第20話
朽月同士の対決は、完全に俺が押されていた。
技のキレ、身体能力、戦闘経験の差。あらゆる点で奴は俺を上回っていた。
一つ一つ動きを目で捉えるだけでなく、俺自身が積み上げてきた経験のすべてを動員して、身体を動かし、技を防ぎ、避ける。
反撃の一手。それだけが俺の唯一取ることの出来ない行動だ。
二刀のボウイナイフの連撃が繰り返され、こちらもボウイナイフと体術で対抗する。だが、奴の動きがとんでもなく速い。かまいたちでも起こしているんじゃないかと言うほどに、防いでも防いでも生傷が増えていく。
このままでは一方的にやられてしまうが、死にはしない。互いに埒が明かない。俺がそう感じ始めたとき、相手も同じことを感じたのだろうか。連撃の合間に強烈な蹴りが飛んできた。
突然の足蹴りでとっさの反応ができず、屋根の上を吹き飛ばされる。すぐに立ち直ったが、更に蹴りを浴びせられる。今度は屋根から屋根へと吹き飛ばされてしまう。
「なんて奴だ……あんな戦法思いつきもしなかった……」
俺が立ち直った瞬間に放った蹴り。
あの一撃は“散華”から派生して行った技だ。
本来、“散華”というのは、ボウイナイフ片手に握りしめて、超高速の突貫によって無差別に斬りつける技だ。だが、今の一撃にボウイナイフを使ってはいなかったが、間違いなく“散華”。超高速で移動してきたのがその証拠だ。
体術と超高速を組み合わせた――無刀の“散華”。
当たり所が丁度鎖の上だったから良かったものの、直に受け止めていたら骨の一本ぐらいは折れていたはずだ。
車と正面衝突でもしたら、このぐらいの重みなのだろうか。などと下らない分析をしている間にも敵は動いていた。
俺も迎え撃つ覚悟で武器を構え、走り出す。そして丁度、屋根と屋根の間を飛び越えようとする段階になって、敵の姿が掻き消える。
そう――錯覚された。
気付けば、敵はすぐ俺の背後に立っていた。
“散華”……なのか? 俺は何も攻撃を受けていない。つまり、外した? いや、違う。
冷静な分析をする暇もなく、俺はその行動の意味に気づき、次に何が来るのか感覚で分かった。
“裏・散華”
外したと見せかけて、鎖鎌による二重の“散華”が牙を剥く。
直角に身体を逸らし、引き戻される鎖鎌をやり過ごす。その直後に姿勢を戻して、後ろを向くと、ほぼ同時に敵も俺の方へと向き直す。
空いた距離の差を敵はボウイナイフを投擲して埋め合わしてくる。俺は構えたボウイナイフで叩き落とし、後ろへと飛び退く。
瑠璃のいる元いた屋根へと戻ったとき、ようやく生きた心地を感じる。
これまでの一連の動作は、“裏・散華”の手の内を知っていた俺の身体が無意識に行っていた。
「なんて戦い方だ。まさか、“散華”を移動手段に使うとは」
さきほどの“裏・散華”。あの初撃は外したのでもない。屋根と屋根の隙間を飛び越えるために使われた手段だ。確かに普通に飛び越えるよりは、超高速の“散華”を使う方が遥かに効率的だ。
「兄さん……大丈夫?」
激しい動作の後で荒い息を吐く俺に心配そうに駆け寄る瑠璃。
「……っ! 大丈夫だ。蹴りを一発ぶち込まれただけだ」
息を整え、雨水が頭をゆっくりと冷やしていく。土砂降りの雨がこの時ばかりは、気持ちよく感じられた。
「あの人……何者なのかしら?」
「分からん。朽月の人間であることは間違いないはずだが」
「けど、朽月は私と兄さんしかいないじゃない。そんなことってあり得ないわ」
そうだ。だからこそ、余計に分からなくなってくる。
生き残っているのは俺たちしかいない。じゃあ、あとに考えられる要因はなんだ?
「他の誰かが朽月を語っていたりしないわよね?」
「それはないだろう。朽月の技は一子相伝。俺が親父から受け継いだものだ。それは瑠璃も知っているだろう」
「ええ……だけど」
朽月の技は朽月しか使える人間はいない。他にはいない。絶対にいないはずだ。
じゃあ、他はなんだ? 何がある?
「ここが異世界だから、死んだ親父が生き返っていたり……はしないか」
突拍子もない考えだが、それしか思いつかなかった。
「そんな……いくら異世界でもあり得ないわ」
「常識の通じない異世界だからこそ。とは考えられないのか?」
「それを言われると言い返せないわね。だけど、常識はずれだからって、そんなことまで起きるのかしら。いくらなんでも限度があると思うのだけど……」
「――瑠璃!」
思考する時間は終わりのようだ。
瑠璃を庇うように前に出て、こっち側にきた敵とにらみ合う。
「お前は俺たちの身内なのか?」
「……」
「その仮面。外す気はないのだな」
「……」
黙秘を通される。答える気はなさそうだ。
「朽月の誰か。は間違いないのよね」
「……」
「その姿と武器。私たちの家族はみんな亡くなってしまったのに……どうして――」
不意に瑠璃は事切れたように黙ってしまう。その表情には、驚愕の仮面が張り付いていた。
「そんな……まさか……」
ぽつり、ぽつりと呟く瑠璃。
「どうした? 正体が分かったのか?」
「もしかして……いきて……いたの?」
生きていた? 本当にこいつの正体は親父なのか。今度は俺が驚くも、すぐに裏切られることになった。
「ほう、よく気付けたもんだ」
仮面の奥からくぐもった女性の声が聞こえる。……女性? 親父じゃないのか?
