皇帝サウルとその妹弟

   

 春


 女あり 

 きりきり髪を 

 巻いて立て

 かんざしひとつ、いま挿している


 夏


 弓手には

 おのれの髪を

 束ね持ち

 利き手たぐって簪かんざしを打つ


 秋


 月と日を

 諸手にあげて

 一人立ち

 心の神子を今、引いて産む


 冬


 解けた髪

 すべてを巻いて

 頭頂に

 朱を貫いて人の世に出る  





      アル・アアシャー 「かの女、かんざしひとつ光らせて生く」より。


  




 彼には一人の妹と、一人の弟がいた。

 妹も弟もあまり可愛げのない性格だったが、特に三つ違いの弟の方は苦手だった。

 弟が特に悪い心を持った人間だったというわけではない。

 いや、彼ら三人が成人する頃には、彼の弟はお忍びで訪れた下町や色街で色々と悪いことを覚え、彼には理解できない考え方や行動をするようになっていたのだが、まだ子供の頃の弟はまだそこまでではなかった。気の合わない、いやな奴ではあったが、それは弟の方が万事について「出来が良かった」からに過ぎなかったから。

 そして、出来のいい弟をいやな奴だと思う、兄の自分の方が悪いのだろう、という気持ちはちゃんと彼の中にあった。

 でも。

「ちょっと待って。ねえ、これ。歴史の先生から預かりましたよ」

 いつも、皇子宮の廊下の向こうから弟の声が聞こえてきた時には、彼はちょっといやそうな顔をしてしまったと思う。

 あれは彼が十六、七になった頃だっただろうか。

 その頃、もう弟は彼のことを「兄」とは呼ばなくなっていた。名前で呼ぶことさえせず、だから弟から彼への呼びかけには主語が抜けているのが普通になっていた。

 兄に対してだけ、相手の名前も呼び掛けの名も呼ばず、それでも日常の会話に不自然さを全く感じさせずに会話を成立させていた、あの弟。

 弟は彼の妹、弟の姉に対してはちゃんと「姉上」と呼びかけたり、「ミルドラ姉さん」とくだけた言い方をしたりしていたのに、だ。

 弟はどうしてあの頃から、彼を兄と呼ばなくなったのか。その理由を、彼は知っているといえば知っていた。

 では、弟はあのことを知っていたのだ。

 だが弟はそのことで兄を責めることもなく、ただ黙って、彼には一定以上、近付かなくなったのだ。いつもにこにことしていた、彼によく似た、だが少し線の細い顔つきを変えることはなく。

 憎んでいたのか。

 それは、弟が永遠に彼の前から去った後まで謎のまま残った。

 彼の弟とは、彼にとってそういう「よく分からない苦手なやつ」であった。

 そんな弟には、彼にそっくりな顔の娘が一人いた。

 母親のアイーシャには全く似ていない、体に蟲があるために歩行に支障をきたして生まれた、生来病弱な娘。

 彼はこの娘には特になんの感情も持ってはいなかった。ただの伯父姪。

 だが、弟とそっくりの外皮の中にあるものが弟とは違っていることは感じていた。

 カイエン。子供の頃から頭が良く、絵を描かせれば驚くほどに上手いと聞いていた。小さな子供の頃、アルウィンに連れられて皇宮に上がってきた彼女は見ただけで聡明そうな顔つきの子供で、大人びたおしゃべりをし、すでに大人の話題にも難なくついてこられるほどの教養を持っていた。

 彼は己の三人の娘たちの様子と引き比べるまでもなく、このカイエンの子供らしさのないところに違和感を抱いた。そっと見ていると、横で弟がにこにことこちらを見ていた。

(いい子でしょう? 僕にそっくりで)

