朱路陽 、佩玉の物語を語る
青い空の朝に
私は窓を閉めて
別れ言を言おう
かの乙女は
私のために涙しただろうか
あの朝はいつの事であったか
私の命がここで果てても
今更悔いることはない
嗚呼
この空には今、色がない
だが
あの窓を閉めきった日の朝には
今でも青い空があるのだろう
周
カイエンのもとへ皇帝サウルからの書簡が届いたのは、それから間もなくのことであった。
それは皇帝自らが書いたと思しく、螺旋文字で書かれたもので、それに宰相サヴォナローラの添え書きがついたものだったので、カイエンとしては従うしか他に処しようのないシロモノであった。
内容は先日のアストロナータ神殿でのやり取りの報告と、例の佩玉の受け渡しをするので、佩玉を持って皇宮へ上がるようにとのお達しであった。
随行として大公軍団長イリヤの同行が求められていた。おそらくは今回の連続男娼殺人事件の「処理」について、現場の最高責任者である彼に申し渡すことがあるのであろう、とカイエンたちは推察した。
カイエンは少し考えたが、あえて護衛騎士のシーヴも連れて行くことにした。
彼に部屋の隅からでも、この現在のハウヤ帝国の頂点に立つ者どもを見せておきたかったのである。
一応、彼の身元引き受け人のザラ大将軍にも意見を求めてみると、大将軍は「任せる」との返答をよこした。
そして当日。
カイエンは心配そうなヴァイロンとサグラチカ、それにアキノに見送られ、イリヤとシーヴを連れて、皇宮の内、皇帝サウルの執務室のそばにある非公式の場合に使われる謁見の間へと赴いた。
シーヴはもちろん、さすがのイリヤも皇帝に非公式とはいえ謁見と聞いて、やや緊張していたようだ。だが、へそ曲がりな彼の態度は、皇帝の謁見の間に近づくにつれて普段の彼の人を食ったような態度に戻って行った。ついにはうすら笑いがその顔に滲んできたのに気配でも気がついたカイエンは、振り向いて長身のイリヤをギロリと睨み上げ、無言のまま、目と目で注意しなければならなかった。
「大公殿下、こちらへ」
そこまで案内してきた係官から引き継いだ、謁見の間付きの係官が恭しく頭を垂れた。
「皇帝陛下、並びに宰相様、それに螺旋帝国大使、朱 路陽様がお待ちでございます」
非公式用ながらも謁見の間の大扉の前で、カイエンたちは歩みを止めた。
カイエンは懐に大切に柔らかい絹布で包んだ、あの佩玉を持ってきている。その持ち主はあの頼 國仁先生に連れられて亡命してきた玄
カイエンは頭の中で忙しく思考を巡らせた。
これまで副官に着任状を持参させたきり、出てこなかった螺旋帝国の新王朝「青」の外交官がここへきて出てきた理由。
先生の話では先の王朝を転覆させた、馮 革偉に協力したという、元、総管太監だった宦官。
では。皇帝と宰相はあの皇子と皇女にではなく、新しい螺旋帝国の外交官に佩玉を渡そうというのか。カイエンはあの憔悴しきった頼 國仁先生の様子を思い出すと、気の毒な気がしたが、一方では胸をなでおろしていた。
あの場で佩玉を皇子皇女に渡していたら! 今日、自分はここへ呼び出される前にその責任を問われ、ややこしい事態に引き込まれていたということだ。
「本当にくわばらくわばらだったな」
思わず、独り言が漏れてしまった。
まだやっと十九のカイエンにとって、四十路の皇帝の思惑も、その懐刀のサヴォナローラの思惑もまた、計り知れないレベルにあるようだ。
係官の合図で開かれた大扉の向こうを眺めた時、カイエンの心にあったのは、未熟な己への恐怖であった。
非公式用とはいえ、謁見の間はなかなかに広くて立派であった。
だが、皇帝が上段に座り、多くの家臣たちが広々とした下段にあって謁見するような作りではない。
皇帝サウルは正面の大きな一人がけの肘掛付きの玉座に座っており、宰相のサヴォナローラはその向かって左横に立っている。それはなかなかに威圧的な眺めで、以前のカイエンだったら後ろを向いて帰りたくなったであろう。
だが、すでにして大公である彼女にはもうそんな行動は許されない。
皇帝の玉座の前には本来、椅子などが置かれることはないのであろう。だが、今日は皇帝の前にはそう大仰ではないテーブルが置かれ、そこには書類が広げられていた。そして、皇帝の前に一人の人物がひざまづいていた。
