リトル千歳に会いました

「最近千歳と仲良いらしいな」


 まさか、進路相談で開口一番そんな話題が振られるとは思ってもみなかった。


 机を向かい合わせるよう並べ、俺と向き合う形で、向かいの席に二十代後半くらいの若い女性が座っていた。

 彼女こそ、そう、俺のクラスの担任。海老名 麻衣。

 海老名先生はポニーテールに、赤いジャージ姿と、はたから見ればどっちが教師でどっちが生徒か分からな……いや、分かるか。二十代後半なんて俺ら高校生からしたらBBAですもんね、ええ。

 ちなみに教科は体育なので、普段からジャージを着ている。


「どうなの? 私としては、千歳にはもっと人と関わってもらいたいんだけどなぁ。あ、もちろん、も」


 海老名先生、絶対俺の名前覚えてないだろ。


「あれ、千歳と仲良い西君って、君だよね?」


 泣いていいですかボク。


「まあ、親近感があるのかもね」


 どういう意味だおい!


 海老名先生は咳払いをした。仕切り直しの合図だろう。確かに、話が脱線し過ぎだ。これは俺の、西八尋の進路相談なのだから。


「西君はやっぱり、狙ってるの?」


 そりゃ、まあ、高いレベルの大学には行きたい。


「ええ。それなりに高みは目指します」


「確かにね。ぼっちには高難易度過ぎるわよね」


 ぼっちは進学することすら許されねえのか!?


「あ、でも、ぼっちじゃない方が落としやすいのかな」


「まあ、ぼっちは圧倒的少数派ですし。落ちる落ちないかで言えば、ぼっちよりは落ちるんじゃないでしょうか?」


「だよね。だったら彼……、西君には厳しくない?」


 差別の極みか!?

 なんだこの女教師。今まであんまり関わってなかったから知らなかったけど、千歳に負けず劣らずのクソだ。


 俺が不機嫌そうな顔をしていると、海老名先生は苦笑いを浮かべる。


「ま、まあ、でも、西君、そんなに気を落とすことはないわ。悪いところの方が多いわけでしょ?」


「え、そうなんですか?」


「なっ……! あのクズっぷりが理解できてないの……!? ま、まあ、だから狙ってるのかな……、あはは」


 俺のキョトンとした問いに、海老名先生は驚きを禁じ得ない様子。が、それは俺も同じこと。


「クズ……!? と、特にどの辺が?」


「どの辺……、いや、どの辺がって……教師の立場からして非常に言いにくいわね。でも、まあ、なんだ、控えめに言ってクズじゃない?」


「控えめに言ってクズ……」


 いや、だからどの辺が?


「まあ、見た目もそりゃ大事だろうけど。人として、最低限の良心ってのは必要だと思うのよ」


 見た目? 建物のことか。


「平気で人のこと裏切るし、悪口だってすごいじゃない?」


「いやぁ……初めて知りました」


「えっ……! 多分それ猫被ってんのよ。騙されちゃいけないわ」


「分かりました。肝に命じます」


「あと、ポイ捨てとかしちゃうし、口悪いし、言葉もなんか下品だし。他人のこと見下してる節あるし、あー、あと、これすごく思うのが、自分のこと可愛いと思ってるじゃん。実際可愛いけどさ。そういうところよね」


 ん?

 なんか大学時代嫌なことでもあったんだろうか。


「……ま、まあ、よく分かりました。本当に良いことを聞きました。ありがとうございました」


「んで、千歳千李と唯一仲良くできる西君にしかできない相談があるんだけど……あっ、これじゃあ先生の方が進路相談してるみたいだね」


「い、いえいえ。大学の話とか聞けたし、良かったですよ」


「大学の話……? したかしら?」


 何故か先生は首を傾げる。

 まあ、進路相談という建前上、大学の悪口を言ったことはナシにしたいのだろう。ここは俺も、聞かなかったことにしておこう。


「それで、相談って何ですか?」


「ああ、そうそう。で、西君って千歳さんと仲良いじゃない?」


「何故そこで千歳の話になるんですか? すごいやな予感しかしないですね」


「その感覚は大切にしなさい」


 当たってるんですね……。


「リトル千歳って聞いたことあるかしら?」


「『リトル千歳』……?」


 海老名先生は頷いた。

 千歳はすでに小さいだろ。


「妹さんのことですか?」


「いやアレはマジで天使……!」


「分かります!」


 俺と海老名先生は固い握手を交わした。


「じゃなくて。一年の『壱膳 雅』っていう女の子。知らない?」


 女の子にはとんと疎くてッ! てへっ!


