女大公と男妾の初夜

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 とうとう、皇帝の使者、ウェント伯爵が、元獣神将軍ヴァイロンの後宮入りを確かめる日がやってきた。

 カイエンとヴァイロンにとっては、あからさまな視線に晒される、うんざりする日々であったが、あれから早くも四日目にして、その準備ができてしまった。

 案の定ウェント伯爵は、皇帝の命により、二人の初夜の証をしかと見聞したいと恥ずかしげもなく言ってきた。

 これは、前もってアキノによって懸念されていたことでもあった。

「よろしいですか」

「いいかな」

 こうした外堀を埋めてくる周囲の事情によって、カイエンとヴァイロンは個別に、サグラチカとアキノによって初夜の心得について伝授された。



 カイエンは当惑していた。

 その、カイエンを前にして。

「カイエン様」

 緊張した面持ちで、乳母のサグラチカは話し始めた。

「皇帝陛下におかせられましては、殿下とヴァイロンの婚姻をしかと確認されたいとの思し召しです」

 ハウヤ帝国ハーマポスタール大公カイエン、十八歳。

当然、未だ男っ気無し、いまだ処女のカイエンにとっては生き死にに関係するレベルの問題であった。婚姻じゃないだろ、側室の後宮入りだろ、と声を大にして言いたくても、それでは向こうが引っ込まないのだ。


「へえ……そうなのか」

 そうした内面の葛藤の中、やっと言えた言葉がこれだった。

 情けない。カイエンはうなだれた。

「よろしいですか」

 だが、サグラチカの方も緊張しているようだ。

「全てはヴァイロンが致します。カイエン様はかの者のするがまま、お任せください」

 聞こえてきた言葉は、至極最もな言葉だった。

 そりゃそうだろうな。

 ヴァイロンはもう二十三歳の立派な男だ。きっと経験も豊富だろう。

 任せてりゃいいのだろう。


 でも痛いんだよね。

 カイエンは内心でこだわっていた。脚のせいで、よく転んだり倒れたりするカイエンにとって、痛みは慣れたものではあったが。それでも、体の外側の痛みと、内側での痛みは違うだろう。

(普通でも痛いんだって言うしな。私は耳年増なんで知ってるよ。女中たちが話してたよ。大丈夫なのかな)

 カイエンはサグラチカに言いたい言葉を飲み込んだ。

 普通でも痛むというのに。……今回の場合、相手はあのヴァイロンだ。

(あいつでかいよね。私の倍くらい体重あるよな。下手するともっと重いよね。それに、筋肉隆々だよね)

 カイエンの心の中の言葉は容赦がなかった。


 きっと、いろいろとアレだよね。

 こっちはきっとかなり痛いの我慢ですよね。

 まさか、今夜、体の中心を壊されたりしないよね?


 ヴァイロンの性格が謹直真面目、律儀なのは知っているけど、それってこの行為に関係ないよ……。


 次期大公としての「帝王教育」はしっかりとカイエンの身についており、「己の課せられた仕事は粛々としてこなすこと」に疑問はなかった。

 この時代では庶民といえども、結婚の相手は親が決めることが多かったから、これは時代人としてもおかしなことではなかった。

 相手のヴァイロンとて同じである。

 その上での、「乙女のお悩み」なのである。

 この段階で二人の間にまだ生々しい「男女間の感情」は生まれていなかったと言っていいだろう。

 いよいよ今晩、となった夕べ、カイエンはサグラチカに問いたださずにはいられなかった。

「ねえ、あっちもちゃんと準備しているよな。私は我慢できるな。翌朝、私、ちゃんと生きて朝日を拝めるよね?」と。

 サグラチカは胸を叩いて保障した。

「大丈夫でござりまする」

 そして、サグラチカは自分の経験も踏まえ、カイエンに「初夜の心得」を必死に伝授したのであった。




 一方。

 ヴァイロンとアキノ。


「ヴァイロン」

 緊張した面持ちで、アキノは話し始めた。この、おのれの養い子の生真面目さはわかっている。だが、このあまり閨事には詳しくなさそうな男が、今度の事態に対してどんな用意をしているのかは確かめ、確認せずにはいられなかった。

 事と次第によっては、カイエンが深く傷つくことになるのだから。

「皇帝陛下におかせられましては、大公殿下とお前の婚姻をしかと確認されたいとの思し召しである」

 士官学校を卒業するとともに、国境紛争の戦場へ投入され、出世を遂げた、ハウヤ帝国元将軍ヴァイロン、二十三歳。

 当然、もはや童貞ではないヴァイロンであったが、今度の仕儀は生き死ににも値するレベルの問題であった。婚姻じゃないだろ、側室だろ、と彼が言いたくても、それではカイエンもアキノも引っ込まない。

