記者どもはアポロヒアで大いに語る


 スキュラ国境。

 橋の落とされた国境の川を挟んで、スキュラの軍勢と睨み合っている、フランコ公爵家の軍勢と、ガルシア・コルテス将軍率いる帝国軍サウリオアルマ。

 そこへ、スキュラの泥炭加工ギルドからの密かな使いによって、皇女アルタマキアが、スキュラ北部の泥炭採掘の村で密かに保護されている、との情報が伝わったのは、もう十二月も下旬になってからだった。

 フランコ公爵はすぐに急使を、帝都ハーマポスタールへ送ったが、それが到着するにはなお数日を要した。


 それより、十日ほど前。

 もう、とっくに陽の落ちた時刻。

 ハーマポスタールの下町の居酒屋バルで、三人の男達が木のテーブルを囲もうとしていた。

 そこは、いつぞや、カイエンと女性隊員達が「女子会」をしていた、あのコロニア・ビスタ・エルモサのでかいププセリアのある表通りの裏にある店で、こっちは呼べばきれいなお姉さんも出てくる、夜通しやっている店だった。

 きれいなお姉さんと意気投合すれば、そのまま、二階へ上がって、夜の次のお遊びへとなだれ込んでもいける、という趣向の店である。

 ププセリアでは、酒も出すが、その客層には家族層も含まれている。だから、女達だけでの飲み会に選ばれたのだ。

 だが、こちらの店の客層は、九割九分が男である。まあ、店の成り立ちを見ればそうなるのは一目瞭然だ。

 店に入ると、右側がカウンターになっており、カウンターの上にはその夜のつまみタパスの大皿がずらりと並んでいる。料理は他にもあり、特に熱いうちが美味しいものは、壁に貼られた木札に料理名が書かれていて、注文を受けてから作られるようになっている。

 カウンターの中には中年の前掛け姿の男と、ややどぎつい化粧の女が陣取っていて、これがここの主人と女将である。他にも給仕の若い男もいて、酒を作るのと、客のあしらいは彼らがする。お酌をする女達に指示を出すのも彼らの仕事だ。

 奥の厨房で忙しく働いているのは、無表情な初老の男で、彼の作る料理目当てにここへ来る客もいた。

 店の真ん中には、上に海神オセアニアの彫刻の彫られた壁板が目立つ暖炉があり、それが店の中を手前と奥とに、ちょうどいい具合に分けている。店の奥にまでテーブル席は続き、一番奥には二階へと向かう階段がある。

 なかなかに広い店であり、料理、酒、女、とすべていいとこ取りの店なので、わざわざ遠くから来る客もあった。

 その店の名は、「アポロヒア」。弁明とか擁護とかいう意味だ。

「へー。話にゃ聞いてたけど、いい店だな、おい」

 そう、言ったのは、中年に差し掛かった、タヌキのような顔と体型の男だ。太っているくせに、目の周りだけがやけに彫りが深くて落ち窪み、隈取られているように見えるのだ。

 それは、「自由新聞リベルタ」の主筆、レオナルド・ヒロンだった。

「そうだろ。でも、ちょっと向こうへ行くと、俺が殺人鬼に襲われたおっそろしい裏通りなんだけどな」

 陽気に答えはしたものの、自分の言った言葉にゾッとしたような表情になったのは、「黎明新聞アウロラ」のホアン・ウゴ・アルヴァラードだ。今夜も彼の鳥の巣のような頭は、もつれにもつれている。だが、その内側に入っているのは、大手読売りの敏腕記者の、切れのいい脳味噌だ。

「うわ、やだ。怖がらせないでよ。帰り、怖くて帰れないじゃんか」

 太ったタヌキ記者の隣には座りたくなかったのか、ウゴの隣に座ったのは、「奇譚画報」のキケ・ピンタード。

 カスティージョ邸の事件の時、カイエンに苗字は勘弁してくれ、とずうずうしいことを言った、ちょっといい男だ。

 三人は、席に着くと、まず外套と帽子を脱いだ。もう、外はかなり冷え込むのだ。

 三人の座った席は、店の暖炉で区切られた奥の方で、密談向きに壁際の柱の影に半分、はまり込んだような席だった。店の中を流している給仕や女達を捕まえるのには面倒だが、自分達だけの話をするにはうってつけだ。

「表の通りに行けば、広場に辻馬車がいるし、俺んちは隣のレパルト・ロス・エロエスだから、遅くなったら泊めてやるよ。つーか、あんたならここのお二階でいいんじゃないか?」

