細工は流々仕上げを御覧じろ

 ハウヤ帝国第十九代皇帝オドザヤと、ザイオン第三王子トリスタンの婚礼の日。

 朝、結婚式の行われる皇宮の海神宮へ上がるべく、その元々は弱々しいというか、自ら考え、動く行動力などないに等しいモンドラゴン子爵夫人シンティアは、意気揚々と子爵家の紋章の付いた馬車に乗り込んだ。

 海神宮での結婚式が始まったら、皇帝陛下から夫を取り戻すべく、あの女占い師ネーヴェが言っていた通りの行動を取ために、勇んで馬車に乗り込んだのだ。

 ……その、はずだった。

「奥様! ああ、お目覚めになりましたわ」

 なのに。

 ぱちっと目を開いたシンティアの目の前に見えたのは、彼女の見慣れた顔……中年の侍女の心配そうな顔だった。

 シンティアは自分の部屋の、柔らかい寝台のリネンの上に寝かされており、彼女の乳母上がりの侍女はおろおろとした顔つきながらも、シンティアが目覚めたので安心したのか、

「気つけのお薬と、白湯を持っておいで!」

 などと他の女中達に強い声で命じている。

「……どうして? 今日は海神宮での皇帝陛下のご婚礼に……」

 シンティアはそう言ったが、彼女の記憶は馬車に乗り込んだところでぷっつりと途切れていた。

 ネーヴェとは皇宮へ向かう途中で合流することになっていた。

 シンティアはあれからすぐ、女占い師ネーヴェを友人を通さず、直接、屋敷に迎え入れるようになった。こう言っては身も蓋もないが、お姫様育ちの上になんの苦労も知らず、人を疑うことさえ知らないシンティアは、あっという間に女占い師の言うがままを信じるようになってしまった。

 同じお姫様育ちでも、カイエンのように体のことで子供の頃から人間には表の顔と裏の顔があることも、強者は弱者を押しつぶし、侮辱し、嘲笑って平気なことも。他人をいじめたり、騙したりして困惑させ、右往左往させて楽しむ輩などたくさんいることも。その全てを身を以て体験することもなく。

 そして、 中には他人を意のままに操って自分のしたいことをさせる者もまた、いくらでもいる、ということなども、優しい両親のもとでお蚕ぐるみで育てられたシンティアには、これまでに学ぶ機会などなかったのだ。貴族の結婚の後には起こりがちな、わがまま勝手に育った夫婦の間のいざこざにも、彼女は今まで無縁でいられた。

 海神宮での結婚式で、新婦新郎が結婚の誓いの言葉を言い始めたら、すぐに立ち上がってひと芝居するのだと、シンティアはネーヴェに命じられていた。そう、たかが異国の占い師風情に、子爵夫人たるものが「そうするのですよ」と「それが当然なのだから、そうしなければならない、そうしなくてはあなたの夫は戻ってこない」、と決めつけられ、思い込まされてしまったのだ。もしそんなことを実行したら、モンドラゴン子爵家などこの国から抹殺されるかもしれないほどの暴挙であることを知りもせず、考えもせず。

 こんな仕事は昔、オドザヤのお茶会仲間だった頃、若くして結婚したスライゴ侯爵夫人ニエベスだった頃から、夫のアルトゥールに宮廷をうまく泳ぎ渡る方法を仕込まれていた、ネーヴェことニエベスには、簡単なことだった。

「ああ、奥様、何をいっておられますの? 奥様は海神宮での皇帝陛下のご結婚式が終わり、お戻りになった馬車の中で気を失われておられたのですよ!」

 なのに、侍女はシンティアにこう言うのだ。

「えっ」

 シンティアはまだ幼さの残る丸っこい顔に、驚きの表情を浮かべた。

「……か、海神宮での皇帝陛下の御結婚式はもう、終わってしまったの?」

 今度は、乳母上がりの侍女の方が驚く番だった。怪訝そうな顔で、自分の若い主人を見ながら、彼女はまだ寝台に寝かせられたままのシンティアの白い手をそっと握った。

「はい、もう正午を過ぎました。もう、皇帝陛下ご夫妻は皇宮前広場プラサ・マジョールに向かったバルコニーへお出ましの頃ですわ」

 タネを明かせば簡単なことで、シンティアの馬車は屋敷を出てすぐに大公軍団治安維持部隊の手で巧妙に停止を命じられ、市内警備のためであるご協力を願いたいと丁寧に申し込まれた御者は馬車を止めてしまった。そして、馬車が止まると同時に他の隊員に気を取られている御者の後ろで、馬車の扉が静かに開けられ、女性隊員のイザベルが百面相の手で化けた偽シンティアと、本物のシンティアが入れ替えられてしまったのだ。

 これは日頃の軍団の訓練の賜物で、あまりにもスムーズに行われたため、馬車が止まったことにシンティアが気が付いて窓辺に顔を出した時にはもう、彼女は薬を浸した布で気絶させられてしまっていた。

