大公の仕立屋

 場面は再び、あの夜の、あの紺色の部屋のある郊外の邸宅へと戻る。

 この、「新・桔梗館」とでも言えそうな瀟洒な邸宅は、近在の人々にはどこかの豪商か貴族が静養に使う寮のように思われていた。

 そこに集うものたちには、ここは「アイリス館」と呼ばれていた。菖蒲のことである。もっとも、彼らメンバーたちのみの間での呼び名であったが。


 あの、歌劇場の事件の翌日のことである。

 そこにはまだスライゴ侯爵アルトゥールをはじめとする三人がまだ居残っていた。時刻はもう昼になるだろう。

 十字弓クロスボウを放った黒髭の黒衣の男はそのまま部屋にいるが、あの灰色の短い髪に真っ青な眼の巨躯の男はいない。


「なんだと!」

 中年のこの邸宅の執事の報告を聞いた時、アルトゥールは思わず叫び声をあげ、椅子から立ち上がった。

 もう、銀色の貴婦人の扮装は解いている。

 貴族の普段着のシャツと細身のズボンに、空色の光沢のある生地の膝丈のガウンを羽織っていた。真っ白で華奢な顔の周りを肩よりやや長いくらいの陰影のある銀髪が覆っている。

 さすがの彼も昨夜の活躍で疲れ果て、午前中はぐったりしていたのだが、この報告には飛び上がった。

「あの獣人めが女大公と共に、大公軍団の朝の練兵に出ていたと!」

「……そう、大公軍団に紛れ込ませた者から報告がございました」

 執事の応えには感情がない。

「確かに、人間の姿に戻っていたと?」

 アルトゥールはなおも確認した。表情のない執事は辛抱強く繰り返す。

「……いつもの朝と同じく、団員達と共に訓練に参加していたそうです」

 アルトゥールは考えた。

 別人? いや、ヴァイロンに似た別人などいるわけがない。炎のような太陽のような赤い髪も、翡翠の瞳も、なによりもあの巨躯と似た者などいるはずもない。別人を仕立てるのは無理がある。

 これで昨晩の彼らの企みは全て失敗に終わったことがはっきりした。


 ・開港記念祭中の歌劇場の火災。

 ・皇帝の怒りを買って女大公の男妾に落とされた元将軍が獣化して死傷者を出す。


 二つの事件の責任は大公軍団、そしてその統率者であるカイエンが負うことになるはずであった。

 それが。

 見事に外されたということだ。


 アルトゥールは歯噛みした。



 そう。

 あの後。夜明けに約束の紫翡翠を受け取った後、カイエンはろくに寝ないでふらふらのまま、根性ひとつで、ヴァイロンと共に毎朝の大公軍団の朝礼に出たのである。

 敵側の手の者が紛れ込んでいることを承知の上のパフォーマンスに出たのだ。

 いつもと変わりない二人の姿を見せ、敵の策略の失敗を知らしめる必要があったからだ。

 もちろん、ヴァイロンは獣化したままで、人目のつく場所には出られないはず、という敵の思惑に乗るという案もあの晩、協議されたが、結局「今の情勢で、味方には益より害が多い」という結論に達したのだ。

