第22話

 俺が知る限りの朽月珊瑚の人物像は完璧だ。

 その一言に尽きた。

 さっきまでの死闘の中、俺は間違いなく歴代朽月最強たらしめる戦闘法に苦しめられた。


 もう二度と、姿を現さないと確約された存在。

 もう二度と、披露されることのなかった技術。


 伝説がいま、俺の目の前に蘇っていた。


「なぜ……死んだはずの祖母が生きている?」


 信じられるわけがない。そう否定を繰り返したい気持ちは山ほどあるが、身体が拒絶を表している。

 伝説の戦法を、俺は身を持って味わったのだ。

 だが、それでも口を吐いて出たのは確認の意図だった。


「何だい? そっちの世界では、あたしゃ死んだことにされているのかい」

「一応……は。さすがに数十年も見掛けなかったら、死亡扱いにされても仕方がないだろう」


 朽月珊瑚は行方不明となり、一部では死亡したとも伝えられている。真偽はどうだか知らんが、俺たちの元に知らされた事実も死亡だった。

 とはいえ、それを鵜呑みにした奴は数少ない。

 なぜなら、あれほどの強者の風格を備えていた祖母が、一夜にして姿を眩まし、その後死亡したなどむしろ信じられなかったからだ。

 きっと、どこで生きていて、いずれ帰って来る。そう信じていた奴もいた。


「やっぱり、お婆ちゃんは死んでなかったのね」


 目の前にいる可愛い妹こそが、その信じていた奴の例だ。


「あたしがそう簡単にくたばる訳ないさね。まったく、現実世界の連中はちょいと扱いが酷いんじゃないかい」

「……その口ぶり。やはり、あんたは死んだのではなく、こちら側の世界に連れて来られたらしいな」

「色々と鈍い男かと思いきや、そのことには気づいたようだね」


 祖母の中では、俺の評価は随分と低く設定されているようだ。


「行方不明という名の異世界転移。別の世界に連れて来られているのだから、当然誰にも見つけられるわけがないわね」

「だが、おかしくはないか? 祖母が行方不明になったのは俺たちが生まれる前だ。つまり、少なくとも数十年以上も前のことになるぞ。なのに、なぜそんなにも若い?」

「この見た目で祖母を名乗れるとはね、いやはや想像もしていなかったよ」

「話しをはぐらかそうとしていないか?」


 祖母の見た目なんかどうでもいい。遺影でしか見たこともないような人物に、祖母など名乗られてリアクションに困っているというのに。


「時間の流れがここと向こうでは違うのね」

「瑠璃は頭のいい子だねぇ。その頭脳は宗玖に似たものではないね。母親に似たのかい?」

「お母さんにはよく本を読んでもらったし、自分でも沢山読んできたから……かしら」


 やりづらいし、何気に自分の息子を馬鹿にしていないか。息子を溺愛していたとも聞かされていたが、嘘だったのか。いや、しかし実際、親父は賢くはなかった。

 息子のことをよく見ている。そういう意味合いで捉えれば、溺愛していたからこそとも言えるのか。


「お母さんは優しかったかい」

「ええ、とっても。自慢のお母さんよ」

「そうかい。あたしの息子は、いいお嫁さんを貰ったんだね。――良かった」


 息子を置いて、連れ去られてしまった祖母の心残りだったのだろう。心底、嬉しそうに呟いていた。


「話しを変えさせて悪いが、あんたのことを聞かせろ。時間の流れが違うと言ったな。どういう意味か説明してくれ」

「玻璃。あんたは宗玖に似たようだね。よく見れば、顔立ちもそっくりじゃないかね、ええ?」

「いちいち脱線するな。いいから、さっさと話しを進めてくれないか」

「せっかちな子だねえ」


 見た目は若くとも、中身は年相応か。年寄りの無駄話には付き合ってられん。


「やれやれ……どういう意味も何もそのままの意味だよ」

「現実世界よりも、異世界の方が遥かに時間の流れが遅いのね。もしかして、文明が発達していないのも、それが原因かしら」

「それは違うよ。瑠璃。この世界の文明と現実世界の文明は、遥か昔の氷河期の時代に別れたのさ。魔法が誕生したのも、丁度その頃さね」


 どうやら、祖母はこの世界について、詳しく知っていそうだ。伊達に数十年もこの世界に居座っていないと見える。


「そのおかげで、今のような文明に発達したと言われているよ。そこからさ、現実世界と大きく世界が違い始めてくるのは」

「魔法が生まれなかった現実世界では、機械技術が生まれ。異世界では、そのまま魔法の技術が発達していった。まるで、SFの世界とファンタジーの世界ね」

「分かりやすく言えば、そうなるの。上手いまとめ方をするじゃないか」


 どちらも現実であり、そうでないのか。


「この分では、こっちの時間が正常なのか、向こうが正常なのか分かったもんじゃないな」

「どっちも正常じゃないのかしら。そもそも氷河期なんていう大昔に世界が分岐をしてしまったのよ。だから現実世界と異世界では、全く別の世界と捉えるべきなんじゃないかしら。私の想像上でしかないけど、この世界と向こうの世界とでは、それぞれ異なった時間の進み方をしている。そして、重力の違いも同じ理屈なんじゃないかしら」

