黒いカルナヴァル 1


 その日。

 この頃、その斬新で粋な意匠と、丁寧な仕事で、仕立て屋としては帝都有数の存在となっている、ノルマ・コントは、ハーマポスタールの職人街の一角で馬車を降りた。彼女の後ろからは、大きな板状の紙挟みと大きな鞄を持った若い女が続く。これは仕立て屋の弟子なのだろう。

 そこから先は徒歩でやや細い横町へ入っていく。そこへは馬車で入れないこともなかったが、馬車止まりはいくつもなく、出てくるときには引き返さずに、通りの向こうへ抜けていくしかなかった。彼女はそれを嫌ったのだろう。

 それでも、横町の道は石畳で、ハーマポスタールの冬は雨が少ない季節だったから、彼女は着ているドレスの裾をあまり気にせずに進んでいくことができた。

 そこは去年の死者の日ディア・デ・ムエルトスの事件で親衛隊に暴行されて仲間を亡くし、前コンドルアルマ将軍マヌエル・カスティージョの屋敷に殴り込みをかけた、装飾細工職人たちの工房が軒を並べる通りとも、かなり近い場所だった。

「ああ、この通りね。間違いないわ」

 通りの角の建物に、必ず取り付けられている、通りの名前を書いた板を見上げ、ノルマ・コントは通りの角をまがった。ハーマポスタールの通りは、東西はカジェなんとか、南北はアベニーダなんとか、と方向によってカジェとアベニーダを使い分けている。だから、今、自分が街のどちらの方向へ進んでいるのか、分かりやすかった。ちなみに、大通りは、パセオなんとか、という表示となる。 

 ノルマ・コントは帝都でも有数の仕立て屋で、ハーマポスタールの金座に近い一等地に店を構えている。

 今の大公カイエンの前の大公、アルウィン大公の服を一手に手がけるようになったことで帝都でも一流と言われる地盤を築いたと言われている、美貌の仕立て屋だ。すでに四十を過ぎているが、職業柄か十以上も若く見える。

 その日の彼女の様子も、一月の寒空に合う、硬質な藍色に氷色の差し色の粋な装いだった。

「ええと……ガルニカ甲冑・装具工房、っと。ああ、ここだわ」

 通りに面した工房の入り口にかかっている、甲冑の絵と、これは義足をつけた傷痍軍人だろうか……のかなり装飾化された絵の下に、その工房の主人の名前を発見すると、ノルマ・コントはちょっとドレスの裾の方を払ってから、工房の入り口の木の扉をノックした。

 この辺りは甲冑師の工房の集まる通りのようで、同じような看板が並んでいるが、装具師も兼ねているのはここだけのようだ。そもそも、装具師とは事故や戦争で手足を失ったり、動かなくなったりした人たちのために人工の手足などを誂える仕事で、甲冑師とは仕事の内容が違っている。

 まだ一月の末のことだから、工房の入り口はぴったりと閉ざされ、木の板で開閉する窓には、薄い獣の皮が窓ガラスがわりに張られていた。ただ、中に人がいることは工房の中から聞こえてくる音と、煙突から上がる煙で推測できた。

 ハーマポスタールの中心部にある、ノルマ・コントの店にはガラスのはまった窓があるが、この辺りの工房にそんなものはない。それでも、仕事には明かりが必要だったから、この辺りの職人街では天井近くに天窓を持つ家が多かった。

「こんにちは」

 ノルマ・コントは、今日の訪問をあらかじめ知らせてあったのだろう。彼女が扉の取っ手をつかもうとした時には、もう扉は内側から開かれていた。

「いらっしゃい。コントさんですね? お待ちしていました。私が、トスカ・ガルニカです」

 聞こえて来たのは、男のように太い、だがかろうじて「女かな」と思えるような若い声だった。トスカ、というのは女の名前だから間違いないが、甲冑と装具の工房の職人が女とは、変わった工房である。ノルマはもう、工房の職人は女性だと聞いていたので驚かなかったが、普通なら職人の女房だと思ったに違いない。

 扉を開けたのは、職人らしく革の前掛けをした背の高い人物で、頭に巻いた清潔そうな空色の布の下から、あまり長くない銅色の髪の毛が少しだけ覗いていた。一見すると、女だか男だか、ちょっと戸惑うような風貌である。

 ノルマと弟子が扉をくぐると、彼女たちの背後で扉が閉まる。

「はい、仕立て屋のノルマ・コントでございます。急なお話ですみません。最初は私どもの店だけで仕上げられると思っていたのですが、途中で新しいアイディアが浮かびまして。女性服のスカートを膨らませるフープ作りや、金具などを作っていただいている職人さんからご紹介いただきました」

 ノルマ・コントの声と機敏な物腰はきびきびとして、いかにも「職業婦人」といった雰囲気だが、トスカ・ガルニカの方にも鈍重なところは微塵もない。実用的な筋肉のついた太い腕に、太ってはいないがややたくましい体つき。先ほどからノルマが見ているところでは、体の動きはキレがあり、何か武道でもやっているようにも見えた。

