第19話
暗雲を背負い、豪勢な垂れ幕をぶら下げた異世界の居城。ひどく偉ぶった建物を俺は、いけ好かなく思う。それは、単に憎んでいるだけとか、気に入らないだけとか。そんな子供じみた感想なのかもしれなかった。
「……ついに着いたのね」
「ああ、やっとだ」
「それにしても、大きいなところね。敵の本拠地なのに、おとぎ話みたいな光景で、ついつい魅入ってしまいそうだわ」
俺には全く以て理解しがたいセンスだが、瑠璃は感激している。こんな状況下でも、素直に称賛できる精神を持っているのはすごいなと思った。
男と女の感性の違いなのだろうか。俺もそんな風な感想を持てればいいのだが、生憎と無理な相談となりそうだ。
「雨が降っているせいで、何だか悪い魔法使いのお城みたいだね」
はにかんで言った瑠璃の横顔を見て、あぁ……ロマンチストだな。と何となく感じた。
空想に耽った瑠璃は、心なしか顔色が良いようにも見えた。
空模様と代わって、活気に満ちている城下町に音もなく侵入する。とりあえずは、適当な高い建物の屋根に上り、全体図を確認しておくことにした。
一般人に紛れて、警備をしている異世界人が散開している。その中には、尻尾と耳を持ち合わせていない、現実世界の人間もいた。そいつらはそいつらで一つに纏まって動いている。
人間の軍勢と異世界人の軍勢が城下町を見回っている光景。
余りにも手際のいい行動だ。おそらく、俺たちがこの城へと向かっていることは、予測していたのだろう。
「一杯いるね……。どうするの? 兄さん」
「……そうだな」
ここから城までの距離はあってないようなもの。つまり、一気に駆け抜けることも可能だ。だが、その場合はこいつら全員を相手にしなければならない。
時間を掛けて安全に進んでいくべきか。
真正面から蹂躙していくべきか。
二つを天秤にかけてみる。
片方は回り道する分、瑠璃の苦しみは長くなる。が、最小限の被害で目的地に着ける。
もう片方は、手っ取り早く事を終わらせることが出来る。が、瑠璃への負担がかかる。
どっちもどっちだ。天秤は吊り合っている。あともうひと押しあれば、簡単に傾けられる。
「何度も言うけれど、私は大丈夫よ。だって、こうして兄さんにしがみ付いているだけだもの。兄さんが一番やりやすいやり方で構わないわ」
弱い力の篭もらない声を発する瑠璃。命を削っているかのような気力。その弱弱しい瑠璃の命が重りとなって傾く。
「そうか。なら、突っ切るぞ」
考える間でもない結論。時間と共に摩耗していく瑠璃の命を抑える為に出来ること。そんなものは、神にでもなりきって時間を止めるしか方法ない。だが、矮小な存在である俺には不可能だ。だったら、すり減ってしまう前に処置を施すしかない。
のんびりとやっている暇なんてない。これまで通り、邪魔する奴らを捻じ伏せていく。それが最善の手段だ。
「何も出来なくてごめんね」
「変に気を使わなくてもいいさ。俺たちは兄妹なんだ、気にするな」
「でも……。私、ただ掴まっているだけだし」
「この世界に来た当初、瑠璃は色々と知恵を出して助言してくれただろ。それだけで十分な働きをしてくれたじゃないか」
ついでに言えば、傷を手当てもしてくれた。それだけのことをしておいて、何も出来ないなんて言えたもんじゃないだろ。
「ここからは俺一人に任せておけ。こういう場面しか、俺に見せ場がないのだから」
俺は殺ししかやってこなかった。炊事や洗濯、身の回りのことは全て瑠璃がやってくれていた。瑠璃はただサポートに徹してくれた。
ここから先は争い事で決着を付けていくのだから、俺の出番だ。戦う力のない瑠璃は、黙って俺の背中にくっ付いてくれるだけで良い。
瑠璃には瑠璃にしか出来ないことが。俺には俺にしか出来ないことがある。
「じゃあ、私の命。兄さんに預けちゃうね」
「……何を今さら。俺たちは二人で一人だ。これまでも、これからも」
「ふふ……そうだったね。……うん、そうだった。私たちは二人で一人。兄さんが戦って、私が支える」
背中から回していた瑠璃の腕に精一杯の力が籠められる。それでもか弱いものだが、瑠璃のはっきりとした意志のような物があった。
「兄さんのことが大切で、ずっとそばにいて欲しいから。だから私、何があっても絶対にこの手は離さないわ」
二人で一人。互いに欠点を補いながら、生きてきた唯一無二の存在。どちらかが欠けると成り立たない不十分な存在。だが、それの何が悪い。人ってのはそういう生き物だ。ましてや兄妹ならなおさらだ。
「ああ……ずっと一緒だ」
瑠璃の手に俺の手を重ね、その力強さを感じ取る。同時に瑠璃の暖かみが俺の背に伝わる。命を預けられていることが実感された。
これを守りきるのに、片手が塞いでいる傘は邪魔だ。俺は差していた傘を放り捨て、両手にボウイナイフを構える。
「風邪を引く前に家へ帰ろう」
空が啼き、弾丸のような雨が降り注ぐ。ふと、雨に紛れて人影がゆらめいた。
地上に立っているのではなく、俺と同じ屋根の上でそいつと対峙した。
その刹那――雨の中を一閃が横切り、俺は疾く身を退いた。――後、コンマ一秒の差ほどで次が投擲され、紙一重で躱し切る。
そして、更に三度目が来た。今度は人だ。攻撃してきた本人が俺の身体に突風の如く激突し、大きく吹き飛ばされる。
滑る屋根の上でよろめきながらも、何とか態勢を崩さずに着地する。
「怪我はないか? 瑠璃」
「う、うん。平気」
「……そうか。良かった」
背負っていた瑠璃を降ろし、大事に至っていなかったことに胸を撫で下ろした。
それにしても疾い――。
飛来した何か。その正体に気を取られてしまっていたら、今頃は殺されていたかもしれなかった。
安堵するのも束の間。飛んできた人物は、屋根に突き刺さった得物を拾い上げ、俺と向き合った。
奴が手にした得物。それは、二本のボウイナイフだった。そこで俺と瑠璃は揃って、驚きの表情を張り付かせることになった。
「……うそ。あの姿……」
黒い外套。仮面。ボウイナイフ。そしておそらくだが、腰には鎖鎌を持っている。
俺と全く同じ衣装と武器。加えて、さっきの超高速の突貫攻撃。間違いなく、“散華”だ。
それらは先祖代々、朽月が受け継いできた伝統の一式。
「お前は――何者だ」
雷光が閃くなか、仮面の奥深くから二つの瞳が俺を射抜いていた。
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