第16話
川へと身を引いた溝杭を追うべく、俺は川面を捜索してみる。
奴にも殺し屋としてのプライドを持っているのならば、おそらくは逃げていない筈だ。
仮にも現実世界ではトップクラスの実力を持った殺し屋である以上、仕事に失敗しました。と言って引き返すほど愚かではないことを俺は知っている。奴は仕事のためなら、たとえ昔馴染みでプライベートでも交友を持っていた俺の親父を殺すことすら躊躇いがないのだから。
いまでも溝杭は、川底から俺の首を取ろうと息を潜めているのだろう。大方、陸の上にいては、また瑠璃から邪魔が入ることを警戒しているといったところか。
それはそれで、瑠璃への危害がこれ以上及ぶことがなくなって安心も出来る。しかし、俺の身の安全はそうでもない。
奴を探そうにも、風雨と暗闇、果ては逃げ込んだ先が濁流の中とあっては、肉眼で発見するのは恐ろしく困難だと言える。時々、夜を引き裂くようにして亀裂が入る雷光によって、辺りが照らされるが、それも一瞬だけだ。その瞬間に奴の位置を特定なんて出来るわけがない。
視覚だけに頼った捜索では無理だろう。
となれば、それ以外の手段を取るしかない。殺し屋として、磨き上げてきた実力を発揮させる場面だ。
余計なことは考えるな。精神を無にし、感覚を研ぎ澄ます。それだけだ。
「……」
水面の動き……否。
水中の影……否。
陸での動作気配……否。
陸でのうごめく影……否。
水音……合――。併せて、否定した四項目すべてに当たりが付く。
「……見つけた」
我慢の限界でも来たのだろう。雨音に混じって、一際大きな水を叩く音が響くと同時に奴が水中から姿を現した。
溝杭が近場にあった岩に上がった場面を丁度、目視で捉えることが出来た。その上で溝杭は立ち上がり、俺を見据えてくる。
どうやら、こっちへ来いと言いたいらしい。
無論、俺はそれに乗らせてもらう。こっち側を再び戦闘の場にして瑠璃を巻き込むわけにもいかないし、俺にとっても都合がいいから。
俺は一飛びで岩場まで飛び移り、溝杭と対峙する。
土砂降りの雨が肌を殴りつけ、足場もあまり良くない。おまけに濁流が押し寄せ、一緒に流されてきた大木やらゴミやらが岩場に引っかかっている。
溝杭はおもむろに、その川に出来上がったごみ溜めの中に拳銃を放り棄てる。
「? 何しているんだ。お前」
「要らねえから捨てたんだよ」
「要らねえ……って。お前の商売道具だろ」
「ここの川汚ねえだろ。潜った時に藻とかゴミが詰まっちまってよ。これから殺す相手にこんなもの持っていたって使い物にならねえだろ」
殺し屋が殺せない道具持っていたってしょうがない。だから、捨てた。そういうことか。この世界において、現実世界の道具は貴重品だろうに。いや、それは異世界人が例の現実世界の道具を引っ張り出してくる魔法を使えば万事解決することなのか。にしても、何も捨てることはないと思うが、まあコイツの物だ。俺の知ったことではないか。
「どうした、そこで案山子みたいに突っ立ってねえで、とっとと決着付けようぜ」
「言われなくてもやってやるよ。それに瑠璃からお前を殺してくれとも頼まれている」
「へえ、そうかい。じゃ、やるだけやってみな。返り討ちにしてやらぁ」
「――すぐに殺してやる」
俺はボウイナイフと鎖鎌を構えて、溝杭と真正面から挑みかかる。
奴の狙いは、俺の動きに合わせたカウンターの蹴りを入れてくるはずだ。初手を貰うわけにもいかない。こちらも奴の動きを注意深く見て、瞬時に適応してやるつもりだ。
俺がボウイナイフで斬りかかろうとしたところ、奴は一歩引いて回避してくる。間髪入れず奴は高速の後ろ回し蹴りを叩きこんでくるも、予期していた俺は腕で防いだ。
すかさず、片足立ちとなっている溝杭に向けて鎖分銅を投げ飛ばす。その無防備な姿をさらしていた溝杭には避ける手段はなく、受け止めるという一択しかなった。