 女にしては四角ばった顔に太めの眉、額から太い鼻筋が通っているところを見れば醜女のようだが、人の良さそうな微笑みと、血色のいい頰、それに皮膚のきれいなのがそれを補って余りある風情を醸し出している。

 目の色はトルコ石のような緑がかった明るい青で、それもまた暖かい印象を与えていた。

「ノルマ・コントさんといえば、帝都でも一流の仕立て師とうかがっておりますよ。ええと、早速ですが、あんまり納期まで時間がないってことでしたね」

「はあ。申し訳ないんですが、十日ほどでお願いできたら、と思うんです」

 ノルマ・コントはそこまで言って、やっと気が付いて工房の中を見渡した。急ぎの仕事を頼まねばならないという急いた気持ちから、周りを見るより前に話し始めてしまっていたのだ。 

 表の看板には、「ガルニカ甲冑・装具工房」とあったが、その通りで、工房の壁際には金属や鎖で出来た甲冑の部品が壁に掛けられたり、床から組み立てて置かれたりしている。その中の一角だけがやや様相を異にしていて、そこには木や柔らかい革で作られた、義手義足の類が大きな棚の中に並べられていた。

 ノルマの視線で分かったのか、トスカは聞かれていないのにノルマの疑問に気が付いたらしい。もっとも、この工房の中の甲冑師と装具師の両方の用具の並ぶさまを見た人は、きっと皆、同じ質問をするのだろう。

「先年亡くなった、私の父は甲冑師だったんですけどね。私の母方の祖父が装具師だったんで、私は両方やるようになったんですよ。甲冑の方のお客さんで、戦争で大怪我して退役せざるを得なくなって、今度は装具師の方に御用が出来た、なんて方もいますしね」

「ああ、そうでしたの」

 ノルマ・コントはなるほど、と思いながら、なおも工房の中を珍しげに見回していく。彼女の仕立て屋の工房には、ここのような無骨なものなどはないが、それでも「物を作る場所」としての頑固な主人の思いが宿り、雑多な道具や作りかけの作品の並ぶさまには、共通した真摯な雰囲気がある。 

 工房の窓と、二階までぶち抜きで作られていている天窓のそばが、作業の場らしく、作業用のテーブルや様々な工具などが所狭しと置かれている。

 そこまで視線を巡らせて、ノルマ・コントは工房の暖炉のそばに、彼女には特に見慣れた、大公軍団の黒い制服を見つけて、目を瞬いた。恐ろしいことにそれまで彼女には、その人物の気配がまったく感じられなかったのだ。

「あら、ごめんなさい。先にお客様がいらしていたのですね。申し訳ありません」

 ノルマは暖炉のそばの粗末な木の椅子に座っている、大公軍団の団員らしい姿に慌てて礼をした。すると、黒い制服姿は、慌てたように立ち上がるではないか。

「ああ、いいんですよ。お邪魔なのは私の方なんです。巡回の途中で寄ったところで……」

 そう言いながら立ち上がった姿は、かなりの長身だった。だが、ノルマはその声とのギャップに驚いて、相手の顔を食い入るように見つめてしまった。

「あら!」

 ここの工房の主人も、女にしては大きいが、この黒い大公軍団の制服の人物も柄がかなり大きい。それでいて声は若い女の声だから、ノルマ・コントは驚いたのだ。

 すらりと立ったところを見れば、これは男としても大きい方に入る身長なのではないか。彼女の頭はノルマのそれよりも頭一つ近くも高いところにあった。

 肩までもない、短く切りそろえられた黒い髪。その髪が縁取ってる顔は瓜実顔で、ナイフで切ったような切れ上がった目が螺旋帝国人のようで印象的だ。それでいて眉は太めで、まつげも長い。顔だけ見れば整った、美人の部類に入る顔だ。

「あんたも悪いよ、トリニ! そんな黒い制服着て暗いところに座っててさ。あんたは気配を消してるのが常態なんだから、普通のお方じゃ、全然気がつかないよ! ……ああ、驚かせてすみませんね。これはトリニって言って、私の武道の先生なんですよ」

 トスカが取り成すように言うのを聞きながら、ノルマはトスカに腕を取られるようにして、暖炉のそばの椅子に座らされた。それまで黙って後ろについてきていた、弟子もなんだかびっくりした顔で二人の大きな女たちを見上げてながら、師匠のノルマの後ろの椅子に座り込んだ。

「トリニ・コンドルカンキと申します。治安維持部隊の者です。あの、このトスカが、今日はこれから大公殿下のお服の仕立て人のノルマ・コントさんが来る、って言うんでちょっと興味があって……」

 トリニは……それはまさしく治安維持部隊の女性隊員第一期生で、大公軍団の最高顧問マテオ・ソーサの私塾の教え子で、「黎明新聞アウロラ」記者のホアン・ウゴ・アルヴァラードの幼馴染でもあるトリニに間違いなかった……は、恐縮したように椅子を部屋の隅っこの方へ引いて行って、トスカの後ろに座り直した。