 朝礼と練兵を見届けた後、カイエンはようやっと寝台にぶっ倒れ、眠ることができた。

 それゆえ、アルトゥールがこの報告を得たとき、大公カイエンは寝室でいつ目覚めるともわからない深い眠りの中にいた。



「ガラを呼べ」

 執事が下がるとき、アルトゥールは、部屋にはいなかった真っ青な眼の男を呼ばせた。

 しばらくして、あの真っ青な眼の男が入ってきた。

 狼のような獰猛な顔つきの男だ。

 名はガラというらしい。

「ガラ、お前のお仲間は毒をもらっても自分を失わなかったばかりでなく、今朝には体の方も元に戻っていたそうだ」

 ガラの表情は変わらなかった。

「では、彼らは解毒剤を用意できたということだ」

 出した答えも落ち着いている。

「大公宮の執事はあの里の出身だったな」

 ガラは頷いた。

「執事だけではない、ザラ将軍も関係者だ」

 おお。

 ガラはプエブロ・デ・ロス・フィエロス……獣人の村の関係者を知っているのだ。ザラ将軍が大公側についていることも。

「おかしいではないか!」

 アルトゥールはこの答えを聞いて激昂した。

「お前は毒を用意してきたとき、この毒の調合法を知っているのは、今や自分一人、ましてや解毒薬の製法など誰も知らぬと申したではないか!」

 真っ白な顔がわずかに紅潮している。銀色の目がぎらぎらと嫌な感じで光った。

 ガラは部屋に入ったその場所にそのまま立っている。アルトゥール達の前で椅子に座れる身分ではないからだが、その口調は相変わらず不遜なものだ。

「それは間違いないことだ。フェロスの毒使い、最後の一人の俺が言うのだから間違いない」

 フェロスの毒使い。

 これはアキノとザラ将軍も知らなかったことだ。

「ふん」

 アルトゥールは鼻で嘲笑った。

「どうだかな。ではどうしてヴァイロンは元の体に戻れたのだ?」

 アルトゥールの質問はこの際、当然の質問である。

「知らぬ」

 ガラの答えは短い。

 彼が獣人の村の関係者とすれば、あのいしぶみの「鬼納めの石」を持つ獣人を見たことがあるはずだが、石の役目を知っているのかいないのか、少なくともアルトゥール達に話す気はないのだろう。不思議な男であった。

「……もしや……は……なのか」

 唇はなにか続きを言おうとしていたが、それは独り言よりも小さなものだったので、アルトゥール達は気がつかなかった。

「!」

 ガラの性格を知っているのか、アルトゥールはそれ以上彼が言わないと見ると舌打ちし、下がれ、と手を振った。



「忌々しい小娘と獣人め。女のくせにアルウィン様と同じ顔をして! アルウィン様がおられるべき地位に漫然と座る恥知らずめが! いつまでも大公でいられると思うなよ!」

 その声には隠しようもないカイエンへの憎しみが溢れている。

 どうやら少年の頃から、アルウィンの秘密の館、桔梗館の集会のメンバーとなり、アルウィンに心酔していたらしいアルトゥールにとって、娘とはいえ、アルウィンに似過ぎているカイエンは憎悪か嫌悪の対象であるらしかった。

 恐らくはアルウィンを後見として、若くして将軍にまで出世したヴァイロンへの気持ちも同じところに端を発しているのだろう。



「私は屋敷へ戻る。貴公はどうする」

 アルトゥールは黒衣の男、それまで黙ってアルトゥールとガラの話を聞いていた男に向き直った。

「私は皇后を少しつついてみよう」

 黒衣の男が、軋むような声で言い、立ち上がった。

「大公軍団の増員の件、期限は切っているのか」

 急にアルトゥールが全然違うことを聞いた。男の「皇后云々」に我に返ったように見えた。

「……皇帝陛下は夏じゅうに、とおっしゃったそうだが、さすがにこれは大公側から無理だとの返答があり、陛下もそれは認められたそうだ」

 やりとりからすると、黒衣の男はアルトゥールよりも皇帝や皇后に近しい立場のようだ。

「そうか。皇后をつついてどうする?」

 黒衣の男はかすかな笑い声をたてた。



「アルウィン様の御遺志を実現するには、あの皇后にしっかりしてもらわねばならん。我々は今や、美しき女帝をたてるしか方法がないのだからな!」


 黒衣の男は恐ろしい一言を残して、紺色の部屋を出て行った。



 


 

「皇后陛下主催の晩餐会?」

 あれから数日。

 カイエンはアキノが銀盆に載せて差し出した、真っ赤な薔薇の紋章の打たれた封蝋の招待状をうろん気に取り上げ、嫌々ながらも封を切った。

 カイエンの指と耳には、あの紫翡翠がまろやかな光を放っている。

 外科医師の使うメイスのような曲線のペーパーナイフを机に置くと、中から折りたたまれた分厚い用紙を取り出した。

 用紙の上部には皇后の、薔薇の紋章が金色の箔押しで押されている。間違いなく、皇后からの書簡である。

 カイエンはそれを一読し、アキノに戻した。

「ベアトリア王国からお忍びで王太子が来ているようだ」

 ベアトリア王国は大陸の西の端にあるハウヤ帝国の東側の隣国である。先年まで国境紛争を繰り返していたが、国境線はヴァイロンのフィエロアルマをはじめとする帝国軍の活躍により、ハウヤ帝国に有利な条件で仕切り直され、自然の国境であった山脈の向こう側の平地を含んだ河までが現在のハウヤ帝国の領土となっている。

