大公の翡翠

 それは、大公の翡翠と呼ばれた

 それは、カイエンが死ぬまでともにあった


 大公の死とともに、それは自由な鳥となり、海の彼方へ帰っていったという……


    アル・アアシャー 「海の街の娘」より、「カイエンヌの翡翠かわせみ





 

 帝都ハーマポスタールは本格的な春を迎えようとしていた。


 ハーマポスタールは、人口百三十万人。大陸きっての人口を抱える大都市である。

 大陸の西側の大海に港を開いている大都市であるため、港には軍港でもある。

 その港も含め、首都全域の治安を守る実行部隊の指揮が、大公の仕事である。

 皇帝直轄の帝国軍と違うのは、大公軍は大公の私軍という名目の下にあり、すべてが「雇い兵」だ、ということであった。どうしてそんなことになったのかは過去の皇帝が「大公位」を世襲ではなく、「時の皇帝の弟か妹」が務めるものと定めたときに遡る。

 大公位とはいわば、「皇帝の血族が仕切る警察部隊の長」であり、帝都の治安守護を一手に任されているため、今まで軍に組み込まれて外征したことはない。 

 雇い兵を用いるのは、身分を問わず、広く公募することで優秀な人材を集める、という建前からであったが、実のところ、「十分な金で雇っている間はしっかり働くプロの兵士」であること、そして戦闘能力よりも「社会能力」を重視されたからなのである。

 つまり分かりやすく言うと、現在の大公軍団の軍団長、イリヤボルト・ディアマンテスのような人間を集めるためであった。

 彼は若い頃、帝国軍の末端にいたのだが、生来の変にアクの強い性格と、変に要領のいいにょろにょろとした性分、結構変な方面で腕が立ち、そして変に美男子だったことで様々なトラブルに巻き込まれ、遂には軍隊を放逐され、食べるに困って大公軍団に入ったのである。

 ここまでの説明に「変に」が重複しているように、大公軍団にはいわゆる「普通の軍人」はいない。

 務まらないからだ。

 野良犬の捕獲から、どろぼう、強盗の捕獲、住民同士の諍い、飲み屋の乱闘、殺人事件、果ては軍港での海軍軍人の喧嘩の仲裁まですべてが仕事であるから、中には「へっへっへ実は昔は手が後ろに回る方でござんしてね」なんていうのも、末端にはいるらしい。(採用時に前科が見つからなければいいのである!)

 「いろいろと融通が利かないと」務まらない仕事なのだ。

 そういういろいろ変な彼らが真面目に働く理由は。

 「俸禄の良さ」と「話せばわかる軍隊だから」であった。

 帝国軍に傭兵、雇い兵はいないが、貴族や裕福な商人たちは傭兵を雇っている。

 前大公アルウィンは、これらをまとめる「傭兵ギルド」を創設させた。

 させた、というのは、自分のところの大公軍団との給料交渉がうまくいかず、待遇に不満を持った兵が仕事をさぼったり、仕事の質が落ちたりすることを嫌ったのである。

 アルウィンが自分の軍団から、傭兵ギルド総長(という名の労使交渉役)に選んだ人物は、時の軍団長、グスマンであった。

 イリヤボルトの前に軍団長をしていた男で、元は港湾係から成り上がったという「くせ者」である。

 アルウィンの死と共に、どうしてかわからないが、男泣きに泣きながら「もうやってられねえ」と、退職し、中隊長の中から、一番「普通じゃねえ」と、イリヤボルトを大公軍団長兼傭兵ギルド総長(という名の労使交渉役)の後釜に指名し、現在は帝都最大の遊郭の主人に収まっている。

 退職と同時に、くだんの遊郭の経営者である長年の情婦と結婚したからである。

 そんな、大公軍団の治安部隊であったが、この当時の人員は総数、八千ほどであった。

 百三十万人都市の治安を守る人員としては、妥当な数と言えるだろう。

 その人員を「倍に増員せよ」という皇帝からの命がくだったのは、春も爛漫、ありとあらゆる花々が咲き乱れる四月のことであった。




 あの男妾騒動から一ヶ月半がすぎ、大公宮の中も落ち着きを取り戻しつつあるように見えた。

 そこへ、この命である。

「えー。何それ、ありえねえ。倍ですか、いきなり倍? その大規模な募集と選考を今からこの俺にしろってことですか。そもそもそれにかかるカネ、どうなってるんですか。倍に増えた奴らに払う俸禄のメドはあるんですか。増えた奴らの宿舎は? 訓練は? 装備揃えるための予算は? 何より仕事が増える俺たちへの賞与は!」

 カイエンの執務室へ呼び出されて、皇帝からの命令を聞かされたイリヤは、当然のごとくキレた。

 長身をくねらせるようにして、黙っていればどこぞの貴公子のような顔面に「いやイヤイヤ〜!」という気持ち(多分)を貼り付けてアピールしている。

 キレている上に、日頃から馴れ馴れしい男だから、アキノが殴り倒したくなるほど、言葉も態度もひどい。

 しかし、キレながら、おおまかな問題点を全部言ってくれるところは親切だ。

 カイエンはまあまあ、とちょっと苦手なイリヤの美貌にむかって手を振って見せた。彼女は生まれた時から足が悪く、また例の母親の事情もあって苦労してきているから、なかなかに心が広い。