「なあに、私は丁度いいと思ってたんだ。トリニは大公殿下に何度もお会いしていると言ってたし、武道の達人だから、大公殿下の、ええと、お、おみ足の様子も素人よりはよく見ているはずだと思って、話を聞いてたんですよ」

 トスカは「おみ足」などと言う言葉は使い慣れないのだろう。言いにくそうだったが、ノルマはそんなトスカとトリニの様子に好感を持った。職業婦人はお針子や仕立て屋、食べ物屋の女将さんなどでは珍しくないが、女の甲冑師だの、大公軍団の女性隊員だのは珍しい、珍奇と言ってさえいいような存在だ。二人とも女にしてはたくましい様子だが、その言動は気持ちのいいものだった。

「さあさあ、時間がもったいないや。コントさん、仕事の話にしましょう。お手紙じゃ、大きな声じゃ言えないが今度のは大公殿下の特別なお衣装の話、でしたね」

 トスカは、暖炉で湧きっぱなしになっている珈琲の薬缶から、真っ黒な液体を四つの質素な陶器のカップにそそぎいれながら言う。

「ええ、ええ。そうなんですの。ああ、言葉で言うよりも見ていただこうと思って、意匠のスケッチと、大公殿下のお服の寸法なんかは持ってまいりましたのよ」

 そう言うと、ノルマ・コントは弟子に合図して、大きな紙挟みを持って来させた。

「ああ、そいつはあっちで拝見しましょう」

 トスカは工房の自分の仕事台の方を指差した。そして、立って行ってその上の材料屑などを粗布でざざっと一方向へ寄せて、紙を広げる場所を作った。

 そこへノルマの弟子が広げた意匠画を、トスカはしばらく真剣な目で見ていた。トリニは邪魔にならないよう、トスカの後ろから長身を伸び上がらせて覗いている。その意匠画はかなり斬新なものだったので、トリニは目を丸くした。

「ああ。ここのところですか。右足のところですね。なるほど、これは仕立て屋さんの仕事には手に余ることでしょう」

 トスカは意匠画の、銀筆で描かれた線の上を職人らしい、丈夫そうだが繊細な指先でなぞっていく。

「あの、ご存知とは思いますが、大公殿下にはこちらのおみ足が御不自由でいらして……。今度のお衣装は仮面舞踏会のお衣装です。仮面舞踏会は今までにもあちこちの貴族のお家で催されておりますけれど、大抵は仮面でお顔を隠しておられるせいか、お衣装は奇抜なものが好まれますのよ。それで、思いついてこのようにあえて御不自由なおみ足を意匠に取り入れてみたんです。でも、この意匠のために大公殿下のおみ足の動きが制限されては元も子もありません。そこで……」

 ノルマはその部分の意匠を考えていた時、出来うる限りのつてをたどり、貴族の家の図書室から本を借り、なんとか機能的な形を意匠の中に織り込んでみたのだ。だが、専門家の目で見れば、いかにも素人くさく見えるのだろう。

 ノルマはトスカの言葉を聞くと、恥じ入るように顔をうつ向けた。ノルマ・コントは第一線の仕立て屋だった。だからこそ、おのれの技術の足りない部分はしっかりと把握していたし、こうした新しいものを模索する場合に他の専門家の意見を聞くことにも、プライド由来のためらいなどはなかった。そうした仕事への姿勢の真摯さが、彼女を今の地位にまで押し上げたのだ。

「いや、コントさんは単純にこのお衣装のための特徴的な意匠として、こうした形を取り入れてみたんでしょう。それにしては、いい線いってますよ」

 トスカはノルマの引いた線の描く形を、そのまま頭に入れてしまおうとでも言うように紙の上を見つめ続けている。

「これは、材料は何を考えているんです?」

 トスカがそう聞くと、ノルマはすぐにトスカの大柄な体の真横に移動して、図のそれぞれの部分を指差しながら説明し始める。

「表面にエナメル加工した柔らかい革と、強靭な螺旋帝国渡りの絹地に芯を入れたもの、それにあえて真鍮と銀製の金具を組み合わせようと思っておりました」

「なるほどね。さすがに仕立て屋さんだ。革はともかく、芯を入れた絹地ってのは使ったことがなかったですよ。芯は何を?」

 ノルマは弟子に合図して、鞄から螺旋帝国渡りの厚地でハリのある絹地と、これは螺旋帝国のそばの小国が得意としている強靭な植物繊維から作られた厚紙を取り出した。

 それを見るなり、トスカはすぐにそれらに手を伸ばした。

「これは……。ああ、これだから職人は同業者だけでまとまってちゃだめなんだよ。この絹地は厚いですけど、縦横へ引っ張られる力への耐久性はどうなんでしょう? こっちの厚紙も、油を引いたら月単位での使用に耐えるのかな」