 途中で占い師のネーヴェを乗せる予定だったために、シンティアが侍女を伴わず一人で馬車に乗ることも、事前に治安維持部隊では把握していた。

「え……それじゃあ、それじゃあ……」

 シンティアは自分の身に何が起きたのかはわからないものの、もうすでにオドザヤの結婚式は終わったこと、そして、今頃はバルコニーでの市民へのお披露目の最中であろうこと、自分が結婚式でするはずだったことはもう遅きに失していることだけは理解できた。

「わたくし、陛下のご結婚の誓いの言葉の前に、あの海神宮の大広間で、陛下にお願いすることになっていたのに! ウリセスを返してって! ウリセスを返してからご結婚なさって、って……」

 この言葉を聞くと、シンティアの周りにいた中年の侍女も、若い女中たちも、皆がびっくりした顔をした。

 シンティアほど世の中のことに疎くない彼らはもう、とっくにこの一年あまり、あまり屋敷に戻らなくなったウリセス・モンドラゴンにある種の疑惑は持っていた。それでも、その相手がまさか皇帝オドザヤであると思っていた者はさすがにいなかったのだ。

 それにしても、今、シンティアが言ったことを実行していたら。

 それを想像しただけで、彼女たちは身の毛がよだつような恐怖を覚えた。結婚式、それもこの国の皇帝のそれにそんな形で水を差すなど、このハウヤ帝国の貴族として、国民として、有り得べからざる暴挙である。

 侍女たちはそんなことをシンティアが実行していたら、どうなっていたのかなど具体的な罰などは考えも及ばなかった。だが、このモンドラゴン子爵家が存亡の危機に陥っていたことだけは確かだった。

 がばりと自分の豪華な寝台の上から起き上がったシンティアは、もう朝着ていた結婚式参列用のドレスを脱がされ、寝間着を着せられている自分をそこでやっと発見した。

「そうだわ! まだ披露宴の晩餐会があるわ! こんなところで寝ているわけにはいかないの。さあ、晩餐会のドレスを出して!」

 シンティアはそう叫ぶように言ったが、もうその時には、老練な侍女は女中の一人にこの屋敷の執事と、シンティアの主治医を呼ぶよう、小声で指示を出していた。

 こうしてシンティアが無事に帰って来ている以上、シンティアは海神宮で今、彼女が話したような所業には及んでいない。もしそんなことをしていたら、子爵家の馬車で無事に戻ってくるはずなどないのである。

「ああ、そうだわ。ネーヴェは? ネーヴェは来ていないの? ネーヴェに相談しなくちゃ……。早くしないと、晩餐会に出られなかったら、もう私が陛下にお会いする機会なんか、ありはしないのだもの」

 すぐにシンティアの部屋へやって来た執事は、シンティアの言葉を聞くと、目だけで乳母上がりの侍女に合図し、二人はそそくさと部屋を出て行く。興奮したシンティアの元には、すぐに主治医が現れ、シンティアに強力な鎮静剤を無理やりに飲ませた。

 侍女からシンティアの話したことを聞き取った執事は、すぐに判断を下した。

「その、最近この屋敷に出入りしてシンティア様に取り入っていたとかいう占い師は、もう決して屋敷に入れてはいかん。もし来たら、捕まえて監禁しておけ。私はすぐに皇宮の旦那様ウリセスのところへうかがって、このことをお耳に入れなければならぬ。午後には、皇宮から金座へのパレードが始まる。それまでにお知らせせねば。もしかしたら、その占い師とやらはこのモンドラゴン子爵家に恨みでもあるのかもしれぬ。お家を守るのが我らの最大の務め。……わかったな?」

 シンティアの乳母上がりの侍女は、務めて自分を落ち着かせようと努力しながらも、しっかりとうなずいた。

「奥にいらっしゃる、大旦那様や大奥様には何も気取られないようにな。では、私は皇宮へ向かう」

 その時、先代モンドラゴン子爵、今の大旦那様の頃からの執事である老練な執事の頭にあったのは、意外にも、皇宮にいるはずの皇帝の親衛隊隊長であるウリセス・モンドラゴンの顔ではなかった。

 彼の頭にあった顔は、鷲のように厳しく引き締まった、彼と同年代の初老の男の顔だった。酷薄な感じさえする青い目のその男は、大公宮の執事を長年勤めていた。

「……アキノ殿。旦那様よりも、大公殿下のお側に長らくあるあなたの方が、この出来事の事情はご存知でしたな。あなたの言われていた通りにことは行われたようです。しかし、たかが子爵家の執事たる私が皇宮へ参っても、旦那様にお会いするには時間がかかる。回り道だが、恐らく最終的にはそちらの方が真実に近いに違いない」

 この言いようを聞けば、モンドラゴン子爵家には、もう、大公宮の執事のアキノを通じて、こういう可能性のあること、その場合には治安維持部隊がモンドラゴン子爵夫人を皇宮へ入らせないように工作する事も伝わっていたのだろう。