「はい」

 養い親に返事はしたものの、どうしていいのやら、それは闇の向こうにあった。

「当然の事だが、大公殿下は初めてであらせられる」

 ヴァイロンはアキノの、その言葉を耳の遠くで聞いた。不幸な事に、彼の今まで抱いた女はすべて玄人であった。

 それも、人並み外れた巨体に見合った彼の逸物の相手が務まる者は玄人さんでもそうはいない。で、あるから、やっとの思いで成し遂げた行為がほとんどだ。

 順調に最後までいけなかったことの方が多いほどなのだ。


「お前、素人の女を抱いた事があるか」

 養い親の質問はいきなり、核心をついてきた。

 思わず、目を瞑る。

 きつい。きつすぎる質問だ。だが、大公家執事のアキノ様としては当然の確認であろう。

「申し訳ありません。ございません」

 滑稽な事だが、男のヴァイロンの方とて必死である。

 勇猛な将軍といえど、養い親の前では一人の子でもある。巨体が緊張し、縮こまった。

 カイエンに触れた事はほとんどないが、ちょっと触れた手一つとっても華奢で、しかも杖をついて歩く姿はあまりにも脆弱であった。


「そうか」

 アキノはこの返答を予期していたらしい。

 上記のような事情は、ヴァイロンの姿形と性格をよく知るものであれば、想像はつく。

「殿下は何もご存知ない。亡き前大公殿下に似て、なかなか抜け目のない方だから、侍女どもの話やら、怪しい本やら聞いたり見たりなさった事はおありだろうが、所詮、見聞きだけだ」

「はい……」

 ヴァイロンにとっては今回のすべてが冷や汗ものである。

 軍人として生きてきた彼としては、今まで使ったことのない部分の頭脳をフル回転させても追いつかない。

 こんな重大かつ、大変な事態が、己の人生に訪れようとは。

 敵をひとまとめにぶった切り、戦略を駆使して、戦局を開く方がよっぽどマシだ。

 しかし、これでは今までの自分の行い、軍人としての矜持に申し訳が立たぬ。


「よいか、ヴァイロン」

 アキノは慎重に言い募った。

「大公殿下はここに至っては、自らはなにもお出来にならぬ。すべてはお前が主導するのだ」

 ヴァイロンは絶句した。

 将軍の位を剥奪されてからのここ数日は、夢の中の出来事のようで、悔しくも恐ろしくも何ともできなかった。こんな屈辱を受けてなお、まだ生きているのがいっそ不思議で、配下の将兵たちのことを思えば、恥ずかしさで自ら死にたい気持ちであった。

 それでも、養い親の二人、その主人の大公カイエンの立場と気持ちを思えば、死ぬわけにはいかなかった。

「……私に出来ますでしょうか」

 我ながらみっともないと思いつつも、アキノの前では本音が吐けた。

 アキノはヴァイロンの顔を見たまま、しばらく答えなかった。

 答えた時、意外な言葉がヴァイロンに与えられた。

「カイエン様はあのように小さく、不自由なお身体で大任を果たしておられる。お前、それが愛おしくないのか。

 愛おしい気持ちの前にいたわりが生まれる。形式から生まれる愛情もある。殿下をいたわれ。それが全ての始まりとなろう」

 建前論の後に、アキノは非常に重要な文言を付け加えた。

「よいか、ヴァイロン。

 今夜の『儀式』の問題点は、初夜の証拠を、あのウェント伯爵に聞かせ、持ち帰らせなければならないことだ。……よいか、『証拠』が首尾よく用意できた後、最後まで続ける必要は、ないのだぞヴァイロン。自制しろよ。……殿下を壊すな!」

 ヴァイロンの頭に天啓が落ちてきた。彼はそれによって、やっと納得した。

 それがややどきついアキノの、とっさの洗脳だったとしても。無理矢理に己を納得させたのだ。

 心の底で、これからの自分の役割というものを自覚させられた瞬間でもあった。






 夜更け。

 すでに前日、前大公妃の「お部屋」へ移り住んだ、男妾ヴァイロンの元へ、大公カイエンの最初の訪れがあった。

 もとより、計画された初夜である。

 サグラチカに手を引かれて、例の青銅製の大扉をくぐる。

 皇帝の後宮とは違い、女騎士の立っている側は、後宮の外だ。

 確かに、扉の内側に、現在一人で住んでいる存在に護衛は必要ない。


 その昔、母が住んでいたという「お部屋」へ入って、カイエンは驚いた。

 あの豪奢絢爛好きの皇后のいた部屋だから、装飾過多の下品な部屋だとばかり思っていたのだが、実際には違った。

 壁は花柄の寄木細工で組まれ、床もまた幾何学模様の木で組まれている。木はすべて丁寧にニスが塗られ、雪洞ぼんぼりの明かりに光り輝いている。宝石などの装飾はなく、ただ、居間のテーブルの下だけが青いガラスタイルのグラデーションで飾られている。タイルで描かれた花は百合だろう。