 言いながらも、トスカは絹地を縦横に引っ張ってみている。厚紙の方も曲げたり端を折りたたんでみたりして、強靭さを確認しているようだ。

「ハリのある厚地の絹地は縦糸に硬いものを使っておりますので、横糸が切れて縦に裂けることが多いのですが、こちらのものは横糸も強靭です。そして、こちらの厚紙は……今度のお衣装は一夜限りのお衣装でございますから、これを考えました。でも、非常に強い繊維で、これの産地では服に使うこともあるそうです。柿渋を塗って柔らかく加工するのだそうで。そうすると水気にも強くなるそうですの」

 ノルマの返答を聞くと、トスカはしばらくの間黙っていた。彼女の後ろで、トリニが不安そうな様子で彼女の肩をつつくまで、トスカは自分の考えに浸り込んでいたようだ。

「ああ! すみません。なるほど、これはいい。じゃあ、コントさん、大公宮へ言って採寸の日にちを決めてくださいよ。いやあ、面白いなあ。今、他のお客さんに緊急のはないし、明日にでもどうでしょうかねえ?」

「えっ。……あの、大公殿下のお身体の寸法はこちらに……」

 ノルマ・コントはカイエンの体の寸法を書き込んだ帳面をトスカに示した。だが、トスカは首を振った。

「服ならそれでいいでしょう。しかし、今度のこれはそれだけじゃ出来ない。コントさん、これ、私が手がければ、もしかしたら大公殿下はいつもよりも楽に歩くことがお出来になるかもしれません」

「ええっ」

 このトスカの言葉には、ノルマ・コントだけでなく、トリニもまた驚きの声をあげた。

「本当ですか」

 やがて、真顔になったノルマ・コントの口から出てきたのは、こんな言葉だった。

「あなたがこれを手がければ、大公殿下は普段よりもお楽にお歩きになれると言うのですか?」

 ノルマ・コントは前の大公のアルウィンの時代から、まだ子供だった足の悪いカイエンのために服の意匠を様々に考え、選ぶ素材や色味も、カイエンの意を汲みつつも着る者を鮮やかに見せるために考えつくして来た。

 そんな彼女にとって、今、トスカが言った言葉は天啓のように聞こえた。

「やってみなくちゃ、分からないですけどね。それにしても、これを作るんなら、仕立て屋さんの採寸じゃなくて、装具師としての採寸が必要になりますから」

 ノルマ・コントはもう迷わなかった。

「分かりました。この後、すぐにでも大公宮へご連絡致します。明日明後日にでも大公宮へ上がるご準備をしてください」

 そう言うと、もうノルマ・コントは弟子に命じる前に自分で意匠画の大きな紙をたたみ始めていた。

「大丈夫です。皇宮とは違い、大公宮は気さくな雰囲気のところです。身元さえしっかりしておれば、多少の礼儀だのなんだのは後回しでもお許しくださいます。……ですが、職人としての技量の伴わない者の出入りは許されません」

 ノルマ・コントは、最後にトスカ・ガルニカの顔を厳しい顔で見上げてから、急ぎ足で工房を出て行った。

「あなたなら大丈夫ですわ。早ければ今日の夜中でも明日の朝でも、こちらに連絡させていただきますから、もう、採寸のご準備をしていてくださいませ」

 そして、ノルマ・コントと共に、トスカ・ガルニカが大公宮へ上がったのは、そのわずか二日後のことだった。







 そして、二月。

 それは瞬く間に中旬となり、まもなく下旬に入る日となった。

 ザイオン外交官官邸で、ザイオン第三王子トリスタンの大々的なお披露目の仮面舞踏会マスカラーダが催されたのは、まだ寒さの厳しい、だが昼間からいい天気だったある日のことだった。

 一月の下旬に、皇宮からあの監獄島デスティエロから島流しの凶悪犯が脱走していることが公表され、ハーマポスタール市内の各コロニアに、自警団の創設が命じられた。同時に、市民のコロニアを跨いだ夜間の外出が禁止された。帝都ハーマポスタールへ入る街道の検問も強化された。

 それは、当初は読売りが大々的に書き立てたこともあり、市民たちの中に困惑を呼び起こした。だが、大公軍団の治安維持部隊の各署が隊員を出して各コロニアの顔役に話を通し、瞬く間に自警団が組織されると、人々は身近な父や夫、兄や弟が自警団の一員となることで自分たちの置かれている状況を、嫌が応にも理解せざるを得なかった。

 そんな情勢の中での、ザイオン外交官官邸での催しだったが、ザイオンの外交官官邸は貴族の屋敷の建ち並ぶ場所にあったから、市民のほとんどはそこで何が今夜、行われるかなどということは知らないままだった。

 ただ、この催しのあることを聞きつけた、いくつかの新聞社の記者たちは、もう夕方からつてをたどってなんとか確保したザイオン外交官官邸のそばの貴族の家の敷地から、この催しの様子を観察していた。