 ウゴが、小柄で細身、歳は三十前だが面食いの女の子にウケそうなキケの顔を指差して言う。

 三人は、店に入ってカウンターを経由した時に、すでに一杯目とカウンターのつまみを注文していたので、すぐに後ろから来た給仕が、三人の前にそれらを置いて行く。

「じゃあ、まずは乾杯といこうか。……ああ、俺のことはレオとでも読んでくれ。俺が一番おっさんだから、呼びにくいかもしれないが、記者仲間だからな」

「じゃあ、一番おじさんのレオさん、乾杯の音頭をお願いしますよ」

 そう言ったのはウゴで、三人は金属のカップを手に取ると、適当にかち合わせた。貴族の屋敷とは違って、こういう店ではガラスのグラスなどは使わない。陶器のカップか、金属のカップだ。酔っ払いが多い店では、割られる心配のない、金属のカップを使うところが多かった。

乾杯サルー

 そして、彼らは中身を半分くらいまで、一気に干した。

「あー、この頃また忙しいから、身に染みるねえ」

 ウゴとレオが飲んだのは、麦酒セルベサだったが、キケのは最初っから、強い蒸留酒のロンだ。

「あんた、酒が強そうだね」

 ウゴがそう言うと、キケはさっさと、つまみの揚げた玉ねぎと野菜をマリネした物を口に放り込んだ。

「そりゃ、強くもなるよ。俺っちの仕事は、お貴族様のお家の裏口でお知り合いになった召使いを飲み潰して、色々聞き出すことだもん。天下の黎明新聞アウロラ自由新聞リベルタとは違わぁ」

 これには、ウゴとレオは苦笑いをするしかなかった。確かに、キケの「奇譚画報」はいかがわしいカストリ新聞で、彼らの新聞とは一線を画していた。

「それにしても、先月のカスティージョの事件の時は、ウゴさんのお陰で部数倍増、ありがたかったね。あれから調べさせてもらったけど、かつての寺子屋のお師匠さんが、今や大公軍団の最高顧問。それも大公宮の後宮にお住まい、ってツテがあるんだって言うんだから、ウゴさんは若いのにやり手だあね」

 皮肉半分に言ってのけたのは、タヌキのレオだ。奥まったところにある目が油断なく光っている。

 カスティージョの屋敷に、装飾細工師ギルドの討ち入り事件があった時、その場で取材できたのは、その場に駆けつけたこの三人の三紙だけで、それも、ウゴが大公宮と繋がりがあったから、現場まで入れてもらえたのだ。

「まあまあ。何事も時の運ですよ、レオ・ヒロン先生。……俺の先生は元々、国立士官学校の教授だよ。偉い先生なんだ。大公宮のことだって……」

「はいはい。それなら、ウゴ君自らお書きになった記事を覚えてますよ。あの時からもう、大公殿下のとこの御用聞きやってたのねぇ」

 こっちはキケ。これは皮肉以上の内容を含んでいたから、ウゴはちょっと気色ばった。

「なんだよ、その言い方は! 俺は事実を歪めて書いたことなんざ、一回もねえよ」

 実際に、その通りだったので、ウゴの声は堂々としていた。

 ウゴは実は、この三人の中では一番年下だったのだが、三人の新聞の中では「黎明新聞アウロラ」が一番、部数も多く、歴史もあったので、自分の年齢はあまり気にしていなかった。  

「まあまあ。今日はこの黎明新聞アウロラの敏腕記者、ウゴ・アルヴァラード君が、わざわざ、奢りで我々をお招きになったんだ。カストリ新聞のキケ君も、そう卑屈にならず、お話をご拝聴しようじゃないか」

 レオがそう言ったが、確かに、今日この店にこの二人を連れて来たのは、家がここに近いウゴなのである。

「そう? まー、あのカスティージョの醜聞、まさか大公宮で仕組んでたなんて、うちの妖怪編集長もカスティージョ邸の事件が起きるまで気が付かなかった、ってボヤいてたもんね。間にてんでばらばらな身分役職の人間を挟んでさ。前のクリストラ公爵夫人や、大公殿下の時も、証拠はしっかりしてるのに、結局、出元は不明だったしさ。妖怪編集長も、『この頃は本当にヤバい。注意しないときれいに消されて、消されても自分が消されたことに気がつかないかもしれねえ』って、マジな顔で言ってる」

 キケがそう言うと、タヌキのレオもうなずく。

「ここのウゴさんも、殺されかけてるしな。じゃあ、早速、今日の話とやらをうかがおうじゃないか」

 レオはそう言うと、ちょうど通りかかった給仕に、酒のお代わりを頼み、ついでに慣れた口調でいくつかの料理を注文する。

「あ、俺も。鶏ひき肉とパプリカの揚げ物エンパナーダと、大海老のアヒージョ、それに……」

 キケも今夜は奢りだからか、上機嫌に注文する。

「揚げた隼人瓜グィスキルと、蒸し玉蜀黍団子タマーレス、豚肉のププサ」

 ウゴも、これは自分の財布なので、負けずに注文した。ププサと言うのは、玉蜀黍の餅の中に豆や肉、野菜を入れて丸く焼いたものだ。酢漬けの野菜と一緒に食べる、下町の味である。