それが朱 路陽であることは、状況からも、彼の着ている螺旋帝国の衣装からも明らかだ。だが、顔は見えない。
見れば、皇帝の横、サヴォナローラの立つ反対側には、木製布張りのそう贅沢ではないが、座りやすそうな椅子が用意されている。ご親切にもカイエンの足を慮って用意されたものらしい。
「大公殿下、どうぞこちらへ」
サヴォナローラが如才なくその椅子を指し示した。
カイエンがうなずいて歩き出すと、サヴォナローラは続けた。
「大公軍団軍団長イリヤボルト・ディアマンテス殿、それに大公殿下の護衛騎士の方は殿下の後ろへお控えください」
けっ。
ぎりぎり、カイエンにだけ聞こえる音量で、イリヤが毒を吐いた。
シーヴの方も、己の先祖の国を滅ぼした帝国の現在の長を前にしても恐れたふうはない。それはそうだろう。彼の仕えるカイエンもこの皇帝も、彼の先祖の土地を奪った者の子孫ということでは変わりはないのだから。
カイエンは皇帝サウルへ黙礼してから椅子に着いた。だが、皇帝サウルはその方へ目も向けない。思えば、カイエンは彼には姪であるのだから、本来ならばもう少し温かみがあってしかるべきではある。だが、アイーシャがカイエンを産んだのちに皇后になった時から、彼らの間に伯父姪の親しさの生じる隙はなかったのだ。
カイエンが席に着くと、ひざまづいていた朱 路陽が深く、床に頭がつきそうなほどに頭を下げて挨拶した。
「大公殿下には初めてお目にかかります。この度、新生螺旋帝国より着任致しました、朱 路陽と申します」
「大公カイエンである」
カイエンがそう返答すると、朱 路陽は初めて顔を上げた。皇帝への挨拶はもう済んでいたのであろう。
朱 路陽は年齢四十ほどに見えた。やや痩せていて背もあまり高くはなさそうだ。宦官らしくその顔に髭はなく、面長な顔は彫りが深く、整っていて卑屈な感じは全くない。薄い、灰色がかった茶色の目が印象的で油断ならない感じに見えた。宦官と聞いていなければ、そして髭のない螺旋帝国人の意味を知らなければ、学者のようにも見えただろう。
彼はそうして並ぶとよく似ていると言わざるをえない皇帝と大公の顔を交互にそっと見てから、宰相のサヴォナローラの方を見た。
「恐れながら、この度はかの佩玉の引き渡しに応じていただけるとのこと、恐悦至極に存じます」
やっぱりね。
カイエンは心の中でつぶやいた。
皇帝とサヴォナローラは新王朝への友好を決めたということか。
「そうですね」
サヴォナローラはそう言うと、言葉を切った。皇帝サウルは無表情で座ったきり、彫像のように何も言おうとはしない。
「ですが、その前に皇帝陛下の前で、はっきりとしなければならないことがございます」
朱 路陽は慌てもしない。
「どのようなことでございましょう」
「大使殿にはご存知ないかもしれませんが、前王朝の遺児の方が絡んだ事件がこの帝都ハーマポスタールで起きております。それを形式的にでも解決しないことには、こちらの帝都の治安を預かる大公殿下のお顔も立ちませんし、皇帝陛下もご納得なさいません」
「それは、かの遺児の持ち込んだあの佩玉の起こした事件でございますね」
朱 路陽はこと、ここに至って余計な時間をかけるつもりはないようで、率直に話を進めてきた。
「さようでございます。あの遺児のお二方のみが革命の嵐を乗り越えてこの西の果てまで亡命できた理由、そしてあの佩玉の由来も伺いましょう。……新王朝の外交官であるあなたがなぜ、あの佩玉を欲しがっているのかもね」
カイエンは前を向いたまま、皇帝と並んで無表情を顔に張り付かせていたが、心の中ではいろいろと感心していた。
あの連続殺人事件は、四件目の犯人が五人目のクーロ・オルデガである、という他は全く解明できていない。
皇帝と大公の無言の圧力を受け、朱 路陽は諦めたようだった。
「わかりました。お話し致しましょう。ですが、このことはこの部屋の外へは口外無用にしていただきたく……」
皇帝がうなずくのを見ると、朱 路陽は語り始めた。
それは、以下のような物語である。
螺旋帝国から逃れてきた二人の前王朝の遺児の母は、子の出来ない皇帝の行った「女狩り」で「冬」王朝最後の皇帝の後宮に入れられた中の一人で、趙
その貞辰が女狩りで連れてこられた時に、義理の弟から手渡されたのがあの佩玉。
