第2話 今の睡眠薬では自殺できません
衝動的で無計画な自殺は当然のごとく失敗した。
目覚めとともに視界を覆った白い天井の輝きにひどく感動したのは、自殺未遂の日
から二日後のことだった。
なぜか急に涙が出てきて、産声のような大きな嗚咽に、驚いた看護師が駆けつけてきた。年増の看護師に赤ん坊のように慰められたのは思い出すと恥ずかしい。
意識が戻ってから体調はすぐ良くなり、一週間ほどで退院できた。
その後は実家に戻され、両親の監視下でさらに二週間の自宅療養生活を過ごした。その間はできる限り規則正しい生活を心がけ、親を少しでも安心させようと献身的に振る舞い、人間らしい生活を取り戻すべく努力した。家族には数えきれないほど謝った。
そうこうしているうちに、いつの間にか始まっていた夏季長期休暇はいつの間にか終わりを告げ、秋学期の授業が始まった。
自殺未遂のような破滅的な経験は人を大きく変えるようで、布団から出るときの身体の重さはなくなり、あれほど足が進まなかった大学にもなんとか通えるようになった。
奈落の底を舐めまわしてその味を堪能した僕にとって、外に出られるというただそれだけのことが無性に楽しかった。
鬱が治ったということはないが、調子はかなり良くなった。
嵐はいつか止む。それは同時に嵐がいつか来ることも示しているが、たまには素直に晴天を楽しみたい。
今は大学のある講義に出席している。
生活習慣を人並みに戻すのはかなり苦労することで、実家で習得した朝寝夜起きの生活が多少乱れてもいいように、午前の授業は極力避けていた僕だが、この授業は午前中にあった。卒業に必修の授業というわけでもない。単に、興味が湧いた授業だった。
『不思議と科学』という名の講義は、幽霊や超能力などのオカルト現象について合理的に考察する授業だ。その目的は未知の問題の解決に挑んで思考力を養い、噂や戯言にうかうかと流されない堅実な人間を育成することにあるらしい。
もちろんたった一つの模範解答が存在するわけではないが、非合理に合理を持ち込み、自分の知識と言葉で論理の穴を埋めていき、一つの結論に至るプロセスが重要らしい。
こういうと、いかに不思議現象を科学的に説明するかという方向に定まりがちだが、論理的でさえあれば超自然的な要素の肩を持ってもよいという。つまり、決してオカルトを否定するための授業ではない。
僕は不思議なことが好きで、オカルトという言葉に目がなく、一目惚れするようにこの講義を取った。せいぜいデジャヴくらいしか不思議な現象を体験したことはないが、それでも一定の関心があった。よほど現実が嫌いなのだろう。
「今日の講義ではまず、周囲の人と自分が体験した不思議な出来事について話し合ってほしい。普通に生きていても一つくらいはあると思う。ベタなのは心霊体験。金縛りって人もいるかもしれない。正夢とか明晰夢だって立派な不思議体験だ。幻覚でも構わない。思い浮かばないって人もよく考えてみてほしい」
授業の冒頭からディスカッションタイムが始まるようだ。
人に話せるほどの出来事が思いつかない僕は焦り、頭を働かせるが、浮かんできそうにない。考えてみろと言われても、そう簡単には出てこない。
「周りの人と話して、世の中が想像以上に不思議な出来事で溢れているってことを実感してほしい。では、始めよう」
ひとまず話し相手を見つけなければならない。
早速誰もが友達や知り合いと話し始めていた。教室の最前列の窓際といういかにも影が薄そうなところに一人で座っていた僕は、焦り始める。そもそも周囲に人がいない。
「こんなことならもっと真ん中の方に座っていればよかった……」
自分の失敗を洩らしながら、人はいないかと上半身をひねって後ろを振り向くと、
「わっ!」
思わず頓狂な声を上げてしまった。
列すらも空けずぴったりと僕の背後に人が座っていた。今の今まで全く気がつかなかった。
いつの間に後ろに座っていたのだろうか。
そもそも、他に席は空いているのになぜ僕の真後ろなのか、せめて一人分くらい離すだろ。
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