 貴族の邸宅が並ぶ場所とは言っても、貴族には外面だけは取り繕ってはいても、内情は火の車、という家もあったから、読売りの記者たちはそういう家を狙って、交渉を持ちかけていたのだ。


 カイエンはこの日、とっくに夕日が落ちた頃合いに、大公宮を馬車で出発した。

 招待状にはもっと早い時刻の開催が書かれていたが、こうした催しは身分が高いほどに訪問の時間は遅くするのが習わしだ。

 このハウヤ帝国の皇帝の臣下の第一番といえば、大公なのだから、カイエンと、そして嫌も応もなくくっついてくるエルネストの登場は一番最後にならなければならなかった。

「ああ、気が滅入るなあ」

 仮面舞踏会という派手な催しに招待されたとは思えない、元気のない声でぼやくカイエンへ、この頃ではすっかり開き直った感のあるエルネストが言う。

「元気とやる気を出せよ。あっちは魔物の集団だが、こっちも色々と仕込んだだろ。……まー、あのキンキラ王子は俺に任せとけ。と、言いたいところだが、今夜は仮面舞踏会だ。仮面だの衣装だのを取り替えられたら、困ったことになるよなあ。ま、それはこっちも同じなんだから、どっちもどっちだろ」

 今日のお供は、カイエンの護衛騎士としてシーヴ、そしてエルネストの侍従のヘルマン……が騎馬で馬車の後ろから付いてきているはずだった。招待状に名前があるのはカイエンとエルネストの夫婦だけだが、大貴族ともなれば、御付きなしの行動はありえない。実はサヴォナローラ経由で、このザイオン外交官官邸の見取り図はもう、入手済みだった。

「そう願いたいものだな。私はこの趣味の悪い扮装で、無様な囮の役割だ」

 カイエンはそう言うと、馬車の御者台へ続く窓を開けた。

「皇宮のコンスタンサからの連絡は、外交官官邸の召使いと入れ替わっているはずのナシオやシモンから随時、伝わってくる手筈だな?」

「……心配なのはわかるが、まずは落ち着いて、鷹揚な様子で会場へ入れ。向こうも仕掛けているだろうが、こちらも投入できる人員は、あらゆる方向から潜入させている。こういう催しの警備に完全はない。これは向こうもこっちも承知のことだろう」 

 御者台から聞こえてきたのは、いつでも慌てたことなどない、ガラの声だ。ガラも、官邸に入る前に帝都防衛部隊のサンデュと入れ替わって、邸内に潜入することになっている。

 トリスタンは、明らかに何か仕掛けるつもりでこの宴を開いたのには違いない。

 カイエンが皇帝の女官長であるコンスタンサから受けとった手紙には、遠回しながらこの催しに、オドザヤが忍んで行く危険がある、と書いてあった。そして、情けないことだが、この頃のオドザヤはごく近い侍女たちしか信用しておらず、身の回りの様子なども前とは変わってきている、とも。

 この、コンスタンサの手紙と同じ頃に、大公軍団からオドザヤの警備に派遣している、ルビーとブランカからも、カイエンは同じような内容の報告を受けていた。

 カイエンは宰相のサヴォナローラにも、何度か普段のオドザヤの様子を聞いたのだが、そちらからは特に変わったとは感じていなかった、との返事だった。

 カイエンがルビーたちや、コンスタンサから知った、オドザヤの香水が変わったこと、いつも心ここに在らず、という様子で、目にも力がないこと、護衛の中の一人、リタ・カニャスの様子がおかしいことなどを伝えると、さすがにサヴォナローラもことの重大さに気が付いたようだった。

 その後のコンスタンサやサヴォナローラの調査で、リタ・カニャスは何か弱みを握られて、操られているようであることがわかった。そして、オドザヤの一番近しい侍女、カルメラはとある準男爵家の養女として皇宮へ上がっていること、本当の実家が裕福な商家であることも。

 そして、つい先日、その上に決定的な事実が判明したばかりだった。

 カルメラの実母は、ハーマポスタールの中心街セントロに近い、とある薬物商店の主人の末の妹であるという。そこからカルメラの実家である商家に嫁いでいたのだ。その実母の実家の薬物商とは、過日、ザイオンから来た金髪の中年の宝石商が、帝都防衛部隊のアレクサンドロ達を籠抜けして撒くのに使った、あの薬物商だったのだ。

 そこまで分かれば、あとは芋ずる式で、薬物商の主人には妹だけではなく、姉もいること。その姉も昔、男爵家の養女になってまだアイーシャが大公妃だった頃の大公宮へ上がり、それからアイーシャに付いて皇宮の皇后宮で奉公していたことまでが明らかになった。

 もちろん、その薬物商の姉とは、アイーシャの侍女であるあの、ジョランダ・オスナだったのである。

 カイエンも、サヴォナローラも、オドザヤとは違い、アイーシャが酒に耽溺していたことは知らなかった。それは、先帝のサウルが率先して隠蔽していたことだったからだ。だが、後宮の女官長だったコンスタンサは違った。

