獣たちの産声

 銀の握り手の黒檀の杖をつき、晩餐会の行われた「睡蓮の間」を出て、カイエンは皇宮の回廊の手前の化粧室に入った。

 スライゴ侯爵とウェント伯爵の捕縛が行われたため、睡蓮の間周辺には親衛隊や侍従、女官たちの往来が激しかったからだ。

 そこは睡蓮の間に付属した化粧室であるから、男女の隔てもないが、この際、紙片を怪しまれずに読むにはそこへ入るのが一番早かった。

 アルトゥール達を引っ立てて行った皇帝の親衛隊は前述の通り、まだ残っているが、容疑の晴れたカイエンに構う者はない。

「……殿下!」

 カイエンとヴァイロンを追って、睡蓮の間から女騎士のブランカが顔を出したが、カイエンは彼女に目配せして、ミルドラ伯母とクリストラ公爵、ザラ将軍に付かせた。

 カイエンにはなんとなくこの紙片の送り主がわかっていた。

 あいつだ。

 結局、晩餐会の最後まで、どこの誰とも知らされなかったあの神官。

 カイエンの要求でやっとその地位と名前が明らかにされた、あの神官。

 アストロナータ神殿の神官で内閣大学士の、サヴォナローラからだ。

 この展開ではそれしかありえない。

 あの皇帝による一件の沙汰の場面にいた中で、唯一、皇帝以外の誰も知らなかったであろう皇帝秘密の存在。

 皇后はわからなかったが、クリストラ公爵夫妻もザラ将軍も、あの男には曖昧な態度のままだった。つまりは誰かわからなかったということだ。見ていた限りではアルトゥール達も彼を訝しんでいた。

 訝しんだまま、入り口から突入してきた親衛隊に捕縛された。

 カイエンが化粧室に入ろうとすると、ヴァイロンがそれを抑えて先に入った。

 広くない内部を調べてから、うなずく。

 カイエンが中へ入ると、ヴァイロンは入り口に衝立のように立ちふさがった。

 急いで、先ほど茶器の下から取り出してきた紙片を開く。

 カイエンは意外な中身にふっと息を吐いた。

「どうか……?」

 わずかな気配に振り向いたヴァイロンは、カイエンの持つ紙片の文字を見た。

「それは……」

 その紙片の文字を、彼は読むことが出来なかった。ヴァイロンとて、帝国の士官学校から軍歴を開始した俊英である。読み書きができないはずがない。

 しかし。

 そこに書かれた文字は違っていた。

「なるほどなあ……」

 カイエンは確信した。

「ヴァイロン」

 カイエンは紙片を目で読み下して言った。

「……さすがは神官様の内閣大学士様だ。……螺旋文字の手紙とは!」

 螺旋文字。

 それは、あのノルマ・コントが今度の晩餐会の衣装に使った、絹織物の産地。この大陸最西端のハウヤ帝国の反対に位置する、東方の大国、螺旋帝国の文字だ。

 この時代、ハウヤ帝国や周辺諸国、大陸西側の国々から、中間地帯を通じ、極東の螺旋帝国まで、公用語は同じ「アンティグア語」である。

 地方や国によって、発音や表現の違いはあるが、言葉自体は大陸全土でなんとか通じる。

 その言葉をもたらしたのもアストロナータ神と言われ、名を変えて同じ神は東方でも信仰されていると聞く。

 だが、文字となるといささか様相を異にした。

 西側のハウヤ帝国周辺での文字の表記は、主に表音文字であるアンティグア文字が使われている。それは王家から民間までがそうだ。一般に、表音文字の方が文字の数が少なく、アンティグア語の特性にもあっているからだ。

