第四話 共謀か共闘か
そしてそのような事があったとは知る由もない敢志が意識を取り戻すと、彼は書生姿の男をデッキで殺した犯人に仕立て上げられていた。
「ちょっと待ってください!俺は何もしていない!」
立ち上がった瞬間悲鳴が上がり敢志の右手に視線が集中する。その掌は真っ赤に染まり、刀が握られていた。
「うわっ!」
ようやく刀を捨て去ったが、その光景は傍から見れば本人の一人芝居にしか見えない。
客車内がざわつく中、目の前にいる蛮カラ姿のガタイの良い男が敢志に話しかける。
「殺したのはお前だ。俺がデッキに出た時、刀を持ったお前と…可哀想に…この死体があったんだ。」
ガタイが良いため蛮カラ姿の男の悲しげな表情はとても不釣り合いで違和感がある。
「ありえない!そもそも、この人は後ろの客車で死んでいたんだ!」
首に鈍痛を感じながらあの時の光景を思い出した敢志が反論するも、誰一人信じない。みな口々に「ここは最後尾だ。」「客車なんてない。」と忍ぶように発する。しかし敢志は確かにもう一つの客車を見た。その事実を見せようとデッキに続く扉を勢いよく開ける。
「…そんな…嘘だ。」
敢志にも、彼の背中から外を見る乗客の目にも、映るのは後ろに猛スピードで過ぎ去っていく夜の景色だった。客車の姿は影も形もない。
背中に殺気にも似た視線が集中し振り向くことが出来ない。そして重く肩に手が乗せられ、蛮カラの男が首を横に振る。
「違う…待ってくれ…俺じゃない…」
必死にあの光景を思い出すがこの状況下では自信がどんどん崩れていく。無意識に記憶を捻じ曲げ、何が本当なのか分からない。足元が揺らぎ頭を抱えてその場に蹲る。
「男がデッキに行って…その後に俺が…その時客車が…いや、そもそもあの男は本当に…」
こっそりと通路に転がる死体を見る。誰かが目を閉じてやったのだろう、あのおぞましい死に顔は安らかだ。そしてどう見ても自分より先にデッキに行った男だ。あの記憶は嘘ではない。
「俺じゃない…俺じゃない…」
精神を保とうと言い聞かせる。その光景が気味悪かったのか乗客の何人かは後ずさり始めた。
「俺じゃない、俺じゃない…触るなっ!」
震える敢志の肩に再び手が添えられ、力任せにそれをはじく。
「…失礼。」
触れたのは蛮カラの男ではなく、通路を挟んで横に座っていたシルクハットの男だった。敢志を覗き込むその瞳は、ガラスのように透き通っていて他の乗客の様な殺気は帯びていなかった。真正面から見ると鼻の下に逆「へ」の字の形をしたカイゼル髭を生やした老年の男性だと分かる。細いアーモンド形の目じりがゆっくり下がり、その表情で優しさに包まれるように心が穏やかになっていく。
「すみません。」
視線を逸らし謝罪をすれば、老人はゆっくりと頷き敢志を立ち上がらせる。その光景に蛮カラの男が難癖をつけてきた。
「罪人の味方か爺さん。あんた横に座っていたなら見ていただろ?デッキにはこの二人しか出て行かなかったって。」
確かにこの老人もデッキに続く扉の横に座っていた。むしろ敢志の行動を見ることが出来たのは彼しかいない。
「…」
老人は今一度敢志を見つめる。漆黒の丸い瞳は疑われているというのにやけにしっかりしていて誠実さを孕んでいる。だが老人の記憶にもこのデッキを通って外に出て行ったのは二人しか見ていない。書生姿の変わり果てた男と敢志だけだった。
どう答えるべきかカイゼル髭をいじっていると蛮カラ男のつま先が貧乏ゆすりを始める。
「おい、この二人だけだろ?」
老人は敢志と段々苛立ちを隠せなくなった男を交互に見る。
「俺は見たぞ!デッキにはこの二人しか出て行っていない!」
声を上げはっきりと言い切った男に老人は
「では私の意見を求めず、そういえば良いだろう。自分の目に自信がないのかな?ところであなたはどちらの座席に座って?」
と、尻込みすることなく聞き返す。まるで敢志を助けようとする発言に誰もが驚く。まさか自分に視線が集中するとは思っていなかった男は歯を食いしばる。
「俺は、ここだ。爺さんと罪人が座っていたせいで後ろの座席は埋まっていたからな。」
老人の前の座席を指でさす男。その先を見つめて今度は乗客を見渡す老人。
「ではここにいる諸君の中で、今回の被害者の姿を見たものは?」
首を縦に振る者はいない。目的地は同じ蒸気機関車でも所詮は赤の他人の集まりだ、誰も周りを気にするものはいない。一風変わったシルクハットなどの特徴でもない限り。
「この亡くなった御仁の服装は至って普通だ。誰も気にも留めないだろう…なのにどうしてあなたはそんなにもはっきり覚えているのかな?」
シルクハットのつばを上げ黒い前髪が見える。そしてガラスのような瞳で蛮カラ姿の男を見つめる。
「知りあい…なのだろうか。」
煤汚れが付着した小汚い蛮カラ姿と、小奇麗で赤黒い汚れのみの被害者が知り合いとは思いにくい。
「し、知るかよこんなやつ…見た事もねえよ!知り合いなのはこの二人だろ、何の縺れかしらねえが刺殺しやがって!」
再び敢志に避難が集中する。だが、敢志も蛮カラ姿の男の態度の変化を見逃さなかった。そして今は一人ではないと横の老人に一瞬だけ視線を向ける。
「はん、分かったぞ!お前ら共謀しているんだろ?爺さんも罪人ってわけだ!」
敢志の視線が男の言いがかりに拍車をかけ、自分を助けてくれようとしている老人に疑いがかかり頭に血が昇る。
「この人は全く関係ない!」
「ふん。罪人が何言ってやがる。」
「本当だ!俺は後ろの客車で人影を見たが、こんな目立つ被り物の影は見ていない!」
既に消えた客車、そこで見た事を熱弁しても誰も信じないのは分かっている。しかしこの状況で唯一自分を疑わなかった老人に容疑がかかることだけは許せなかった。
「俺の事は疑ってもいい。だが関係ない人を巻き込むのだけは止めろ!」
「つまり自分が刺殺した…そういう事でいいんだな?」
鼻息が荒い男を睨み付ける敢志はゆっくりと息を吐き出す。
「自分にかかった疑いは自分で晴らす。」
覚悟を決めた黒い瞳に、優しさと力強さを再確認した老人が敢志ときちんと肩を並べる。そして…
「お手伝いしよう。」
同じ目的地へ向かうために。
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