「お話かあ。ちょっとその前に、最近の難しい情勢について、お二方のご意見を聞いておきたいね」

 ウゴは二杯目はキケと同じ、安蒸留酒のロンに、ライムを絞ったものを注文した。

「へー。そうなの。まあ、奢りだからしょうがないねえ」

 キケは気楽そうだ。

「あの、カスティージョ屋敷の襲撃の時は、おたくらの新聞でも、大公殿下の『アレ』を見出しにしてたけど、正直なところ、大公殿下のことはどう感じている?」

 ウゴがまず、そっちへ話を持っていくと、キケはちょっと黙ってしまったが、レオの方はすぐに反応した。

「あの後、カスティージョ将軍はすぐに辞表を出したな。その後もまあ、大人しくしてる。息子のホアキンは親衛隊をクビになった。親衛隊のモンドラゴン子爵は皇帝陛下に叱責されて、始末書書いて、減俸になったそうだな。大きい声じゃあ言えないが、彼らは、皇帝陛下の御即位前に、フロレンティーノ皇子を担ごうとしてた一派なんだろう? 元老院大議会を開かせる署名を集めたのも知ってる。……事実だけ見れば、女帝派の大公殿下はやり手だよな。それも、同じように醜聞を撒かれても、自分は平然とやり過ごして、相手は追い詰めて見事に蹴落としている。まあ、大公と伯爵じゃあ、身分が違うが、それにしても、な。何よりも、大公殿下は女性だ。それを考えると怖い女だと思うのが普通だろうな」

 そこまで言うと、レオは給仕の運んで来た、水差し入りの赤ワインを金属のカップに注いでぐいっと干した。

「俺もそう思ってた」

 こっちはキケ。

 ウゴは黙って、自分の酒を舐めている。

「……でもさ。あれ、びっくりしたわ。本物見たら。なにあれ? 俺、お貴族の屋敷の周りをうろついてるからさ、お貴族の奥さん、お姫さん、ちょいちょい物陰から見るんだけど。アレは、変わってるよね。でーんと、事件現場の目の前に一人だけ椅子持って来させて、真っ黒な制服で、男みたいに足おっ広げて座り込んでさ。さすがにお顔は、あの皇帝陛下のご即位の時の読売りに載った肖像画そっくりで、お上品なもんだったけど。周りに大公軍団の男どもが取り囲んでてさあ。最初は、とんだ勘違いの痛い痛い系のお姫様だわ、って思ったのよ」

 これは同感だったのか、ふんふん、とリズムを取るように顎を動かしながら、レオは口を挟まない。ウゴも、給仕の持って来た揚げた隼人瓜グィスキルをもぐもぐしながら、黙っている。

「でもさあ、話し始めたら言ってることはまともだしさ、まー、あの話し方は、ちょっと慣れが必要だけど。周りの軍団の男どもも、普通に言いつけられた通りに動いてるじゃん。あれ、って思うよね。それで、極め付けが……」