 だが、わずかに神殿や王家の上部で、機密文書の記述と保管には表意文字が使われることがある。

 そして、螺旋帝国でだけは皇家から一般人までが使っているその表意文字を「螺旋文字」と言う。

 カイエンは子供の頃からの本の虫であるから、螺旋文字の読み書きもできた。

 これは恐らく、皇帝サウルや、父である前の大公アルウィンも、程度は異なれ、できたであろう。帝国の皇子たるものには必須の教養であったから。

 ハウヤ帝国では、螺旋文字は支配者の文字であり、学者や神官たちの文字であった。

 国家の秘密の流出を防ぐには必要な教養だったのである。

 もっとも、カイエンとても、螺旋帝国固有の読み方や発音の仕方は完璧には取得していない。

「……ここでまた試験とは。意地悪な神官殿だ」

 幸いなことに、紙片の螺旋文字はカイエンにも読めた。

「我は帝国皇帝の図書室にて待つ……か」





 それから数刻後。

 カイエンはヴァイロン一人を連れて、あの螺旋文字の手紙の言っていた皇帝の図書室へと赴いていた。

 普通の者には歩けない距離ではないが、カイエンが杖をつきながら足を運ぶには遠いので、カイエンはヴァイロンのたくましい左腕の中にある。

 皇帝の図書室とは、皇帝の政治する表の場所である、「海神宮」の中にある、皇帝専用の執務室の隣にある図書室である。

 海神宮自体は、カイエンたちが先ほどまでいた、睡蓮の間からそう遠くはない。

 だが、場所柄、皇帝とそれに近しい立場の執政官しか、入れない場所だ。

 カイエンも入るのは初めてである。

 海神宮の入り口で、親衛隊の将校に呼び止められたが、カイエンの顔を見ると、将校は黙って中へ通した。

 海神ハーマポスタールと皇家の紋章が彫刻された大扉を開けると、いつもはここ専門の図書司書が座る前室があり、中扉はすでに開け放してあった。

 中扉の中は広大な図書室になっている。

 壁面は全て天井まで書物で覆われ、中二階への階段が四隅から伸びている。

 部屋の中にも書棚が並ぶが、真ん中には戦の時に戦略地図が広げられるような大机。

 大机の上と、部屋の中二階の下に灯りが灯されているので、部屋の中は明るかった。

 そこに、二人の人影が立っている。

 一人は先ほど睡蓮の間で別れた、神官にして内閣大学士のサヴォナローラであろう。もう一人はまさか、皇帝、とカイエンは訝しんだが、皇帝にしてはあまりにも背が高く、体自体が大きい。

「尊いご身分のお方を、わざわざお呼び立てして、申し訳もございません」 

 全然、申し訳ないとは思っていないであろう声音で、サヴォナローラはカイエン達を迎え入れた。大机の周りには椅子も間配られているが、誰一人座ろうとするものはいなかった。

 サヴォナローラの声は、聖堂で神官として神に祈りを捧げ、信者たちに説教するための張りのある、だが心地よい声だ。腹から声を出すことに慣れている者の声である。

「さすがは大公殿下。螺旋文字もちゃんとお読みになりましたね」

(余計なお世話だ)

 カイエンは内心でののしったが、表情は変えない。

 だが、サヴォナローラは油断ならない言葉をつなげた。

「……お可哀想ではありますが、オドザヤ皇女殿下では読むことはかなわなかったでしょう。あの方は、これから大変だ」

「何が言いたい」

 答えは半ば以上わかっていたが、カイエンはあえて聞いてみた。

 サヴォナローラは彫りの深い、端正と言っていい顔に皮肉な笑みを浮かべた。

「おわかりでしょうに。オドザヤ様は殿下、あなた様のように支配者としての教育をお受けではありません。あの愚かな皇后陛下と同じく、『ただの女君』でしかないのですよ」

 カイエンはかちんときた。

 頭はすこぶるつきにいい男であろうが、考え方が旧式でよろしくない。

「ただの女たちを差別するな。必要ならいつでも学べばいい。それが出来ないならそれは正すべきだ」

 サヴォナローラは答えようとしなかった。面倒臭くなったのだろう。

 カイエンも幼少の頃から無理解と無視には慣れていたので追及しなかった。

 それにしても。

 さきほど会釈はしたようだが、皇帝の内閣大学士の態度は尊大と言ってもいいものだ。

 今度の件でおのれの若輩ぶりを痛いほどに身を以て知ったカイエンはもはや、それにはこだわらない。

 他の者が見ていればまた違うが、ここには人は四人しかいない。

「ところで、サヴォナローラ殿。後ろの方はどなたかな」

 カイエンはさっきから気になっていた、もう一人の人物の存在を質した。

 痩せぎすだが背の高い、サヴォナローラの褐色の神官の衣と筒状の帽子の後ろに立つもう一人の人物の背は、神官よりもなお高い。ほとんどヴァイロンと同じほどだ。体もたくましい。