 彼の娘たちは三人が三人とも母親似で、彼や妹、弟のような「皇帝家の顔」を持ったものは一人もいない。

 それを揶揄しているような目つき。

 彼は苛立ったが、それを態度に出すほど馬鹿ではなかった。

 弟が病死と称し、実の娘までも欺いて姿を消した後。

 新大公になった十五歳のカイエンは、聡明で他の子供達とは一線を画していた子供の頃とは打って変わって、惨めったらしく見えた。

 唯一の保護者であった父親を失った少女の灰色の目は、大人たちの顔色ばかりを伺っていて、自分も自分の職務も見えてはいない。

 いくら頭が良くても、彼女は彼にとっては色々と手抜き大公だった、あの弟の半分も使えない無能な大公であった。

 それは弟とは違って、カイエンには裏の顔というものが全然無かったからだ。アルウィンの期待に応えようと必死で学び、必死で大人びて見せようとし。そして不自由な体のために人々から貶められることから逃れようとしているだけの、結局はそれだけでいっぱいいっぱいの、哀れな子供でしかなかったからだ。

 そんな時だった。

 彼の妻、皇后アイーシャの取り巻きだった、スライゴ侯爵アルトゥールが、彼の耳元で囁いたのは。

(アルウィン様の後ろ盾でフィエロアルマの将軍にまでなった、あのヴァイロンは、女大公に忠誠を誓っているそうですよ)

 普段なら、元はアルウィンのお稚児さん同然だったアルトゥールの言うことなどには、彼は耳も貸さなかったが、この時だけはその言葉が耳に残った。その後、皇后のアイーシャまでもが同じ事を吹き込んできたのには呆れたが、アルトゥールが言わせているのだろうという事はすぐに分かった。

 ああそうか。

 そうして、彼は気がついたのだ。これらの讒言の後ろにある、弟の意思に。

 弟には裏の顔があり、そして存在の根っこには毒があった。兄である彼には隠せないと思っていたのか、隠そうともしていなかった毒が。その弟の毒はあの勇猛果敢な将軍ヴァイロンにも降りかかっていた、というわけなのだと。

 彼は、アルウィンが大公宮の裏庭で未だ少年だったヴァイロンにかけた、あの、呪いだか魔法だかの存在を瞬時に予想することができた。まさにそれは、弟のやりそうな事だったからだ。

(かわいい娘を守るためですよ)

 アルウィンはあの薄笑いを浮かべた顔で、そう言って憚らないだろう。アルウィンにとってはカイエンもヴァイロンも、ただ自分の思い通りになる、かわいい生き物でしかないのだ。

 かわいそうな事にはカイエンにも、あのヴァイロンにも、その個人の中には毒がない。きれいなものだ。

 だが、きれいで真っ白といえば聞こえはいいが、真っ白なままで生きられるのは、まだ物心もつかぬ子供のうちにこの世から連れ去られる者か、この世を捨てた者たちだけだ。

 それではいけない。そんな大公や将軍など要らないのだ。

 カイエンもヴァイロンも、大人となった彼らのいるべき場所はそんなきれいな場所ではない。彼らが皇帝である彼の下にいる以上、それでは済まされないし、済ませもしない。

 その頃、己の中に生まれた不安因子のこともある。

 彼は己の皇帝としての人生と治世に、大鉈を振るう時がきたことを感じていた。それにはこの帝都ハーマポスタールを任せられる、しっかりした「大公」が必要だった。

 あの哀れなアルウィンの娘も、もう十八。大人になっていい頃だ。それでも使えなければ、すげ替えるだけだ。

 彼は、その頃内閣大学士に取り立てていた、アストロナータ神官で歴史の流れを観想する男に相談した。

 そしてその結果、使い物にならなかった弟の娘は、なんとか使い物になるようになった。

 彼女の中に生まれたのは「毒」ではない他の、もっと単純なものだったようではあったが。

(それでもいい)

 彼は第二の弟を欲していたわけではなかった。カイエンが弟とは違うのはむしろ喜ばしいことだった。




 第十八代ハウヤ帝国皇帝サウルには兄弟が二人しかいなかった。

 歴代の皇帝には、皇后や妾妃との間に多くの子を持つものも少なくなかったが、彼の父、第十七代ハウヤ帝国皇帝レアンドロの成人できた子はたった三人。多くの妾妃達が産んだ子供は誰一人として大人にはなれず、成人できたのは皇后ファナを母とする男子二人と女子一人だけだったのだ。