 そんなことを呟きながら、モンドラゴン子爵家の執事はもう、屋敷の馬車止まりで子爵家の紋章入りの馬車に飛び乗ろうとしていた。通常なら執事風情が乗れる馬車ではないが、今は緊急の時である。この馬車でなくては、大公宮へ入るのに手間取るだろう。

「大公宮へ! 誰か馬で先行しろ!」

 男の召使いたちにそう命じながら、彼は無意識にいつもきちんと着ている執事の服の襟のあたりへ手をやり、きちんと結んであるかどうか、首元のネクタイへ何度も手をやらずにはいられなかった。






「……大公軍団には、してやられたわ! シンティア・モンドラゴンは皇宮へ行く途中、それも私との会合場所の前で治安維持部隊の用意した替え玉と入れ替わったようね」

 ザイオンから来た奇術団、コンチャイテラの魔女スネーフリンガとして、このハーマポスタールへ戻って来た、元スライゴ侯爵夫人ニエベスは、コンチャイテラの掛小屋を焼いての解散後、今はよく当たる女占い師として、中流貴族の夫人たちのサロンによく招かれる存在となりおおせていた。

 帝都の中の、まだ大公軍団には漏れているはずのない、新しいアジト。

 そこはモリーナ侯爵の家が不穏分子を匿っているとのことで大公軍団に摘発された時に、そこにいた、百面相そのほかの連中の知らない場所だった。

「どこから漏れたのか。いいえ、漏れたというよりは、可能性に気付かれたのでしょう。シンティア・モンドラゴンが旦那の浮気に気が付いた時の……なりふり構わぬ行動の危険性に」

 ニエベスに答えたのは、 子昂シゴウだった。

 いつも螺旋帝国人としても無表情で感情の起伏を感じさせない男だが、この時もそれに変わりはなかった。

「あのくそったれの百面相シエン・マスカラス! モリーナの館で捕まって、ペラペラぺらぺら、みーんな大公軍団の拷問で吐いちまったに違いないわ。その上に、もしかしたらシンティア・モンドラゴンの替え玉を作る手助けまでしたのかも!」

 ニエベスはそう言うと、思い出したように隣の椅子に座らせていた息子のアルットゥの方へ手を伸ばした。

 アルットゥももう、四歳ほどになり、自分一人でそうして椅子に座っていても、足をぶらぶらさせてはいるがそれなりに様になっている。

「それはそうだろうよ、ニエベス。大公軍団の、それもあの軍団長にかかっては、百面相シエン・マスカラスなんかちょろいものだっただろう。奴の技術を大公軍団で使ってやる、と一言、言えば、所詮は天才技術屋のあいつはイチコロだろうさ」

 ニエベスの膝に抱き上げられた途端に、アルットゥは話し始める。

「あなたも重くなったわねえ。もうそろそろ、お膝は勘弁してほしいわ」

 ニエベスはそんなことを言いながらも、さも愛しげにアルットゥの頰へ接吻を繰り返すのである。

「螺旋帝国の皆殺し皇子様は、皇宮前広場プラサ・マジョールに潜入出来たかな? バルコニーからのお披露目に合わせて、ザイオン公邸から盛大に花火をあげさせたんだろう? そのどさくさで入り込む手はずだっただろう?」

 アルットゥがそう聞くと、 子昂シゴウは、正直に自信なさげな顔を作って、首を振った。

百面相シエン・マスカラスがいれば、天磊テンライ様の螺旋帝国人の顔をこのハウヤ帝国人の顔に作れたでしょうが、今回はそれが出来ませんでしたから、化粧で取りつくろいましたが……通用したかどうか。通用しても刃物の持ち込みは難しいでしょう。天磊様の後ろから見ていましたが、治安維持部隊の検問はかなり厳しかったですよ。花火の音がしても、うろたえたのは一瞬で、広場の左右にこれ見よがしに馬上で目立っていた、軍団長や帝都防衛部隊長をちらっと見た後は、落ち着いたものでした。なんか、合図をしたに違いありません。あいつらの仲間内での手信号やなんかは極秘で、漏らすような弱みのある隊員には知らされていないんですよ。今回は精鋭だけを使っているんでしょう。それで刃物は無理と見て、寸前で天磊様から取り上げましたが……それでも怪しまれて身体検査されていました。中に入ることは出来ましたが、きっと要注意人物として見張られています。中に入っている他の仲間も刃物や飛び道具の類は持ち込めていないでしょう」

 アルットゥは幼児の顔に、難しい苦悩の表情を刻んで答える。

「じゃあ、皇宮前広場プラサ・マジョールでは手出しできないと言うことか?」

 子昂シゴウはしぶしぶ、うなずいた。

「天磊様のことですから、剃刀くらいは隠し持っているでしょうが、見張られていれば剃刀なんかじゃ動きがとれませんよ。治安維持部隊の奴らは、制服の下に鎖帷子を着ていました。……いざという時は周りを取り囲んで、広場の外へ出してしまうつもりでしょう」

