第八話 狐の闇市場

 弁柄堂へ戻った敢志は縁側で木を削り始めた。小刀で曲線を綺麗に整え、二か所穴を開けて行く。集中する姿にジョヴァンニは声をかけることが出来ず茶を用意した。

湯呑を持って戻ると、狐の面が完成していて、白い塗料を廃材の木に出し、筆を落とす。

静かに近づくと「白、目の周りは赤……」と刻み込んだ本物の見た目を繰り返していた。

これを何に使うのか分かったジョヴァンニは、着色が終わった面を太陽にかざす敢志に「もう一つ頼むよ」と言った。

「ジョヴァンニは待っていて」

「それは断る」

「これは俺の問題だ」

「君は大切な事を忘れているな? 私はただ自分のシルクハットやその他諸々を取り返しに行くだけだ。」

そう言って横に座ったジョヴァンニが小刀を持つ。不格好な持ち方をするその手から敢志は小刀を奪った。

「怪我しそうだから、俺がする」

「そうしてもらえると助かるよ」

「……いいの? 危険な場所かもしれないよ?」

「構わんさ。逆に家で待っている方が心臓に悪そうだ」

ジョヴァンニに感謝を告げ先ほどより念入りに狐の面を作る。

 完成品を二人で試着したが、二人はお互いを見つめ合ったまま固まる。

「誰か分からないな」

「俺はかろうじその髪の色で分かるけど……ていうか、染める?」

「すぐに染料が手に入るのかい?」

狭い視界に映る敢志が何かを指さした。先ほどの染料の中に狐の髭を描いた黒が残っていた。

「理解した。しかし黒にしてしまえば本当に区別がつかなくなるぞ。何か目印を……ああ、私はこれにしよう。」

キョロキョロした後、ジョヴァンニは自身の右手首を見せびらかす。そこは白人の皮膚の色とは少し違い、赤みがさしていた。

「火傷?」

「そうだ。勿論、火傷した記憶など無いがね。私の目印はこれだ」

「了解。んんん、俺は……」

「その馬の様な長い後髪は?」

クルリとジョヴァンニに背を向けた敢志の後ろには長い髪。まるで顔は白、身体は黒の不思議な尻尾を持つ動物みたいになっている。

「名案! 俺はこれにしよう。」

「で、闇市場の場所は目途が付いているのか?」

「まったく」

溜息を吐きながら二人は面を取った。

「明日、相良さんの後をつけるつもり。それで上手くいけば忍び込むし、無理ならまた庁舎に行けばいい」

遠くを見つめる敢志の目はしっかり明日を見ていた。

何かが変わる予感を伝える様に漆黒の瞳が揺れる。今は一人にしておこうと「二杯目はいかがかな?」とジョヴァンニは席を外した。


 そして翌日、二人は交代で鍛治屋橋第二次庁舎の前に張り込み、日没前に、いそいそと小隊が裏から出て行くのを目撃した。

まるで市中への見回りのような振りをしているがその表情は作り物で、頬が引き締まっている。そしてその中には勿論相良の姿もあった。誰よりも狐の闇市場事件に力を入れている彼がいるという事は、これが討伐部隊で間違いないだろう。まだ闇に染まっていない天の橙色は彼らを見守るあの男のように見える。


 見張っていたジョヴァンニは腰をやたら気にしながら、近くで仮眠をとっている敢志を起こす。横向きに真っ直ぐ壁の様に寝ていて、時折唸っていた。

「身体の調子でも悪いのか?」

「いや、大丈夫」

と起き上がった敢志も夕闇に紛れていく小隊に目を凝らした。

「追いかけよう」

二人は、小隊から見えぬように身をひそめながら後をつけた。


 小隊は人が多い場所を裂けながら街を抜け、橙色が去り、闇だけが広がる空の下で止まった。

 今日は新月。月明りもなく、悪だくみにはもってこいだ。しかし目が慣れていた二人には何とか人影と大きな建物だけは見えた。

「ここは……」

「煉瓦造りの倉庫か」

 そびえる煉瓦造りの倉庫。背後には大海原が広がっているが今は不気味に音だけで存在を示している。

「此処は商人の蔵だ」

敢志が目を痛いほど細めて確認をする。

「商人?」

「東京の商人たちが、横浜港に入港した荷物を機関車じゃなくて自前の船でここまで運んできていたんだ。当時は木造でしけで腐ったって聞いていたけど、まさか煉瓦造りになっていたとは」