 それが、サウル、ミルドラ、アルウィンの兄弟である。

 彼ら三人の子しか育たなかったことに関しては、宮廷内で皇后ファナの策謀を示唆する声も上がったが、ファナはハウヤ帝国と複雑な歴史的関係を持った、“友邦”、シイナドラドから嫁いできた皇女だったため、すべてはうやむやになった。

 三人は年の近い兄弟であった。

 長子サウルは皇帝となり、次子ミルドラは降嫁して帝国東側の要衝を守護するクリストラ公爵の夫人に。

 そして末子アルウィンは兄が皇太子となったことを受けて、皇帝レアンドロに先んじて亡くなった皇弟大公グラシアノの後を継いで、帝都ハーマポスタールの大公となった。

 そんな三人。

 彼らはあまり仲が良くなかったとされている。

 公的には抹消された事実ではあるが、サウルとアルウィンは一人の女を争った。

 現在の皇后、アイーシャである。

 最初に、アルウィンが平民のアイーシャを妻とすることには当然、母である当時の皇太后ファナの反対があったが、ファナはなぜかこの末っ子のアルウィンの事は子供の頃からあまりかまいつけず、長子のサウルを溺愛していたため、それは形式的なものでしかなかった。

 その女、後の皇后アイーシャは一子カイエンをアルウィンの元に残してアルウィンの元から、サウルの元へと去った。

 サウルが平民出身のアイーシャを皇后とすることにあたっては、当然、彼を溺愛していた母、皇太后ファナの猛烈な反対があったが、サウルは母の涙にも嘆きにも頓着することなく、ことを進めていった。彼がこれほどまでにアイーシャに執着したのは、アイーシャの美貌もあったではあろうが、やはり彼女があの苦手な弟、アルウィンの妻であったから、なのかもしれない。

 一番先に婚姻によって皇家を離れたのはミルドラ皇女であったが、彼女が半ば強引に公爵家へ「降嫁」したのにも、理由があったという。

 それは。

 若き日の長子サウルが異常に彼女を愛していたからだと言われている。

 では、末子のアルウィンは。

 大公になった後、そんな過去があったことなど忘れたように、質素で静かな生活を「表向きには」していたアルウィンではあった。

 だが、彼は若い頃は下町で遊興する放蕩皇子で有名だった。そこで見出した女がアイーシャなのだ。

 彼ら三人の醜聞が世に出ることはなかった。 

 皇帝サウルが生きているうちには。

 それほどに第十八代皇帝サウルの権勢は偉大であった。




「静まれ」


 後宮の女騎士たちによって第四妾妃星辰が取り押さえられた時。

 その瞬間、薔薇の庭園に響き渡ったのは、皇帝サウルの低い、ややかすれた声であった。

 皇帝は薔薇棚の天幕の中へ入ってくると、芝生の上に押さえつけられた、己の新しい第四妾妃の方は見ようともせず、正面の椅子へ座ったきり真っ青な顔で動けなくなっている皇后アイーシャと、その向かって右側にすました顔で落ち着き払って座っている、第三妾妃のマグダレーナを見た。やはり、身重の二人は気になったのであろう。