 ニエベスはため息をついた。

「シンティアはどうなったかしら?」

 これにも、子昂シゴウは厳しい声音で答えた。

「海神宮での結婚式の後、モンドラゴン子爵家の馬車は、他の控え屋敷がないか、使えるように整備する金のない下位貴族たちと一緒に、皇宮を出ています。おそらく、行きがけに入れ替わった偽のシンティアと本物はどこかでまた入れ替わって、本物は子爵家へ戻っているでしょう。何か帰ってから召使いの前ででも口走っていれば、子爵家の使用人どもも馬鹿じゃない。結婚披露宴の晩餐会へは病気とでもなんとでも言い繕って出さないでしょう」

 ニエベスは、この言葉を聞くときっとなった。

「ちょっと! それって、私がモンドラゴン子爵家に出入りしていたのが、大公軍団にばれてたって言うの?」

 子昂シゴウはもう普段の無表情に戻っていた。

「そうとしか思えませんね。どうしてかはわかりませんが。もしかしたら、子爵家の使用人の上の方の誰かがあちらへ取り込まれていたのかもしれません」

 実のところ、それは事実だったので、彼の言葉はまことに現実味を帯びて聞こえた。

「まあ、モンドラゴン子爵夫人は、まだ使えますよ。ウリセス・モンドラゴンを亡き者にする時には、間違いなく役に立ってくれるでしょうから」 

「それは間違いないな。夫婦の痴話喧嘩でもなんでも、うっかり……ということならいくらでも今までに事例もたくさんあることだ」

 ニエベスの腕の中で、アルットゥは面白そうにそういうと、あはは、と笑い声をたてた。

「だが、親衛隊長としての奴には、まだやってもらわねばならん重要な役割がある。皇帝の親衛隊ともあろうものが市民たちに……という場面ももうちょっと先には用意されているのだからな。その時までは生きていてもらわねばならん」

「では、パレードでの工作はやめておきますか?」

 子昂シゴウがそう聞くと、アルットゥは氷のような銀色の目をしっかと子昂の目の上で静止させた。

「天磊たちは、広場から金座への大通りへ、大衆に紛れて移動するんだろう? それなら好きにやらせておくさ。十字弓クロスボウをばらして持たせた連中や、手投げ爆薬を持たせた奴らも、わんさか沿道に入り込ませる。上手くいけば、相手は無蓋馬車だ、いくら周りを近衛だのなんだのの馬で囲んでも、一発くらいは当たるかもしれん。どうせ、下町の一回いくらで危険を引き受けるような奴らだ。捕まろうが殺されようが、私たちには実害はない」

 アルットゥのいうところを聞けば、かなりの数の人間を用意しているようだ。

「あの大量殺人鬼の皇子様は、どうせいつかは使い捨てるしかないんだ。一人の人間が殺せる数なんか、いくらあの恐ろしい皇子様でも知れているからね。「青い天空の塔」修道院ではなかなかうまくやったそうだけど、あんな大量殺人は人目のない閉鎖空間じゃなくっちゃ、そうそう出来やしない。今度みたいな、大公軍団だの近衛兵団、親衛隊の目の光っている場所じゃあ、殺せる数も知れている。皇帝やあのザイオンの王子を狙っても、殺った後の逃げ道が確保されてなきゃあ、皇子様は死に損になるだけだ。そのくらいはあの皇子様でも頭が回るだろうさ」

「では、あのディエゴ・リベラたちの『賢者の群れグルポ・サビオス』は?」

 子昂が聞くと、アルットゥはけらけらと笑い声をたてた。

「なんだ? あいつらも沿道に呼んでるのか。馬鹿な奴らだから、口先だけで何か叫んだりはするかも知れないな。だが、まだ今、あいつらに同調する市民はそうそういやしない。ま、放っておいていいだろう。逮捕者が出ても、口だけじゃ大したお咎めはないだろう。名前を控えられて、連中の活動に大公軍団が目を光らせるようになるだけさ。今はそれでいい。頭のディエゴ・リベラの寺子屋の先生とやらが、大公軍団の最高顧問なんだろう? それなら逆に手心があるかも知れない。奴らの使い所は、もっとあの馬鹿げた論調に同調する輩を増やしてもらってからだ」

 そこまで言って、アルットゥはまことに皮肉げで、凄惨な笑顔を、そのただ見ていればかわいらしい幼児の顔に浮かべて見せた。

「……それこそ、奴らの一番の使い道は、あのモンドラゴン子爵、皇帝の親衛隊長が人生最大の失態を犯して処刑される理由としてじゃないか。それまではまだまだ、小手先の手間がいくらでもあるだろう?」

