石碑の森は語る


 復興レナシミエントの長い夜が明けるまでは

 王侯も英雄も一度ひとたび殺されれば例外なく

 彼らの骸は真っ黒な穴倉へ放り込まれ

 人々は墓標を作ることもできない

 刑場となった広場で流された血は洗い流され

 読売りの記者達の記事は検閲され

 人々の行為は正しく記録されることもない


 だが、時代が変わり

 生き残り、長い夜を越えて朝日に照らされた街に

 そこにまだ立っていることが出来た市民たちが残れば

 あの

 忘れ去られた人々の名前も蘇る

 例えば生き残り、主人あるじの屍を掘り起こした者が

 朝日の照らす街へ帰る

 そして

 彼がずっと思い起こしては懐かしんだ街に

 男の骨は埋められる

 海を港を臨む丘の上

 そこにあの時代を共に行きた者達の

 墓標と並べて葬られる


 生き抜いて新時代を呼び込み、命をまっとうした者

 古い時代を終わらせるため、処刑台の露と消えた者

 新しい時代を目の前に最後の犠牲となった者

 遠い遠い戦場でその街を想いながら戦死した者

 それら並ぶ墓標を守護するのは

 彼らを見送り、まだ行きた姿で残った者だ

 流れ去った時代を

 疾り抜けて行った人々の記憶を

 彼らは胸に穿ち、人であることをやめる


 そしてまたいくつもの時代が過ぎて

 原始の原野を

 もう何も覚えていない彼らだけが

 変わらず駆け抜けていく

 彼らがふり仰ぐ空には

 もうあの時、見慣れた星空はない

 そこにあるのはただの永遠

 途切れることのない自然

 消えることのない存在

 もはや意味を成さぬ時間


 たまに五感を揺るがせるのは

 わずかに残る、愛しいものの匂いだけ

 鼻の奥で切なく香る

 涙のような甘くて苦いかすかな痛みだけ

 その匂いがつれてくる

 まだここに時が流れていた頃の残り香だけ




    アル・アアシャー 「幻視」より「未開の原野を駆け抜ける獣」







 大公宮の奥、カイエンの書斎で急遽開かれることとなった、エルネストへの非公式な査問会。

 そこで、

「ここまで話して、だんまりか。そもそも、イリヤが言っていたが、螺旋帝国の皇帝は、どうしてそこまでして、ホヤ・デ・セレンを狙っているんだ?」

 というカイエンの問いに答えた、エルネストの言葉はかなり意外なものだった。

 エルネストはかなり長い間、この言葉を口から出していいものか、と煩悶していたようだったのだが、覚悟を決めたらしい。

「それは……螺旋帝国清王朝『青』の皇帝、ヒョウ 革偉カクイが、ホヤ・デ・セレンに関心を持っているのは、やつが前王朝『冬』を滅ぼした時に使った革命の理論が、元々はシイナドラドから盗み出されたものだったからだ」

 彼が喉から絞り出すような声で言った、その言葉を聞くと、そこに集った中で、幾人かの目がきらりと光った。

 書斎の大きな机の向こうに、カイエンと共に居並んで座っている男達。

 そこにいたのは、宰相のサヴォナローラ、元帥大将軍のエミリオ・ザラ、そして大公軍団の、イリヤ、双子のマリオとヘスス、それにヴァイロンと最高顧問のマテオ・ソーサ。それにカイエンのシイナドラド行きに同行した、無位無官の男、ガラ。それに、カイエンを入れた九人だ。

 そして、机を挟んで反対側に置かれた椅子に並んで腰掛けさせられている、シイナドラド 第二皇子のエルネストと、在ハーマポスタール外交官のニコラス・ガルダメス伯爵の二人。エルネストの後ろには影のように侍従のヘルマンが控えていた。

 先ほど、茶と珈琲の準備の出来たワゴンを押して、執事のアキノが部屋に入ったが、茶の用意を済ませると、さっさと出て行ってしまっている。

 アキノやカイエンの護衛のシーヴは、この書斎の外で部屋の周りに誰も近付かないよう、見張っているはずだ。

「……盗み出された?」

 カイエンがそう聞くと、エルネストはこくんとうなずいた。

「あんたのその顔に傷を付けた、あの馬鹿なドン・フィルマメント・デ・ロサリオ……夏の侯爵マルケス・デ・エスティオのことは覚えているだろう」

 エルネストがそう言うと、カイエンと、それにガラがああ、とばかりにうなずいた。

「あいつは、まあ、これももう半分ばれているだろうから言っとくが、多分、そこの宰相閣下と、狼男の遠い親戚なんだろう。同じ目の色、髪の色だからな。髪の色はともかく、その真っ青な目はちょっと他にはないだろう。あいつはシイナドラドでも特殊な位置にいる一族なんだ」