 カルメラの伯母の名前を知った時、コンスタンサはすぐにカイエンに長い手紙を書いて寄越した。それが届いたのは、つい昨日のことだったので、カイエンは昨日からもう気が気ではなかったのだ。

(カイエン様をお生みになったのち、精神的に追い込まれていたアイーシャ様に、気晴らしとして飲酒を勧めたのが、ジョランダ・オスナです。皇宮へ皇后として上がられたのちも、ずっとアイーシャ様は憂さ晴らしと称して過度な飲酒を続けておられました。私どもは侍医だけでなく、酒の中毒や薬の中毒が専門の専門医に診せたほうが……と先帝サウル陛下にお勧め致しましたが、サウル様はなぜか、お取り上げにならず……)

 実は、アイーシャの一人娘状態だったオドザヤは、酔い痴れたアイーシャの言動にかなり悩まされていた、ともその手紙には書いてあったのだ。

 そして、カルメラはオドザヤが第一番に信用し、まだ摂政皇太女ではなく、ただの第一皇女だった時から、そばに置いている侍女であると言う。

「なんということか」

 何も知らなかったカイエンも、そしてサヴォナローラも驚いた。そして、疑った。

 皇帝になってから、心休む暇もなかったオドザヤにも、アイーシャと同じように、カルメラによって酒か何かが勧められ、それによってオドザヤの生活や、健康状態、精神状態が前とは変わって来ているのではないのか、と。

 オドザヤの、トリスタンへの淡い恋心も、こうなって来てはカルメラたちに利用されているのだろうということは、簡単に連想できた。女ばかりのオドザヤの宮の中は今や、蜘蛛の巣のようにオドザヤを絡め取ろうとする悪意に満ちている可能性が高いのだ。

 すぐにもオドザヤの側から、カルメラを引き離す必要があった。だが、今のオドザヤがそれを受け入れるだろうか。オドザヤは皇帝なのだ。ということは、たった十九の娘は、宰相も女官長も首にして遠ざける力があるということだった。カイエンが意見すれば、オドザヤとカイエンの間に隙ができることも大いに考えられた。

 カイエンはすぐに薬物商に治安維持部隊の隊員の見張りを付けた。そこはすでにアレクサンドロからの報告で、捜査対象には入っていた。だが、すぐに乗り込んで主人にことの次第を尋問するには証拠がなさ過ぎた。

 ザイオンの宝石商人が、トリスタン王子の父親、シリル・ダヴィッド子爵であるという確たる証拠はない。そのままに、彼には薬物商で籠抜けされてしまった。

 ジョランダがアイーシャに酒を勧めたことは間違いないが、それは犯罪とは言えない種類のものだったから、彼女の実家だから何か悪事の片棒を担いでいる、と決めつけることも出来なかった。

 ただ、証拠はなくとも見えてくることはある。

 それは、アイーシャを酒浸りにさせた侍女、ジョランダ・オスナ、そしてオドザヤの侍女、カルメラには肉親という接点があった、ということだ。

 こうしたことがあって、今夜の仮面舞踏会マスカラーダに、オドザヤがトリスタンに会いたいという一念で潜入する可能性がある、とコンスタンサは言って来たわけである。


 そうこうしているうちに、馬車はザイオン外交官官邸の正門前に着いてしまっていた。

 正門は大理石の門柱で、官邸を囲む漆喰塗りの塀は他の邸宅よりも高い。正門を潜ると、その先は冬でも鬱蒼と茂った高い針葉樹の森だ。その直線的で寒々とした姿は、遠い北方のザイオンの森を連想させた。

 馬車が門を通って、森の中を抜けると、広大な屋敷が見えてくる。

 ここはその昔、金持ちの伯爵家の屋敷だった。その伯爵家の当主は格闘技見物にことの外、興味を持っており、ついには屋敷の半地下に闘技場を作って毎夜のように闘技会をするようになったのだという。その係りは大変なもので、伯爵家はあっという間に借金まみれとなり、その当主の死と同時にこの屋敷は売り払われ、伯爵家は地方の領地に引きこもるしかなくなったと言われている。

 今日の仮面舞踏会マスカラーダは、その屋敷の半地下の闘技場跡を改装した、大広間で行われるのだそうだ。

 屋敷の前の馬車止まりで馬車が止まると、カイエンとエルネストはゆっくりと馬車を降りた。

 騎馬で付いて来ていた、シーヴとヘルマンの二人は馬を降りて、カイエンとエルネストの後ろに付いた。彼らは会場へは入れないが、その手前の控え室でカイエンたちの外套を預かり、仮面を渡さなければならない。この日は、二人とも帽子を被り、シーヴも大公軍団の制服ではなく、黒っぽいマントの下に、地味な侍従が着るような衣装を身につけていた。

 カイエンがエルネストを従えて、屋敷の入り口を入っていくと、広い廊下の続く先は、他の貴族の屋敷と同じように広いホールになっていて、二階へ続く大階段と、下へ続く階段が見えて来た。