 な、子昂シゴウ

 そう言いたげなアルットゥの、幼児のかわいい顔に、大人の、それも残酷で冷酷な悪い笑いを貼り付かせた顔を、子昂シゴウはちょっとだけ驚いて見ていた。







 一方。

 オドザヤとトリスタンの皇宮前広場プラサ・マジョールに面したバルコニーでの「結婚のお披露目」が終わった後。

 カイエンは次なる無蓋馬車での新婦新郎のパレードに対処するべく、オドザヤたちのそばを離れようとしていた。

「モンドラゴン隊長、後は頼む。私はパレードの馬車には乗れないが……なんとか近くで見ているようにする」

 言いながら、カイエンは同じくもうここでは夜の披露宴の晩餐会まで用のない、護衛騎士のシーヴ、エルネストとその侍従のヘルマンを従えて、皇宮のパレード用の無蓋馬車の用意されている方へ向かった。リリはヘクトルとミルドラのクリストラ公爵夫妻に預けた。リリは不服そうに口を尖らせていたが、まだ肉体的には二歳児でしかない自分が出来ることなどないことは分かっていたので、大人しくミルドラの手を握って見送っていた。

 彼女はヘクトルとミルドラのクリストラ公爵家の馬車で、大公宮まで送り届けられることになっていた。

 リリとフロレンティーノは夜の披露宴には出席しない。

 モンドラゴンはオドザヤとトリスタンの馬車の後ろに乗り込むので、後から来るだろう。

 カイエンはその前に、無蓋馬車の周囲の警護を担当する近衛の連中、それに馬車の御者や侍従に化ける手はずのガラや大公宮の影使いのナシオ達と話をつけておきたかったのだ。

「おお。お出ましですな」

 カイエン達が皇宮の皇帝専用の馬車止まりまで歩いて来ると、すでにそこにはパレード用の豪華な無蓋馬車が用意されており、そのすぐ横に、近衛の兵士を従えた元帥大将軍で、近衛の将軍でもある、エミリオ・ザラが待ち構えていた。彼は近衛の青い制服姿だが、きっと中には鎖帷子を着込んでいるだろう。馬車止まりの外にも何人もの近衛の兵士の姿が見えた。

 近衛は貴族の子弟で、しかも国立士官学校を出たものしか入れないから、見目形のいいものが多い。

 だが、国立士官学校では貴族だからといって手ぬるく教育したりはしないので、前に死者の日ディア・デ・ムエルトスで、酔っ払って不始末をしでかした親衛隊のようなことはないはずだった。

「これはお久しぶりです。殿下はお元気そうですねえ」

 ザラ大将軍の横に立っている堂々たる体格は、フィエロアルマの将軍、ジェネロ・コロンボである。

 彼の後ろには、若いのと中年のと、二人の副官がどっかりと控えている。若い方はヴァイロンと士官学校で同期だった、チコ・サフラ。そして中年の方は元は大公軍団員だった、イヴァン・バスケスだ。二人は黙って軍人らしく礼をして見せた。

 北へサウリオアルマが、東へドラゴアルマが、南へバンデラス公爵と一緒にコンドルアルマが赴いて陣を張る今、この帝都ハーマポスタールに残っているのは、ジェネロのフィエロアルマと、ザラ大将軍の近衛兵団だけである。

 もっとも、これに大公軍団を含めれば、帝都の防衛としては過剰なほどの陣容となる。そもそも、現在、帝都に至る東と南北には他の三つのアルマが、三人の公爵たちの領地に布陣している格好だ。空いているのは西側だけだが、ハーマポスタールの西側といえば、広々と果てがどこにあるのかいまだに知れない西の大海が広がっているだけだ。

 北のスキュラはフランコ公爵領となり、南のラ・ウニオンの内海には、バンデラス公爵と、アマディオ・ビダルのコンドルアルマが目を光らせている。

 普通に考えれば、スキュラでの一件以降、ハウヤ帝国は盤石の体制で構えているということになる。

「ああ。これは本当に久しぶりだな、ジェネロ」

 カイエンは親しげにジェネロにそう語りかけたが、ジェネロの方は、挨拶もそこそこにカイエンの後ろにいるエルネストの方を、いかにも気にくわない、と言った剣呑な目で見ている。

 もう、三年前、シイナドラドへ赴いた時には、カイエンはエルネストのせいでひどい目にあっている。カイエンの護衛として付いて行きながら、カイエンを守れなかったということで、ジェネロは帰国後にカイエンや、彼の前にフィエロアルマの将軍であり、親友でもあるヴァイロンのところへ詫びに来ている。

 その後、エルネストはハウヤ帝国へ婿入りして来てから、ヴァイロンとはなんとか男同士で話がつき、先日、カイエンの新しい愛人となっていた大公軍団軍団長のイリヤとも実力行使で話がついたばかりだった。