「あー、ありがとう、話の問題点をはっきりしてくれたな。それはとても、助かります」

 ただ、なんでも見透かすようなイリヤの目や態度がやや苦手なので、腰が引け気味なのは否めない。

 今、カイエンのそばには「側近」というべき人数だけが揃っている。

 執事アキノ。

 護衛の騎士シーヴ。

 それに、昼間は秘書待遇の大公の男妾、「青牙の君」ことヴァイロンである。

「イリヤ」

 イリヤの勢いに辟易しているカイエンの横から、アキノが助け舟を出した。

「金のことは今回、問題ないのだ」

 イリヤの鉄色の目が、ぎらり! と光った。

「特別に予算が付いたとでも?」


「付いたんだよ」


 アキノが囁くように言うと、皆が黙った。

 うわ。国家予算使っていいんだ。ヤッホー。

「いや、そうじゃないでしょ」

 だが、変なこと専門の百戦錬磨のイリヤは納得しなかった。

「なんで、今この時期に、倍に増やす必要があるんですか? 理由は聞いているんですか?」

 もっともな質問である。

 聞いているだけのヴァイロンとシーヴも思った。

「……帝都の守りをより強固にせよ、とのご命令である」

 カイエンは、自分の机の四面に壁のように突っ立った男どもに向けて言った。

 ヴァイロンはすぐれた長身である上に、体の厚みも人並み外れていたが、それほどでないにせよ、他の三人も横はともかく、背は武人として十分に高い。女としても小柄なカイエンから見ると、四方に四本の柱がそびえ立っているようだ。

