ヤンデレに向けられた殺意ほど怖いものはない。

 白い壁紙の殺風景な部屋に通された。部屋の中心にテーブルと、壁にホワイトボードが掛けれただけのシンプルな部屋。


 ここが、読書部だ。


 おそらくは部室棟全ての教室がこのような間取りなのだろうが、いかんせん部室棟などリア充の巣窟、リアルぼっちの西君には天界の領域であった。


「どうぞ、座ってください」


 目の前には後輩の女子生徒。


「……あっ、どうも」


 俺は椅子を探す。部屋の奥、外からの光が射し込む窓辺に、ぽつんと椅子が置いてあった。

 俺はその椅子に座った。


「そこ、私の席なんですけど」


「いや、これ以外に椅子が見当たらないんだけど」


「誰が椅子に座れと?」


 …………イラ。

 コイツ、性格の悪さだけで言ったら千歳以上かもしれない。


 俺は椅子から退くと、仕切り直して、話題を振った。


「壱膳は、どうして読書部に?」


「……んー、私、五月まで水泳部だったんですけど、先輩と喧嘩してしまいまして、それで部を辞めることになって、水泳部の顧問の海老名先生が掛け持ちしてるこの読書部に誘ってくれました」


「へぇ」


「まあ、読書部の先輩方も、私が来た途端に辞めていってしまいましたが……」


 ……いたたまれない。


「その時でした。私があの人に出会ったのは。私は、あの人の戦う姿に心を奪われたのです」


 なんか、急に変化球投げてきたんですけど。リトル千歳。


「あの人は私の為に、私を水泳部から追い出した先輩方を軽く捻り潰してくれたのです」


「……物騒な」


「物騒なんてとんでもない! あの姿、今でも目を閉じれば、鮮明に思い出せます……」


 壱膳はそう言って、うっとりし出す。

 はっ。これぞ俺が求めていた女子像ではないのだろうか。少なくとも、リトル千歳の面影は微塵も存在しない。


 いける。いけるぞ。


 壱膳を脱クズ、脱ぼっちさせることができるかもしれない。


「その人は誰だ? いや、名前言われても絶対分からん。そうだ、何年生だ?」


「えっと、二年生です」


「俺と同じか……。紗楽さんなら知ってるんだろうけど……。もう帰ってるだろうし、明日じゃ遅いし……」


 考えてると、壱膳は身振り手振りでその男子のことを説明してくれた。


「えっと、黒髪で、美形で、身長は私より少し小さいくらいかな」


 え、壱膳一六〇ないだろ。


「ちっちゃいな……」


「なっ! 小さい方がいいじゃないですか!」


 なんか、凄い剣幕に責められた。


「いや、まあ、人の趣味嗜好はそれぞれだけど……」


「ですよ! ……でも」


 壱膳は肩を落とす。


「でも、最近その人に恋人ができたらしくて……」


「なにぃ!?」


「先輩には……その人をボコボコにしてほしいんです」


 可愛い顔でなんてダークなことを言ってのけるんだ。


 しかし、ここで断っても他に解決策が見つからない。クズは治せないかもしれないけど、少なくともぼっちは治せる。壱膳とその男をくっつけることができれば。

 ボコボコって言ったって、相手は女子なわけだし、土下座でもして殴られる演技でもしてもらおう。


「よし分かった。俺がボコボコにしてやるよ」


「じゃあどうぞ」


「は?」


「いや、どうぞ」


「は?」


「あっ、道具が必要ですか? この部屋にはえっーと、鈍器しかないですね」


 壱膳は席を立つ。そして、部屋の端っこに置いてあった壱膳の物と思われるピンク色のリュックサックから鈍器を取り出した。


「何であるの!?」


 いや、そもそも、え、何? どうぞって何?