鎖分銅をまともに受けとめた溝杭は豪快に倒れ込む。俺は止めの一撃として、無防備の溝杭に鎌で斬りかかろうとしたのだが、飛び跳ねるように素早く起き上がって回避される。
惜しくも空を斬ることになった俺に待っていたのは、溝杭の反撃だった。
溝杭の回避した後からの攻撃に転じる動きに淀みはなく、長年培ってきた戦闘経験が物を言わす俊敏さで以て、俺の顔面に蹴りを入れてきた。
岩肌を滑る様に転げてしまい、手にしていた鎖鎌を地面に釘のように打ち付けて動きを止めて膝を付く。
「はは、中々どうしていい動きをするようになったじゃねえか。やっぱ溝杭と朽月の死闘はこうでないと張り合いがねえってもんだぜ」
足に鉛でも突っ込んでいるのか? こいつ。さっきの一撃はとてつもなく重かった。異世界の環境のせいで更に強化されていやがるな。
「ま、その死闘も今日で最後になっちまうけどな」
「ああ、そうだな。長年に渡った朽月と溝杭の関係に終止符をここで打とうか」
競い合うようにして裏社会を牛耳ってきた二つの戦力。任務先では何度も殺し合い、常に互いの実力をぶつけ合ってきた仲だ。その中で命を落とした者もいた。
俺たちが今からやろうとしていることは、これらの流れを止めるということだ。
「溝杭の技の粋を結集して、朽月を沈めてやるよ」
「朽月が代々引き継いだ秘義の数々。それをその身に刻まれてもなお、同じことが言えるといいな」
「……来な。どちらが上か。次の一撃で終わらせようぜ」
溝杭は戦闘態勢を取って俺と向かい合う。
互いに残された体力は僅か。最期の一撃を振るうべくして残された体力だ。
殺し屋家業を始めてからの付き合いと言われているこの関係は、文字通り次の一撃ですべて終わるだろう。
――“無の境地”。
森羅万象の息吹すらも遮断し、完全に己だけの自己完結された領域へと意識を向ける精神集中を行う。
朽月が誇る一子相伝の秘義である“散華”を行うための前触れであり、奴はそれを知っているからこそ、即座に対応するべく身構えている。
おそらく、“散華”は防がれるだろう。最初の一発目は拳銃で防がれてしまっていたが、たとえ持ち合わせていないとしても、何らかの策は講じているはずだ。だからこそ、あんなにも俺の挙動を一つも見逃さないように全神経を張り巡らして待ち構えているのだ。
となれば、俺が取る攻撃は“散華”を越えた技しかない。
溝杭ですら知らないであろう、朽月の秘義の数々。“散華”には複数の種類が存在している。その一つで溝杭を討ち破るしかない。
幸いにもその一つを行うための“杭”は植えつけている。条件はすでに整っているのだ。
肌を打つ大雨を遮り。撫でる強風を遮り。冷気の感覚を遮り。
俺が感じるすべての気配を完全に排除させる。
そして“無の境地”は頂へと登り詰め、秘義を繰り出す最高の機会と体調を整える。
さぁ――時はきた。
誰にも見せたことのない朽月の秘義“散華”を越えた、その更に上の戦技。その身にとくと刻ませてやろう。
発動とともに排除していた大雨、強風、冷気の感覚が蘇り、俺の存在は溝杭の背中に立っていた。
手に残る感触は明らかに斬ったという感覚。だが、同時に浴びた声によって、不完全を表された。
「終わりだぜ」
両腕を犠牲にして“散華”を防いだ溝杭は、勝利を確信して得意の足技を繰り出そうとして来る。しかし――。
「――お前がな……」
不完全なのはこちらも同じこと。初撃に出た“散華”は、上の技を行うための途中でしかないからだ。
ここからが、“散華”を越えた秘義の発動である。
先刻、溝杭に蹴り飛ばされた時、地面に突き刺していた鎖鎌を疾く引き戻す――。
俺と鎖鎌。その間に挟まれている人物。それこそが、この技を受ける対象者だ。
“散華”後に繰り出される影の如き忍び寄るもう一つの散華。初撃は注意を逸らす囮技であり、本命となる“散華”は鎖鎌の方だ。