「それで、その壱膳……さんがどうしてリトル千歳だなんて不名誉なニックネーム付けられてるんすか?」


 海老名先生は軽くため息を吐いた。そして、伏せ目がちになって言う。


「まあ、あの、控え目に言ってクズなのよ」


 俺は息を呑む。


「クズなんですか?」


「クズなのよ」


「ぼっちなんですか?」


「ぼっちなのよ」


「それは大変だ」


 俺は席を立つ。くるっと海老名先生に背を向け、


「なるほど。よく分かりました。じゃあ俺、失礼しま」


 言いかけた瞬間、背後から首に腕が巻きついた。チョークスリーパー喰らってる俺!?

 俺は必死に、その腕を掴む。


 つよっ! 力強っ!


 体育教師の力は、女性でありながら俺よりよほどあり、絞め技が決まったが最後。


「がっぐっぅっううぅっ……!」


 俺は海老名先生の腕を叩く。


「ぎっ……ぎ、ギブ……!」


 さっと。腕がほどける。俺は力なく床に倒れる。


「かはっ……かはっ……えっ……な、何するんすかっ……? た、体罰で訴えますよっ……?」


 すると、海老名先生はしゃがみこんで、俺の肩を叩く。


「知ってる? 教育ってのは車の運転と同じなのよ。つまり、事故さえ起こさなきゃ何したっていいの」


 神様。このババアから運転免許と教職免許を剥奪してください。


「だから、ね。西君、壱膳雅を更生させてあげて」


 俺は──


「逃げたら、許さないから」


 俺は、この上なく厄介な問題に巻き込まれたのかもしれない。



 ☆☆☆




「で、なんで私もついていかなきゃいけないのよ?」


 隣には不満そうに歩く千歳千李。


「目には目を!」


 クズにはクズを!


 俺達は今から『リトル千歳』という二つ名を持つ後輩、壱膳雅という女子生徒を訪ねることになった。

 担任の海老名先生に頼まれて、この壱膳という女子生徒を更生させるよう言われているのだ。……が、正直かなり面倒くさい。

 代名詞がクズの千歳と仲良くなった手腕を買われているんだろうが、事実俺と千歳はただの友達じゃない。ビジネス友達だ。だから、その壱膳というクズを更生させるなど、ほぼ無理に等しい。

 だったら、もういっそのこと、壱膳を更生させるのは諦めて、千歳と壱膳を合わせて、千歳に俺以外の友達を作らせてやろうじゃないか。

 そう考えた俺は、千歳に土下座して、放課後、壱膳に会ってもらうよう頼み込んだ。で、俺の隣には千歳がいるのだ。


「で、その壱膳ってガキを更生させればいいのよね?」


「ああ。海老名先生に言われたから。一人じゃ不安だったし、千歳が来てくれて本当に助かった」


「ええ。私が来たからには安心しなさい。この手で非行少女を改心させてやるわ!」


 なんて滑稽なんだよぉっ。その非行少女は『リトル千歳』って呼ばれてバカにされてんだぞぉ?


 俺は道中笑いを堪えるのに必死だった。


 校舎から少し離れた場所に建設されたかなり新しく綺麗な建物。放課後になると、リア充共の巣窟と化す。そう、部室棟。ぼっちにはまるで関係のない場所だ。

 初めて踏み入るその未知の領域。四階のとある部室の前に立つ。

 部室の扉に『読書部』と書かれた看板がぶら下がっている。


「ここか」


「『読書部』って。絶対オタクじゃない。絶対今、BL同人誌読んでシコってるわよ。また後日にしましょう?」


 千歳は心底帰りたそうに言う。


「BLでシコるってなに? ホモなの?」


「いや、ホモはお前でしょ。女の子だって、BLでシコることくらいあるからね。……いや、友達から聞いた話だけどさ」


「あーなるほど…………ん」


 えっ、君ってぼっちだよね??