 これほどの巨躯を持つとなれば……。

 サヴォナローラは半分体を引き、後ろの人物を前に出すようにして、紹介した。

「紹介致しましょう。……これは私の血を分けた弟で、ガラ、と申します」

 高窓から入る月の光に男の短く刈られた濃い灰色の髪と、狼のように獰猛な顔が照らし出された。厳しい表情の中で、真っ青すぎる青の瞳が夜光魚のように光っている。

 ガラ。

 カイエンもヴァイロンも知らないが、彼は歌劇場事件の折にアルトゥールを救った黒い馬車の御者をしていた男で、その後、新・桔梗館ともいえるアイリス館の紺色の部屋にも現れた、桔梗館の一党の一人である。

「弟?」

 カイエンが咎めるように言うまでもなく、二人の相似は明らかだ。

 サヴォナローラの彫りの深い、知的な顔にはもちろん獰猛さなどは欠片も見られない。神官らしい、落ち着き払った学者のような顔立ちだ。

 そのように顔全体の印象は違うが、濃い灰色の髪の色、それに青すぎるほどに青い、真っ青な、としか形容しようのない目は全く同じである。よく見れば、その真っ青な目には何の感情の動きも映し出されていないことも共通していただろう。

「はい」

 サヴォナローラは、背の高い自分よりもなお頭ひとつ大きい弟の方を、ちらっと見た。

 そして、重大なことをこともな気に言ってのけた。

「私たちは獣人国の血を引く兄弟なのです」

 カイエンの頭の後ろで、ヴァイロンの心臓の音がほんの少しだけ早くなった。

 獣人の血を引くものの存在は非常に稀である。恐らくは誕生時にその獣の姿を忌みられて親に間引かれるため、成人するものはほとんどいない。

 おそらく、ヴァイロンは生まれて初めて「同類」を間近に見たのではないか。

 それ程にめずらしいのである。

 カイエンは、自分を片腕で軽々と抱えているヴァイロンの腕をそっと叩いて、自分を床へ下ろさせた。

 カイエンを抱えていた左手で、彼女の杖をも運んでいたヴァイロンが、無言で銀の握りと黒檀の柄の杖を差し出す。

「そうか」

 カイエンは銀の握りをぐっと握ってそこへ立った。座ろうとは思わない。

 では、この兄弟のうち、弟だけが獣人の血を引いた姿で生まれたということだ。神官姿のサヴォナローラは背は高いがそれはふつうの人間を超えるものではないし、体躯もそうだ。

 サヴォナローラはカイエンたちの様子を注意深く見ながら、話し始めた。

「獣人の血を引く者で、『獣化』する恐れのある者は生まれた時にわかります。生まれた時には毛だらけの獣の姿で生まれてくるのですから。歩けるようになる頃にはふつうの人と同じようになりますが、こうして成人すれば、また呪われた性さがが現れます。この人一倍大きな体、夜でも見える目、遠くの鳥の声も聞き取る耳、人間離れした膂力、姿は人間と同じでも、能力のすべてで獣人の特徴を呼び戻すのです」

「私は母も父も同じくするガラの兄ですが、このように生まれた時から獣人の血が現れず、能力もないまま成人しました」

(獣化)