義理というのは、貞辰の父と、弟の母が再婚同士で一緒になったからであったらしい。
だが、貞辰は娘と息子にもその義理の弟の名前は伏せて語らなかったという。
だが市井の一文人、馮 革偉が民衆に押し立てられ、革命軍の頭領になったと聞き、その後、その軍勢が皇帝の宮殿に押し寄せてくると聞いた時、貞辰は娘と息子を前にして、佩玉の主である義理の弟こそが革命軍の頭領であろうと告げた。
馮 革偉という名前は、貞辰の知っている義弟の名ではなかった。だが、「革偉」というのは義弟が戯れに書いていた小説の筆名であったので、彼女は間違いないと思ったらしい。
それには、佩玉の側面に書かれた文言も根拠としてあったのではないか。
佩玉の由来は明らかではない。
新皇帝、馮 革偉も語らないままだ。
(我はこの玉環を佩はく者にこの世の権力と栄華を与えん。だが引き換えに其の者は己の半身の愛と信頼を失うであろう)
確かなことは、貞辰と義弟の間には、特別な感情があったのであろうということ。
そうでもなければ、女狩りで連れ去られようとする義理の姉に、このような意味ありげな文言の刻み込まれた佩玉をギリギリの瞬間に手渡そうとはしないであろう。
そんな二人を引き裂いたのが、前帝の命じた「女狩り」であったのだった。
王朝の危機を感じ取った貞辰は佩玉を息子の天磊に授け、同時に密かに外部と連絡を取ろうと模索した。二人の子を逃がすためである。貞辰は義弟は自分の子ならば、皇帝の子であっても、もしかしたら見逃してくれるのではと、それに賭けたのであろう。
その時、革命軍側から彼女に連絡しようとしてきたのが、ハウヤ帝国から帰国し革命軍に身を投じていた頼 國仁先生だった。
実は頼 國仁先生は若い頃からの貞辰の父の友人であり、五年前に帰国を決意したのも、すでにその頃から革命を考えて蠢動していた革偉と貞辰の父からの帰国要請によるものだったらしい。貞辰も、革偉のそば近くに実父がいる事は知っていたのだろう。
皇帝の王城の落城のどさくさに、二人の皇子皇女のみが逃れられたのには、こういった裏事情があった。
ちなみに、趙才人である二人の母、趙 貞辰は燃え上がる王城に残ったという。
もはや義弟に会わせる顔がないと思ったのか、それとも、もはや生きながらえても仕方がないと諦めたのか。
「あなた自身はどうして革命軍に味方したのです? 総管太監だったあなたが」
サヴォナローラがすかさずただすと、朱 路陽は苦く笑って見せた。
「時勢を読んだだけです。馮 革偉自身は一介の文人でしたが、彼を担ぎ上げた民衆の数は圧倒的でした。今までの易姓とは違い、宮城に押し寄せた軍勢は軍人たちの軍隊ではなかった。もちろん、同調した軍人も多かったが、民衆の作った義勇軍の数が……黄色い大地を真っ黒にして、彼らは押し寄せて来たのです。公平に事態を見る者ならば、あの黒い人の渦の今までの歴史にはなかった強大なちからを感じられたでしょう。……事態を冷静に見て、前王朝を裏切ったのは私だけではありません」
「なるほど」
あまり納得した様子ではなかったが、サヴォナローラはおとなしく引き下がった。
「皇子皇女方お二人だけが逃げ延びた事情はまあ、いいでしょう」
彼は朱 路陽の言うことを丸ごと信じたわけではなさそうだ。
カイエンがそう考えていると、サヴォナローラは話しを進めていった。皇帝サウルはここまで黙したまま、一言も話さない。寝ているのではないかと疑うほどだが、そのカイエンと同じ灰色の目はしっかと見開かれ、朱 路陽を見据えていた。
「それで、このハウヤ帝国まで落ち延びてこられたお二人が持ってきたその佩玉を、あなたが欲している理由はなんです? 新王朝の皇帝のためですか?」
朱 路陽は迷わなかった。
「もとより正しい佩玉の持ち主は現皇帝陛下、馮 革偉でございます。我が皇帝陛下は革命を成し遂げた今、あの佩玉の文言が正しかったことを真実とし、今後も進んでいきたいとの仰せです」
馮 革偉。
確かに彼はこの世の権力を手にれた。
そして、間違いなく失っている。
おのれの半身を。
女狩りで奪われた、趙 貞辰を落城の宮城の中で。
カイエンは、そこで静かに口を挟んだ。
これだけは聞いておかなければならない事であった。この帝都の治安を預かる大公として。たとえこの事件の真実が闇に葬られるのであったとしても。