「なるほど。俺にはさっぱり分からんが、瑠璃がそういうのならそういう認識にしておこう」

「随分とまあ、頭の回転が早い子だねえ」


 つくづく驚かされる瑠璃の特技とも言える部分だ。武力に関することが全部俺の方へと流れていってくれて本当に良かったと思う。

 瑠璃に暴力は似合わない。このまま、知的で家庭的な大人の女性になってもらいたいものだ。


「……でも、そうなのね。だから、溝杭さんは元の世界に戻ることを諦めていたのかもしれないわね」

「そういえば、アイツも似たような話しをしていたか」


 頑なに異世界に残ることを決意していた溝杭と俺は殺し合いをし、結果滅ぼしてやった。

 もし仮に、こうしている間にも時間の差が開いていっているのだとすると、手遅れになっている可能性も出てくることになるのか。


「聞いたよ。溝杭のとこのガキと殺し合ったんだってね」

「悪いな。俺の代であいつらとの関係は完全に絶ってしまった」


 溝杭の最後の継承者は異世界で死んだ。現実世界の方にはもう、後継ぎは残されていないのだ。


「気にすることないさ。もともとあたしらの関係はそんなもんだ。それよりも、宗玖の仇を討ってくれたんだねえ。感謝してるよ」

「……感謝されるようなことはしていない」


 俺は俺のために、溝杭舜華を殺した。

 瑠璃の願いを聞き入れ、親父の仇を取ったのだ。

 祖母のことなんかは勘定に入れていない、俺たち兄妹のためにやったことだ。


「もういいか。俺たちは先を急いでいるんだ。邪魔立てするなら、あんたを殺していくぞ」


 殺したくはないが、守りたい人のためならば、致し方ない。

 瑠璃のためならば、俺は鬼にでも修羅にでもなってやる。

 勝てる見込みがなくとも、この命を黙って差し出すわけにいかない。


「焦っているね。異世界を蹂躙しているのは、瑠璃の体質が原因なのかい」

「知っているのか」

「大方のことは溝杭のガキから聞いてるよ。二人で苦労してきたんだね」


 憐憫の籠った瞳がなんだかやけに優しく見えた。

 俺と瑠璃のことをどこまで聞いているのかは知らんが、どうやって生きてきたのかは知っているような雰囲気を纏っていた。


「あのね、お婆ちゃん。私たち、元の世界に戻りたいの……お婆ちゃんなら、何か知っていることはないかしら」

「知らないこともないけど、戻ってどうするのさ」

「この病気を和らげるために。それと、兄さんとまた、あの家で一緒に暮らしていくためよ」

「そうは言うけどね、時間の流れが違うのだよ。もうあの頃に戻れるとは限らないのさ」


 酷な話だが、事実だろう。溝杭もそれを恐れて、戻ることを放棄した。

 だが、俺たちはそう易々と諦められないのだ。


「止めときな。どうせ治療法もないから、気休め程度にしかなっていないのだろう。だったら、こっちで治療法を見つけて、一緒に暮らして行きゃあいい。なんだったら、あたしも手伝ってやれるし――」


「――絶対に嫌よ……っ!!」


 瑠璃の叫びが雨の喧騒を打ち破る。

 心の底からの嫌悪が溢れ、掠れた声に滲んで吐き出される。

 病人でありながら、無理に叫んでしまったせいで途端に咳き込む瑠璃。

 気持ちを鎮めてやろうと、背中をさすってやると徐々に落ち着きを見せ始めていった。


「あまり無理をするなと言っただろう」

「……ごめん、兄さん。でも、それだけは……私、嫌だから」


 俺も同じ気持ちだ。


「何もそこまで嫌がるこたぁないじゃないか」

「たとえ、異世界がどれだけ素敵な場所であっても、異世界人となれ合って生きていくのだけは、嫌なのよ。だって、……ここの人たちは、何もしていない……私や兄さんに……あんな……酷い、痛めつけてきて……私たちがどんな目に遭わされてきたことか……」