「なるほど」

その倉庫の前で小隊はずっと足を止めたまま。

「さてと。俺たちはこれを使うか」

懐から白い何かを取り出す。

「ジョヴァンニの髪もいい感じに染まっているしね」

真っ黒な相棒に目配せする。黙って頷いたジョヴァンニも狐の面を取り出し、二人は相良達から遠回りをする形で煉瓦倉庫に近づいた。

五棟繋がる煉瓦倉庫を一周すると、袴を履いた男が蝋燭が半分溶けたランタンをぶら下げていた。

 アジア方面の商品で見かける幾何学模様のランタンは煉瓦を照らし、それを持つにはいささか似合わぬ袴姿の男の仏頂面を照らしていた。

 様子を伺う二人の前に先客が現れる。

袴の男がその男に「合言葉」と問いかけ、必死に耳をたてた。しかし

「……聞こえないな」

用心の為、合言葉は耳打ちで交わされている。

結局一文字も聞き取れず、狐の面をつけて男は中に姿を消した。

それを見てジョヴァンニが唸る。

「うむ。どうしようか。他に入り口を探すか?」

「こんなに厳重なのにあるかな?」

暗闇で目を凝らし建物を観察する。人の背丈ほどの位置は窓一つない。それより上はいくつか窓が並んでいる。今度は敢志が唸る。

「んー、窓ならあるね」

「しかしあそこは届かないぞ」

「俺に良い考えがある。行こう」

敢志を信じ、窓の下まで抜き足で忍び寄る。

壁を伝って建物の角を曲がれば門番がいる。極力声は出せない。

敢志は、黙って壁に手をついてしゃがみ込んだ。短い付き合いだが、それが何を意味しているのか気付いたジョヴァンニは靴を脱ぎ、紐を咥えて、逞しい日本男児の肩に足を乗せた。

「ふう」と小さく静かに息を音がし、徐々に高度が上がっていく。

そして手が窓枠を捉えた。木目のザラリとした質感で、削っていない雑な仕上げの窓に期待が籠る。


——キイッ


予想通り、鍵などついていなかった。

窓を開き中を観察する。そして敢志の肩から重みは消えていた。

上を向くと、そこにジョヴァンニの姿はない。

 無事に侵入できたことに安堵し、次は自分の侵入を試みる。

楽な書生姿にしてきたのは正解だった。腰紐を解くとストンと音がする。裾から覗いているのは刀だった。今日の護身用に持ってきたものだ。このご時世喜ばれたものではないが、父の勧めで一本隠し持っていた。