「ようこそおいでくださいました。すでに主人、トリスタンも、他のお客様も、下の大広間でお待ちでございます」

 カイエンとエルネストに挨拶して来たのは、去年、カイエンとリリの誕生日に大公宮へ押しかけて来たトリスタンにくっついて来て、真っ青な顔になっていた、あのザイオンの外交官だった。今日はさすかに落ち着いた様子だ。

「わかった。案内を」

 カイエンはわざと尊大な口調を作った。左手に持っている杖で大理石の床を叩き、「早くしろ」とでも言うようなそぶりさえ付け加えたから、ザイオンの外交官は慌てた様子で下り階段へと案内を始める。

 階下へ降りていく幅の広い、緩やかな階段も大理石で、その真ん中に真っ赤な絨毯が敷き詰められている。だからもうそこからはカイエンの杖の石突きがたてる音は聞こえなくなった。

 降り始めてすぐの踊り場には、小さな窓があり、そこから先が地面の下であることが目で確かめられた。そこを通過してなおも階段を降りると、そこには金属製の大扉があり、もちろんこの夜はそれが開け放たれていた。その向こうはちょうど歌劇場のような作りになっており、丸く廊下が大広間の周りを巡っているらしかった。

 カイエンとエルネストは無言のまま、左側の控え室に案内された。

「私はここでお待ちしておりますので、お支度をお願い致します」

 ザイオンの外交官はそう言って、カイエンたち主従が部屋に入っていくのを見送る。

 今宵の催しは仮面舞踏会マスカラーダであるが、自宅から仮面を着けて来るわけではない。仮面といっても、目の周りをわずかに覆うものから、頭全体を覆うものまである。普通は仮面の様式にも制限があるのが普通だが、招待状には「仮面は皆さまご自由にお整えください」ということで、唯一の決まりごとが、「男女ともお衣装は黒一色で誂えること」と、「差し色として一色だけを使うこと」だった。

 やがて。

 カイエンとエルネストが控え部屋から、用意を整えて出て来たとき、ザイオンの外交官は驚きのあまり、こぼれおちんばかりに両眼を見開き、腰を抜かしそうになった。

「た、大公、殿下。そ、そのか、仮面に……そのお衣装は!」

 やっとそれだけ言えた、というていたらくだ。

「うん? 何か問題があるか。招待状には仮面についての決まりごとはない、とあっただろうに。衣装の方も、黒と差し色一色だけ、だっただろう。この姿に何か問題があるか」

 カイエンはやや大きな声を出してそう言ったが、内心では「うわ。やっぱりドン引きだよなー。ノルマ、今度のはやりすぎだぞ」、と思っていた。

「どうした? 皆さまをずっと待たせているのだろう? 早く舞踏会を始めるがいい」

 ザイオンの外交官は何も答えられず、エルネストまでがこう付け足したから、もう二人を案内して大広間への扉を開けさせるしかなかった。


 そして。

 大きく外から開かれた、大広間の扉の向こう。

 そこはもう一段低くなっており、登場したカイエンとエルネストは皆の注目の中を、円形の広くて緩やかな階段をおりていくこととなった。

 ドーム型の天井の高い、元は闘技場だっただだっ広い円形の広間の中は、様々な趣向を凝らした仮面の人々で溢れ、高い天井にはいくつものランプを灯したシャンデリアが会場を照らし、真冬だというのに熱気さえ感じられるほどだった。

 カイエンは今宵が仮面舞踏会マスカラーダで良かった、と思わずにはいられなかった。

 それほどに、カイエンとエルネストの装いは、なんとも言えない按配だったのだ。

「ハーマポスタール大公殿下、ならびにエルネスト皇子殿下!」

 カイエンたちの名前が呼ばれると、そこに集まった上流貴族たちの目が、一斉に円形の階段の上へ注がれる。

 そして、一瞬後にはどよめきの声が上がっていた。  

 それほどにカイエンとエルネストの装いは奇天烈、とでも言うしかない感じのものだった。

「はっはあ、驚いてやがる。見ろよ、キラキラの踊り子王子様もびっくりだ」

 エルネストはカイエンの右側でそう言ったが、確かに、今宵一番身分の高い二人を迎えるために、階段の方へ歩み寄って来ていた、仮面はしていても輝く青みがかった長い金髪で、その正体は明らかなトリスタンが、立ち止まってしまっている。

 ゆっくりと円形の会場へ降り立った、カイエンとエルネストの姿。

 二人ともに、黒い服の差し色は銀色だ。だが、カイエンの方は彼女の灰色の瞳を連想するような、明るい銀色で、エルネストの方は鋼鉄色に近い黒ずんだ色だった。

 それよりも目立ったのは、二人のかぶった仮面だった。

 カイエンの方は、顔が出ているのは顎のあたりだけで、その上にはくちばしの大きな鳥をかたどった仮面。奇妙なのは、目の周りが眼鏡になっているところだ。

 鳥はどうやら孔雀かなんからしく、頭頂部は華やかな銀の羽毛で覆われ、その上に宝石が散りばめられていた。後頭部は仮面を抑える装飾された金具が、結い上げられた髪に付けられた飾り櫛と一体となっている。