 カイエンの伯母のミルドラも、色々あって今ではエルネストを生ぬるい目で見てくれるようにはなっている。

 だが、ジェネロの場合には、そうなる「機会」もエルネストとの間にはなかったので、ついつい、彼を見る目が尖ったものになるのは仕方なかった。

「……ジェネロ。こいつはもうしばらくはこのハーマポスタールにいるが、いずれはここを出て行ってしなければならない使命とやらがあるそうだ。それまでは私の命令通りに動くはずだから、大丈夫だ」

 カイエンがそう言うと、ジェネロは殺気立っていた緑の色の目を、やっとエルネストの顔の上から外した。

「殿下がそうおっしゃるんなら、そうなんでしょうよ。……気にくわねえが、ヴァイロンも同じことを言って来ましたからそうなんでしょう。俺なんぞがこれ以上、言うことはありませんや。うちの訓練にも参加なさって頑張っておられるようですしね」

 賢明にも、エルネストはここまで一切の口を挟んでは来なかった。横ではらはらとした顔つきで見ていた侍従のヘルマンのおかげだけではあるまい。

 あの日、イリヤとの剣試合であっけなく破れてから、エルネストは明らかに変わった。帝都防衛部隊やフィエロアルマの訓練に参加し出してからは、元からの性格はどうしようもないとしても、身のこなしがすっかり軍人のそれに変わったのだ。それは、エルネストの中で、確実になにがしかの「覚悟」が決まったことを物語っていた。

「ザラ大将軍、陛下たちの無蓋馬車の警備はどうなっています? 先ほどのバルコニーでのお披露目でザイオンの官邸の方角から花火が上がったことは聞いていますね?」

 カイエンがそう聞くと、エミリオ・ザラは静かにうなずいた。

「さっき、大公軍団帝都防衛部隊の奴が遣いに来ました。……皇宮前広場プラサ・マジョールはヴァイロン殿が指揮をとって、市民たちを沿道へ導きながら、不審人物を引っ張っているそうです。帝都防衛部隊では広場の周りの建物の上から監視していて、おかしいのに目星をつけているそうで」

 カイエンはちょっと考え込んだ。

「それで、軍団長イリヤからは何か言って来ましたか?」

 カイエンがそう問うと、ザラ大将軍は待ってました、とでも言うような表情になった。

「ああ、さすがですなあ。あの馬鹿のこととなると、殿下はよくお分かりだ」

 この言い様には、カイエンもかちんと来た。確かにイリヤは愛人だが、だからと言ってその行動のすべてが予知できるはずもない。そんなカイエンを隣でシーヴが心配げに見ている。

「ザラ大将軍、冗談はこの際、ご遠慮願いたい」

 カイエンがおどろおどろしい程に低い声でそう言うと、後ろからエルネストがここへ来て初めて口を挟んできた。

「なんなら、俺も馬に乗って皇帝陛下の馬車の護衛に付いてもいいんだぜ。一応は、皇帝陛下は俺の義理の妹に当たるんだし。でも、俺はあの踊り子王子の方はどうなっても放っとくけどな」

 カイエンはオドザヤがエルネストの義理の妹なら、トリスタンも義理の弟だろう、と思ったが、黙っていた。エルネストはカイエンの父のアルウィンや、先帝サウル、クリストラ公爵夫人ミルドラの従兄弟にあたるので、オドザヤの方とは一応、血の繋がりがある。

「ほお。皇子殿下も! それは頼もしい。いささか市民へは過剰な贈り物ではあるが、市民たちは喜びましょうなあ」

 ザラ大将軍は、カイエンの抗議の方は見事に無視してくれた。カイエンは大いにムカついたが、この老獪な大将軍相手ではそれ以上の言葉は重ね辛い。

「大公軍団軍団長からは、近衛の将軍である私と副官の二人だけでなく、大公殿下にも馬上にて皇帝陛下の警備についていただきたい、との話でしたな」

 そこまで言うと、ザラ大将軍は、馬車止まりの外の方を透かし見る様にした。

 カイエンの方は、「私は一人では馬なんぞには乗れない!」と抗議するつもりだったのが、かわされた形になった。

「おお、噂をすれば、ですぞ」

 その声にカイエンだけでなく、シーヴに、エルネストとヘルマン、それにジェネロやチコ、イヴァンなどがオドザヤが乗るはずの無蓋馬車の横から、真昼の明るい外へ目をこらすと、馬車止まりから続く緩やかな広い石畳の向こうで馬から降りた長身が見えた。

「あっらー。お歴々がお揃いねぇ。沿道の方は、とりあえずヴァイロンさんに任せて来たのよー。治安維持部隊の方には、双子もいるし、俺はこっちへ回ってこようかなーって思ってぇ」

 カイエンはいやーな予感が背筋を這い上がってくるのを感じていた。

 さっき、ザラ大将軍は、イリヤからの伝言として「大公殿下にも馬上にて皇帝陛下の警備についていただきたい」とか言っていた。

「近衛とフィエロアルマが馬車の警備に当たるんでしょ。その上に……あら、皇子様もいるのね。皇子様もこの際馬上で歓呼と励ましの声を受け取るといいわよ。自分の結婚式じゃ、そんな華やかなことなんかなかったんだろうしぃ」