「あなたはこの度の連続殺人事件の最初の殺人者は誰だとお思いですか」
カイエンが聞くと、朱 路陽はきっとした目で彼女を見返してきた。
それまでの告白をする中、彼はやや顔を引きつらせ落ち着かなげに見えたが、若年でしかも女のカイエンを軽く見る様子はなかった。
「私個人の考えでしょうか」
彼は一度目を閉じてからゆっくりと目を上げると、静かに聞き返してきた。
それへ、カイエンは深くうなずいて見せた。
「ええ。あなた個人の考えを伺いましょう」
「左様。それならば、申し上げましょう。犯人はあの皇子か皇女のどちらか、または二人ともに相違ありません」
朱 路陽は、恐ろしい考えを、低いきっぱりとした声音で言い切った。
カイエンは思わず、皇帝の向こうに立っているサヴォナローラの方を見てしまった。
あのアストロナータ神殿での面会の後、イリヤやヴァイロンが言っていた言葉が蘇る。
(あ、こいつらヤバイわーって思いました。ああいうの、コロシの犯人にたまにいますよ〜)
(たまにああいう空気を纏まとっている兵士がいます。……戦いの中で、殺しが好きになってしまった奴らの顔つきです)
やはり、彼らの目は正しかったのか。
サヴォナローラは無表情でうなずいて見せた。彼も皇子皇女を疑っていたということだろう。彼はカイエンと話した時に、皇子皇女を評して、「無邪気な方々」と言っていたが、その意味は「普通の感覚では推し量れない方々」とでもいう意味だったのだろう。
「その根拠は?」
「長く皇帝陛下に仕え、後宮の全てを知る私です。あのお二人のこともよく存じております。……あのお二人をお生みになった趙才人はおとなしい、ちょっと美しいだけの、毒にも薬にもならないような方でしたが、あのお二人は違いました。年子で双子のようにお育ちで、お二人で遊んでおられましたが、ほんの子供の頃から、もう、なんというか、目を背けたくなるようなことをなさっておられましたな」
そこで朱 路陽は息を吐いた。
「最初は虫を殺しては周囲に見せたり、箱に入れて飾ったりしてご自慢なさっておられました。ま、子供なら誰でもすることですが、あの方達は全てを蒐集して部屋に飾っていたのです。あの子供部屋の様子は……異様でした。それがいつか小動物になって、十四、五におなりの頃には、とうとうお二人の宮で女官が何人か消える事態になりましてね。他の女官は恐怖に凍りついた顔で、不始末があって親元に帰ったと口を揃えて言っていましたが、私も他の宦官たちもそんなことは信じませんでしたよ」
なんてことか。
カイエンは無表情を張り付かせたまま、内心で唸った。
「趙才人もお悩みのように見えましたが、そんなこと、お母上から言い出せるようなことではありません。知れれば、さすがに母子ともただでは済みませんから。……そうしているうちに革命が起こったのです。あのお二人が落とした佩玉の行方を追っていたとして、それを持っていたのが場末の男娼と知ったら……迷いなくやるでしょう。男娼など、あのお二方にとっては動物と同じでしょうから。ですが、殺しても殺しても佩玉の持ち主ではなかったようでございますね」
そう言い切ると、苦笑のような表情のまま、朱 路陽は黙った。
「わかりました」
サヴォナローラがそう言うと、朱 路陽は安堵したように頭を下げた。
「大使殿。皇帝陛下はこの佩玉は確かに新生螺旋帝国の外交官であるあなたを通じて、新帝にお渡しするというご意向でいらっしゃいます。その点はご安心あるように」
ここで、サヴォナローラは一旦、言葉を切った。
だが、次にサヴォナローラが言った言葉を聞いた時、彼ははっきりと驚いた面持ちで顔をあげた。
そうせざるをえないことを、サヴォナローラが言ったからである。
「しかし、それに付随する条件がございます。皇帝陛下は新生螺旋帝国とこのハウヤ帝国の友好の証として、あの前王朝の遺児である皇女殿下、玄 星辰様を、第四妾妃として、後宮へ入れることを条件にしたいとの仰せです」
「な、なんと!」
朱 路陽の落ち着き払っていた顔が大きく引きつれた。
「前王朝の他の皇子皇女はすべて処刑され、新生螺旋帝国の皇帝陛下にはまだ皇子皇女はおられないと聞いております。両国の友好のためにも、悪くない提案だと思いますが」