 そう言うと、エルネストは自分やガルダメスと、彼らの後ろに控える侍従のヘルマンの三人を、手でくるりと取り囲むようにして示した。

「シイナドラドの住民は、さっきも言った通り、俺やガルダメスのような皇王一族の血族と、このヘルマンみたいなザイオン系の民族に別れるんだ。そんな国で、やつの一族だけが灰色の髪に、真っ青な瞳を持った別の一族なんだ」

「……こちらの宰相様や、弟さんはかなり前にシイナドラドから別れたロサリオ家の末裔なんでしょうな」

 こう捕捉したのは、もう落ち着いた顔になっている、ニコラス・ガルダメスだ。

「まあ、そっちはいい。その夏の侯爵マルケス・デ・エスティオの領地はシイナドラドの西側のネファールに近いラ・ユニオンなんだが、そこへ、二十数年前に迷い込んできた、螺旋帝国人の女旅人がいたんだそうだ」

 螺旋帝国の女旅人。

「あっ!」

 そこでもう気が付いて、声をあげたのはカイエンとサヴォナローラだった。

 あの時、まだ先帝のサウルが健在だったあの時、皇帝の謁見の間に呼び出され、やってきた螺旋帝国の外交官、シュ 路陽ロヨウと、副官の夏侯カコウ 天予テンヨ

 あの時、佩玉を持って螺旋帝国との間を往来したと言う、副官の夏侯 天予が最後に話した話。 

 そこに出てきた、彼の母親。

 子供の頃は女だてらに学者になると言って勉学に励み、大きくなってそれが無理だと知るなり家を飛び出して諸国行脚を始めたと言う女傑。 

 その名前は……確か、シュウ 暁敏ギョウビンと言ったはずだ。

(国ではまあまあ有名な詩人です。女流詩人というやつです。で、普通にお話致しますとちょっと話は長くなりますが、そこを短く言いますと、その母が今の皇帝、ヒョウ 革偉カクイのまあ、なんですか一種の師匠筋に当たるのでございます)

 夏侯 天予は、そう言っていた。 

(母によれば、私の父の名は、ドン=フィルマメント・デ・ロサリオと申したそうです)

 そんなことも言っていたはずだ。

(私もどうやって入ったのか、その詳細は知りません。さすがに本にも書けなかったようです。鎖国中の国、というのでなんとしても入ってみたくなったそうで。……無鉄砲というより、蛮勇でありましょう。そこでまあ、とっ捕まって出会ったのが父だったそうで、しばらく父のところに匿われている間に私が出来たと、そういうことだそうです)

 とも。

 ならば。

 ザラ大将軍やマテオ・ソーサはこの話はもう知っている。だから、彼らの顔には、緊張の中に面白そうな様子が見えた。謎が一つ解けていきそうなのを期待してやまない、とでも言うように。

 一方で、イリヤ以下の大公軍団の幹部は知らないから、興味津々の顔つきだ。

 カイエンとサヴォナローラの様子を見て、エルネストはちょっと不思議そうな顔になった。彼は、カイエン達が螺旋帝国の外交官達を呼び出して聞き取った話のことは知らないのだ。

「その女、名前は周 暁敏と言うのでは?」

 サヴォナローラがその名前を口に出すと、エルネストとガルダメスは顔を見合わせた。

「なんで、その名前を知っている?」

 エルネストの問いに、カイエンとサヴォナローラは代わり番こに話すようにして、二年前、皇宮へ呼び出されて来た夏侯 天予の語ったことを話すと、エルネストは大きな手の平で額から目のあたりを覆ってしまった。

「なるほどな。ドン=フィルマメントの馬鹿は、鎖国のシイナドラドへ潜入して来たその女に、あっという間に取り込まれて惚れ込んじまったらしい。そっちの話だと螺旋帝国じゃ女流詩人だって話だから、向学心に燃えた女でもあったんだろうよ。それにしても、子供まで産んでいたとはな、恐ろしい女だ」

「その女性が、革命の理論を書いた本かなんかを、国外へ持ち出した、ってわけですか」

 口を挟んだのは、マテオ・ソーサで、その横で悪そうな顔つきをしていたイリヤが、混ぜっ返すように言い足した。

「ははあ。色仕掛けで大切な本を手に入れて、ドロン、ってやつですかぁ」

 イリヤはそこまで言って、ちょっと気になったらしい。

「あれ? でも、さっき言ってたよね、その……ドン=フィルマメント・デ・ロサリオ、さん? その人の領地って首都のホヤ・デ・セレンの近くじゃないんでしょ。そんなうちに、そんな役に立つ貴重そうな本が……なんで?」