「答え合わせにお前にやってもらうかの?」
向けられる敵意に俺は身構える。
「この仮面を剥ぎ取ってみせな」
「いいだろう。その面を拝ませてもらおうか」
お互いに臨戦態勢に入る。
同じ朽月の者だというなら、手の内は分かっている。身体能力と戦闘経験に差は出るが、とりあえずは死にはしないだろう。
「兄さんダメよ! 兄さんじゃあ、絶対に勝てないわ! だってその人は――」
最後まで話しを聞く前に、敵が仕掛けてきた。
相変わらず疾い――。
一瞬でも反応が遅れれば死んでしまうところだ。
ボウイナイフ同士がぶつかり合い、仮面の奥に秘められた両目が鋭く射抜いている。
そうだ。この仮面だ。まずはこいつを剥ぎ取ってやることだけに集中しろ。
続けて繰り出される連撃に対処している中、瑠璃は安全な場所へと避難してくれていた。これで心置きなく集中できるというものだ。
しかし、それでも俺とこいつとでは、どうしようもない力の差が開いている。生殺しに近い状態から脱するためにも、ここは一旦距離を空けるべきか。
だが、どうやればいい――!
連撃から逃れられるほどに俺は強くもないし、対処がまるで追いついていない。
追いつくだけの一瞬だけの速度が欲しい。それを叶えるために手段。
ある。一つだけ。
こいつがやってみせた“散華”による高速移動。最早、それしかない。
無意識になってこいつと相手をするには、少々危険な賭けにもなるが、このままでは嬲り殺される。決断は即座に決まった。
頭を空っぽにし、あらゆる出来事に無関心になれ。
“無の境地”
これより行うは最速の移動。ただそれだけ。
反射神経と戦闘経験による俺の身体は敵の連撃を凌いでいる。そこに意志はなく、動作をこなしているだけ。
まるで、機械のように。プログラミングされているように。俺の身体はそれだけを行っている。
傷が痛いなんてことも感じない。いや、そもそも傷を受けているのかも分かっていない。
自分の流血が他人事のようだ。でも、間違いなく俺の腕から際限なく流れている。
――そんなことはどうでもいい。
これより行うは最速の移動。ただ、それだけ。
これより行うは最速の移動。ただ、それだけ。
これより行うは最速の移動。ただ、それだけ。
戦闘中に飛ばした意識は、スリップして横転してしまいそうになったところで引き起こされた。
滑る屋根の上での“散華”は自殺行為かもしれない。
「……やりおる」
一瞬、気が動転して訳が分からなくなったが、どうやら成功している。俺と相手との距離が開いている。何とか退くことが出来たようだ。
だがしかし、初めての試みをぶっつけ本番で成功させた喜びに浸る間もなく、敵はすでにボウイナイフを構えていた。
「……っ」
構えたボウイナイフを投擲してくる。忘れていたが、敵はこれで距離を縮めてくるのだった。
とっさに俺はボウイナイフを片手で掴み取り、そこで異変に気付いた。
雨に濡れて、虚空に煌めく謎の一本の線。
ワイヤー……?
そうか、そういうことか。このワイヤーを吊るしているから、敵はボウイナイフを投擲具としても使っているのか。道理で好き放題に投げまくっているわけだ。
「――!!」
カラクリに気づいた瞬間がマズかった。あるいは、掴み取ってしまったこと自体がマズかったのか。いずれにせよ、この瞬間。俺は敵の姿を視界から逸らしてしまっていた。
“散華”
引き裂かれた俺の身体から血液が飛び出し、濡れた屋根に花弁が咲いている。
やられたところは腹……か。
認識してから痛覚が襲いかかってきたが、死にきれていない。
傷が浅いのだ。つまるところ、これは失敗だ。
原因はすぐに分かった。俺もたった今、体験したばかりだからだ。
「滑る屋根の上では自殺行為だったな」
背後に控える敵の姿を視認し、速度を抑えた動作で一思いに接近して仮面に引導をくれてやった。
小気味いい破砕音がし、ひび割れた仮面が砕け散る。
その下に隠された顔を拝むときがきたのだ。
「若いもんは成長が早いのう……」
女性だ。それもまだ若いように見える。おそらく、三十かそこらだ。
しかしその容姿を見て、困惑してしまった。
「……一体、誰……なんだ?」
「まだ気づかないのかい! 全く鈍い男だね。けど、仕方ないか。あんたたちと会うのは初めてだからねえ。――孫達よ」
「――は!?」
思わず気の抜けた返事をしてしまった。見た目が三十ぐらいの女性が俺のことを孫呼ばわりすれば、そうなるだろう。
「やっぱり、そうなのね」
瑠璃は素顔を見られたことで納得をしている。
「何を馬鹿なことを言っている。そんなわけがないだろう」
「ううん、本当のことよ。ねえ、兄さん。遺影に見覚えはない?」
言われてから、記憶を辿ってみる。
自宅に置いてある、歴代朽月の遺影の数々。薄い黄ばみが目立ち始めている数枚の中に、唯一の女性継承者の顔を思い出す。
決してこの世に残ってはならない死者の顔。それが目の前にあることに確信も持てないまま、恐る恐る口に出す。
その死んだはずの最強の朽月当主の名を――。
「朽月……珊瑚……」
震えた声が名前を絞り出す。
滑稽に見えたのか、はたまた正解に辿り着いた喜びから発したのか、俺には判別できないが、朽月珊瑚は確かに笑みを見せた。
「そうさね。あたしが朽月二代目当主、珊瑚だ」
三十代にしか見えない女性。俺たちの祖母に当たる朽月珊瑚は自らそう名乗った。
「一応、初めましてになるか。玻璃、瑠璃。お前たちとは、会いたかったよ」
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