 馬の手綱を近衛の兵士に渡すと、ずかずかとカイエンの目の前まで歩いて来たイリヤは、どうしてなのか、満面の微笑みを浮かべていた。

「どうせ、殿下ちゃんは妹ちゃん大事で、ここまで出てくると思ってたのよ。でも、殿下ちゃん一人じゃ馬には乗れないでしょ? まさか無蓋馬車の警備に馬車出すわけにもいかないからさぁ。そうすると、殿下ちゃんはここにいる誰かの馬に同乗してもらうしかないわけよー」

 ここまで聞いて、カイエンは一人、戦慄していた。

 イリヤの言うことに間違いはない。

 と、なれば普通なら自分は夫であるエルネストの馬に同乗することになるのだろう。


 冗談じゃねえよ。


 カイエンは自分の中の正直な自分が、即座にそれを否定するのがわかった。そうなると、カイエンが乗る馬は……。

「ヴァイロンさんと俺と、みーんなで怪しい奴は排除したんだけどさあ。でもまだ完璧とは言えないんだよぉ。そこで思い出したんだけど、桔梗星団派の奴ら、皇帝陛下も踊り子王子も、そこのシイナドラドの皇子様も、ザラ大将軍も、ジェネロ将軍も、そして近衛の皆さんも、そして不詳俺ちゃんも、みーんな簡単にぶっ殺せると思うんだあ。俺なんかもう去年、一回殺されてるしさぁ」

 確かに去年の一月にカイエンを庇って腹を刺され、本来なら死んでいたはずなのはイリヤだ。そのことは話の深さはまちまちだったが、ここにいる皆が知っていた。

 カイエンは心底、ぺらぺらしゃべっているイリヤの頬っぺたをつねりあげて、黙らせたかった。

 だが、イリヤの言っていることは残念なことには一つも間違っていないのだった。

「だけどここに、たった一人だけ、あいつらが絶対に殺せない人がいるんだよねぇ〜」

 イリヤの声は、そこに集まったザラ大将軍以下の数名にしか聞こえなかっただろう。外の兵士たちは不思議そうな顔でこちらを見ている。

「なるほど、そうに違いないわ」

 すぐに反応したのは、憎らしくも賢明なるザラ大将軍の声だった。

「でしょー。連中は殿下ちゃんだけは殺せないから、殿下ちゃんに馬車のすぐそばにいてもらえれば、少なくとも遠方からの十字弓クロスボウの攻撃なんかはかわせるのよ」

「おい、ヴァイロンをこっちによこすわけにはいかなかったのか?」

 少しだけはカイエンの気持ちを感じていてくれたのは、どうやら、苦労人のジェネロ・コロンボだけだったようだ。

 それを聞くと、得たり、とばかりにイリヤはにんまり微笑んでみせた。いくら美貌の彼と言っても、その笑顔は癖がありすぎて皆を辟易させるような効果しか生まなかったが。

「あー、それそれ。ヴァイロンさんからコロンボ将軍閣下にお願いがあるのよ。俺が先にこっちへ来たのはそのお願いがあったからなの」

 イリヤの言葉を聞くと、察しのいいジェネロにはもう分かったようだ。

「ウラカーンか?」

 ウラカーンとはヴァイロンがフィエロアルマの将軍だった時の愛馬で、馬体が恐ろしく大きく、ヴァイロンの巨躯を乗せて一日、戦場を走り続けても平気だった巨大馬の名前だ。ヴァイロンがウラカーンに乗って敵と相見えただけで、ベアトリアの兵士たちは恐怖におののいたものだった。

 そのウラカーンは、ヴァイロンが将軍から大公カイエンの男妾に落とされた時、副官からフィエロアルマの将軍に繰り上がったジェネロに引き継がれている。

「そうそう。あっちで見たよぉ。あれすごい馬だねえ。あれならヴァイロンさんが乗って力一杯戦っても平気の平左だわ。あの馬をね、今日だけ使わせて欲しいんだって」

 カイエンはここまで話を聞いて、曙光を見たように思った。エルネストと同じ馬に同乗はできない。こればかりは生理的に絶対に無理だ。となれば、次はイリヤの馬に乗るしかない。

 だが、こちらはもう愛人関係にあるという事実は知れ渡ってはいるものの、微妙と言えば微妙だった。

 その点、先の皇帝サウルの命令で公式に男妾に迎えたヴァイロンと同乗するのなら、大きな問題にはならないだろうと思ったのだ。

 カイエンとエルネストの夫婦がうまくいっていない、二人それぞれに好き放題にやっている、という噂はもうこの一年で知らぬ者もいないだろう。カイエンは自ら読売りに働きかけて、そう書かせて来たのだ。