 それだけ、ベアトリア王国の領土は縮小したわけだが、現在のベアトリア国王は凡庸な王で、国力も落ち、取り戻しにかかる力はない。

 その国の王太子である。

 確か、王子は一人しかおらず、それが王太子。それ以外は王女しかいないはずだ。

 カイエンにはピンとくるものがあった。

 サウル皇帝の皇后はカイエンの母である、この帝国の庶民出身のアイーシャだが、妾妃二人は周辺の王国や自治領の王女だ。ハウヤ帝国への恭順を表すためにやってきた、言わば「人質」である。

 国境紛争が終わった今、ベアトリアから新しい縁組が持ちかけられてもおかしくはない。

 招待状を一読したアキノも同じことを考えたらしい。

「王太子は確か二十歳前後であられましたな。上に姉上がおられますが、すでに降嫁されているはずです。その下に王女ばかり何人かおられるとか」

「皇后には忌々しいことだろうが、このハウヤ帝国に皇子がない以上、こんな仲立ちもせねばならんか」

 サウル皇帝には皇后以下、二人の妾妃に皇女があるが、三人きりである。皇子は未だいないままだ。

 皇后はまだ三十四歳で、妾妃たちはもっと若いが、第三皇女アルタマキア以降、十年以上、子は生まれていない。

 カイエンにとって、実母ではあっても、その手に抱かれた記憶もない皇后は単なる「伯父の妻」である。公式にはカイエンは皇帝サウルの末妹であるから、長兄の妻、ということになる。

 だが、皇后の、その出自を隠そうとするあまりの華美で虚飾に満ちた尊大な性格はカイエンにとって好ましいものではない。

 皇后の方も、カイエンに対する態度は他人行儀なものでしかなかった。カイエンが大公となってからは、臣下とみなしてはばからない。

 本人は知らないが、実は母親を同じくする第一皇女のオドザヤがカイエンを「おねえさま」などと呼んで、親しみを持っているのがいっそ不思議なほどだ。


 オドザヤ皇女。

 そこまで考えて、カイエンはもう一つの可能性にも気がついた。

 ハウヤ帝国には皇子がいないが、皇女は三人いる。

 王太子との縁組も出来るのだ。

 まさか皇后が自分の実子のオドザヤ皇女を出すことはないだろうが、二人の妾妃の皇女ならあり得る。

「だが……この晩餐会は公式ではないな」

 お忍びで来ている王太子をもてなす晩餐会であるから、公式ではない。

 その証拠に、招待状の末尾にとんでもない一文が、恐らくは皇后の祐筆であろう女官の筆跡で書いてある。


「大公殿下には新しくお迎えになった側室をご同伴あるように」


 馬鹿にしている。

 これもまた見世物劇の一環なのだ。

 この初春にヴァイロンと共に皇帝の前に呼び出された、あの見世物劇の。

 独身の女大公に無理やり側室を持たせ、初夜の証を提出させ、カイエンを内側から消耗させようと図る者どもの始めた見世物劇は、まだその序盤であるらしい。

 恐らくは彼らの目論見では、突然に将軍の位から落とされたヴァイロンとカイエンが上手くいくはずなどない、獣人の血を引くとはいえ、ヴァイロンにも男の矜持があるであろう、と言ったところであろう。