 それに腰紐を巻き、先端を窓の奥へと投げ入れる。そして刀は壁に立てかけ、その場を離れた。

「ふうう」ともう一つ息を吐き、「スッ」と短く吸い込む。それと同時に地面を蹴って壁に向かって走り出す。刀の一歩手前で跳躍し、柄に足をかけ垂直に飛び上がった。

 窓枠が目の前に迫り、手を伸ばした瞬間……

「え?」「うわッ!」


——ガツンッ‼


 窓から顔を出したジョヴァンニに頭突きをお見舞いしてしまった。落下の危険性を瞬時に判断し、反射的に腕が窓枠を掴む。

助かったと、息ついたのも束の間、「何の音だ?」と門番の声が階下から聞こえる。

 額を擦っていたジョヴァンニが敢志を中に引っ張り込み、敢志は引っ張られながら腰紐を引き寄せ、早急に刀を回収した。

「気のせいか」

と聞こえて、ようやく二人は安堵の溜息を漏らした。

「刀など、どこにあったのだ?」

「服の中に隠してた」

「道理で寝方がおかしいわけだ」

「ジョヴァンニこそ腰回りを気にしているけど、何か隠しているんじゃないの?」

「君ほど大きな物は隠していないよ」

肩を上げて呆れるジョヴァンニを無視し、敢志は中を見渡した。

そして気付く。

「これは桐箱だ」

二人は積み上げられた桐箱の上にいた。触れると冷たい感触が伝わる。木の温もりが感じられないのはこれが盗品だからだろうか。

この部屋に灯っている蝋燭でできた影も、夕暮れの子どもの様に、夜を憂いて揺れているようだ。

「誰か来る」

耳を澄ませていたジョヴァンニが、足音を捉えた。

急いで桐箱から下りて身を隠す。屈めば完璧に相手からは見えない程桐箱は積み上げられていた。

 ぼそぼそと声がする。

「ぼちぼち金持ち様方も集まってきたな」

「今夜だけでどんだけ売りさばけるかね?」

「まっ、後半にかけて持ち金は温存しておきたいだろうから今日はせいぜい二割だろうな。後日開催された時が、勝負所だろう」

「後日っていつだ」

「主催者から最後に告知だろうよ。ぬかりねえな。開催前に言うと、手下連れてきて頭は来ないって可能性を想定しているんだろうよ」

「頭が来ないと意味ないのか?」

「お前、何も知らねえんだな。まだ開始まで時間があるからおれっちが教えてやるよ」

自慢げな鼻息が聞こえ、炎が揺れる。

「この闇市場の売り上げの一部は主催者に入る仕組みだ。たんまり金を落とせば、その主催者に恩と顔を売る絶好の機会だ。かつ主催者も気になる相手をその場で捕まえて確認できる」

「そこまでして媚びたい相手なんですかえ? その主催者ってのは」

「ああ。あれだよ……」

声を少し落として男が口にしたのは……


「江戸商事の人間らしい」


 敢志の心臓が締め付けられる。ジョヴァンニが隣を見ると、膝を抱えて小さくなっている敢志がいた。

「江戸商事ってあの?!」

「馬鹿声がでけーよ! とりあえずそろそろ始まりそうだな一旦上に戻るか」

話しを終えた男たちが木を軋ませる音がする。煉瓦造りの倉庫の床は木造で、ジョヴァンニは音を鳴らさぬよう腰を上げて、桐箱から顔を覗かせた。

「去ったようだ」

「……」

返事をせずに蹲る敢志。

その横に座り直し、ジョヴァンニは肩に手を置いた。

「救われた事ではないが、君の父上は亡くなっている。少なくとも今回の主催者ではない」

となると、残るは一人しかいない。

父と会社を大きくした男も黒幕だと分かれば、敢志はもう立ち直れないかもしれない。いつか明るみにでると分かっていてもジョヴァンニは「私一人で行こう」と声をかけてしまった。

 その気遣いでようやく顔を上げた敢志の瞳は戸惑いで揺れている。しかしその下の唇は覚悟を決めたように結ばれていた。

「俺も行く」

そう言って立ち上がり、二人は面をつけた。

 小さな穴は、足元をおぼつかなくさせ、お互いの位置ですら認識しづらい。細心の注意を払い、桐箱の山から抜け出し、階段の踊り場に出た。下は一階、そして上は会場に繋がっている。

 上の階からはお香のような臭いが下りてきている。ほんのりと明かりも漏れていて、二人はそこを目指して階段をゆっくり登った。

 会場の前は刺繍が施された分厚い布で入り口を隠されていた。

暖簾の様に楽に潜る事はできず、この罪深き会場へ一歩でも入るならば、大罪を背負えと言わんばかりに重たい。

それを両手で捲り、いよいよ狐の闇市場へと二人は足を踏み入れた。



——ヒソヒソ


品物市場とはだいぶ違う。

皆息をひそめる様に会話をしている。そこには品物に対する無垢な好奇心は感じられない。だが、空気だけは、ここにいる人間が異様な執着心だけは持っている事を教えてくれる。唯一肌が出ている、首や手に気持ち悪いくらい籠った空気が纏わりつく。

 そして煙たい。

姿をさらに隠せるようにという配慮なのかもしれないが、会場の怪しさを引き立て、余計に気分が悪くなる。

似た様な狐の面と、高そうな袴に西洋のスーツなど様々な装いの人物がいる。変装のつもりだろうか、今では最先端をいっていない南蛮の服装に身を包んでいる者もいる。

 ジョヴァンニですらここでは印象が薄いだろう。

一応、隣の男がジョヴァンニか確認しようと右手の袖を捲ると、手首の色が違うのが分かる。そしてその右手が敢志の後ろ髪を引っ張る。お互いがきちんと横にいると分かったところで、カンカンッと軽快な音が会場に響き渡り、静まり返る。