「あったと言うのだ。あの、ひいひい言って背中を見せて逃げ出そうとしたような男のもとに」

 イリヤの言葉の最後を引き取ったのは、意外なことにガラだった。そう言えば、彼はシイナドラドでカイエンが味方の元へ走った後、獣化したままの姿でエルネストの右肩に噛み付いて報復したのだ。その時、逃げようとした、夏の侯爵マルケス・デ・エスティオの背中も、思い切り鋭い爪で引っ掻いてやっていた。

 エルネストにとっては、この屈辱の記憶はもうきれいに消化されてしまったことのようで、自分のことよりも、夏の侯爵マルケス・デ・エスティオの醜態の方を面白く思い出したらしい。

「そうそう、そんなことがあったな。……あったんだよ。あの情けない小悪党の男の家の図書室に、そんな大変な書物がな。もっとも、侯爵本人はその本の内容の重要性になんか、てーんで気が付いてもいなかった。ただ、古い曰く付きの本だったから、盗まれてみて初めて不安になったんだってよ。それで大騒ぎになったのが、二十数年前。そして、螺旋帝国で革命が起きたのが、数年前のこと。まあ、間違いなく、馮 革偉は彼の師匠筋であるとかいう、周 暁敏の持ち帰った革命理論の本を読み、実際にそれを実行してのけたってことなんだろうな」

 エルネストがそこまで言うと、カイエン達は話の壮大さに、毒気を抜かれた思いでぼうっとなってしまった。

 一番年長のザラ大将軍でさえ、口を挟むことも出来ずに黙り込んでいる。

 やがて沈黙を破ったのは、ここに集まった中で一人だけ正しく学究の徒である、大公軍団最高顧問マテオ・ソーサの声だった。

「ところで皇子殿下。そもそもなんで、革命の理論が書かれた書物なんてものが、シイナドラドにあったんです?」

 その問いはもっともなものだったが、エルネストは指先を複雑に組み合わせながら、ちょっと考えているようだった。

「そういう知識自体が、シイナドラドにあった理由は俺も知らねえ。だが、どのようにして今まで伝わって来たのかは説明できる。……シイナドラドは古い国だ。恐らくは国として成立したのは、このパナメリゴ大陸で最初なんだろう。ああ、宰相さんよ、アストロナータ神官のあんたはよく知っているだろう。シイナドラドの建国神話さ」

「天来神アストロナータが、『外世界』から追放されてこの地にたどり着き、天まで届く山を崩し、海を埋め立てて陸を創った、というあれですか」

 サヴォナローラがエルネストの話の行く先を推し量ろうとするように、エルネストのたった一つの黒い目を睨みつけるように見ながら言う。

「そうそう。その後、アストロナータが最初の神殿を建て、住み着いたのがシイナドラドだ。それもホヤ・デ・セレンだと言われている。そこでアストロナータ神は彼が外世界から持って来た、すべての叡智を石版や石碑に著し、パナメリゴ大陸のあちこちに『飛ばした』と言われているよな?」

 エルネストの方はもう、この非公式な査問会に引っ張り出された時点で覚悟は決まっていたようで、気楽なものだ。

 このエルネストの話を聞いた時、カイエンとヴァイロン、それにザラ大将軍とイリヤは同じものを想起していたが、四人とも黙っていた。今は、シイナドラドのことだ、と皆が皆思っていたのである。

 四人が想起したものとは、あのプエブロ・デ・ロス・フィエロスにある、獣人の石碑のことだった。イリヤは子供の頃に実物を見たことがあったし、母親が村の出身であるザラ大将軍は母親から聞いたことがあった。そして、カイエンとヴァイロンもアキノやザラ大将軍から前に聞いたことがあったのだ。

「そうでしたね。それで?」

 うながしたサヴォナローラの声にも感情は入っていない。

「ホヤ・デ・セレンの皇王宮の奥殿に、石碑の森ボスケ・デ・ラピダ、という場所がある。かなり広い広場のような場所に、細かい文字の刻まれた石碑が見渡すばかりに立ち並んでいるんだ。今は、石碑の摩耗を防ぐため、周囲に屋根と囲いが作られている。件の革命理論の本ってのは、ここの碑文のいくつかから読み取られ、写されたものなんだ」

 エルネストはどうだ、理解できるか、と言うようにカイエン達の顔を見回した。

「おいおい、もうちょっと有り難がれよ。石碑の森ボスケ・デ・ラピダの話は今まで、シイナドラドの外へは出たことのない話なんだぜ。なにせ、皇王一族の、それまた一部の者しか入れない場所だから。カイエンがシイナドラドへ来た時には、見せるべきか否か、血族の中で決が取られた。結果、見せないで帰すことになった。星教皇といえども、カイエンはハウヤ帝国の人間なのだから、と言うんだな。まあ、拉致して無理やり星教皇になんぞならせといて、勝手な話さ」