「アレだな」

 レオは自分が注文した、牛肉の串焼きに、なんだか神妙な顔でかぶりつきながら、思い出すような顔になった。

「……あの、大音声!」

 そして、次の言葉はキケとレオの合唱となった。

「「アレは、ないよ!」」

「そもそも、お姫様は普通、あんな大声出さない。悲鳴ならともかく、怒鳴り声だったし」

「おっさんみたいな、ぶっとい声でな」

「その上に、言葉遣いがまるでチンピラ」

「いや、チンピラじゃないだろ。親分だ、アレは親分。少なくとも手先のいる阿仁さんだ」

「いい加減に観念しろ!」

「もう許さねぇから、首洗って待ってろ!」

「目の前で若い女が言ってるの、見ながら聞いているのに、背筋が寒くなったな」

「なんか、すごい女丈夫の、見世物小屋の力自慢の大女みたいなのが、幻覚で見えたもん」

 代わり番こに喋っていた、キケとレオだったが、最後はまた同じ台詞となった。

「「あの人、一体どこからあんな言葉を覚えて来たんだろう」」

 ウゴは、やっと口を挟む隙間を見つけた。

「……半分は、若い頃、下町で遊び呆けてた親父さんからで、残りは大人買いして読んでる通俗小説だってよ」

 そう言うと、ウゴはレオが注文した、豚肉の麦酒セルベサとパプリカ煮を横取りした。

「おい、それ俺の!」

 ウゴは給仕に目配せした。

「今、もう一皿、注文したよ。お、巻いた肉の中に胡瓜とアスパラガスが入ってる。美味い!」

 レオは、タヌキのような顔に呆れた表情を浮かべた。

「あんたも、大公殿下も、開き直った奴は始末に負えないな。まあ、前の大公さんよりは、遥かにマシだと思ったよ。俺たちなんかが普通にお話しできるなんて、他のお貴族様じゃ、ありえないことだからな。そもそも、前の大公は、大公になってからは、下々には姿も見せなかったし。若い頃のご乱行は、古い記者から聞いてたけどね。まだ、その頃にはお貴族や皇帝一家のことなんか、読売りには書けなかったって言ってたな」

「そう考えると、時代は良くなってるって言えるのかなあ」 

 キケがそう言うと、ウゴもレオも難しい顔になった。確かに、キケの所属する「奇譚画報」などと言う際物新聞が登場し得たのは、前の皇帝、サウルがこういうことには寛大だったからだ。だが、それが今後も続くかといえば、それは不透明なままだった。

「ねえねえ、それよりさ」

 キケは自分の注文した、大海老のアヒージョの海老の殻を剥きながら、もうさっきとは違う方へ話を振ろうとする。

「大公殿下の後宮事情、っての、教えてよ。もう、時期を逸しているから書かないし。ウゴさんの大事な先生は別にしても、一昨年、話題になった、元将軍様が男妾、ってのは本当なんでしょ? シイナドラドの皇子様の旦那さんとは上手くいってないってのは?」

 これには、ウゴは苦い顔ながらも、うなずかざるを得なかった。真実は真実である。彼は、基本的に嘘はつけない性格だった。

「現在の大公軍団帝都防衛部隊隊長のことなら、事実だよ。これはもう、秘密でもなんでもない。でも、シイナドラドの皇子様の方は、どうかな」

 ウゴは、エルネストと直に会ったことはない。その名前を聞くのは、彼の恩師である、大公軍団最高顧問のマテオ・ソーサを訪ねた時だけだ。

 皇子はいま、マテオ・ソーサと同じく、大公宮の後宮にいるのだと聞いている。マテオ・ソーサは大公の飼い猫だという白地に茶色の斑の猫をかわいがっていたが、その猫を膝に乗せて、彼が話すのをウゴは聞いたことがあった。

(そうそう、シイナドラドの傲慢な皇子様も、この猫には骨抜きなんだよ。まあ、君には話せない事情が色々あってね。あの皇子様、この猫相手に、大公殿下への想いを大いに語っているんだろうねえ)

 ウゴには、恩師の言葉の中に隠されたものを想像するしかなかった。

「先日の、突然現れたザイオンの第三王子の皇宮での挨拶にも、大公殿下はご夫婦で陪席されたって言ってたし、普通だろ。元々、政略結婚なんだから、そんなものだよ。それに、そもそも、例の男妾騒動は、前の皇帝陛下が命じたことだから。先帝陛下が崩御した後も続いているんだから、本気なんだと思うよ」

 ウゴは、一応、それなりに言葉を選んで答えた。

「ふうん。そうなんだ。確か、大公殿下は今月になってからお誕生日を迎えられたんだよね。二十一だっけ? リリエンスール皇女をご養女になさってはいるけど、ご自分のお子様はまだ、おられないんだよね?」

 ウゴはもちろん、カイエンの体のことなどは知らない。それでも、カイエンに実子がいないのは確かだから、素直にうなずいた。

「そっちは俺も良く知らないんだけど、お身体がお弱いから、大公ご本人も、周りも、あんまり期待してないみたいだな」

 ウゴがそう言うと、しばらく黙って飲み食いしていたレオが顔を上げた。

「ああ、それは俺も聞いたことがある。確かに、あの日見たところでも、お声の方にもびっくりしたが、お顔色の悪いのにも驚いたな。お身体も小さかったし。あれで普通にご公務をなさっているんだから、あれが大公殿下の普通なんだろうが……」

「そういえば、レオさんはお子さんは?」

 聞いていて思い出したようにキケが聞くと、レオはことも無げに答えた。

「いるよ、二人。だから言うのさ。うちの奥さんはあんまり丈夫な質じゃなくってさ。一人目は流産しかけて出産まで寝たきりだったし、二人目は月足らずで生まれちまって、死ぬや生きるやで大変だったんだ。もう、二人とも大きくなったけどな。三人目はさすがにやめとこうと思ってるよ。妻でも子でも、死なれちゃかなわんからな」