 瑠璃の脳内で再生されているのは、きっと異世界に連れられた当初の出来事なのだろう。


 訳も分からず殺されかけ、乱暴な扱いを受けたあの村での出来事を――。


 瑠璃は、生まれて初めて感じる恐怖に苛まれている。

 その悲痛さからなのか、瞳から滴さえも流していた。


 トラウマはそう簡単には和らぐことはない。


「……そうかい。相当、辛い目に遭わされてきたようだねえ。その身体で耐えてきたんだねえ。もう、限界に近いんじゃないのかい」

「見ての通りだ。異世界の環境下では、瑠璃は生きていけない。一分一秒でも時間が惜しいぐらいに先を急いでいるんだ」


 日に日に体調が悪化していく過程を見届けてきている俺には、次第に焦りが芽生えてきている。

 この状態を維持し続けていれば、間違いなく遠くない未来に最悪の展開が待ち受けているだろう。

 何としても阻止しなければならない。

 そのために、持てる限りのありとあらゆる力を駆使して、刃向ってきた連中を皆殺しにしてきたのだ。

 振り返れば死体の山だ。

 その中には溝杭舜華もいた。そして、関係を断ち切ってまで、ここまでやってきたんだ。


「この先にある城内に入り込みな。そこで、召喚の儀式が行われている」

「儀式……だと」

「ああ、人を呼び出す召喚魔法だ。その魔法でお前たちは現実世界に逆転移させてもらいな。そうすりゃ、戻れる」

「召喚……あの裂けた空間の中に飛び込めばいいのね」

「見た事あるのかい。だったら話しは早い。瑠璃の想像している通りだよ」


 なるほど。瑠璃の推測は当たっていたということか。


「魔法発動時に異世界と現実世界は、限定的だが繋がっている」

「そういうことさ。だから、本来なら溝杭と同じように、お前たちもあの城内で呼び出されるはずなんだがねえ」

「そう……なのか」


 俺たちが呼び出されたのは、何でもない開けた場所だった。そこから異世界中を彷徨っている内に、異世界人と遭遇したのだ。


「どういうことなのかしら」

「さあねえ。そればっかりはてんで見当もつかないよ」


 召喚される場所なんて疑問に思わなかったから、今更どうこう聞かされても正直どうでもいい。

 城内に呼び出されていたのなら、そこが最初に血の海になっていただけのことだ。


「色々教えてくれてありがとう。さっきも言ったように俺たちは急いでいる身でな、そろそろ行かせてもらうぞ」

「そうしな。あたしももう追う気はないよ」

「黙って見逃してくれるのか」

「そもそもあたしゃ、孫の顔を一目見たかっただけさね。あとついでに現朽月の継承者の実力も」


 その割には殺す気でいたような気もするが。祖母にとっては、アレで実力を計っていたつもりだったのか。


「まあ、お前の腕前なら大丈夫だろうね。“散華”の使い方も覚えたようだし」

「……そのためにわざわざ追い込んだのか」

「おや、宗玖からはそういう風に教わらなかったのかい。溝杭のガキはそれでどんどん打たれ強くなっていったんだけどね」

「親父は痛めつけるような教えはしなかった。俺の力量に合わせて、丁寧に教えてくれたよ」

「ずいぶん生っちょろいやり方をするんだねえ。宗玖は」


 最強の二代目と最弱の三代目。この二人にギャップを感じるな。本当に親子だったのか?


「さて、もうちょっと喋っていたいが、瑠璃のことが心配だしね。無駄話は終わらして、そろそろ行きな」

「兄さん……」

「ああ。――ちょっと待ってくれ」


 手を伸ばして、背中にしがみ付こうとする瑠璃を一旦止めさせ、まずは雨が滴るほどに濡れた瑠璃に脱いだ外套を被らせてやろう。

 ほとんど意味もないかもしれないが、ないよりはマシだろう。


「待ちな。それなら、あたしの使うといい」


 祖母は自分の着ている黒の外套を放り投げてくる。それを羽織らせ、力の巡らない瑠璃を背中に背負った。


「あたしの教えが役に立つかどうかは分からんが、無理だけはするんじゃないよ」

「瑠璃にも散々言われてきていることだ。分かっているよ」


 無理をするな。数え切れない程に聞かされてきた言葉だ。


「ああ、玻璃。最後に忠告だけさせてもらうよ」

「なんだ?」

「お前たちは、城の主からたぶん全部聞かされるだろう。異世界の置かれている状況や呼び出された理由なんか全てね。けど、そう言った話に耳を傾けるんじゃないよ。瑠璃を助けたければ――非情になれ」

「……元から殺し屋はそういうもんだろ」

「そうさね。……しっかりやりな。玻璃。兄妹そろって帰れることを祈ってるよ」

「お婆ちゃん……」


 瑠璃が物寂しそうに祖母に語り掛ける。


「元気になって、玻璃を支えてやるんだよ」

「うん……うん。分かってる」

「玻璃もしっかりと瑠璃を守ってやりな」

「言われなくても分かってる」


 そう。それは、当然のことだ。

 生まれたときからすでに決まっており、未来永劫とそれは変わらない。

 どちらかが欠けることなんて、決して考えられない。

 互いの欠点を補い合って、いつだって一緒に生きて来た。

 

 育ってきた過程で芽生えた違わぬ――約束事。


「俺たちは二人で一人だからな」「私たちは二人で一人だもの」

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