 壱膳は鈍器をテーブルの上に置く。


「鈍い男ですねぇ」


 ニタァと、壱膳は不気味に笑う。


「私が殴ってあげましょうか? セ・ン・パ・イ」


 稲妻が轟いた。


「ひぃぃぃいいいいいいい!!!」


 俺は身の危険を感じ、全速力で扉へ向かって走る。


 ドアノブを掴み、回そうとする。が、全然回らない。


「無駄ですよぉ? 特殊な細工を施してるので、簡単には開きません」


「何故だっ!? 何故俺が殴られないかんのじゃっ!?」


「それじゃあ、死んでくださいッ!」


 物騒な言葉が飛んできて、俺は反射的に壱膳を見た。彼女は鈍器を両手で持ち上げ、思いっきり振りかぶった。女の子の華奢な体から、えげつない速度で鈍器が飛ばされる。


 俺は慌ててしゃがんだ。


 バゴン!


 宙を舞った鈍器は扉に激突し、床に落ちる。


 扉を見ると、直径一〇センチくらいの穴が空いた。


「いやいやいやいや! 殺す気か!」


「当たり前じゃないですか」


「認めちゃったよっ!? そもそも俺に彼氏はいない! 断言できる! そ、そうだっ、け、ケツの穴を見るかっ? しっかり、しっかり閉じてるぞっ!? 未開発だっ!!」


「気色の悪いっ! それに先輩は掘られたんじゃないっ! 掘ったんだ! 殺してやるッ! 私の……! 私の愛しいをっ……! 強引に傷物にしたんですからッ!」


 二度目の稲妻。


 それはまるで、育てていたコイキングが突如ギャラドスに進化した時並みの衝撃だった。


 壱膳の想いを寄せてる先輩って、千歳のことだったのかぁー!


 狂気に狂った淑女のように、壱膳は駆け寄る。一瞬で間合いを詰められた俺に、壱膳は飛びかかる。


 肘下で首元を抑えられ、地面に押さえつけられる。そして、壱膳は俺にまたがった。


「違うっ! 俺は千歳とは付き合ってない! 誤解だ!」


「殺されそうな人はみんなそう言うんです。そして、殺されるんです」


「いやいやいやいや! もっと、もっと考えよっ!? それに傷物にはしてない! 神に誓う! あっ、そうだ、チ◯コ見る!?」


 何言ってんだ俺っ。マジで殺されそうだと、自分でも何言ってんのか分からなくなる。


「死ね変態!」


 グッと、首元にある腕に、力が篭る。


 いぎぃぃぃ……、息ができない……! 死ぬのか……!? こんなところで、俺は死ぬのか……? どうせ死ぬなら、卒業したかった……童貞……。


 ────ドドドドドドド、ドンッ!


 朦朧とする意識の中、扉がブチ破られたのが分かる。


 すらっとした白く細い足が、颯爽と部室の中に入って、すったもんだしてる俺達には目もくれず、奥の方へと駆けていく。

 なぜ助けんのだ!? 目の前で人が狂気のヤンデレに殺されかけてるというのに!


「ぐっ……きっ……ぎっぃぃ……だっだすけ、だすげでぇぇっ……!」


 惨めで、情けない声だ。でも、命が掛かってる。惨めでも、情けなくても、構わない。


「えっ?」


 第三者の声。恐らく、先ほど部室に入ってきた人間のものだろう。何故だか、その声に聞き覚えがある。


「……ち、ちと…………せ?」


「部室に押しかけて早速騎乗位とか。やるわね西君」


「ち、ちがっ……ま、マジで殺される……! ふざけ、てる場合じゃっ……」


「あいにく、私もふざけられる場合じゃないの。だからごめんなさい。あと、葬式には出れないから、よろしく」


「誰が葬式に出ねえ奴とよろしくするかぁぁぁあああ!!」


 それが、西八尋の今世最期の一言だった。

 その言葉を最期に、俺は──絶命した。



 ☆☆☆



「おい。起きろ」


 頬に電気が走ったような衝撃。

 瞼を勢いよく開く。


 俺は背中を壁に寄っかかるように、床に倒れていて、目の前には千歳が俺の顔を覗き込むようにしゃがんでいた。


 その脇には、壱膳の姿も。


「ひぃっ! 殺されるっ! いや、俺はもう殺されたんだっ……、クソ、千歳と壱膳もここにいるということは、愛の無理心中かっ……、千歳、すまん……!」


 いや待てよ。壱膳や千歳がいるってことは、ここが地獄なのか!? 一見すると、普通の小部屋だ。部屋の中心にはテーブル。窓際に何故か一つだけある椅子。壁に掛けられた大きなホワイトボード。


 ……ん?


