第10話 ニーナ


 夢を見ることなく、目が覚めた。

 目をこすりつつ窓の外を見ると、まだ夜明け間近で暗い色が覆っている。

 隣にはアリナがすうすうと小さい吐息と共に眠っている。

 起こさないようにベットから抜け出て洗面台に向かった。冷水で顔を洗うのがいつもの日課だったのだが、昨日はいろいろあってしていなかったことに気づく。

 そうして今俺はいつもの日常に戻ったのだと実感する。

 今ここで顔を洗ってる場所自体から変わっているがそれは見た目だけのことで中身を問えば大差ない。

 キッチンに移動して冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出す。

 しばらく間それを飲みつつ今日と明日からの予定を立てておくことにした。

 編入手続きは終わっているが授業に参加するのは3日後らしくそれまでは俺も彼女に付いていた方がいいだろう。

 それに日頃から参加率の悪い俺だ、3日丸々出なくたってだれも気にしない。


 ふと何か忘れている気がした。

 いつもこの時間はこんなにのんびりとせず焦っていたような気がしていたんだが……。


 激しく扉が叩かれる。

 ホラー映画で言うところの化物が叩くレベルで激しく、そして何より誰が叩いているか知っている。

 俺の数少ない友人だが、ここで捕まれば何を言われるか分かったものではない。茶化され貶されさながら生きたままに地獄巡りをすることになってしまう。

 そう簡単に扉は壊れないだろうし、モルデアイの用意した警備も居るだろうが正直にあいつを止められるとは思えない。

 這いつくばってでも移動しそうなイメージがあると言えば、怒られるだろうが。

 さっさとアリナを起こして前々から使っている非常口から脱出しなければ。


「あー……。はーい」

 呆けたアリナはとりあえずは言うことを聞いてくれた、なかなか着替えようとしないので俺がマネキンに服を着せるかのように外着を付けてやったがそれはそれで楽しんでいた。


 ベランダからすぐそこに非常用の外に設置された階段があり壁の出っ張りを伝えばすぐに脱出でき。アリナも何年も逃亡生活を送っている賜物か眠そうながらも一切の危なげなく移動していた。

「アーシャさん、いきなり出てきてどうしたの?

 まだ朝だよ?」

 昨日から半日近く眠っていたはずなのにまだ眠そうで驚くが、俺も咄嗟に出てきたために何をするかも決めていない。なにより決めている最中にこうなってしまったんだから。

 どうしたものかと辺りを見回しつつ考えていると見覚えのある顔が見えた。

 それは診療所で出会ったニーナという女性である。

 彼女は俺たちの寮を眺めているようで、こちらに気づいていないみたいだった。

 診療所はシルビアと協力していたため黒服側の人間のはず、もしかしたら俺たちの様子を確認しに来たのかもしれない。だったらなるべく気づかれないうちに移動してしまった方がいいだろう。


「あのー、どうかなさいました?」

 俺が悩んでいる間にアリナは普通にニーナに話しかけていた。

 ……そうだ、彼女はニーナの事を知らないんだった……。あのままにもしておけないので俺も二人に加わる。

「ニーナさんですよね、昨日ぶりです」

 ニーナは驚いたように目を開き、だがすぐに笑顔になる。

「アーシャさん、お元気そうでなによりです。それと……あなたは」

「シルビアです」

「シルビアね? なんだが知り合いと同じ名前だと親近感がわきますね」

 それを聞いて何かが繋がった気がした。それは夢に関係することで、そう、シルビア姉妹という単語だ。

 あの断片的な夢に出た二人のシルビアである。

 彼女は少しだけ目を細め、楽しそうに笑った。

「ニーナさんはどうしてここに?

 あんまり馴染みある場所じゃなさそうですけど」

「あら? それは失礼ですね。こう見えて私は魔法学園の卒業生なんですよ?

 この寮も久しぶりに様子を見に来んですよ」

「へー! アーシャさんさんと同じなんだね!

 その学園ってどういう場所なの? 教えてください!」

 目を輝かせてアリナはニーナの話に食いつく。俺がどうしようかと迷っていると彼女はこちらに目配せしてからアリナに向き直る。

「アーシャさんがいるでしょ? 楽しみはちゃんと取っておくものよ?

 二人で学園に行くのでしょう、だったら初めてを楽しむべきだわ」

 諭すように頭を撫でる、アリナはくすぐったいようでもがくが逃げる場所逃げる場所を先回りされされるがままになっている。


「あの、シルビアさんのフルネームって教えてもらえますか?」

「え?」

 不思議そうに振り返るニーナと止まった手から逃れるアリナ。

「それは、この子ではなく、アルフェの友達のシルビアこと?」

「はい」

「んーっと、何だったかな……、ちょっとド忘れしちゃったかな」

 ごめんさないね。

 ばつのわるそうに謝りつつ一歩引いた。

「だけど……何も変わっていないようでちょっとだけ安心しました。

 シルビアさんもアーシャさんも、どうか頑張ってくださいね」

「はい。ニーナさんも頑張ってくさい」

 軽くお辞儀をして、ニーナは街の中心部へと歩いていく。

 少しはぐらかされたような気がするが、彼女が何かを知っているとも思い難い。

 重要なのは黒服のシルビアの事だった。その内に接触があるだろうその時に確かめればいいか。俺は事件の解決をしたいわけじゃない。

 今と今後が安全で、このアリナがちゃんと怯えず生きていけるようになれればそれでいい。

 モルデアイの言葉がもし正しいのならそのまま預けるのも手だろうとさえ考えている。

「あのアーシャさん。

 せっかく外に出たんですし観光とか、お願いできますか……?」

 難しい事は今は置いて、アリナに付き合おう。

 


 モルデアイの用意した物の中には特注のクレジットカードも入っていたし、硬貨や紙幣も学生では使い道のないほどに置かれていた。

 どうせ俺が使う予定もなければ、そのうち回収されそうなので街でアリナの為に使ってやるつもりだった。


「本当にここでいいのか?」

 ここは街の東側にある大きめの自然公園で、中央に噴水が色付きの光でカラフルに移り変わっている。

「うん!」

 強くうなずく彼女に俺は戸惑いつつも他に楽しそうな場所を思いつく限り挙げてみるが、そのどれよりもここが良いのだと言うのだ。

「だってそういう場所なれなさそうだもん……。

 こうして座って喋ってるだけで十分に楽しいよ」

「そうか? だったらとことん付き合うよ」

 でもこのまま何もせずに座っているだというのは、やはり楽しませている自信がない。確かこういう場所では出店のようなものがあるんじゃないか?

 クレープとかあれば彼女も楽しめるだろうと、腰を浮かせた時に、服を掴まれた。

「大丈夫、とっても楽しいから。どこかに行かないで……?」

 あぁ、悪いことをした。

 彼女と俺では、そもそも生きた環境が違っていた。彼女は失うこと、居なくなることを強く恐れている。

 俺が勝手に楽しそうを押し付けて彼女に辛い思いをさせようとしてしまったことに今更至りつつ、座りなす。

「ごめんな、勝手に。

 代わりに面白い話してあげるよ」

「聞かせて聞かせて!」


 まだ俺が魔法に憧れていた時の話を、時間の許すかぎり続けることにした。

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