 そして、その次に見たのはアイーシャの前で一群をなしている四人の女たちの方だった。

 星辰の腹にお見舞いした銀の握りの杖を手にしたカイエンと、それにすがりつくように両方の腕を取っている、ミルドラとオドザヤ、それにデボラである。

 カイエンは小柄なので、女たちはカイエンにすがりついているようで、カイエンを後ろから支えているようにも見えた。

 フランコ公爵の夫人デボラはともかく、ミルドラとオドザヤの二人とカイエンのつながりが見て取れる情景ではないか。

「何が起きた」

 皇帝の前であるのに、女たちは揃って挨拶も忘れている。いい年をした妹までがだ。

 皇帝サウルは心の中でため息をついた。

 皇帝の視線と声に真っ先に正気に戻ったのは、弟の娘だった。

 弟なら絶対にしなかったであろう、クソ真面目一方の、だがこのところ抜け目なさを身につけてきた表情で顔を上げる。

「も、申し訳ございません」

 カイエンは皇帝の呆れたような目つきを見て、これはヤバいとそこに跪こうとしたのだが、両腕に三人の女が絡みついていたためにそれはできない相談だった。

 仕方なくカイエンは頭だけで礼をした。

「コンスタンサ、ちょっと来てくれ」

 それから、カイエンは女官長を呼んだ。ことの次第をしっかり見ていたであろう、大切な証人だ。この辺り、カイエンも用心深くなっている。

「はい」

 コンスタンサはこんな騒ぎの中でも落ち着いたもので、皇帝の前で恭しく頭をさげる。

 それらを見ているうちに、カイエンの腕に縋りついていた女たちが一人、また一人と正気に返った。

「ああ!」

 死にそうなうめき声とともに、その場にくずおれたのはフランコ公爵夫人のデボラだ。それはそうだろう。目の前にいるのはこんな近くから目通りなどしたことのない皇帝陛下である。彼女は挨拶も出来ぬまま、その場で気絶しそうな顔色だ。

「あら、兄上、御機嫌よう。ごめんなさいね、私たち腰が抜けてしまって。こうしてカイエンにすがりついてしまったの。……カイエンはとっても頑張ったのよ。どうかお怒りにならないで。ね?」

 カイエンの腕をとって支えたまま、優雅に返したのはミルドラ。もう彼女の表情にはいつもの人をくったような表情が戻ってきている。言っていることも堂々としたものだ。カイエンは改めてこの叔母に感心した。

「……お父様、あの、大変……大変なことがあって、おねえさまが……」

 オドザヤはそう言ったまま、恐ろしそうに取り押さえられた星辰の方を見た。

「あの方、お母様を……それで、おねえさまがそれを抑えようと……」

 そう言う長女に向かって、皇帝は静かにうなずいた。

 女騎士たちが、猿轡をかませた星辰の体と、複雑に結い上げられた髪を解いて他に武器を持っていないか、探っている。

 それを見ながら、カイエンはいちいちコンスタンサに確認しながら、茶会が始まってからの一部始終を皇帝に報告したのだった。



「ふん。これか」

 皇帝サウルはついてきた女騎士がそっと布で包んで、差し出した星辰の二本のかんざしを見た。

 すでに身重のアイーシャとマグダレーナは後宮の己の宮へ戻されている。オドザヤ以外の皇女二人とその母もだ。

 皇帝サウルとカイエン、ミルドラ、オドザヤ、女官長のコンスタンサとそれにデボラが集まっているのは、後宮よりは表の海神宮に近い一室である。先日、カイエンが呼び出された略式の謁見の間よりももっとくだけた印象の、テーブルとソファの間配られた、色味の落ち着いた居心地のいい部屋だ。

 デボラはあの後、死にそうな顔のままやっとの事で皇帝に挨拶はできたのだが、こんな大事件に関わってしまったことで生きた心地もしないのか、ミルドラの隣で小さくなっている。かわいそうだが、それでも彼女は当事者なので黙って帰すわけにはいかないのであった。

「先の方が黒く変色しております」

 後宮の女騎士の中の頭なのであろう、そろそろ中年に差し掛かった女騎士が低い声で言った。

 カイエンは身分柄、オドザヤと一緒に皇帝を挟んですぐ隣に座っていたが、言われて皇帝の手元をみれば、銀の簪の先の研がれて鋭く尖った部分は、なるほど黒く色が変わっていた。

 これは毒だろう。なるほど、大きいとはいえ簪で致命傷を与えるのは暗器に慣れた者でもなければ難しいだろうが、毒が塗ってあるとなれば話は別だ。毒の強さいかんでは、かすっただけでも危険かもしれない。カイエンがそう考えていると、

「毒か」

 皇帝サウルもまた、そう言ってうなずいた。おそらくはカイエンと同じことを考えていたはずだ。

「は。分析しなければもちろん、わかりませんが、そのようです」

 女騎士はそう言うと、後ろへ下がった。

「あらまあ」

 ミルドラが本心はどうあれ自分とは関係ないわ、とでもいう態度で言えば、横でデボラが気を失いそうな顔でのけぞった。妾妃が皇后を襲い、簪に仕込んだ毒で殺そうとした現場を見てしまったのだ。それは大変な驚きと恐怖だろう。