 カイエンは複雑な気持ちでこのエルネストの言葉を聞いた。

 そして、頭の中で数え切れないほどの古い石碑が、森の木のように並ぶ様を想像しようとした。だが、それはあまり上手くいったとは言えなかった。

 ただ、それだけの碑文に書かれた古代の叡智とはどんなものなのか、その「価値」だけはしっかりと理解出来た。その叡智の一つは革命の理論とやらで、それは螺旋帝国の馮 革偉によって見事に実地に行われて成果を出しているのだから。

 そこまで考えて、カイエンはふと、思いついた。

「待て、エルネスト。その、石碑の森ボスケ・デ・ラピダの石碑の文字は……アンティグア文字なのか、それとも……」

 カイエンの言いたいことは、螺旋文字の出来るサヴォナローラやマテオ・ソーサにはすぐに分かったらしい。カイエンにも、彼らにとっても、言葉はともかく文字というのは一つではないのだ。

「そうだ! さすがは殿下、鋭いですな。皇子殿下、その古代の碑の文字は……それはちゃんと読めたんでしょう? だから、本の形に直されて、夏の侯爵マルケス・デ・エスティオの城の図書室にあったわけなんですから」

 そう言ったのは、マテオ・ソーサで、彼の顔は興奮のあまり、普段の痩せて不健康な学者面が紅潮して見えるほどだった。

「ふふふ。カイエンもおっさんも、鋭いところを突いてくるじゃねえか。……じゃあ、教えてやろう。石碑の文字は、アンティグア文字と螺旋文字、それにいくつか……もう、誰も読むことの出来ない、他のいくつかの種類の文字で掘られているんだよ」

「では、古代にはアンティグア語以外の言語が存在した、ということですな!」

 マテオ・ソーサが興奮を無理やり抑えたような声でそう言うと、カイエンとサヴォナローラだけでなく、その場にいたすべての人間にも、さすがにエルネストの話していることの重要性が分からないわけにはいかなかった。 

「この、石碑の森ボスケ・デ・ラピダの碑文の写しの一部が、皇王宮の図書館に書物の形で保存されている。革命の理論も、その中の一冊だった」

「それでは、革命の書物は元々は皇王宮にあったわけですね。なのに、それがどうして夏の侯爵マルケス・デ・エスティオの家の図書室に?」

 サヴォナローラは決して誤魔化されないぞ、という目でエルネストを睨めつけた。

「ああ、ああ。慌てなさんな。あのな、シイナドラド皇王家といえば、千年単位で存続していた家だ。歴代の皇王の中にゃあ、ちょっと愚かな皇王様もいたさ」

「ああ……文化や知識の価値がわからぬ方もおられたということですか」

 サヴォナローラの声は冷たい。でも、その声音は古の愚かな人々を馬鹿にしたようではなかった。このところの宰相としてのおのれの仕事の拙さを思えば、他人のしたことをどうこう言うよりも先にしなければならないのは、自分の心配、とでも思っているのだろう。

「その通りだ。いつの時代かはわからないが、夏の侯爵マルケス・デ・エスティオの一族が、どこかからかシイナドラドへ入って来た後なんだろう。何かの褒美かなんかでその書物が、ロサリオ侯爵家に下賜されたということらしいな。本当に暗愚な皇王がいたもんだぜ」

 ここまで話すと、エルネストは座っている椅子の背中に体重を預け、ちょっと茫然とした顔になった。侍従のヘルマンがもう冷めた紅茶をエルネストの前に差し出すと、彼はカップから一口飲んだ。

「これで分かっただろう? 螺旋帝国の皇帝は、ホヤ・デ・セレンの皇王宮の奥にある、石碑の森ボスケ・デ・ラピダから抽出された知識を記した書物が眠る、宮殿の図書館を狙っているんだ。これは俺たち……皇王おやじやなんかの推測だが、やつはシイナドラドから持ち出された理論をもとに、革命を成し遂げたものの、その先の政治についての方策には自信がないんじゃねえか、と思うんだ。だから、手っ取り早く皇王宮を家捜しして、お次の方策が記された書物を見つけて、盗もうとしてるんじゃねえかと。困ったもんだ。最初が剽窃ひょうせつだと、次が続かねえんだな。……反政府組織に金や兵器を援助し、革命の方策をも伝授して、ホヤ・デ・セレン目指して進軍させているんだから、狙いはまさしくそれしかないだろ」

