第五話 嘘つき男と正直な男


「まず確認しておきたい…この中で被害者と面識のある方はいるのだろうか?」

老人の問いにやはり誰も首を縦には振らない。そして蛮カラの男は更に念を押す。

「言っておくが俺もないぜ。」

男を一瞥して老人が話を続ける。

「この蒸気機関車は横浜駅を夜11時に出発した。そして当時この客車は最後尾だった…それは私も記憶しているが異論のある者はいるかい?」

さあ、誰かいないかと老人は右手を差し出し答えを乗客に求める。しかしこれにも誰も反応しない。もちろん敢志も。

「青年…君も客車は見ていないのかい?」

この状況で「見た。」と言わねば窮地に追い込まれるのに、冷静さを取り戻しつつある敢志は正直だった。

「見ていません。」

「ほら見ろ!」

「しかし!その時は見ていないが、その後デッキに出たらもう一つ客車が連結されていた!」

熱が入る敢志に向けて老人は自分の口元に人差し指を持っていく。

「落ち着いて…では仮に、新たに客車が連結されていたとしよう…その後、被害者がデッキへ向かった、そしてその後青年が向かった。これは私も目撃している。」

青年と呼ばれた敢志は老人が敵か味方か分からなくなり始める。

「被害者が何故デッキへ行ったのかは分からない、死人に口なしだ。だが、青年はまだ生きている…教えてくれ青年、何故君はデッキに向かったのかな?」

まだ老人との始まったばかりの推理。今の状況では確実に怪しいのは敢志で、何も変わらない推理に焦りを感じ始めたが、真っ直ぐな男はここでも正直だった。

「体調が悪かった。胃袋の物を出そうとデッキに向かいました。」

「ふむ。もう体調は大丈夫かな?」

胃ではなく、首筋を擦る敢志。

「…少し首が痛いだけです。」

「それは何故?」

「デッキに出た時、新しい客車があった。客車の様子は変で、しかも出て行ったはずの男もいなくなっていたから乗り移ったんです。その中で…既にこの人は死んでいて…俺は誰かに殴られて意識を失いました。」

「殴った相手の人相は見ただろうか。」

首を横に振る。

「真っ暗だった。月明りしかなく…前と後ろに二人いたのしか分からない…」

「真っ暗?客車なのに?そういえば先ほど様子が変だと言っていたね。」

「はい。何の明かりも漏れていなかった。」

「不思議な客車に、怪しい人影…他に何か気になることは?」

「他…あっ!箱!」

客車に乗せられていた大量の木製の箱を思い出す。

そして皆がその言葉に首をかしげる中、声を荒げる者がいた。

「おい!別にそれは関係ねえだろうが!」

蛮カラの男だ。

「どうしてそう言い切れるのかな?」

老人にそう言われ、何かを堪える男。

「そ、それは…それは…そりゃ、こいつは刀で刺殺されたんだから箱なんて関係ねえだろ!」

「では箱の事は置いておくとして…その人影とやらは気になるな。」

必死に何か思い出せないかと敢志は顎に手を添えて考えるが、やはりあの暗闇では影を見るだけで精一杯だった。

「んー。」

「何か思い出せないだろうか。」

「待ってくださいね。今必死に…怪しい人影に殴られて…ええと…」

突破口を見つけようとする二人を蛮カラ男が怒鳴る。

「で?お次は何だ。男に殴られて意識を失ったそこの罪人は死体とデッキに移されたって言いたいのかい?」

老人は目を細めてジッと蛮カラ男を見る。

「何だよ!」

「いや、何も…むしろ感謝するよ。」

フッと紳士的な笑みを浮かべた老人の瞳に今白から黒になりかけた男が映る。しかし、まだ追い詰めるには情報や決定打が足りなかった。

「今度はあなたに尋ねよう…あなたは何故デッキに?」

「俺か?俺は風にあたりに行っただけさ。そしたら、死体とこの罪人の兄ちゃんがいたわけだ。」

「その時不審な客車は?」

「そんなもんあるわけねえだろ。この罪人が嘘ついてんだからな。」

「ついていない!俺は確かに見た!」

「誰が人殺しの言葉なんか信じるかよ。それにあんたの手は血でべっとりだ!」

再び乗客が敢志の掌にこびりつく血を見て息を呑む。

「血か…」

そんな二人を置いて老人は客車の後ろの扉を開けて外に出る。客車から洩れる明かりと月の光のみでデッキをくまなく観察する。

「客車がなかった場合、ここが殺害現場になるわけだが…発見した時の様子をもう一度教えてはくれないだろうか?」

「いいぜ。おら、どけよ。」

自信満々に鼻を鳴らした蛮カラ男が敢志を押し除けてデッキに向かう。そして声を上げ客車内に響き渡る声で発見当時の状況を説明し始めた。

「俺がデッキに出た時、デッキの柵にもたれるように二人の男が座り込んでいた!一人は死体、そしてもう一人は…言わずもがなだな。」

「刺したところは見ていないということかな?」

「ああ!俺が来たときは刺された後だったぜ!この兄ちゃんが握っていた刀の先は血でべっとりだった。」

「この薄暗さでもそれに気が付くとは、なかなかいい目をしておられる。私は今ようやく目が暗闇に慣れてきて床が見える様になってきた。」

デッキの綺麗な床に触れる老人

「外にしばらくいないと、この暗闇の中でそこまではっきり血を見る事は出来ないだろうね。」

不敵に笑いながら蛮カラ男に視線を上げる。

「何が言いたいんだよ爺さん。」

「いや…私の記憶だとあなたがデッキに出て結構時間が経っていた気がしたものでね。」

老人はこの男がデッキに行くのももちろん気が付いていた。だが、正確にどれほど外にいたか分からない。そのため犯人という確証は得られなかった。が、この男がここにいた時間はとても重要になってくると踏んでいる。

「人の死体を見つけてそんなにもたもたと何をしていらっしゃったのかな?」

「…。」

視線が泳ぎ、震えだす唇で必死に言葉を繋ぐ。

「…少し気が動転して。」

「そうでしたか。それは失礼した。あなたのような体格の良い方でも、死体と血塗られた切っ先を見れば震えてしまうのは仕方のない事です。」

気遣っているはずなのに目が笑っていない老人に、まだ唇の震えは止まらず言葉が勝手に出てしまう。

「驚いて腰が抜けちまったんだよ…その間に目も慣れちまったんだ…だからあの警察官が死んでいるのもすぐに分かったし、その兄ちゃんが血の付いた刀を握っていたのも見えたんだ!俺は何もしてねえ!俺がデッキに来たとき、既に事件の後だったんだからな!」

はあはあと肩で息をする蛮カラの男の肩に老人か手を置き中へと促す。

「ああ、もう十分だ。」

それは何を意味するのか。老人は結局どちらの味方なのか、その微笑みからは誰一人感じ取ることは出来なかった。事件に巻き込まれた敢志ですら置いてけぼりだ。


しかし老人にはこの事件の全貌が見え始めていた。

そして嘘をついているのが誰かも。

なぜなら彼は…二つも重要なことを口から滑らせてしまったのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る