 カイエンの趣味に合った、実用的だが贅沢な部屋であった。

 大公の寝室や居間、執務室にも共通する雰囲気だ。

 カイエンはややぼうっとして、それらを眺めた。

 これは父、アルウィンの趣味だ。だがそれだけではない。嫌味にならない程度の豪華さがある。くやしいがこれはここにいた、若い頃の母、アイーシャの趣味なのかもしれない。

 ぼうっと、部屋に目をやっていたカイエンだったが、居間のテーブル、飲み物の用意されたテーブルの前に、今宵の亭主の顔を見ないわけにはいかなかった。

 一応は見たのだが、何故かヴァイロンの表情が見えない。

 後で知ったことだが、「怖がらせてはいけない」と、己の怖い顔を伏せていたのだという。

 テーブルの上にはグラスがふたつ。

 なんともいえない輝きのロマノグラスだ。その意匠までもが、「純白の百合」。


(だれの考えだ。なんて強引なんだ。結婚式じゃあるまいし……。)

 と、思うが、もうしょうがない。

 カイエンは、あきらめて己の最初の夫の前に座った。

 一息ついて、己を落ち着けてから言おう。



「ヴァイロン、この部屋は気に入ったか」

 口が勝手に動いたのでびっくりした。

 声も震えたりしていない。

 隣の部屋では、あのウェント伯爵めが、聞き耳を立てているというのに。

 純白の百合模様のガラスタイルの上で、体を強張らせていた、ヴァイロンもやっと顔を上げた。

 暗い明かりの中で、ヴァイロンの翡翠色の目が金色に光って見えた。

 カイエンの明るいところでは灰色の瞳は、銀色に鈍く光った。

 泣いているのかも、とカイエンもヴァイロンも思う。

 これってあまりにあんまりだしな。

 ことここに至っては、お互いが「やけくそ」を通り越して、「達観の境地」であった。

 こういうところでは微妙に思考が近い二人なのであった。 

「はい、前大公妃様のお部屋と聞き、恐縮しておりましたが、思いの他、住みやすいと……存じます」

 でかい体が恐縮している。

 ここのところ恐縮ばかりのヴァイロンであった。

 あの日からずっとこの調子だ。

 カイエンは心底、申し訳なかった。


「すまない。無理をさせるな」

 ごく自然にそう言って、頭を下げた。

 ここ数日の男妾騒動の中、アキノやサグラチカ、他の使用人がいつもそばにいたこともあって、はっきりと自分の気持ちを言っていなかった。

 それで、ここぞとばかりに思い切り深く頭を垂れた。

 床に土下座してもいいとさえ思っていた。


 そりゃ、そうだよなあ。

 ヴァイロンには、何回自殺しても追っつかない程の屈辱を味合わせた。

「申し訳ない。この通りだ」

 カイエンの頭は、とうとう、テーブルに着いた。


 その瞬間。



 カイエンの肩の上に、重たくて熱い手が置かれ、それが背中に回ったな、と思ったら。

 ついで、カイエンの体は宙に浮いていた。

 後で思い出してみれば、なんのことはない、ヴァイロンが無言で椅子から立ち、カイエンを一瞬のうちに軽々と抱き上げたのである。

 次いで、ぞり、っとした男の頰が、カイエンの顔に擦り付けられた。

「そんなことをおっしゃるものではありません!」

 次の瞬間には、喋ろうとした唇を塞がれており、もう、なにも言えなくなっていた。

 気がついた時には、カイエンの体は樫の木で出来た堅牢で広大な寝台の上にあり、彼女は背中に柔らかい絹の敷布を感じた。

 ああ、これね。

 サグラチカの言っていた、「カイエン様はかの者ののするがまま、お任せください」ってのはこれか、と納得できた。





 そして。

 長くも短い、だが当事者二人にはギリギリの閨事の攻防が続けられた時間の後。

 彼ら二人の最初の行為の一部始終が終わった後。

 ヴァイロンはそっと頭を下げてそっとその部分、彼がカイエンを傷つけた場所に口づけしていた。

 無意識の動作であった。

 口の中にカイエンの流した、甘い血の味が広がる。

 それは、カイエンがこの行為の中で感じたであろう、「痛み」の味だった。

 ヴァイロンは営みのすべてが終わり、弛緩して眠ってしまったカイエンの細い体をぎゅっと抱きしめた。 



 なんだか一方的に急き立てられていた嵐が終わった時、カイエンはぐーっと手足を伸ばした。

 あー、これねー、の痛みはまだ続いているが、後はなんだか固くて重たくはあるが、温かくて湿ったものに包まれていて気持ちがいい。

 そのまま、カイエンは夢の世界へ遁走した。

 そう。

 彼女はいかにも要領よく、この難局を乗り切ってみせたのだ。

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