 エルネストがそう言うと、すぐにそれまで黙っていたザラ大将軍が口を開いた。

「なるほど。よく分かりましたぞ。それで、お国の皇王宮の図書館には、革命を成し遂げたその後々の方策、政治の形態や国体を維持するための……軍備のあり方などを記した書物もあるのですかな?」

 軍人であるザラ大将軍には、政治はもちろんとして軍隊のあり方なども気になるのだろう。話をもう済んだところで終わらせず、先へ目を向けて行くところはさすがだった。

「さすがに抜け目がねえな。……あるよ。だが、こっちは失敗例の記述が多いんだ。と言うか、成功にたどり着くまでにはまだまだいくつもの段階があるみたいなんだと」

 今度、目を光らせたのは、宰相のサヴォナローラの方だ。

「成功、ですか。それは何をもって成功とするかによりますね。そもそも、革命などという概念を持ち出さなかったら、馮 革偉は螺旋帝国の新しい皇帝になれなかったということでしょう? 私はずっと疑問に思って来たのです。馮 革偉は反乱軍などの名前を冠した軍隊を使わなかった。王でもなく、将軍でもない、一介の文人が、民に支持されて皇帝になった、と聞いています。つまりは彼は広い螺旋帝国の民意を統一し、それを自分の上に集約した。その過程で旧王朝の軍隊までもが彼の下に降った。だから、反乱軍を組織して武力衝突の末に旧王朝を倒すまでの長い時間の手間が省けた。武力衝突がまったくなかったかどうかは怪しいものですが……」

「それでも、庶民の犠牲は最小限に抑えた。かかった時間も最短で済ませた。だから、この西側へ伝わって来た話では、『民衆に支持されて皇帝となった』という話になっているのでしょうな。今までの易姓とは違っている、と誰も彼もが感じたというわけだ」

 サヴォナローラの話の後半を引き継いだ、ザラ大将軍は遠くを見つめるような目になった。

「宰相殿の言う通り、何をして成功したと判断するか、ということですなあ。この判断は難しい。皇帝自らが判断するのか、はたまた彼を支持した民衆が判断するのか、それとも後の世が判断するのか」

 聞いているカイエンはともかく、ヴァイロン、それにイリヤや双子あたりは、そもそも政治など彼らの仕事には直接関係ないことだったので、逆に気楽に聞いているようだった。

「兄者、前に、螺旋帝国から王朝交代の知らせが来た時、俺に言っていたな。……三百年と決まったものではないが、面白いことに螺旋帝国の王朝はだいたい三百年前後で交替してきていると。そして、その三百という数字は、実はこの大陸の西側の国々にもなんとなく当てはまっていると。ああ、シイナドラドは例外なのだろうが」

 だから、ガラがこう言うと、皆がまた彼の方をギクリとしたように見た。今までの話の流れからして、誰もが気が付かずにはいられなかったからだ。このハウヤ帝国も、始祖サルヴァドール大帝の建国から、三百年あまり経つということに。

「確かに、私はそう言ったね」

 サヴォナローラはその真っ青な目を、体の大きい弟の同じ色の瞳に据えた。弟もまた、目をそらそうとはしなかった。

「ならば、民衆は三百年くらいで飽きてしまうのではないか。どんな王朝も、その建国の時には民衆の支持があったはずだ。それが皆、三百年ほどの単位で入れ替わって来たとあれば、成功というものは永遠に続くものなどではないのだ」

 ガラがそう言い切ると、彼の隣からぱちぱちぱち、と手を叩く音が聞こえて来た。皆がそっちを見るまでもない。

 そこで真面目な顔で拍手をしていた、小柄で貧相な男が椅子から、よっこらせ、と立ち上がるのを、他の十一人の目が見ていた。

「素晴らしい! まさしくガラ君の言う通りなんでしょうな。変革は民衆の不満が貯まれば必ず起こる。今回の馮 革偉の方法……シイナドラドの古い石碑から得た方法でなくとも、今度のかの国の革命は、近い未来に自然と巻き起こったはずの事件なのでしょう。だが、馮 革偉は自分の成し遂げたことを、今までにはなかった革新的な事象と捉えている。それゆえにこの先、方法を間違えずに革命の理論とやらにのっとった支配を進めれば、自分の王朝だけは滅びないと思っているのかもしれません。なるほど、そう考えれば、桔梗星団派が螺旋帝国で何をしているのかも、何とはなしに見えてくるようです」

「あっ」

 カイエンは六年前に自分の死を偽り、彼女の家庭教師だった頼 國仁を案内人にして、螺旋帝国へ行ったというアルウィンとグスマンたちの足取りを思った。そして、シイナドラドで彼女を星教皇にするために動いていたことも。

