第七話 繋がる盗人達
「はあ、はあ。」
店の格子戸に寄りかかり肩で息をする二人。
敢志は何とか手に力を入れ、錠を外した。
ズルズルと木箱を店の端まで引きずり、自分たちは居間に倒れ込んだ。
しかしこのまま休む気は毛頭ない。警視庁へ向かう為、起き上がった敢志の動きが止まる。
その様子にジョヴァンニも片目を開け、様子を伺っていたが目を見開いた。
「何だこれ。」
よろよろと立ち上がった敢志。
そのまま襖が開け放たれた仏間へ疲労困憊の足を引き摺って行く。仏間は……
「泥棒だ。」
———荒らされていた。
もう体力は回復したはずなのに、重い足取りで東京警視庁へと向かう。
「最悪だ。」
「売り上げも取られていたのか?」
「それは大丈夫。」
「しかし、売り上げを入れていた箱は空だったではないか。」
荒らされた仏間、それは二階も同じだった。誰かが家を物色した跡はまだ新しかったが、犯人は逃げたあと。そして売り上げを収めていた螺鈿の箱も綺麗な漆の底が丸見えだった。
「あれはちょっとした細工があるんだよ。」
「細工?」
「仕掛け箱なんだ。店じまいした後に仕掛けの中に売り上げは隠してある。あの中にないと分かれば、泥棒なら他の場所を探すだろ?それで箱から注意を逸らすのさ。すると箱ごと盗まれる確率は一気に下がる。」
鼻高々に言うが、やはり泥棒の事実は重くのしかかり、遠い目をしている。
そして泥棒への恨み言を吐きながら東京警視庁へ向かう。
相良のいる鍛治屋橋第二次庁舎が見えてきた。石壁に横長の建物。目の前に一か所だけ設置されている入り口には門番がいた。
「すみません。」
二人が近づいて来るのを確認してから、ずっと睨み付けていた門番に声をかける敢志。
制服の帽子の唾で影が落ちた瞳が鋭い眼光を向けてくる。
「何用だ。」
「相良さんという方はいらっしゃいますか?少々お話がありまして。」
門番は、隣で直立しているもう一人の門番と頷きあう。
「見知らぬ者を通すことは出来ない。」
「警察官の相良さんの知り合いなんです。」
必死にそういうが、通してくれる様子はない。
「適当に名を言っているだけではないだろうな?」
「違いますよ!ええと……。熱血漢で、古風な話し方をする若い男性です。」
門番の視線が少し緩む。どうやら相良の事を知っている様子だ。
だが、それでも道を譲ってはくれない。それどころか、二人を目の前にヒソヒソと話し始めた。「あの士族あがりの小僧の知り合い?」「何故?」「知らぬ。」「盗人ではなかろうな?あの犯人はまだ捕まっていないのだろ?」「こやつら手引きするつもりかもしれん。」
ジョヴァンニが門番に一歩近づく。
「盗人?」
聞き返すジョヴァンニの横で、敢志は疑われた事よりその単語にイライラを募らせていた。
ここでも盗難事件が発生したことを匂わせた門番が「しまった。」と手で口を覆う。
ジョヴァンニが隙を突き、畳みかけようとしたが、溌剌とした男声にそれは遮られた。
「伊東殿、ギルバーツ殿?!」
「相良さん!」
門番の後ろには相良、その人がいた。
庁舎から勢いよく駆けてくる。揺れるサーベルを押さえて走る姿は凛としている。
「いかがいたした? もしや柄前殿の事で何か思い出したことが?」
柄前の情報を持ってきたわけではない。眉を下げた敢志にそう気づかされたが、相良は「何はともあれ中でお聞きしましょう。」と小言を垂れる門番に事情を説明して庁舎に二人を通した。
真新しい木の香りがする庁舎は、木材の柔らかさを感じることが出来ない。場所が場所だけに割れ目一本も許さぬ頑固な佇まいだ。長い廊下を進み《取調室》と札の下がる部屋に三人は入った。そしてそこには数脚の椅子と長机が一つあるのみ、真実しか必要ないというにふさわしい部屋だった。
相良の向かいに敢志とジョヴァンニは着席した。
「して、いかがした?」
「実は弁柄堂に泥棒が入って。」
「何?!」
と前のめりになる相良に圧倒される。
「今すぐにでも届を出しましょう! 店内の様子は覚えておりますか?! 犯人の顔は?!」
仕事の熱を振りまく相良が制服の内側から紙の束を取り出す。
店でも彼が詳細を細かく記載していたそれは、この前より汚れている様に見えた。それだけ事件が多いという事だろう。
パラパラと捲られる紙を敢志は見つめる。そして一瞬、狐が視界を掠めた。
「……相良さん。」
「はい?」
「泥棒の件よろしくお願いします。」
「勿論にござる!」
「あと……」
敢志は袴の袖に隠し持っていたアレを取り出した———江戸商事の社長室で見つけた狐の面。