「コンスタンサ」

 皇帝が女たちを無視してそう言うと、女官長がさっと壁際から離れてそばに控えた。彼女は身分柄、座らずに壁際に立っていたのだ。

「第四妾妃が後宮に入る前には、持ち物の検査をしろ、と命じたな?」

 皇帝サウルの声は氷のように冷たい。

「はい。私自ら、検分に立ち会いました。それでもこのような物を持ち込まれておりましたとは……。私の落ち度でございます」

「この簪を検分したか?」

 皇帝は追い込むようにコンスタンサに聞いた。

「はい。そのような大きな簪がたくさん持ち込まれましたので、私もすべてを検分いたしております。その意匠の簪にも覚えがございます。しかし、その折にはそれはそのように研がれてはおらず、またそのような変色もございませんでした」

「そうか」

 皇帝はうなずいた。

「星辰についてきたのは、召使一人だけだな?」

 コンスタンサははっきりと首肯した。  

「星辰様の伴われたのは、螺旋帝国より逃れ出た時に伴ったという女官一人でございます。ですが……」

 皇帝は押しかぶせるように言った。

「その者の持ち物、身体検査は徹底しておらなんだ、ということだな?」

 カイエンはコンスタンサの長身が、床につくほどに折り曲げられるのを見た。

「……このコンスタンサ、お仕えしてより最大の失態でございます」

 そう言うと、彼女はそれ以上の言い訳をせずに頭を下げた姿勢のまま、微動だにしなかった。

「……いや、まだだ。コンスタンサ、そなたの怠ったのはその女官の荷物検査か? 身体検査か?」

 皇帝の追求は容赦がなかった。

「……身体検査でございます」

 ふうっ。

 カイエンは真横で皇帝サウルのため息を聞いた。

「そうか。それでは今日の出来事の責任はそなたのみに課せられるべきではないな」

「……そうであろう? サヴォナローラ?」

 サヴォナローラ?

 カイエンは弾かれたように部屋の入り口を見た。

 そこに、音もなく控えていたのは、宰相のサヴォナローラ。今日も褐色のアストロナータ神官の格好だ。

 いつの間に現れたのか。気配もない。その点では弟のガラに似たものがある。

「はい。今日のことについては報告を受けました。どうやら私の考えが甘かったようでございます。ことこうなってみれば、あの女官は体の中にいろいろ隠し持っていたのでありましょう。……うかつでございました」

 サヴォナローラは意識しているのかしていないのか、まっすぐに真っ青な目をカイエンの方へ向けた。 

「大公殿下には今回の事を見事にさばいていただけたとのこと、感謝申し上げます」

 はあ?

 そう言いたいのをこらえて、カイエンは応じた。

「私には何もできないが、今日のことではこの杖が役に立ったようだ」

 そう。この杖ですよ。この杖にでも感謝しなさい。

 座ったまま、杖の握りを嫌味っぽく指先で揺らしながら、この頃身につけた「うそ笑い」でサヴォナローラを見やれば、敵も大したものだった。

「もし、この度のお茶会に皇后陛下が大公殿下をお呼びになられなかったらと思うと、身が震えます」

 そうですか。

 カイエンはにこにこと、うそ笑いを最大限にレベルアップしつつ、うなずいた。最近はもう慣れっこになって来たが、今日もヤケクソで締めだ。もはやそれしかない。

「第四妾妃の尋問については、サヴォナローラ、そなたが直々に行え。……もう失敗は許されぬぞ」

 カイエンのヤケクソ笑いの横で、皇帝サウルは厳しい顔のままサヴォナローラに命じた。

 それから彼はフランコ公爵夫人デボラの方へゆっくりと首を巡らせた。灰色の目がぴたりとデボラの顔面に当てられる。

「フランコ公爵夫人」

「ひっ」

 デボラは鳥肌を立てて、座った姿勢のままその場に凍りついた。

「今日のことは、しばらくテオドロにも内密にな。わかったか?」

 がくがくとうなずくデボラを見ながら、カイエンは一人、他のことを考えていた。

 私はこのことをどいつにまでは話していいのであろうかと。

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