一人の対象に対して、二度目の血飛沫を開花させる重ね技。
“裏・散華”。
秘義の“散華”から派生して行われる技。朽月が先祖代々から伝わる秘義の一つである。
引き戻された鎌によって、わき腹を斬り裂かれた溝杭は、最早ただ気力だけで生きながらえているかのような状態だ。
「……クソっ……。散華に、そんな……隠し技が、あるなんてよ……っ」
「秘義の一つだ」
奴の言った通り、“散華”はただの超高速で繰り出される直進攻撃だ。本来ならば、それに対応すること自体が恐ろしく困難を極める直進攻撃である。だが、長年の宿敵である溝杭には確実には決めることが難しいと判断した。
それは間違いではなく、溝杭は両腕を前面に押し出し、“散華”の致命傷を避けて攻撃に転じようとまでしていた。つまりあの男は、あろうことか両腕を犠牲にしてまで俺を殺そうとしたのだ。普通なら両腕を差し出すことなど考えられないが、銃を失った溝杭にとって腕はただの飾りに過ぎない。足さえあれば、得意のテコンドーが使えるからだ。
だからこそ、あの技を使うしかなかったのだ。
「……あの野郎。そんなすげえ技……俺には一度も見せちゃくれなかったぜ」
「親父に会いに行く前にいい土産が用意出来たな」
「馬鹿野郎……ならねえよ」
そうは言いつつも、死に体な溝杭は笑っていた。なんだかんだ言いつつも、こいつとは親父と俺と朽月の二代に渡って争ってきた仲だ。それにこいつとは、俺たちが幼少時の頃からの顔見知りでもある。
情が湧いた。というわけではないのだろうが、ともかくこいつと俺とは長い付き合いにもなっていた。
「なぁ……瑠璃ちゃんをしっかりと……守ってやれよ。いまや、お前が一番強い男なのだから」
溝杭の語りはまるで、幼少時の俺たちと接していた頃のような懐かしみを感じさせた。だから、こいつの話しを黙って聞き届けることにした。
「言いたいことはそれだけだ……じゃあな、気ぃ付けて帰れよ」
その言葉を最後に溝杭は一言も発することはなく、完全に事切れてしまっていた。
最後は殺し屋としてではなく、古い友達の子供に対して励ましを残した。それは、あるいは俺たちの父親を奪ってしまったことへの罪滅ぼしだったのかもしれない。
遺体となった溝杭舜華の瞳を閉じ、俺は異世界の地でも安らかに眠れるように祈りを捧げた。
そうして、雨に打たれている溝杭の遺体を川へと流してやった。
昏い水底で誰にも邪魔されることもなく、永く、永く眠っていられるようにと。
「向こうに着いたら、親父と仲良くしてやってくれよな」
長年の商売敵である溝杭。その血筋が絶える最後の瞬間を俺は一生忘れることはないだろう。
「兄さん……っ!」
遠くから瑠璃の声が聞こえてきた。瑠璃が俺の身を案じて心配してくれている声は、不思議とどんな環境下でもはっきりと聞き取れる。
瑠璃は俺の無事を確認すると、顔色を変えて、いまのも泣き出しそうな表情で見据えてくる。いや、もしかするとあの頬を伝っているのは雨ではなく、本当に涙なのかもしれない。
「終わっちゃた……んだよね」
「ああ、すべて終わった」
「そっか……」
瑠璃も成行きをすべて見ていたのだろう。両膝を地面につけて、手を組み、川へと流れていった溝杭に向けて祈りを捧げていた。
終わった……だと言うのに。あいつが死ぬ間際に余計な一言を残していったせいでやりきれない結末となった。
瑠璃の祈りはまだ続いている。その姿は聖女のようで、溝杭の侵した罪を許そうとしているのだろうと思った。
あの男にとっては、これ以上にない最高の最後と言えるだろう。
溝杭が残した言葉を胸に俺はこれより先を戦い、瑠璃と共に生き抜いて元の世界へと帰還しなけれなば。その暁には、溝杭舜華の墓を瑠璃と一緒に建ててやろう。
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