面が取調室に姿を現した瞬間、柱が軋む音が聞こえた、いや、それは相良が拳を握る音だった。
「これを……どこで……」
震える手が狐の面に伸びる。敢志は面をそこから遠ざけた。
「その前にこの面が何かを教えてくれませんか? 相当重要な物ですよね?」
顔を逸らす相良が「機密情報でござる。」と蚊の鳴く様な声で言う。
「警察が情報を一般人に教えられないのは承知しています。なので……」
敢志はそろばんの珠を弾く様に指を擦り合わせた。
「取引と行きましょう相良さん。お互いにとってこれほど有益な物はありませんよ。今乗らねば真実は闇の中です!」
商売人と警察の損のない取引を持ち掛ける。
「俺は気が変わりやすいですよ。さあ、どうしますか?」
気が変わりやすい性格ではない。だが今はそれを匂わせ、絶妙な速度で面を袴の袖に仕舞うような素振りを見せる。
相良は天を仰ぐ。そして……
「分かり申した。全てをお話いたしましょう。」
謎の狐の面の正体が今暴かれる。
「某が柄前殿に代わりある事件を追っている事は申しましたな?」
「はい。」
「それは『狐の闇市場』と呼ばれている事件でござる。」
三人は狐の面に視線を落とした。
「この東京のどこかで、表には出ない珍品を取り扱った市場、それが狐の闇市場。」
「どうして狐なのですか?」
「うむ。」
相良は面を顔の前に被せた。二人から見れば、相良の表情は全く見えない。
「これで素性を隠す、そしてこの面こそが参加者の証でもある。」
執念に燃えた瞳が狐の切れ目から覗く。
「犯罪にかかわった品物を金で手に入れようとする物好き富豪のちょっとしたお遊びでござる。」
そのお遊びを成敗しようする若き警察官はコトリと面を置いた。
「我々は必死に証拠を集めた。その結果、品物の運搬方法に辿り着いた。」
「それこそが……。」
相良が頷き、黙祷の意を込めて俯く。
「柄前殿が殉職したあの客車でござった。」
自身が巻き込まれた事件がまさかそんな大きなものだったとは思わず二人は言葉が出なかった。
敢志とジョヴァンニが乗り合わせた横浜発の蒸気機関車。最終が出発する数時間前に既に作戦は始まっていた。
柄前は事件担当の責任者として犯罪の片棒を担いだ蒸気機関車に、そして相良は連結が離された後、品物を乗せた客車の追跡を任された。
離された瞬間、柄前が煙幕を上げる。近くを馬で並走する相良がそれを合図にする手はずだった。暗闇の中白い煙幕が昇るのを目を凝らし待ち続けたが、それは上がることなく蒸気機関車は新橋駅に到着してしまった。
まさか合図を見逃したか。叱責を覚悟で新橋駅に向かう相良に、柄前の怒号は飛ばなかった———永遠に。
師を失い、そして品物を乗せた客車がない事に二重の絶望を食らってしまった。冷たい師の亡骸に、無念の涙を滝の様に零しながらホームで吼えた。
「———某は後悔した。やはり人数を増やし、共に客車へ乗り込むべきだったのだと。」
「すみません。」
「伊東殿のせいではござらん。それにもう心は回復いたした。いつまでも嘆いていては柄前殿に拳骨を食らってしまう。」
笑いながら側頭部を申し訳なさそうに掻く相良。
そんな彼に敢志は自身を重ねてしまう。誰かの死に直面した同じ人間として……。
「某が知っている事はこれで全てでござる。なにとぞ内密に。」
「勿論です。」
「では、そちらの情報をいただきましょう。」
敢志は頷いた。
「この狐の面は……」
一瞬間があく。
「江戸商事で発見しました。」
「なんと、あの!」
江戸商事が如何に広まっているかが分かる反応だ。だがそれ故、この事実はとても重たい。
「社長室の一角で見つけました。今の社長は山科権兵衛です。」
あの山科が犯罪の片棒を担いでいるとは思えないが、どうしても山科でなければいけない理由が敢志にはある。山科であってくれ、しかしその願いは相良の発言で崩れ去った。
「その御仁の可能性は低いでござる。狐の闇市場はずいぶん前から存在する。およそ三十年前から、そして四年前にはたりと開催されなくなった。つまりその間、就任していた社長の可能性が高いと思われます。」
三十年前なら初代社長の可能性がある。しかし「四年前にはたりと開催されなくなった。」この言葉が一人の人物をさしていた。
四年前———それは伊東清志が海に沈んだ年だ。
「つまりは二代目の可能性が高いと。」
「そうでござるな。二代目、二代目……かなり有名な方でござったから某の記憶にも名前が……」