 カイエンは無意識に耳の紫翡翠をいじりながら、運命というものの滑稽さを思った。

 あれを企んだ奴らにはあの番つがい云々、の話は理解不能の出来事であるに違いない。カイエンとヴァイロンとの間には隙間がある、と思うのが当然だ。

「しかたがないな」

 大公のカイエンに拒否権はない。

 せいぜい、悪ノリでもしてやるか。

 皇后がどこまで今度の件に絡んでいるのかも調べねばならない。

 カイエンはアキノに大公専属の仕立屋を呼ぶように命じた。

 非公式の晩餐会は半月後である。そう時間はない。




 仕立屋はすぐに大公宮にやってきた。

 女大公の仕立屋は父のアルウィンの代からの専属で、帝都ハーマポスタールの金座に近い一等地に店を構える女性である。

 名前はノルマ・コント。

 すでに四十絡みだが、職業柄か十以上も若く見える、美貌の仕立屋だ。

「お久しぶりでございます」

 明るい栗色の髪にはほんのわずかに金粉が散らされ、ゆるく結い上げられている。その下の顔はうりざね型で、とろけるような色気にあふれている。

 だが、その声と機敏な物腰はきびきびとして、いかにも「職業婦人」といった趣だ。

 カイエンはこの仕立屋が気に入っていた。

 足の悪いカイエンのために服の意匠を様々に考え、選ぶ素材や色味も、カイエンの意を汲みつつも着る者を鮮やかに見せるために考えつくされており、まさしく「その道」を極めた者の才気に溢れていたからだ。

 父のアルウィンの服を一手に手がけるようになったことで帝都でも一流と言われる地盤を築いたと言われているが、その実力は間違いがない。

 カイエンも幼児の頃から彼女の手になる衣装をまとって生きてきている。

 たかが衣装。

 だが、一国の中枢に位置する者にとって、衣装は大変に重要である。

 それを着て出て行く場所にそぐわなければ、大恥をかく。

 仕立屋を選ぶのも貴族たる者の能力の見せ所なのだ。



「今度も頼む」

 カイエンは自分の居間へ彼女を迎え入れた。表ではなく、大公の居住区域である「奥」である。

 そばにはサグラチカと女中頭のルーサ、それになんとも居心地の悪そうなヴァイロンがいる。

 ヴァイロンには気の毒ではあるが、今度の非公式とはいえ皇后の晩餐会に連れて行くとなれば、衣装には完璧が求められた。

 言わば、「敵の陣地」へ突入するのであるから。

 華美過ぎては下品。地味過ぎては馬鹿にされる。

 似合わないのはもってのほかだ。

「はい」

 優雅にドレスの裾をとって挨拶するノルマは、顔を上げると、初めて見るヴァイロンの方を不躾でない程度にちらっと見、そっと会釈した。

 よくできている。

 カイエンとヴァイロンが入室する前に、ノルマの弟子達によって部屋にはもう山のように生地が積み上げられていた。

 今回はカイエンとヴァイロン二人の服を誂えるので、女向け、男向けに生地や色で分けられて積み上げられている。

 ノルマはまず、カイエンの寸法を測り、それをカイエン専用の冊子に記入した。

「あら。すこうし、お痩せになったかしら」

 ノルマはカイエンよりもすらりと背が高いので、カイエンの頭の上から声がする。

 ノルマも噂話でこの春からの大公家の騒動は知っているはずだ。その証拠にヴァイロンを見ても驚くそぶりはない。

「そうでもないだろう。すぐに元に戻るだろうから、あまりぴったり作らないでくれ」 

 カイエンは小柄で細身な方だったが、あまり体にぴったりとした服は好まなかった。歩きにくい、動きにくい、ということもあったが、目の前のノルマや後ろで控えているルーサのように、出るところが出て、引っ込むべきところが引っ込んだメリハリのある体型ではなかったこともある。