 それを聞くと、しばらく三人は黙り込んでしまった。ウゴはまだ独り者だし、キケの方は知らないが、彼の方も何か思うところがあったのだろう。


「ところでさ」

 しばらくして、再び口を開いたのは、レオだった。

「話を元に戻すけど、最近の情勢って言えば、ザイオンだろう。あの、突然、ハーマポスタールに現れた、第三王子トリスタン! 一国の王子が、先触れも何もなしに突然、ハーマポスタールに出現したみたいだ。今までの皇宮なら、ああいう外国からの使者だのなんだのは、来る前に俺たち下々にまでお達しがあったんだ。そうじゃないと、お迎えだのなんだのでパナメリゴ街道から市内まで、通行規制やらなんやらが出来ないからな」

 キケもこれについては、同じように思っていたらしい。

「それが、今度はお迎えも何にもなしで、いきなり王子様が皇宮へご挨拶。おかしいよねえ」

 ウゴは用心深く、二人に聞いた。

 もちろんウゴはもう、マテオ・ソーサから、大公宮のカイエンとリリの誕生日に現れた、トリスタンのことを聞いていた。彼がとんだ「踊り子王子」であることもだ。だが、記事にすることは止められていた。

「おかしいと思ったんなら、なんで記事にしなかったんだい?」

 もちろん、ウゴの務める「黎明新聞アウロラ」も、記事になどしていない。それでも、ウゴはあえて二人に聞いたのだ。

「書きようがないからだよ! 決まってるじゃないか。王子様はどこから来たか、幽霊じゃないんだ、普通なら、ザイオンから御付きをたくさん引き連れて、街道を練り歩いて来たに決まっているんだよ。だのに、街道筋で騒ぎにもなっていないし、皇宮では何も用意していた節がないんだ。少なくことも、国賓を迎えるような用意はね。と、なると奇妙なことだが、ザイオンの王子は、『ごくごく密かに、お忍びで』やって来たとしか思えないんだ」

 そう、レオが言えば、キケも言った。

「まさか、王子様がお一人で来たって言うんじゃないだろうし。少なくとも、ザイオンの国賓としてこのハウヤ帝国に入ってはいないってことだよね。奇妙と言うか、異常だよ。そもそも、第三王子のやって来た目的がわからない。親善大使? それも王族が? 今さらねえ」

 ウゴは飲んでいた酒のカップをテーブルに置いた。

「……そっちは、あんたたちにはもう、想像はついているんだろう?」

 ウゴの見ている前で、向かい合わせに座った、レオとキケは顔を見合わせた。

「外国の独身の王子様が、この国をご訪問となりゃあ、そりゃあ、今年十九におなりのオドザヤ皇帝陛下とのご縁談しか考えられない」

 口を開いたのは、年長のレオの方だった。

「だよなあ」

 ウゴは難しい顔になった。

「だけど、そんな話は、公式には、ひとっかけらも伝わってこないよね。ウゴさんが、こうして俺たちに聞くんだから、大公宮からも、この話は出て来てないってわけだよね」

 これはキケ。

 ウゴはテーブルの上へ身を乗り出した。

 今までの話も、半分柱の影に入った席で、抑えた声で話していたのだが、ここから先は、万が一にでも店の者や他の客には聞かせたくなかった。

「……さあ。これでやっと、今日、お集まりいただいた本題に突入だ。俺があんたたちと話したかったのは、その王子様のことなんだ」

 ウゴがそう言うと、キケはとぼけた顔をしたが、レオナルド・ヒロンの方は、タヌキのような顔を生真面目に引き締めた。

「北のスキュラの方は、膠着状態みたいだからな。そうなると、話題はザイオンしかないと思ってたよ」

 ウゴはすかさず、言葉にした。 

「あんた達は、ザイオンのことは、どう見てる?」

 すぐに答えたのは、意外なことにキケの方だった。お貴族の醜聞専門のカストリ新聞「奇譚画報」の記者としても、この話題には一言あったらしい。

「俺、知ってるよ。ウゴ、あんたが殺人鬼に襲われたあの事件。あんた、あのザイオンから来た奇術団『コンチャイテラ』を見て来た帰りだったって言うじゃないか。あの時から、ザイオンの名前はちらちらしていたんだ。そこへ、スキュラでのアルタマキア皇女の事件だ。俺は単純なのかもしれないが、スキュラとザイオンは、大森林地帯を挟んで隣同士。国境を接してるんだってことが、急に気になりだしてね」