脳の片隅を刺激する相良がハッと笑顔になったが、目の前の敢志を見て表情が曇る。
「お名前、思い出したでござる……しかし、もしや……。」
唇を噛みしめる敢志に気を遣う相良。
敢志は覚悟を決めた。
どこか似ている相良は死を受け入れ前を向いている。敢志もそれに続いた。
「父上には密輸入の黒い噂が立っていました。もしかするとその市場、父上が……二代目社長伊東清志が関与しているかもしれません。関与どころではない主催者だった可能性もある。」
「密輸入でござるか。」
「はい。英吉利人との密輸入らしいのですが、その市場は外国人も関与していますか?」
「勿論。外国の犯罪にかかわったものも売りさばかれていると聞いております。」
「そっか……」
俯く敢志は「確定だな。」と嘲笑しながら泣きそうな声を出した。
その黒い瞳に溢れそうになる雫。自分の力では蓋を出来そうにないほど押し寄せる悲しみと絶望。あと寸の所で溢れる……だがその一歩手前で今まで黙っていたジョヴァンニが敢志の肩を揺さぶった。
「まだ謎は残る。敢志、君は父親の最期をしっかり見たのだろ?」
「ああ。」
「では何故また市場に動きがあったのだ。まさか父親の幽霊なんて真面目な君は思っていないだろ?」
清志は確かに死んだ。しかし市場に動きがあった。
「まだ真実には辿り着いていない。今ようやく出発点に立ったのだ。」
顔を上げた敢志に相良が頷く。
「今は伊東清志殿の路線で調べましょう。ですが、それはあくまで仮定、真犯人を必ずや明日捕まえるでござる!」
拳を突き上げた相良は重要な事を漏らした。
「「明日?」」
二人一緒に反応し「あああああ!」と熱血漢が庁舎を震わす大声を上げる。
「ち、ち、ち、違うでござる!」
と慌てるがもう遅い。
「相良さん、知ってる事全部話して下さいよ!」
と裏切られた商人の表情があまりに恐ろしく相良は残りの情報も「内密で‼内密でござるよ‼」と言いながら教えてくれた。
残りの情報で分かった事は三つ。
一つは、今日、庁舎に入った盗人も市場関係者である可能性があるという事。
「盗人は伊東殿が殺人未遂を着せられたあの客車の品物を盗んでいきました。」
「え? 品物って客車ごと消えたんですよね?」
「いえ、実は一つだけ残っておりました。伊東殿が握っていた刀でござる。」
柄前を殺害し、その罪を擦り付ける為に持たされたあの刀だ。最後には逆上した犯人に一突き入れる役を担ってくれた。
「早朝、それが盗まれた。あんなもの盗む人間は市場関係者しかいないでござる。おおよそ品物を取り返しに来たと言ったところか。」
そしてもう一つは、数日前の牛鍋窃盗事件だ。
「あれも市場の品物になる可能性が高いことが浮上したでござる。」
「そういえば女将さんが、あれも犯罪に関係するものだって言ってた気がする。」
「左様。あの鍋は闇市場で売りさばくにはもってこい。開催間近まで品物を集める気なのでござろう。」
「つまり私が対峙した人間も市場関係者ということか。」
更なる品物を集めている最中にジョヴァンニは出くわし気絶させられたのだ。
「ジョヴァンニのシルクハットも売られてたりして。」
「不名誉だな。」
そして最後の一つは、先ほど発生した弁柄堂の泥棒事件だ。
「お二人は最近、新聞の片隅を騒がしております。」
「『日報謎怪』ですか?」
「あれは少々信じるには厳しいかと……ですが、『東京日々新聞』は客車と牛鍋の事件を掲載した。それと『日報謎怪』を熟読すれば市場関係者はお二人の存在に確実に気が付く。そしてその結果、新たな品物を求めて弁柄堂に盗人が侵入した。某はこの事件全てが繋がっていると確信しているでござる。」
何の狂いもなくしっくりくる。
全部の事件が狐の闇市場に繋がった。
あまりの爽快感に、空気に浸ってしまい一言もしゃべることが出来ない。
喉を締め付け必死に絞り出した声は「で、明日どこで開催されるんですか?」だったが相良は鬼の形相になった。それをジョヴァンニは狐の面でおちゃらけて隠した。
「それをこちらに! 民衆を巻き込むなど愚の骨頂!なりませんぞ!」
「でも、俺にも関係があるかもしれないんです。」
「いけませぬ! 某の首も飛んでしまいまする! その後、腹切り、そして三途の川の向こうで鬼と化した柄前殿に拳骨を食らうでござる!」
と早口で捲し立てジョヴァンニの手から面を奪い去り、今度は門番も驚く勢いで二人を庁舎から追い出した。
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