 アルウィンが螺旋帝国へ赴いたのは、頼 國仁から、シイナドラドから持ち出した革命の理論をもって新皇帝を立てようとしていることを聞きつけ、それが成功するか否かを確かめに行ったのだ。そして、シイナドラドへ潜入した真の目的は、恐らく、皇王宮の奥にあるという石碑の森ボスケ・デ・ラピダに、次なる時代の指南がないか、見に行ったのではないか。

「エルネスト!」

 カイエンは、机をぶち抜きそうな勢いでその上に両手をつき、立ち上がっていた。

「あいつには見せたのか。あの、チェマリの野郎には、私には見せなかったその石碑の森ボスケ・デ・ラピダとかいう場所を、おまえらは見せてしまったのか!?」

 カイエンの声は血を吐くような激情に燃えていた。だから、周りを取り囲んだ男たちの誰も、彼女の真意は分からずとも口を挟むことなどできなかった。

「は、は、は」

 だが、エルネストの方は落ち着いていた。

「あー、そうか。さっき俺はちゃんと気をつけて言ったんだけどな。まあ、ちょいとややこしい話だった。……安心しな。さっき俺は、『馮 革偉はホヤ・デ・セレンの皇王宮の奥にある、石碑の森ボスケ・デ・ラピダから抽出された知識を記した書物が眠る、宮殿のを狙っているんだ』って言ったはずだぜ。螺旋帝国の新皇帝も、あの人アルウィンも、石碑の森ボスケ・デ・ラピダのことは全然、知らねえはずだ。俺たちもあの人アルウィンを、皇王宮の表にある図書館には案内したが、奥の奥の奥殿にある、石碑の森ボスケ・デ・ラピダへは案内していない。あれは、本当にシイナドラド皇王家の最高機密のひとつなんだ。同じ祖先を共有する者とはいえ、簡単に見せられるようなもんじゃないよ」

「そうか……それはよかった」

 カイエンは気が抜けたように椅子に戻るしかなかった。

 だが、そこで急に気になって来たのは、イリヤから聞いた、「ホヤ・デ・セレンの封鎖」という話の方だった。

 エルネストの方も、同じ思考過程を辿ったらしい。

「今度は、ホヤ・デ・セレンの封鎖の方が聞きたいんだろう? こっちは具体的な方法はまだちょっと話せねえ。どっかから漏れると実現が危うくなるからな。まあ、もうとっくに準備は出来ているから、実現までの時間稼ぎでしかないんだが。カイエン、あんたは星教皇の即位の時に、あそこの地下宮殿を見ただろう。あそこと石碑の森ボスケ・デ・ラピダは近いんだ。だが、図書館のある政務を司っている表の宮殿は、あそことはかなり離れている。皇王おやじたちは、最終的には図書館のある、皇王宮の表の宮殿は火をかけて葬っちまう腹なんだ」

 石碑の森ボスケ・デ・ラピダのことを知らぬ、反乱軍を操る螺旋帝国の尖兵が目指すのは、宮殿の図書館だ。そこは彼らの目の前で火に包まれるということなのだろう。

 カイエンたちはもう、黙って、エルネストの唇の動きだけを追うだけだった。

「封鎖は段階的に行われる。まずは皇都の周辺の外堀からだ。次に俺たち血族の貴族どもの住む、内堀の中。そして、いくつかの段階を経て、最後は皇王宮の奥殿を隔離する。だから、言っただろ。皇王おやじたちはしばらくは安泰。で、俺たちはもう、彼らに会うことは出来ねえんだって」

 カイエンも、サヴォナローラも、エミリオ・ザラも、マテオ・ソーサも、あえて口にするのは控えた。

 エルネストの言ったとおりにことが進めば、シイナドラドは、千年以上も続くこのパナメリゴ大陸最古の国は、滅んだも同然になってしまうのだ。つまりは、それほどに石碑の森ボスケ・デ・ラピダの秘密とは、外の世界には出すことの出来ない、彼らにとっては特別な遺産なのだろう。

「……滅びない国なんかねえよ。シイナドラドだってこれでなくなると決まったわけじゃねえ」

 黙り込んでしまったハウヤ帝国の人々の方を、逆に慰めるように見たエルネストの、最後に呟いた言葉が聞こえたのは、恐らくは彼のたった一人の侍従であるヘルマンと、そして真横に硬い顔で座っていた、ニコラス・ガルダメスだけだっただろう。