「あれ、ここ、部室……?」


「ええ。西君ってば、この壱膳って一年が首のツボ押してる時に気絶しちゃったらしいわよ」


「は?」


 俺は壱膳を見る。

 壱膳から、先ほどの殺気は感じられない。可愛らしい素直な後輩の笑顔だ。


 よかった。なんか、ドッキリみたいだな。生まれて初めてドッキリかけられたよ。楽しいね。


「つうか、お前はなんでいるんだよ?」


俺はジト目を千歳に向ける。


「いや、その、かみな……りが……」


「ん?」


「べ、別に!」


何故か千歳は顔が赤い。


「千歳せーんぱいっ! お水を買ってきてください!」


 壱膳は千歳にそう言った。千歳はあからさまに嫌な顔をする。


「なんで私が」


「だってほら、八尋先輩に何か飲ませてあげないとっ!」


「トイレの水でいいかしら?」


「ダメに決まってんだろ!」


 それは全力で阻止したい。コイツ、マジでやりかねねぇからな。


「チっ。注文が多いわね」


「自販機で水買ってきてって頼んだだけなんだが?」


 壱膳は笑顔で、俺達のやり取りを見ている。

 やっぱり、千歳のことが好きとか、ありえないよな。第一、女の子同士だし。うん、絶対ありえない。


「めんどいなぁ」


 と、ぼやきながら、千歳は部室から出ていった。


「ふぅ。ありがとな壱ぜ……」


 首をグッと掴まれる。一瞬にして、心拍数が跳ね上がる。

 壱膳は気配なく、俺の脇にしゃがんでいた。


 顔は──笑っていた。


「私が千歳先輩のこと好きだって、千歳先輩には言わないでくださいね?」


 俺は狂ったように、何度も頷いた。


「あと、協力してください。私と千歳先輩が付き合えるように。でないと私、お肉を切る練習までしなくちゃ」


 肉を切る練習……!? 


「はい! 協力させていただきます! 命をかけます! はい!」


「わぁ! 先輩って優しいんですねぇ!」


「うん! ボク、とってもやさしい!」


「──おい。水買ってきたぞ」


 ペットボトルを持った千歳が帰ってくる。すると、壱膳はパッと手を離す。


「わぁっ。ありがとうございまぁっす!」


 と、言って壱膳はペットボトルを受け取り、キャップを開け、自らの口にそれを注いだ。


 お前が飲むんかいっ!


 ツッコミたい……! だけど、怖い……、母ちゃん……オイラ、怖いよ……。


 しかし、それを見ていた千歳の顔が青ざめているのが、気になった。


 まさか。

 本当にトイレの水を汲んできたんじゃないだろうなっ!?


「で? どうなの? この子は更生できたの?」


 千歳が俺に話を振ってきた。が、壱膳の前でその話をするんじゃねえ。


「更生とは?」


 ほらほら。やべえよ。千歳、テメェは気づいてないだろうけど、今壱膳は殺意のこもった目をしているからね。


「はぁ? どうやらこの様子じゃ、ちっとも進歩してないようね」


 なぜかドヤ顔の千歳。


「しょうがないから、私が更生させるしかないようね?」


「千歳先輩が……私を更生……?」


 壱膳はそう呟いて、目の色が変わる。


「千歳先輩っ! 私をっ……! 私を更生させてくださぁい!!」


「おっけー!」


 両手を広げ、満面の笑みを浮かべる壱膳に向かって、千歳は思いっきり拳を振り下ろした。綺麗な右ストレートが壱膳の鼻っ面を直撃し、壱膳は仰向けに床に倒れた。

 壱膳も、まさか殴られるとは思ってなかっただろうに。

 床に倒れる壱膳は気絶していて、鼻からはドバドバと赤い液体が流れでいた。


「あれ? 大丈夫かしら?」


 ピクリとも動かない壱膳を、覗き込む千歳。俺はその千歳の肩を掴む。


「…………逃げるぞ」


 俺は千歳の手を引いて、読書部の部室を後にした。


 ごめんなさい、海老名先生。俺には無理です。千歳の相手をするだけで、手一杯です。

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