来ると君臨する……この方なくしては、世界は成り立たないとも言ってもいいわ」

「……そういう存在もいるという事か」


 どこまで特別なのか分からないが、とりあえずそんな存在がいるという事だけは分かった。

 そう龍巍が納得していると、マイアが言ってくる。


「リュウギさんが知らないなんて意外ですね? エルダーは大抵の人が知っていると思いますけど」

「ああ、彼は辺境の人なのよ。この大陸に来たばっかりだから、あまり詳しくない物で……。それよりも残りは自分でやるから、薬草採りお願い出来ないかしら?」

「そうですか……? ではすいません、行ってきますね」


 神像の掃除の他に、薬草の採取を頼まれているらしい。マイアがアゾルを羽ばたかせ、上空を舞い上がった。

 彼女達を見送った後、ジーナが掃除を続けようとする。しかし街からざわめき声が聞こえ出し、龍巍達がそちらへと振り向いた。


「何かしら……?」


 人が集まっているようである。二人がその場所へと向かえば、何が起こったのかが分かった。


 鎧を着た男性達や、荷車を引いた馬という生き物がいる。その荷車に一体のワイバーンが横たわっていた。

 ワイバーンは死んでいるようだが、口元から獰猛な牙を覗かせている。その姿のせいか、人間達が息を呑むのが分かる。


「あれってここのワイバーンじゃねぇな……。紫の体色からして、噂の邪竜の配下かもしれない……」

「最近活動を始めているって奴か……。死体があるって事は、ここにも迫ってきているって事だよな……」

「ああ……その時にはドラゴン様が倒してくれるかもしれないが、もし街に侵入でもすれば……」


 ジーナが前言っていたのだが、ドラゴンには人間を襲う邪竜がいるらしい。

 彼らが恐怖をしているのはその為だろう。龍巍がジーナを見ると、彼女が険しい表情をしていた。


「最近ワイバーンやらワームが多いと思えば、やはりここにも……。妙な事にならないといいんだけど……」

「……その邪竜というのが、お前の敵か」

「まぁね。奴らの目的は恐らく縄張り拡大……その為ならどんな手段もやる連中だから、人間の街に入ったら被害が広がる」


 吐き捨てるように言った後、ジーナが龍巍へと振り向く。

 そこには以前の笑顔とは違った、敵意に満ちた表情があった。


「もしその時になったら、私は容赦しない。同じドラゴンとして許さないから……」

「…………」


 ジーナが敵というのを教えてくれる。邪竜がジーナの敵というのなら、龍巍にとっても同じという事だろう。

 その時になれば、遠慮はいらないだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る