 それはさておき、聞いていた皆が「呪われてるな、俺たち」、と思ったのは言うまでもない。 

 カイエンも言ってから、自分でもこれはないわ、と思った。大公になってたった三年、しかもまだ十八歳の未熟極まる自分が考えても、説得力がない。

 だが、予算は回ってくる。

 いやです! と、ごねる理由がないのである。

 男妾騒動以降の、皇帝のすること、それも大公カイエンに向けてくる要求は変な事ばかりである。

 表面上は「はいはい」と言いながらも、皇帝側の「企み」には別に手を打たねばなるまい。後手に回るのはなにかと不安だが、今は様子見も大切だ。

 「倍にしたら、一万六千人ですよ。帝国軍の将軍の束ねる一軍団並みの軍隊になりますよ。……大丈夫かなあ」

 イリヤの心配はもっともだ。

 帝都の治安を預かるだけの人数としてはありえない人員を抱える事になる。 

「まさか、皇帝陛下自ら命じた軍備の巨大さで咎めるわけにもいくまい」

 カイエンは言ってはみたが、自分でも不安だった。だが、「実行しない」という選択は臣下として出来ぬ事であった。




 同じ頃。

 カイエンの乳母、サグラチカは女騎士のブランカを連れて、帝都の真ん中にある「金座」を歩いていた。

 女中頭のルーサは、カイエンの身の回りのことをさせるために残している。

 金座とは、金の貸借をする金貸しの商人の店と、その副業である宝飾店の集まる場所である。

 その中でも、門構えは小さいが、飴色に変色した木組みに真っ赤なガラスの扉が印象的で、かつ重厚な一軒の前で立ち止まる。

 看板はない。

 骨董品屋のような古びた佇まいの店だ。

「こちらでございますか」

 女騎士ブランカが確認して、そっとサグラチカの前に腕を出し、扉を開ける。

「いらっしゃいませ」

 扉の向こうの店も広いとは言えなかった。だが、ちらっと見ただけでも、そこに並ぶ宝飾品はその辺の小金持ちには手が出ないものばかりだとわかる。

 扉の中、両側にいかつい装備の男が二人。

 商品の値打ちを考えれば、当然の用心だが、この小さな構えの店の中にこんな警備があるとは誰も思うまい。

「ああ」

 店主らしき壮年の女が満面の笑みで出迎えた。

 サグラチカと同年代だが、こういう商売をしてるからか、目元口元から愛嬌が溢れている。

「大公家の……サグラチカ様。ようこそ。お久しぶりでございます」

 女主人が、目配せし、使用人に店の奥への扉を開かせる。

 特別な客専用の部屋が、その奥にあるのである。

 サグラチカは、女主人の後に続いた。

 女騎士ブランカは、会釈して後ろに続いた。とがめられたらそこに控えるつもりだったが、それはなかった。

「前の大公殿下の……婚約指輪と、結婚指輪の折はありがとうございました」

 女主人は、広くてゆったりとしたソファと、テーブルの心地よい部屋に案内し、サグラチカがソファに座ったと見るなり、そう言った。

「あの時の仕事は、この店の誉れでございました」

  言葉が途切れる。

 その、婚約指輪と結婚指輪の「末路」を知っているからであろう。

「今日は……これを」

 サグラチカは、そんな女主人を見ながら、ゆっくりと一つの包みを取り出し、テーブルの上へ置いた。

 すぐに使用人が、何も命ぜられてはいないのに、真っ黒な天鵞絨を張ったトレイを差し出し、そこへうやうやしく置く。

 サグラチカは「ありがとう」と微笑んで、天鵞絨の上へ包みの中身を取り出した。

「あ……」

 女主人が息を飲む気配。

 そこに取り出されたのは、三つの宝石であった。

 二つの小さい石と、それよりやや大きい石。

 すべてが鮮やかな青紫色の艶やかな翡翠。

 一番大きい石の色が、一番、鮮やかで深い。

「……なんて素晴らしい!」

 女主人は天鵞絨の上で己が口を押さえ、自分の息がかかるのさえ押さえて言った。

「こんな紫翡翠を見たのは……初めてです」

 声が震えている。

「これを」

 サグラチカは、女主人の目を、まっすぐに見て、言った。

「これを、一対の黄金作りのピアスと、指輪にしてください。なるべく大仰でない仕様で。でも、大公殿下が、一生付けていられるような、最高のものを」

 女主人は黙って頷き、使用人に見本帳を持ってくるよう、指示した。

 これは、この店始まって以来の仕事になるだろう。





 話はやや遡る。


 あの「初夜」の後、しばらくして、ヴァイロンはサグラチカに「話がある」と言ってそのことを切り出した。

 サグラチカは、なんとはなしに、その話がなんであるか、もうわかっていたので、すぐにそれに応じた。

 アキノとサグラチカの役宅の居間であった。

 子供の頃、ヴァイロンが生活していた家だ。

 決して贅沢な家ではない。実務一点張りの、質素な家だ。

 だが、士官学校へ入るまで、ヴァイロンはここで、アキノとサグラチカに育てられたのだ。

 ヴァイロンは、己の胸元から、革紐に繋がった、古びた革袋を抜き出し、サグラチカの前に置いた。

 子供の頃から、今に至るまで戦場でもどこでも、肌身から離したことがないものだ。

 サグラチカにはそれが何だか、わかっていた。

 それはこの家の前に赤子の彼が捨てられていた時、首にかけられていたものだ。中身も勿論、知っていた。青紫の翡翠が三つ、入っている。

 その価値も知っていた。

 その価値ゆえに彼を拾って育てたわけではない。

 それは、ヴァイロンも重々、承知していた。

「これを、カイエン様に……差し上げたいのです」

 サグラチカは、目をつぶった。

「もっともなことです」

 サグラチカとて、養い子を信用してはいたが、あの男妾騒動での彼の態度には感謝ともなんとも言えない気持ちを抱いていた。

 乳母のサグラチカにとって、生まれてすぐに母を失い、彼女の腕一つで育てたカイエンは娘も同じであった。

 その娘に落ちかかってきたあの仕打ち。

 後で聞けば、カイエンとヴァイロンは図書館で会ったこともあるとは聞いた。だが。

 この時代、男女が婚姻を結ぶ、というのは多くが家と家の間で決められたことであり、本人たちの関与しないところでその日を迎えるのではあったが、カイエンには心の準備をするいとまもなかった。

 生まれた時から実母がおらず、体も悪かったカイエン。

 貴族たちの社会では、体が不自由だということで、後ろ指をさされたり、影でひどいことを言われることもあった。使用人たちからでさえ。

 小さな子供の頃のカイエンは毎日のように泣かされていた。

 それが、いつしか泣かない娘に育ったのだ。

  いわれのない差別、という点では獣人の血を引くヴァイロンも同じような経験をしてきた。

 サグラチカはひどい言葉を投げかけられる彼を幾度もかばった。

 きっと、彼女の見ていないところで彼はもっとひどいことを言われ、されてきたのだろう。

 「自分は普通だ」と安心している人々は、少しでも己と違う者を受け入れないのだ。

 そんな経験をして来た二人だから。

 お互いを思いやることができたのかもしれない、とサグラチカは思う。

 あの「とんでもない夜」以降の二人は微笑ましい。

 まだお互いにぎこちないが、そしてあまりにも色々と違いすぎる二人ではあるが、あれなら乗り越えて行けるだろうと思う。

 大公という地位になるカイエンには、この先、「正式な夫」を「迎えさせられる」可能性があったが、それでも……きっと乗り越えて行かれる。

 ……きっと。

 「そなたは、それでいいのですね」

 サグラチカが念を押すと、ヴァイロンははっきりと頷いたのだ。

「これはそのために私に持たされたのではないかと思うのです」



「あ……」

 サグラチカは、見本帳の中に、懐かしい模様を認めた。

 優しいなめらかな草花紋。

 その意匠は、デフォルメされ、再構築された百合だ。

 海の波のような大きな流れに逆らうように置かれた、真っ白な百合。

 それは、あの新「青牙宮」の部屋の意匠にも使われていたものだ。

 古代から伝わる、「誓いの百合」の文様だ。

「これにしてください」

 サグラチカは疑わなかった。

 カイエン様はこれを気に入ってくださる。

 そして、ずっと身につけてくださる。


 と。

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