「コホン! 早く行きましょう。こんなところで無駄口叩く暇ないでしょ」


 千歳は咳払いを一つして、俺に部室を開けるよう促した。

 俺は言われるがまま、ドアノブに手を掛ける。


「ノックしなくていいの?」


「あっ……えっ、して」


「嫌よ」


 俺は仕方なく、──頭突きをした。扉に。


 ドンドン! と、借金の取り立て屋みたいな大きなノックになってしまう。


「ひゃっ……! ひゃいっ!?」


 中から、ビクついたような声がする。


「よし、入ろう」


「いや待てよ」


 ドアノブに触れている手を掴まれる。

 奇異の眼差しを向ける千歳がいた。


「なぜに頭突き?」


「いや、だって両手塞がってたし」


「いつだよ!? 手ぶらじゃねえか! ドアノブ離しゃいいし、左手使えばいいでしょ?」


「あー、まあ、頭突きでもノックできたわけだし、よくね?」


 俺は白い歯をニコッて見せる。


「じゃあ今度からノックは頭突きでしなさいよ!? 面接で他の人は手でノックしてるなか、お前は頭突きでノックしなさいよ!? そしてブラック企業にすらも敬遠される負け犬就活生として一生を終えなさいよ!」


「しねえよ! ただのガ◯ジだし! そんな一生もやだしっ!」


 いやいや何言っての? マジで言ってるんだけど私。みたいな馬鹿にした顔をされる。

 本当にコイツはムカつく奴だな。


「さて。掴みは完璧だ。よし、入るか」


「ムリ。帰りたい」


「ふぁっ!? えぇー」


 へそ曲げちゃったよ。


「そもそも、こんなことする意味が分からないわ。一年のクソガキがクズなのと、私関係ないじゃない」


「そんなのはな……、俺が言いたいわ!!」


「知るか!」


 一蹴された……。


 そして、千歳はくるりと背中を向ける。


「じゃあね。また明日」


 マジで、帰りやがった。ありえねぇ。あのクズ。


 ぽつんと、部室前に残された俺。


 ……帰るか。


 海老名先生には適当に、壱膳がクズすぎて手に負えなかったって言えばいいや。


「ど、どちら様……ですかっ……?」


 ガチャっと、扉が開く。


 そこにはツインテールの女の子が立っていた。

 身長は千歳より少し大きいくらい。細身で、なんといっても、胸がそれなりにある、だと!?


 俺が胸を凝視していると、その視線に気づいたのか、胸を手で隠して汚物でも見るような目で俺を蔑むように睨む。


「あっ……いやっ! 違うんだ。見てない! ちっとも、これっぽっちも見てない! 神に誓って後輩のパイオツなど見てない!」


 ……と言えば嘘になる。


「で? 上級生の人が読書部に何の用ですか?」


「えっ、上級生……?」


「違うんですか?」


「いや、合ってるけど」


 どうして分かったんだ?

 すると、女の子は笑顔で呼んだ。俺の名前を。


「西八尋さんですよね?」


「なっ……」


 ついに、俺も後輩の女子から名前を覚えられるまでの、モテメン先輩になったわけか。


「本物のぼっちとか生で初めてみましたぁー! 握手してくださぁぁぁい!」


 ですよねー!!! まあ、女の子の手に触りたいから握手はするけど。

 俺が手を近づけると、女の子はパッと手を引っ込めた。


「…………」


 まあ、うん……、切り替えよう。


「いや、あの、ちょっと海老名先生に言われて来たんだけど」


「海老名先生がですか。なんとおっしゃったんです?」


「あー、まー、壱膳という女の子と仲良くしてほしい……みたいな?」


 いや、クズを治してほしいなんて言えるわけないでしょ。


「なるほど。まあ、私、ぼっちですからね」


 クズな。クズぼっちな。


「あ、とりあえず、中入ります? 部室前で話しててもアレですし」


「あー、おう」


 と、言って、俺は読書部の部室へと通されるのでした。しかし、この時の俺はまだ知らなかった。これが、この出来事がのちの世紀の大事件となる『千歳リア充乱獲事件』へと繋がることを……。

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