 ここで、続きを、レオが無理やりぶんどった。

「あんたんとこも、こいつもそうだろうが、スキュラの一件の後、うちの社じゃ、パナメリゴ大陸の大地図を、国立大学院のある先生を拝み倒して借りて来て、みんなで見たんだぜ。そうしたら、いやでも気がつくじゃないか。スキュラとザイオン。そして、ザイオンて国は他の国とも国境を接してるんだ。まずはこのハウヤ帝国。だが、ここにはオリュンポス山脈が控えている。だが、ベアトリア、シイナドラドとは直に国境を接しているんだ。まあ、長年鎖国中のシイナドラドとの境には『長城ムラジャグランデ』が取り囲んでいるらしいが。間には山脈があるが、ネファールともわずかに繋がっている。そして、これは地図を見るまで気がつかなかったが、シイナドラドの向こうの東の国々とも、繋がっているんだ。この事実を確かめた時、俺たちはちょっと震え上がったよ」

 ウゴは思い切って、用意して来た言葉を、小さな声で囁くように言った。

「……地図を借りて来て見たのかい。それなら、わかるよ。急に、ザイオンと一緒に、東の国々、特に螺旋帝国が近くに迫ってくるような気がしたんじゃないかい?」

 ウゴは、トリニや教授から、自分を危なく殺すところだった殺人鬼の正体を聞いている。

 それは、螺旋帝国の旧王朝の皇子だった、天磊テンライだと言う。他にも、自殺した頼 國仁の元から、螺旋帝国人の助手が逃げ出し、不気味な一党を率いているらしいことも聞いていた。新聞種には出来なかったが、モリーナ侯爵や、カスティージョ伯爵、モンドラゴン子爵らの反女帝派と、螺旋帝国やベアトリアの大使との接触があったことも聞いている。これは、途中でこちら側に寝返らせた、シイナドラド大使のガルダメス伯爵が吐いたことだった。

 だが、こんなことはもちろん、レオナルド・ヒロンも、キケ・ピンタードも、知るはずのないことだ。

 それでも、ウゴは自分以外の他の読売りの記者たちは、どこまで考えを巡らせているのか、知りたかったのだ。

 ウゴが螺旋帝国の名を出すと、キケは呆然とした顔になった。恐らくは彼はそこまでは考えていなかったのだ。だが、あの皇宮前広場プラサ・マジョールの事件をすっぱ抜いた、「自由新聞リベルタ」のレオナルド・ヒロンは違っていた。

「ほお。ウゴさん、あんた大公宮に繋がってるだけのことはあるねえ。それじゃあ、大公殿下だの宰相だのはもう、そこまで考えて動いているんだね。うちの社じゃあ、スキュラの一件以降、螺旋帝国の関与は全然、裏が取れないから、ひたすらザイオンの関係者を当たっていたんだ」

 これには、ウゴの方が目を見張った。

 彼も向こうも、ハーマポスタールという街の、たかが読売りの記者である。それが、国と国が渡り合う状況を探ろうとするなど、今までの時代ではありえなかったことだろう。

 国を憂える気持ちからか、いや、違うだろう。

 レオナルド・ヒロンは奇しくも言ったが、すべては、「一庶民が、学者から地図を借りてきて、パナメリゴ大陸全体を見渡した」という、今までにはなかった行動から始まったことだったのだ。

「へえ、そうかい。こりゃあ、今日の飲み会は、予想以上の成果が上がりそうだぜ。レオさん、じゃあ、教えてくれないか? もちろん、仁義は守るよ。こっちには裏付けもないしな」

 ウゴがそう言うと、レオのタヌキ顔が、難題を思考中の哲学者のように難しい表情になった。

「あのな。これ、偶然に分かったことなんだ。これがどういう意味があるのか、これはまだ全然分からない。だから、この際あんたたちに話しておいてもいいと思うんだ。……まず、大公軍団はあんたが殺されかけた事件の後、奇術団コンチャイテラに調べを入れてるな。だが、最終的にはお咎めなしになっている。そうだな?」

「ああ、そうだ」

「俺は、奇術団じゃなくて、このハーマポスタールにいる、ザイオン人の方に探りを入れたんだ。そしたら、妙なことがわかったんだ」

 ウゴもキケも、もう酒も飲まず、つまみも食べず、ただただレオの口元を見ているしかない。

「ザイオン人は、そんなに多くない。でも、他の外国人と同じように、ある程度、まとまって住んでいるんだ。それで、その界隈へ入って行ってすぐに気が付いたんだ。奴ら、妙に技芸関係の仕事の奴が多いんだよ」

「技芸関係?」

 ウゴは、心拍数がはっきりと増えるのを自覚した。

 彼は、トリスタン王子が、踊り子に化けてこの国へ乗り込んで来たのを知っているのだ。

「うん。演劇やら、踊りやら、手品やら、楽団やら、歌手やらな。劇場を経営しているのもいる。まあ、他の仕事の奴もいるが、人数の割に多いんだよ、技芸関係が。そして、ここへ来てあのコンチャイテラだ。こうなって来ると、これだけは言えるんじゃないかな。ザイオンから来る技芸関係の奴には気をつけろ、ってことだ。元からたくさんいるから紛れっちまいやすいからな」