 いや、もしかしたら、普通の人間よりもはるかに鋭い聴覚を持つ、ヴァイロンとガラの二人にだけは聞こえていたかもしれない。

「……流れ去った時代を、疾り抜けて行った人々の記憶を、彼らは胸に穿ち、人であることをやめる」

「その後に、再び蘇り、彼らを人に戻すのが俺たちの使命だ」

 この大地に、幾度でも。

 我らは人をこの地に呼び戻す。

 それを操るのが、俺たちだ。それが俺たちの使命だ。






 一方で。


 オドザヤの周りでは、奇妙な秘密の計画が粛々と進行中だった。

 それは、大公のカイエン以下、ほとんどの子爵以上の上位貴族たちが招かれていた、ザイオン外交官官邸での、トリスタン王子のお披露目の宴への、秘密の準備だった。

 このハウヤ帝国の頂点に立つ、皇帝のオドザヤにはザイオン外交官官邸での「仮面舞踏会マスカラーダ」への招待はない。そんな招待は、身分をわきまえない不敬というものだったからだ。

 だが、すでにトリスタンの艶姿に心奪われ、侍女のカルメラに疲労回復と言われて勧められた怪しげな薬の作用で、正常な判断力を失いつつあるオドザヤには、招待の有る無しなど、もうどうでもいいことになっていた。

「陛下。ご招待の皆様には、決まった衣装の決まりごとがあるそうですの」

 カルメラがそう言えば、オドザヤの頭にはもう、当日に着ていくドレスと扮装のことしかなかった。

 そんな状態で、昼間は宰相のサヴォナローラや大将軍のエミリオ・ザラと共に政務に当たっていたのだ。なのに、宰相のサヴォナローラも、エミリオ・ザラも、このことに気付いてはいなかった。

 その時、彼らはエルネストの暴露した、シイナドラドの最高機密のことで頭が一杯だったのだ。だから多少、オドザヤの返答がおざなりだったとしても、彼はそれにあえて目を止めることはしなかった。

 皮肉なことだが、これは皇帝がカイエンだったら避けられたことだったかもしれない。

 体の表面上の美醜では、まあ、好み好き好きはあっただろうが、オドザヤの方がカイエンより人目を引く美しさを持っていただろう。だが、サヴォナローラにとっても、そして恐らくはエミリオ・ザラにとっても、オドザヤはカイエンに対するほどには、注意や関心を引く存在ではなかったのだ。

 それはもちろん、当の大公のカイエンにも当てはまった。カイエンはオドザヤを、自分よりもよほどしっかりした娘であると、間違いなど起こすはずもない、おのれをしっかりと持った、それでいて無垢で清廉潔白な娘だと思い込んでしまっていたのだ。

 つまりは、宰相も大将軍も、そして大公も、彼らはオドザヤの私生活にまで立ち入ろうとはしていなかった。そこには、皇帝オドザヤの女官長である、コンスタンサ・アンヘレスへの信頼もあった。

 だがこのことは、オドザヤや……彼女を陥れようとしている女どもにも好都合極まりないことだった。

「決まりごと? それはなんなの」

 カルメラに問いかけるオドザヤの声は、甘ったるい。この頃、その肢体から香る甘い香りと同じように、オドザヤの言葉も態度も、体の動かし方も、そのすべてが甘酸っぱくて官能的で、隙だらけのものに変わってしまっていた。

 その影には、オドザヤのもっとも近くに侍る、早熟で周到なカルメラの仕込みのあれこれがあったのだが、それはここで明らかにするのもはばかられるようなことだった。

「あら、昨日も申しましたのに。……あの、お衣装のお色ですわ。指定されましたお色は、ただ一色。男女ともお衣装は黒一色で誂えるように、と。ですが、お披露目の目出度い催しですから、各人、差し色を一色だけ許す、とのことなんですわ」

 そう言われると、ぼんやりと霞んだオドザヤの頭にも、昨日聞かされたことが蘇ってきたようだ。

「ああ。そうだったわね。嫌な私。そんな大切なことを忘れてしまうなんて。それで、私の色は何色にしたんでしたっけ?」

 カルメラはぱあっと明るい笑顔を浮かべて、オドザヤの背後に回った。

「あらいやだ。陛下はもうお忘れですか。陛下の差し色と申しましたら、もう決まっております。何よりも誰よりもお美しく仕上げなくては。私どもの能力が試される時なのですもの」

 オドザヤは力のない、琥珀色の目を宙に彷徨わせた。

「私の色?」

 自分の色なんてあっただろうか。

 オドザヤがその時、思い浮かべたのは、まずは母のアイーシャだった。

 薔薇色。

 真紅から、濃い桃色、オレンジから黄色、咲き初めの白薔薇の色、そして彼女の髪や目の色である黄金の色まで。そして、実在しない物の象徴である、鮮やかな青い薔薇まで。アイーシャの色ははっきりした純色だった。