 いま、サヴォナローラはそう言った。

 では、この男はフェロスの毒のことを知っているのだ。

「サヴォナローラ殿。ここへその弟を伴った理由を話してもらおう。おそらくはフェロスの毒に関係することであろうが」

 カイエンは切り込んだ。

「こうしてわざわざ私とヴァイロンを呼び出したのだ。すべて話すつもりであろう。話せ。貴殿の知っていること、そこの弟の役割もな」

 カイエン自身は気がつかなかったが、そう言い放った彼女の冷徹で冷たい顔は、彼女の伯父である皇帝サウルとそっくりであった。

「!」

 サヴォナローラは、目の前で、十八にしかならないはずの年若い、それも女の大公の顔が残酷な支配者の顔に変わるのを見た。

 貴種のわがままと言ってすませてもかまわない。だが。

 サヴォナローラは、皇宮の海神宮の中央を貫く大回廊に並ぶ、十八人の、歴代の皇帝たちの肖像画を何度も見ていた。

 彼らすべてが持っている顔。

 黒っぽい色の髪に不健康な土気色の顔、貴族的に整った容貌。そのほぼ全てに共通する、印象的な切れ長の瞼の下の灰色の瞳。

 アストロナータ神殿の神官で、内閣大学士ともなった、学者としてもひとかどの知識を持つ彼にはわかった。

 各国の王女を妻に迎え、様々な土地の血が混ざってもなお、このハウヤ帝国の皇帝の顔立ちは十八代の間、変わらなかったのだ。

 これは、ありえない遺伝である。

 この時代に「遺伝」の法則は明らかでない。だが、「違和感」はある。

 現に、皇帝サウルの後をその第一王女オドザヤが継いだとしたら。

 あの大回廊の肖像画は新たな色に塗り変わるのだ。

 皇后アイーシャそのままの金色の髪、琥珀色の瞳。蠱惑的な美貌。

 それは、ありうるのだろうか。

 自分の前にいる、現在までの皇帝たちの系列に繋がる女大公をおしのけて。

 同じ女を母とし、兄と弟を父として生まれた二人の皇女の違いはなんなのか。

 この違和感は。

 サヴォナローラは、一旦、自分の想いを振り払った。

 皇位継承の典範を変えたのちに、オドザヤ王女が女帝となるのは問題ない。

 上位貴族で占められた皇帝の諮問機関である元老院がそれを認めるか認めないかはともかく。


「話しましょう」

 サヴォナローラは実際のところ、疲労していた。カイエンも疲労していたが、今度の事件では彼もまた疲労していたのだ。

「カイエン殿下。……そうお呼びしてよろしいですか」

 カイエンは訝しげに形のいい眉をひそめた。

「……好きに呼んで構わないが?」

 ああ。

 サヴォナローラは安心した。

 この、血族の血を濃く引いた大公殿下は、やはりあの方の血を最も多く引いているのだ。

「殿下、あの桔梗館のことです」

 カイエンの目が光った。

「あそこには、私も、この弟のガラも……いたのです。獣人国の関係者として。殿下はあのスライゴ侯爵しか思い出せなかったそうですが……」

 カイエンは、思わず、よろめいた。ここ数日の疲労感からかもしれなかったが。

 こればっかりはしょうがない。ただ、今は後ろに居て、間違いなく支えてくれる存在、ヴァイロンがいるから、よろめきもできるのだとはわかっていた。

 サヴォナローラは続けた。

「あの、桔梗館の一党として集められたものどもは、アルウィン様の願いを実現するための者共でした」


「カイエン殿下。……アルウィン様の願いは、あなた様をこのハウヤ帝国の女帝にすることだったのです」


 あるういんサマノネガイハ、アナタサマヲ コノはうやテイコクノ、ジョテイニ スルコト ダッタノデス。


 カイエンにはしばらくの間、何も聞こえなくなっていた。

「殿下!」

 ヴァイロンにそっと揺さぶられて、我に返る。

「なにを、言って……」

(わたしを、女帝にーー)

 意味がわからない。

 サヴォナローラもまた、痛々しげにカイエンを見た。

「そうです。これは元から無理な願いでした。アルウィン様自らが皇帝になられる方が、まだましでした。それでも、アルウィン様はそれを願っておられたのです」

「殿下。しかしアルウィン様は願い半ばで亡くなられました。そして、あの桔梗館は焼かれました。ですが、あのアルベルト・グスマンは諦めきれなかったのです」

 カイエンはもはやただ息をしている人形だった。

「グスマンは一筋縄ではいかない男でした。そんな彼が、アルウィン様の前では操り人形のように言うなりでした。そうです。……アルウィン様は彼の神にも等しかった」

 サヴォナローラは唇を噛んだ。

(彼はアルウィン様を……)