 ウゴは、今度こそ心臓が早鐘のように打つのを感じ、思わず、手で自分の服の胸元を抑えた。

 それを、レオとキケの静かな、とっくに酔いも吹っ飛んだ目が追いかける。

「その顔じゃ、この話の続きを、あんたは知っているみたいだな?」

 レオナルド・ヒロンが腕組みをして、静かにそう言った時、ウゴはうなずいていいのかいけないのか、とっさに判断できず、いやに髪の毛のもつれ上がった彫像のように、しばらくの間、固まっているしか出来なかった。







 同じ頃。

 カイエンは、皇宮の宰相サヴォナローラの執務室で、彼と向かい合って座りながら、頭を抱えていた。

「今、なんと言った?」

 カイエンは、サヴォナローラの顔をまともに見られなかった。

「陛下が……。トリスタン王子のご訪問を歓迎するため、何か催しをしないわけにはいかないだろうとの、仰せです」

 サヴォナローラはカイエンの様子を見ても、いつにも増して冷淡な態度を変えようとはしなかった。

 明らかに彼は、カイエンを責めているのだ。

「それはそうだろう。ああして、正式に挨拶に来たからには、その過程は別として、国賓には違いない」

 カイエンの返事は弱々しく、サヴォナローラの真っ青な目を見返す力も出て来なかった。

 この事態は、全部、彼女の起こした大失態のせいなのだ。

 シイナドラドから帰って来たとき、「もうこんな失敗はしない」と言ったものだが、早くもやってしまったのだ。

 それも、カイエン自身に対する失敗ではなく、皇帝のオドザヤへ、いや、この国へ直接に降りかかって来る深刻な事態を引き起こすきっかけを作ってしまったという「大失敗」「大失態」である。

「そうですね。普通に、国賓として、初めて陛下に挨拶に来ていただきたかったものです」

 サヴォナローラは神官だ。

 彼がオドザヤの身に起こった、あの「変化」を実体験したことがあるのかどうかわからない。

 だが、彼はカイエンよりもかなり年長なのだから、実感したことがなくとも、経験で分かることなのだろう。

「本当に……。時間を戻せるものなら、戻したいものです。ですが、もうこうなったからには仕方がありません。大公殿下にも、よくよくのご覚悟をお願い申し上げます」

 カイエンはうなだれたまま、ただ首を縦に振るしかなかった。

 十二月九日のあの、彼女とリリの誕生日。

 あの夜、カイエンは、オドザヤをミルドラの長女アグスティナと偽って、彼女にトリスタン王子の踊りを見せてしまった。

 あの時のオドザヤの様子には、見ていた皆が危惧を抱き、カイエンに向かって訴えて来たのだ。それを聞いて、カイエンにもオドザヤのあの様子の意味が、はっきりと腑に落ちたのであったが。

 腑に落ちた途端に襲いかかって来たのは、「取り返しのつかないことをやってしまったのかもしれない」という事実だった。


 あの数日後。

 トリスタンはカイエンが間に入る形で、オドザヤとの謁見を果した。

(今日ここへ参りましたのは、そのお礼と、皇宮へご挨拶に上がる橋渡しを、大公殿下のお慈悲にすがって、なんとかお願いできないかと、思いあぐねてのことでございます)

 あの時、トリスタンはそう言い、カイエンはリリに会わせてくれ、という彼の望みを叶えてしまった。

 それどころか、

(そうだ。素晴らしい踊り手であられるトリスタン王子殿下に、お願いがあります。私の娘、リリエンスールのために、ひとさし、ご自慢の舞を披露してくださいませんか)

 などという、とんでもないお願いをしてしまったのだ。

 あれでは、皇宮への橋渡しも引き受けたことになってしまう。

 カイエンは、ヴァイロンやアキノ、エルネストや教授までもが「起こってしまったことはもうしょうがない。落ち着いて、先を見ましょう」と慰める中、煩悶し続け、オドザヤのあの様子が嘘であってくれ、一時の気の迷いであってくれ、と願い続けて来たのだ。