 そして、父のサウル。

 彼の色は自然の色。

 淡いベージュから、辛子色に枯葉色、濃い栗色から焦げ茶色。葡萄色から臙脂色。そして、彼の髪の色の漆黒。そして目の色の灰色へと色は還元していたっけ。

 カイエンの色。それは青みがかった暁と夕暮れの色。

 淡い銀鼠色から、空色、鈍い紫、ラベンダー色を通って、青紫、濃い重厚な紫から、赤紫、そして黒へ。

 叔母のミルドラ。

 鮮やかな若草色、そして夏の緑。濃い青緑から、緑、深い深い深緑から、黒へ至るグラデーション。

 みんな、確固とした自分を持っていた。

 それに対してこの自分は。

 オドザヤはその場に膝を折ってうずくまりたくなった。

 ああ、自分には確固たる色さえない。

 濃淡こもごもな薔薇色は母のアイーシャから、鮮やかな青もまた彼女の色だった。

 鈍色は父のサウル。

 青紫から赤紫までの色味は、姉で従姉妹のカイエン。

 黄色みの強い緑から、濃い深緑までは叔母のミルドラ。

「ああ、でも、青が残っているわ」

 お母様にちょっと、黄金と、真夏の空の色を奪われてはしまったけれど。

 空色から、真っ青、紺色、藍色、そのあたりの色味は奪われてはいない。

 オドザヤは、微笑みながら、カルメラに命じている自分の声を聞いていた。


「青よ」


 オドザヤが強い声音でそう言うと、さしものカルメラが、ぶるりと身を震わせて振り向いた。

「カルメラ。青よ。この国の海の色! それと琥珀色。私の目の色を忘れないで」

 そうよ。

 私にも色はある。

 この体を一層美しく彩るはずの色が。

 オドザヤの目の奥に見えたのは、黄金色の太陽が沈む、真夏の真っ青な西の海の色だった。






 同じ頃。

 こちらはいやいやにザイオン外交官官邸での「仮面舞踏会マスカラーダ」の準備をしていたカイエンは、女中頭のルーサに確認しているところだった。

「あの、ザイオンの大使公邸での宴の服だが……」

 カイエンはエルネストと二人で招待されており、彼ら二人の装いは、この頃帝都で引っ張りだこの、あのノルマ・コントが最優先で承っていた。

「はい。殿下はご指定の黒に……あの、本当にあれを着ていかれますのでしょうか?」

 ルーサの返答を聞くと、カイエンは本当に嫌そうに、肯定した。

「そうだよ。間違いなく、あれを着ていくんだ。……危ないものだな。ちゃんと確認してくれ。今度は向こうが仕掛けてきている、何が起こるかわからん集まりだからな。いつもとは全然違うものを誂えているんだ」

 カイエンはその色の衣装……今回ばかりはその意匠も、常の大公カイエンとは思いもつかぬ雰囲気と色合いで誂えている衣装を、あまり考えないようにしようと思っていた。

「しっかりしてくれ、ルーサ。今回は前に奇術団コンチャイテラに潜入した時よりも、ある意味、もっと大変な変装になるんだぞ。……正直、私はあんな衣装が着こなせるものか、自信がない」

 カイエンがコンチャイテラの芝居小屋に、変装して乗り込んだ時には、真っ赤なドレスに、胸元を思い切り盛って行ったのだった。

 カイエンにそこまで言われて、やっとルーサにも先日の仮縫いの時の様子が思い出されたらしい。

「申し訳ございません、殿下。私がまず、出来ると思わぬことには成るものも成りませんですもの。大丈夫でございます。間違いなく、殿下にはなんのご心配もなく宴に乗り込んで行かれますよう、準備致します」

 オドザヤの方の仕込みも準備坦々であったが、オドザヤの行動など未だ見えていないカイエンの方もまた、「仮面舞踏会マスカラーダ」への仕込みには力が入っていた。

 それはザイオンの、いや、トリスタンの仕掛けて来た、「仮面」舞踏会という、ある意味で身分を偽るに不自由しない危うい設定に対応するためだったのだが、それにしてもややこしいことになるのは避けられないことだった。

「私も役に成り切らねばな。エルネストは大丈夫だろうが、他はどうかな」

 そこまで呟くように行ってから。

 カイエンはもうルーサには聞き取れないほど小さな声で、いや、声にもならない息だけで自分を叱咤したのだった。

「……陛下。陛下がお忍びでいらっしゃるとしたら……。その扮装を見抜けるかどうか……。まさかとは思うが、コンスタンサはありうると言っていたからな」

 カイエンはコンスタンサから、密かな謎かけのような手紙を受け取っていた。

「……ノルマ・コントの作るものに、に間違いはないだろうが……なんだか今度の服は自分達だけでは難しいので、装具師を今度連れてくる、とか言っていたが……どうしてそんな手間が必要なのかな」

 そう呟いた声の方は、あまり自信がない様子だった。

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