 こうして形容してみれば、華やかないでたちに違いなかった。だが、そのくちばしの大きな鳥の仮面マスカラは、人々にあるものを想起させずにはいられない意匠を含んでいた。

 カイエンが左手に持っている、細身の杖までが、人々の連想する「あるもの」の姿に合致しているのだ。

 それは、黒死病の流行する中で活動した、「黒死病医師」の装束だった。

 黒死病は百年ほど前に、南方から北上して大流行し、同じ頃にシイナドラドが始めた鎖国政策のことを、「黒死病を水際で防ぐための方策」と言う者もいたほどだ。

 だが、それ以降は流行することもなく、その頃のこうした異様な風俗も、今では病を恐れた人々の編み出した苦肉の策としてよりも、日常性を離れた奇抜な意匠として捉えるようになってきていた。

 それでも、こうして目の前にしてみれば、どきりとする代物には間違いなかった。

 カイエンのこの仮面だけなら、人々はそれほど驚かなかったかもしれない。

 彼らが驚いたのは、エルネストの仮面もまた、一風変わっていたからだろう。こっちは眉も目もびっくりしたような顔の男の仮面で、両耳が驢馬のように大きい。こちらは「黒死病医師」の仮面ほど皆に知られたものではなかった。気が付いたのは会場の皆の三分の一くらいだっただろう。

 エルネストの仮面は、その昔、拷問吏とか首切り役人だのが、罪人の恨みを受けないようにかぶっていたという金属の仮面の模倣だった。

 ハウヤ帝国では何代か前の皇帝が廃止して以来、公開処刑が行われなくなった。だから、実際にその仮面をかぶった男が、罪人の首を切るところを見た者は皆無だろう。だが、外国ではまだ公開処刑が行われる国もあった。実はザイオンもその中の一つだったので、もしかしたらトリスタンや外交官はその仮面を故国で見たことがあったかも知れない。

 と、言うわけで、この日のカイエンとエルネストの仮面と装いは、貴族社会のこうした催しでの悪趣味に慣れた人々の目をも奪う、過激なシロモノであった。

「……ようこそ、大公殿下、そして皇子殿下。今宵はまた、皆の懐古心を刺激するような仮面でのお越しですね」

 さすがにトリスタンはすぐに我に返った。

 そう言いながら、カイエンとエルネストの前で優雅に礼をしたトリスタンは、顔を上げるともう、普通の彼だった。彼の黒い衣装の差し色は、もちろん、鮮やかなエメラルド色で、仮面は金色で鼻から上を覆うものだった。仮面の奥から、彼の独特な人工的な緑色の目が、挑戦を受けますよ、とでも言うように輝いている。

「ああ、大公殿下のお衣装は、黒死病医師の長い外套を元にされているようで、違いますね。その、右足だけお衣装の切れ目から見える様子は……仮面舞踏会マスカラーダでもなければ、悪趣味を通り越しておりましょう!」

 悪趣味。

 派手な礼装で登場し、カイエンを驚かしたトリスタンだったが、今度は自分が驚いた、とでも言うふうだ。

 その日のカイエンの衣装は、確かに変わっていた。

 銀色の鳥のような立体的な仮面の下。白い顎の下に続くのは、襟の詰まった、直線的な黒地に太い銀色の縦に走る直線がいくつか通る模様以外には、ほとんど飾りのない長衣だ。その長衣の胸元を飾るのは、銀の羽毛を形どった形の連なった、腹のあたりまである長いネックレス。そして、その長衣の右側だけに腰のあたりまで切れ目が入っている。

 そこからわずかに覗くのは、銀色の非常に装飾的な甲冑の足部分のように見えた。

 この時代、女性が足を見せるのは非常に下品なこととされていた。だから、カイエンの今日の衣装も、生の足の形ははっきりと分からないようになっていた。それでも、着るには勇気のいる衣装には違いなかった。

「せっかくの舞踏会だが、私は踊りには参加できないからな。せいぜい、衣装で目立たせていただくことにした。トリスタン王子殿下は華やかな装いに定評のある方、こんな衣装も歓迎していただけるかと思ったのだが」

 カイエンは、用意してきたままの台詞を吐き出しながら、理由は他にあるとはいえ、我ながらとんでもない見せ物だと思わずにはいられなかった。

 だが、この衣装を作るにあたって、知己となった、トリニの知り合いの甲冑師で装具師の、トスカ・ガルニカには感謝していた。その理由は、この奇天烈な衣装を作ってもらう作業の中で発見した、あることのおかげだった。

「トリスタン王子殿下をこのハーマポスタールへお迎えできて、大公の私も光栄に思っている。ご招待ありがとう」

 心にもないことを言いながら、もうその時にはカイエンの頭の中は、「オドザヤはどこか」という気持ちだけになっていた。 

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