「じゃあ……」

 カイエンは言葉を挟もうとしたが、イリヤとジェネロの話はカイエンの思惑通りの方向へは進まなかった。

「ヴァイロンがウラカーンを使わせてくれって言うんなら、あいつは本気だってぇことだな?」

 ジェネロが急に引き締まった顔になってそう言えば、イリヤもさっきの気持ち悪いにまにま笑いを即座に引っ込めた。

「そうなのよ。俺は見たことないけど、ヴァイロンの大将があの馬に乗って本気になれば、ちょっとした矢の雨とか、槍の林とかもなぎ倒しちゃえるんでしょ?」

 カイエンはイリヤの話を聞きながら、血塗られた戦場でのヴァイロンとウラカーンの勇姿を想像しようとしたが、上手くいかなかった。

「ヴァイロンが? どうしてそこまで……」

 カイエンは過剰とも思えるヴァイロンの申し出に、当惑気味にそう言ったが、同じ戦場を駆け抜けていたジェネロにとっては簡単に想像できるものだったらしい。

「……わかった。ヴァイロンはそうするってえと、陛下の馬車の前を進むわけだな」

 イリヤはうなづいた。

「ヴァイロンさんの野生のケダモノ的感覚だと、変な気配をかなりの数で感じるんだって。別に一人一人は強くなさそうだし、連携を取って動いているようにも思えないんだけど、複数のグループが違った意思で動いている感じがするんだってさ。ま、俺もこの仕事長いからなんとなくそれには同感なのよ」

 イリヤはそこまで言うと、ちょっと首を傾げた。確たる自信があるわけではないが、大いにきな臭さを感じる、と言いたいのだろう。

「ヴァイロンさんが言うには、近衛には儀礼用の装飾のある大槍があるんだって? で、それを持って、陛下の馬車の前を先導するって。盾も持てれば盤石なんだけど、さすがにご婚礼のパレードでそれは……って言ってたわ。本来ならザラ大将軍閣下のお仕事だけど、大将軍とジェネロ将軍には、ヴァイロンさんの一つ前を行って欲しいってさぁ。近衛やフィエロアルマの制服じゃないから、続いて行くのは変だと言えば変だけど、ヴァイロンさんが元は将軍なのはみーんな知ってるしね」

 戦場を知らないカイエンには想像もつかなかったが、ヴァイロンがウラカーンに乗って、大槍を持っていれば、飛んでくる矢だのなんだのは大抵防げるということなのだろう。

「ふむ、承知した。では、大公殿下には去年から自ら好んでお被りになっている、正式な夫なんぞ屁でもない、という色好みで豪毅な女大公殿下を演じていただくということですな」

 ザラ大将軍はそう言うと、さっさと自分は外で待っている部下の近衛の兵士たちの方へ歩いて言ってしまう。

 こうなるとカイエンは、さあ決まったからには一緒にいらっしゃいとばかりに、カイエンの杖をついていない方の右側に自分の腕を差し出して来たイリヤの腕を取るしかなかった。

 エルネストが恨みがましい目で見ているのは感じていたが、だからと言ってイリヤよりもエルネストの腕を取る気にはならなかった。……それが出来ればそれに越したことはないことを、千も万も理解しつつも。

「じゃあ、ヴァイロンが来たら、陛下のところへ準備が整ったとお伝えしてくれ」

 カイエンは目を白黒させている皇宮の侍従にそう言いつけると、なんだか喉が渇いたので、他の侍従に飲み物を頼んだ。

「えらいことになった……」

 カイエンは力なくそう呟いたが、彼女の周りの猛者たちはもう自分の仕事に取り掛かっていた。


      

 同じ頃。

 オドザヤはトリスタンに向き合っていた。

 パレードまでの控え室。

 オドザヤやトリスタンの仕度はもう済んでいたが、まだ時間があったので、彼女は自ら言ってトリスタンと二人だけにしてもらったのだ。

「本当に、あの花火のことは知らないのね」

 オドザヤがそう聞くと、トリスタンは黙ってうなずいた。

「今頃は、治安維持部隊がザイオンの公邸に入っているわ。嘘をついても誤魔化せないわよ」

 オドザヤがそう言っても、トリスタンは首を振るだけ。その様子は、「何もかも、自分には関係ない」とでも言っているようだった。結婚式の場に現れてから、彼はオドザヤ以外の人々の見ていないところでは、ずっと人ごとのような顔で黙り込んでいる。

「お兄様のリュシオン王子殿下は本当に恐れ慄いておられましたもの。あの方のお仕事でもなさそうね」

 オドザヤはトリスタンの反応の無さに、少々苛立った声音になったが、トリスタンは表情を消したまま、応じようとはしなかった。

 やがて。

「皇帝陛下、皇配殿下、お時間でございます!」

 控え室の扉が叩かれ、侍従がパレードの時間であると告げに来るまで、オドザヤとトリスタンは睨み合うでもなく、かと言ってそっぽを向くでもなく、その場で向かい合って座っていた。

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