 狐の闇市場の開催の合図だ。


敢志達の前にはゆうに五〇人以上の人間が立っていた。そして一番前には合図の小槌を鳴らしたスーツ姿の男がいた。勿論狐の面をつけている。

 二つ頭が飛び出ているので、何かを踏み台にしているのが分かる。その上で手を広げ「みなみなさま!」と声高らかに話し始めた。


「月の出ぬ怪しい夜にお集まりいただきありがとうございます。無駄な説明は省きましょう。ここにいる皆さまは同じ罪を被った犯罪者でございますから」


説明は省きつつ、裏切り者が出ぬよう脅しはかけてくる。

それが終われば、スーツ姿の男が「では早速一品目から参りましょう!」と言い、会場が更に張りつめる。

 男の横にはもう一枚布が天井から下がっていて、その奥から品物が現れる。それと同時に敢志達の後ろで何か気配がする。


(相良さん達か?)


そうだとすれば自分たちは邪魔になると思い、二人は隅へとこっそり移動した。商品に目が行き、参加者は目もくれない。

そして布の奥から現れたのは桐箱を持った男だった。

「なるほど、下から順番に品物を運んでいるのか」

ジョヴァンニが耳打ちしてくる。そしてもう片方の耳で商品の説明を聞く。

「こちらは江戸末期に肥前の国を騒がせた人斬りの刀でございます」

桐箱から出された刀は今でも血塗れている。まるで最近ついたものの様に見える。

「あっ」

何かに気付き、敢志は思わず声を上げてしまった。

「どうかしたか?」

後ろに一歩下がり、敢志はジョヴァンニの耳に唇を寄せ、手のひらで壁を作った。

「あれ。この前の蒸気機関車事件のやつだ」

「なに?」

「ほら。桐箱見て。赤い手形がついてるだろ? あれは俺が柄前さんに触れた後、付着させたやつだ」

信憑性は薄い。何故なら、あの時客車は暗闇だった。しかし刀に付着した真新しい血痕と、何かから逃げるように掠れて跡を残す手形には親近感を覚える。

「こちら、新しい血が付着しております。先日の蒸気機関車の殺人事件で殺された警察官の血でございます」

やはりそうだった。

だが、手を上げる者はいない。どこからか「価値が薄れたな」なんて言う声が聞こえるが、進行をする男がニンマリと笑う。

「それはどうでしょうか。もしやまだこの刀に魂を宿した人斬りの怨念と執念が込められているかもしれませんよ」

それを一度は手にしてしまった男が身震いをして、ジョヴァンニのシャツに手を擦りつけた。

「怨念と執念が込められているなら、君は確実にあの蛮カラ姿の男を仕留めていただろうね。それか人斬りも匙を投げるほど、君の腕が間に合っていないのか」

と拭われた仕返しにジョヴァンニが皮肉を込めて返した。

 狐の小さな穴からでも敢志の目が細くなり、それで満足した。

結局刀は売れることなく、あえなく退場した。その後も運ばれてくる商品。牛若丸の牛鍋も中盤に登場し、こちらは売れてしまった。しかも結構な高値だった。

「さて、そろそろお開きの時間も近くなって参りました。最後の品物と参りましょう」

 最後の商品に参加者の首が長くなる。正直それには興味がない二人は辺りをキョロキョロして主催者らしき男を探していたが、全く見つからない。

「最後の品は金の懐中時計です」

 一応横目で商品を確認した敢志だったが、特に気になる物ではなく、目を逸らした。その先には固まるジョヴァンニの姿があった。

「……」

ジョヴァンニの狐の面は参加者同様、前を見据えている。

敢志はその姿に首を傾げてしまう。

「この商品は文久二年(一八六二年)武蔵国(今の神奈川県)で起こった生麦事件の品です。無残に惨殺された英吉利人夫婦の遺品。仲にはご子息と思われる少年の写真が蓋の裏に接着されています」

カパッと蓋を開けるとそこには白黒写真。少年の容姿までははっきり分からない。そしてその謎の品をジョヴァンニは食い入るように見つめている。

「では、ご購入希望者は挙手を!」

一斉に金額を唱える声が前に放たれる。どんどん上がっていく値段、隣のジョヴァンニはじっと前を見つめているだけ。

 だが、右手がピクリと動いた。

「おい!」

止めようとした敢志の手が右手に触れる前に……


「東京警視庁でござる‼‼」


と相良の声が響き渡り、相良率いる狐の闇市場討伐隊が、会場に乗り込んできた。

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