 でも、それは言えないことであった。

「彼は、アルウィン様が若い頃に遊んでおられた娼窟を調べ、あの少年を見つけ出しました。それからは……」

 サヴォナローラはその場でくずおれた。

 カイエンをこの皇帝の図書館へ呼び出した時の勢いはもうない。 

 彼もまた、人の子であったということであろう。

「そこからは俺が話そう」

 うっそりと、サヴォナローラの後ろから、ザラが巨体を揺すって前へ出た。

 瞬時に前へ出て、カイエンを守るヴァイロンを制して言う。

「あのアルウィンっていう子供は、かわいそうだった」

 カイエンとヴァイロンは、顔を見合わせた。

「グスマン様は、あの子を表沙汰にしたくてもできなかったから、あのスライゴに、カルロスって言って預けた。グスマン様は女郎屋の主人で、あの子は娼婦の息子で、男娼窟の男娼だったから。どうにも今更、どうしようもできなかったよ。もう十を幾つも超えちまった餓鬼だ。これからどんなに教育したって、皇帝陛下には、なれない」

 今や、カイエンとヴァイロンは、大机を回って近寄るガラを呆然と見つめるだけだ。

「……でも、まさか、殺されちまうとは思わなかったって、言ってたよ」

 呟くガラの言葉は血が滴るようだ。

「あいつ。カルロスを殺した男爵は、グスマン様が、殺した。狂ったみたいになってたな……」

 カイエンは、もう立っていられなかった。

 一人だけなら立っていられもしただろう。だが。

 もう、一人ではなくなっていたから。

 彼女は潔く、ヴァイロンの腕の中にその身を投げ打った。

 それでも、ガラの声は聞こえる。

「……グスマン様は、もう、生きていないだろう。やっと、やっと、アルウィン様のところへ行けるだろう」

 カイエンは、戦慄した。

 父!

 あのアルウィンという男は! なんなのだ。

 許せないやつ。

 でも、もうこの世にはいやがらない。

 カイエンは、もう一人ではなかったことに心の底から感謝した。

「そうしていると、殿下方はお美しいですね」

 しばらくの沈黙の後。

 嫌味かと嫌な顔を隠そうとしないカイエンへ、サヴォナローラが言った。

「そのお衣装の力を借りなくとも、お二人は見事ですよ。お二人そろったお二人は、正に完璧だ」

 サヴォナローラは微笑む。

「殿下にヴァイロン様をめあわせようとしておられたのも、実はアルウィン様でした」

 カイエンは、もう聞きたくなかった。

「カイエン殿下が生まれつき、あのプエブロ・デ・フィエロスの蟲を宿していると知った時から、アルウィン様は決められていたのです。皇家の濃い血を受け継いだカイエン様が古の獣人国までも制覇なされる未来を」

 聞きたくないと言うのに!

 カイエンは情けないとはおもいつつも、もはやヴァイロンの厚い胸にすべてを任せるより他になかった。

 サヴォナローラは微笑んだ。

「我ら兄弟、これより、ハーマポスタール大公、カイエン殿下に忠誠を尽くします」

 カイエンは返事をしなかった。

(勝手にしろ!)

 そう、思った途端に気がつく。

 嗚呼。 

 父のアルウィンもまた、こうして彼らの忠誠を買ったのだと。

 甘く、気がつく。

「カイエン様。どうか、この私の弟をお側に」

 サヴォナローラの声。


 勝手にしろ!

 勝手にしろ!


「ヴァイロン殿、あなたは大公殿下の牙。それならば、ガラ、お前は大公殿下の鋭い爪におなりなさい」

「アストロナータ神は、その身に蟲を宿しておられました。それゆえに目は大陸の向こう側まで見渡せ、耳は山脈の向こうの鳥の声を聞くという獣人の能力もあったのです」

「このハウヤ帝国の北の果て、獣人国の彼方にアストロナータ神の故郷、外世界があるのやも知れませぬ」

 サヴォナローラの声は、ただ、ただ、カイエンには恐ろしかった。

「グスマンは大公軍団の非常線を突破して逃げたそうですよ」

 そういうサヴォナローラの言葉にはっとなって、ヴァイロンの胸から顔を上げた時。

 目の前にあったのは、寂しげなのに、どこか嬉しそうな、サヴォナローラの顔。


「なにい!?」



 ハウヤ帝国、帝都ハーマポスタール大公カイエン。

 彼女は逃避から瞬時に現実に戻った。

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