「……そうですか。でも、肩のあたりや丈はぴったりでないと格好が悪いですから、直させていただきますよ」

 だが、専門家は客の意見をそのまま飲んだりはしない。

 確固とした自分がなければ出来ない仕事だ。

 カイエンの採寸が済むと、ノルマは今度はヴァイロンの方に取り掛かった。

 こっちは初めてする採寸なのと、ヴァイロンの身長がノルマよりもずっとずっと高かったこともあって、時間がかかった。

 ノルマはルーサが運んできた踏み台に乗り、美しい額に薄汗をかきながら、採寸を終えた。

 測られている間、カイエンは面白そうに横に置かれた椅子に座って眺めていたが、ヴァイロンの方はコチコチに固まっているのがおかしかった。

「あらまあ大変」

 数値をノートに取りながら、早くも目が生地の方へ行く。

「大きな方とは聞いていましたけれど、これでは生地が隙なく見積もっても四人分はいりますわ。生地の方向を考えますと、もしかしたらもっといるかも……」

 服の生地というものは長さや幅が決まっていることが多い。

 そして型紙を当てるときには生地の織られた方向には逆らえないので、体の大きな者の服を仕立てるのには多くの布地を必要とするのだ。


「殿下、お招きは非公式のものでしたわね」

 ノルマは忙しくノートの上で手を動かし、考え考え聞く。

 ノルマの質問にカイエンは答えた。

「うん。非公式ではあるが、礼を失することは出来ない。だが、ちょっと今回は目立ちたいのだ」

 非公式とはいえ、皇后の主宰する晩餐会である、皇后のお取り巻きであるはずの、あのスライゴ侯爵夫妻も来るだろう。皇后がどこまでこの件に絡んでいるのかは未知数だが、彼女の周りにいる者たちの顔ぶれをしっかりと見ておく必要があった。それに、もうお前には馬鹿にされない、というカイエンの意思も相手側には伝えたかった。

「私の格好はもう、これ以上、しようがないが、このヴァイロンの方は、いくらでも飾れるだろう。華美にしろというのではないぞ。上品に、それでも重々しく、どう言ったらいいかな。見ている奴らが恐れ入ってしまうように出来ないかな」

 カイエンの要求に、ノルマはふんふんと頷いたが、ヴァイロンの方が慌てだした。

「殿下……」

 座っているカイエンのそばに膝をついて、耳打ちする。

「そんな、だいそれた……」

 どうやら、戦場では無敵の元将軍にとって、着飾って臨む宮廷の戦いは、未知の世界で恐ろしささえあるものであるらしかった。

 カイエンはもういいかげんヴァイロンという男にも慣れてきていたので、ぽんぽん、とその肩を軽く叩いて、安心させた。

「晩餐会やパーティーではどんなにとんでもない事態が勃発しても、人死には出ない。血も流れない。辛いのは頭の中だけだ」

 カイエンは帝都ハーマポスタールの治安を預かる大公として、殺人の現場に立ち会ったこともあるし、罪人の拷問に立ち会ったこともある。ともに、大公みずからしなくてもいいことだったが、カイエンは出来るだけ立ち会うようにしていた。

 あのイリヤが呆れて、

「拷問とか、別に殿下が立ち会わなくてもいいと思いますよ〜」

 と、言ったこともあったが、吐き気をこらえてカイエンはがんばった。それは、自分が若年で、しかも女であるからでもあった。

 男ができることをすべてやっても周りは納得しない。

 それをカイエンはもう、知っていた。


 その時、ノルマがびしっと手を打ち合わせた。

 職業人としてのノルマもまた、厳しく激しい現実の中を戦っている戦士なのだ。

「浮かびましたわ!」

 カイエンとヴァイロン二人の衣装の意匠を思いついたらしい。

 カイエンはわくわくしてノルマの次の言葉を待った。

 絵を描くことが得意なカイエンは、こういう仕事を見るのが好きであった。

 ノルマは生地の山の中から、翡翠色、緑色から青緑色の布地を引っ張り出した。布地の山が崩れるのも気にせずに、今度は紫色系統の生地の山に立ち向かう。

「殿下はいつもの通りですけれど、やっぱり紫色ですわ。これが何と言っても一番お似合いになります。この色は若い女性はあまり着ないですから、目立てていいのです。殿下は髪のお色が紫がかっていらっしゃるし、ちょっとお肌の色が象牙色がかっていらっしゃるから、紫、特に青紫は特にお似合いになるのです。そして、そこの元将軍閣下さまはやっぱり緑ですわ。お髪のお色よりもその翡翠のような厳しい目ですわ。それを活かさなくては!

 素晴らしい紫と緑。これは反対の色に近いですから、目立ちますわ。でも、色としては派手ではありませんから、きっと上品にまとまります!」

 ノルマは大きな紙を綴じたノートを広げて意匠を描き始めた。

「お二人ともに、甘い意匠はダメですわね。すっきりとした意匠で、でも生地は豪奢に。これですわ」


 サグラチカとルーサがお茶の支度をし、中休みとなるまで、ノルマは生地を引っ張り出しては意匠をノートに書き記し、一人でふんふんと頷きつつ、要所でカイエンとヴァイロンの意見を聞いた。


 ノルマは頬を紅潮させたまま、大公宮を下がって行った。


 帝国有数の仕立屋、ノルマ・コントの最高の意匠が凝らされた衣装を纏い、カイエンとヴァイロンが皇后の非公式晩餐会へ行った日は、七月に近い涼しいが、夏の気配を感じさせる晩のことであった。

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