話すサヴォナローラの横に座る、皇帝サウルも大公カイエンも無表情のまま、一言も発しない。カイエンはただ、この急展開に口を挟むことができないから黙っていただけだが、朱 路陽にはこの公式には高貴な兄妹である二人が、申し合わせて無理難題を押し付けているように見えたであろう。
「皇子、玄 天磊様はご出家の意思を固められ、アストロナータ神殿ですでに得度なさいました。俗世には戻らぬご覚悟で、すでに俗人不可侵の『青い天空の塔』修道院へお入りになられております。……そちらのお国でも同じと存じますが、あそこに一度入った修道僧は二度と俗界へは出られない決まりでございます」
朱 路陽はもはや、声も出ない。
やられた、と思っているのであろう。
「青い天空の塔」修道院は帝都ハーマポスタールの郊外の海へ突き出した断崖の岩の中に作られた修行場で、入るのも出るのも崖に沿った獣道のような岩道しかない、という世間からは全く隔離された場所である。
だが、彼の告白を聞いた今、二人の危険な皇子皇女を引き離して俗界から隔離しようというサヴォナローラのやり方は、実に賢明に聞こえた。
皇帝と宰相の頭にあるのは、そういう危険な「お荷物」を預かることによって、新生螺旋帝国との関係を優位にしようという意図であろう。
「では、大公殿下がお持ちになった佩玉は、後ほどそちらにお引き渡しいたしましょう。……お約束どおりのお話をしていただけましたからね」
サヴォナローラの後に続けて、今日初めて、皇帝サウルが口を開いた。
「以上が我がハウヤ帝国の回答である。しかと新皇帝に伝えるように」
我がハウヤ帝国。
カイエンはその言葉を、言葉の意味そのものの重さで感じた。
「そこの佩玉の引き起こした犯罪の始末については、皇帝と宰相の了解のもと、ここの帝都治安の任にある大公カイエンの責任において、処理されるであろう。よいな?」
言葉を向けられたカイエンはうなずくしかなかった。
後ろに立った、現場責任者のイリヤも神妙にうなずいたようだ。ここは長いものには巻かれておこうと決めたのだろう。
「承りましてございます」
カイエンは自分の声を、遠くに聞いた。
玄 星辰は直ちに、第四妾妃として後宮に収められた。
皇后アイーシャと三人の皇女たちを除いた後宮の住人、すなわち妾妃たちには外出の自由はない。それは先の三人の全てが他国から嫁いできた人質であったからであるが、今度の新しい妾妃もその意味では同じであった。
「青い天空の塔」修道院へ送られた皇子、天磊もまた、同じである。
頼 國仁先生と、馬
だが、螺旋帝国への帰国はハウヤ帝国側からも、大使の朱 路陽からも禁じられた。
朱 路陽は新皇帝とその側近の貞辰の父から、二人の帰国は許可しない旨の命を受けてきていたのである。
二人は、大公軍団帝都維持部隊の顧問となり、もうそこまで迫った新年をもって国立士官学校の教授を退任することになるマテオ・ソーサ教授の後釜として、師弟揃って国立士官学校へ入ることになった。
彼ら二人には皇帝の親衛隊の監視が常時張り付くことになる。
「終わったよ」
真冬の帝都公営の共同墓地の一隅、小さく故人の名前のみが刻まれた粗末な墓標の前で、一人の中年の小さな男が、墓の中の人へ報告するようにそう呟いた時。
帝都ハーマポスタールを騒がせた連続殺人事件は、その墓の主を全ての事件の犯人であるとして終結した。
後の世まで語り継がれる殺人鬼の名として、墓標の名は語り継がれることになる。
クーロ・オルデガ自身の死については自殺か他殺か、謎のままである。
彼の死後、内臓を取り出して遺体を損壊した人物も、その意図も不明のまま。
彼が最後に書き残したのだとしたら、あの革命の標語エスロガンを彼に教えた人物も謎のままである。あの標語エスロガンがあそこで、まさに帝国の中では賎民であったオルデガの血をもって書かれた理由も。
(俺のことを覚えていたかい?
覚えていてくれていたらいいな)
彼の名前はこの先何十年、もしかしたらもっと長い間、語り継がれるであろう。冷酷極まる稀代の猟奇連続殺人鬼の名前として。
彼の望みは、皮肉な形で叶ったと言えるのかもしれなかった。
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