 だが。

 国賓を遇するにふさわしい、広い広い謁見の間で段の一番上に座ったオドザヤは、トリスタンがやって来る前からもう、そわそわした様子だった。

 カイエンはエルネストを連れて来たのだが、一人で先にオドザヤの部屋まで訪ねて行った。

 そして、そこで念入りに化粧し、衣装を整えているオドザヤの、いつにない幸せそうな薔薇色の頰を見、もう言葉ではどうしようもないことを悟ることとなったのだ。

 いかな朴念仁のカイエンでも、恋する乙女の前で、その恋する相手を腐す言葉は出て来なかった。

 オドザヤはトリスタンの実物を見る前には、

(なんてこと。本当に馬鹿にしているわ。いや! そんな、訳の分からない王子との縁談なんて、気持ち悪い! 誰だってそんなお話、お断りしたくなるはずだわ。どうしてザイオンは、私がそんな縁談をのむと思うの)

 と、激しいことを言っていたのだが、それを、ここで蒸し返しても何にもならない。

「お姉様、私、どこかおかしなところはないかしら? 髪は、この形は地味すぎるんじゃないかって、コンスタンサに言ったんですけれど、正式な謁見だから、ちゃんと結い上げないといけないって……」

 オドザヤは、玉座に座って、これから一段下の椅子に座ろうとしたカイエンに、そんなことを聞いて来る。

「……とてもきれいですよ。いつもにも増して……」

 カイエンがやっとこさでそう答えた時には、もう、侍従がトリスタンの入場を知らせていたのだ。


 トリスタンの衣装は、数日前に大公宮に現れた時のものと、基本的に同じだったが、表が深緑で裏が真紅のマントだけが、長々と裾を引く、白い毛皮で縁取りされたものに変わっていた。よく見れば、胸元の勲章の数も増えていたようだ。

 オドザヤは、紅潮した顔ではあったが、カイエンや女官長のコンスタンサ、それに宰相のサヴォナローラが危惧していたような、浮ついた様子は見せることはなかった。

 さすがのトリスタンも、「肖像画に恋して出奔同様に飛び出して」などと言う世迷いごとは、オドザヤの前では展開せず、

「ハウヤ帝国の新皇帝のご即位をお祝いし、両国のさらなる親善を図るためにまかり越しました」

 と、穏当なことを言ったので、この謁見はこうした際の「雛形」通りに終わったのである。

 トリスタンはもちろん、オドザヤが、大公宮で見た「クリストラ公爵夫人ミルドラの長女アグスティナ」であることに気が付いただろうが、驚いた様子も見せなかった。これは、カイエンの方がしてやられた、と言うことだろう。



 カイエンはトリスタンの謁見の場面を、どうにか変えられないものか、と埒も無く思い出していたが、そんな現実逃避は、すぐに厳しいサヴォナローラの声で遮られた。

「大公殿下! しっかりなさってくださいませよ。陛下には、舞踏会はどうか、との思し召しです」

 カイエンは、一瞬、耳が聞こえなくなった。

 舞踏会。

 そんな催しが、皇帝主催で、最後にこの皇宮で行われたのは、一体いつのことだろう。

 皇后だったアイーシャの主催では、いくらでも行われていたが、カイエンは踊れなどしないから出たこともなかったし、先帝サウルは舞踏会などには興味がなかった。

 だが、今度の相手はあの踊り子王子だ。

「なるほど。陛下は王子の踊りを見たいのだな」

 カイエンはそう言ったが、サヴォナローラは返事もしなかった。

 もう、十二月も終わりに近づいていた頃だったから、舞踏会は十二月三十一日に行い、新年を賀ぐ意味合いも持たせたら、と言うことになった。

 そして、カイエンは、這々の体で大公宮へ帰った。

 そして、夜、舞踏会の事を大公宮奥の住民たちの前で話したのだが。

 その反応は、かなり微妙なものだった。

 そして、しばらく皆が黙り込んでしまった。ヴァイロンは言うべきことがない、という顔だったし、それは使用人のアキノやサグラチカ、そしてエルネストの侍従のヘルマンも同じだった。

 教授やガラ、アルフォンシーナは、何か言いたげだったが、顔を見合わせてから、自分たちは言わないことにしたらしい。

 そうなると、もう言うべき口は、憎らしいエルネストにしか付いていないのだった。

「おい、それじゃあ、あんたや宰相は、皇帝陛下があの踊り子王子に、『一曲お相手を』って手を差し伸べられて、一緒に踊るところを見ることにしたってわけだな?」

 カイエンは弾かれたように顔を上げた。

 足のことがあるから、カイエンは舞踏会になどほとんど出たこともない。それは、神官宰相のサヴォナローラも同じだろう。

 エルネストの言葉は、その二人の、無知ゆえの甘さと不見識を鋭く突いていた。

「あーあー。この国の頭は、生真面目馬鹿と、世間知らずの浮世離れしかいねえんだなぁ。これじゃあ、先が思いやられるわ、なあ、他の皆さん?」

 カイエンを気の毒そうに見ながらも、がくがくとうなずく皆を、もうカイエンは直視することもできなかった。

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