第七話 見えた光
「では、どうやって客車が現れたか今から考えるとしよう。」
手を後ろに組み、背中を向けた老人が再びデッキに続く扉を開く。
「御覧の通りここは最後尾、客車など存在しない。」
人の叫び声にも似た風音が客車に流れ込んでくる。
「では、ここに客車が連結されたとしたならば…それはいつ起こったか?まずはそこから考えよう。」
新橋駅の明かりが窓から見える。果たして間に合うのだろうか。
「君が客車を見たのはいつ頃だったか覚えているかい?」
老人からの質問に顎に手を当て考える。
「確か…体調不良でデッキに出た時でした。」
「詳しい時間は分からないか…。」
「はい。」
あの状態で時計を見る事は出来なかった。顔を動かしただけで汚物を吐きかけるほどの状況だったのだから。
「どうにか一度は治まったんですけど結局…ああっ!」
敢志は何故一度、吐き気が治まったのかを思い出し声を上げた。
「確か定期点検の後でした!」
書生姿の男と敢志がデッキに出たのはあの定期点検の後だった。定期点検による停車で一度は治まったものの、動き出してまたぶり返したのだ。
ある程度絞られ、情報を得た老人が推理を続ける。
「では、客車が連結されたのは、出発してから定期点検の間ということになるな。」
「でも、それなら火夫が気付いているはずでは?」
蒸気機関車のボイラーに石炭を投入する、この文明の利器を動かす担い手―火夫。「定期点検」と外から知らせてくれた彼らが、その時客車を見たかは重要になる。だが、連結されているとはいえ客車同士は独立し、火夫のいる運転室まではさらに炭水車と呼ばれるタンクが存在する為ここからでは彼らの元に行くことは出来ない。
「では駅に到着後、彼らに話を聞くとしよう。ちなみに諸君の中に窓から客車が繋がれるのを見たものはいないかい。」
見渡しながら老人が聞く。すると乗客から口々にこんな事が漏れだした。
「夜の闇だし、そもそも今日は煙が酷くて外なんて見えやしない。」
「ええ、窓際に座っていたせいで汚れましたわ。」
敢志も気になっていた。風のせいだろうか、やけに蒸気機関車から吐き出される黒煙が下方に流れているのだ。まだ、全ての枠に窓が完備されておらず、黒煙が客車に入り込む事もしばしばある。しかし、煙を上昇気流に乗せて上方へ逃がす為にデフレクターと言う鉄板が蒸気機関車の先頭に備え付けてあるはずだ。
それなのに今日はやけに煙の位置が低い。
風もそんなに強くはない。
煙の位置…何か関係があるかもしれないと敢志が考え込んでいると、また別の所で声が上がる。
「そういえば…馬の鳴き声が聞こえた。」
「馬?」
素早く老人が反応した。そして敢志の脳内でも何かが繋がる。
「俺も聞きました。」
「青年もか?」
あの鳴き声は、この後日本橋まで馬車鉄道に揺られる想像で聞こえた幻聴ではなかったのだ。
「煙…馬…客車…。」
何か答えが見つかりそうなのに、大きな揺れで推理に勤しむ脳内も揺れる。
そして蛮カラ男の肩も震えだし、気持ちが悪いくらい笑みを浮かべる。
「へへへ、到着だ。残念だったな。」
このままでは逃げられてしまう。
「くっ。」
この男を止めなければと策を練ろうとしたがその必要は無かった。
「ワシが駅員に連絡しよう。警察を急ぎ手配してもらわねば。」「ああ。この男を捕まえないと。」
乗客の敵意はもう蛮カラ姿の男に向けられ、この男以外の乗客は一心同体となっていた。いつの間にか推理に手を貸し始め、乗客から得た情報と老人のお陰でこの男を追い詰めていたのだ。
「諸君、恩に着るよ。」
老人も一番怪しいこの男が逃げないように立ちはだかる。そして「あなたのお陰です。」と横に立つ敢志に用事を頼む。
「青年、火夫をここに連れてきてくれないかい?」
「分かりました。」
「その際、彼らが変な動きをしないように十分注意してくれたまえ。…ポケットの中身も捨てる暇がないほどね。」
再び冴え始めた老人の脳内で全てが繋がり始める。
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