第17話
溝杭との戦いが終わり、俺たちは傷だらけとなった身体を雨に打たれながら、近くにあった洞穴へと身を潜めることにした。
暗く湿気た洞穴。異世界に呼び出されてからというのも、一度として雨が止むことがなかったせいで、中にまで雨水が侵食してきていた。
別に今さら濡れることに抵抗があるわけではないが、休息を取るべくして入った洞穴内に雨水がたまっていては不愉快というものだ。
だが、この際仕方がないと割り切る。雨ざらしにされ続けるよりかはいくらかマシだ。
俺たちは出来る限り湿り気の少ない岩場を探し出し、そこで傷を癒す時間を作ることにした。
「ほら、動かないで。あんまり動かれると上手く包帯が巻けないわ」
「わ、わるい。傷口が思った以上に深くてな……少し痛む」
溝杭自慢の蹴りわざと銃痕を何度も貰い受けた。その度に身体のあちこちに作った生傷の痛みが俺を苛む。戦闘中には全くといっていいほど気にならなかったのだが、緊張が解けて痛覚が取り戻されているのだろうか。どうせなら、このまま戻ってこなければ良かったのだ。そうすれば、瑠璃の手厚い治療もここまで苦しむこともなかったのだが。
「もうちょっとで終わるから我慢してて」
時折、空が啼くとともに光り輝く閃光を頼りに、瑠璃は包帯を巻いてくれる。
雨音と雷鳴の奏でる音楽を聴きながら、俺はされるがままとなっていた。
こうして一生懸命になって傷の手当てをしてもらうことは、元の世界においては日常茶飯事だった。
任務先で下手を打った俺の身体の後始末は、瑠璃がやってくれていた。こういった時のため、瑠璃は医学に関する本も読んでいた。そのおかげで瑠璃は民間医療を少しばかり詳しく心得ている。
「ところで、その包帯はどこから持ってきたんだ?」
「これ? 前に泊まった小屋に置いてあったものよ」
あの小屋にそんな物があったのか。病に倒れた瑠璃のことで頭が一杯だったから、あの小屋に何が置いてあったのか気にも留めなかったな。
「盗んできたのか?」
「し、仕方ないじゃない……私たち一文無しなんだから。使える物は貰っとかないと、何かあったときに困るじゃない」
「……まあ、そうだな」
言うことはもっともなことだ。それにたとえ金があったとしても、この世界の金銭感覚がいまいち分からないし、現地の連中と意思疎通が出来ない。結局のところ、奪い取って来るしか確保する方法はないのだ。
それよりも、瑠璃に盗人行為をするような度胸があったとは。驚きだ。
「はい、完成! もう動いていいわよ」
ずっと同じ態勢でいた身体を動かし、包帯の巻き加減を確かめてみる。特段、動かしにくいようなことはなく、今日も見事な手際でやってのけてくれたようだ。
「ありがとう。瑠璃がいてくれて助かったよ」
「私の得意分野だもん。このぐらいお手の物よ」
自身満々に胸を張る瑠璃。だが、そのすぐ後に張った胸が萎み、声にも元気さがなくなっていく。その声には哀しみが帯びていたからだ。
「だけど、次からはあまり無茶をしないでよね。兄さんの傷ついた姿は、やっぱり何度見ても辛いわ」
包帯から目を逸らす瑠璃。俺だって瑠璃の苦しむ姿を見ることは辛い。それと同じ心境なのだろう。そう思うと、他人事とは思えなくなってくる。
「次からはもう少しうまくやるよ」
瑠璃の小さな頭を撫でながら言った。雨水を吸って重みのある髪。それにびしょ濡れとなった肌。暖を取ることが出来ないのが悔やまれるところだ。
せめて何か拭いてやる物でもあれば良かったのだが、あいにくとそれすらも持ち合わせていなかった。
「……」
肌寒くなってきたのか、瑠璃は密着するように身体を寄せてくる。
「寒いのか?」
「……うん」
小さく、か細い声で答える瑠璃。口が震えているのだ。このままでは、また風邪を引くかもしれない。
俺は着ている外套を脱いで瑠璃に被せてやり、細い手を握ってやる。これで少しは寒さを和らげることは出来るだろう。
「ありがとう」
「体だけは気を付けてくれよ」
「えへへ、兄さんがそれを言っちゃうと、なんだかおかしいね」
「俺も大概無理をしているかもしれないが、瑠璃は元々体が弱いだろう。ちゃんとそのことは自覚しておかないとな」
「うん。ごめんね」
謝罪には喜色が含まれていた。本当に分かっているのだろうか。心配になってくるが、人のことを言えない俺には、これ以上のことは言ってやれなかった。
だが、それでも一つだけ気がかりがあったので、そのことについては聞いておかなければならなかった。
「そういえば、肩に受けた銃弾はどうなったんだ? 平気なのか?」
俺を庇って受け止めた銃弾。あれがずっと気がかりだった。
「ああ、これ。なんてことないわよ」
「本当か? 随分と苦しんでいたじゃないか」
「ちょっとだけね。でもあれぐらいへっちゃらよ。兄さんのと比べると全然大したことないわ」
瑠璃は包帯で巻いてやった部分を見せてくれる。俺が巻いてやる際に傷口を確認してみたが、銃弾は貫通しており、見た目以上に平気そうではあった。
しかし、瑠璃は気丈に振る舞うことがよくある。風邪で倒れたときがいい例だ。前例があるからこそ、やはり心配になってきてしまうのだ。
「ね! 問題なさそうでしょ」
「ああ、そうだな。だけど、何かあったときはすぐに言うんだぞ。俺に気を使う必要なんてないからな」
「分かったわ。その代わり兄さんのちゃんと約束してよ。もう無茶はしないって」
自分の身体の惨状を見れば、かなり無様な姿だ。運が悪ければ、死んでもおかしくはない有様だ。敵を讃えるわけではないが、俺をここまで傷物に仕立てたのは奴ぐらいのものだった。
こんな酷い有り様を瑠璃にさらしたのだって、初めてのことだし、眼をそむけたくなるのも分かる。
「約束だ。もう絶対に瑠璃を心配させるようなことにはならない」
「絶対だからね」
「瑠璃も約束は守れよ」
「もちろん、分かってるわ」
そう言って、瑠璃は俺にもたれてくる。
「兄さん。私、少し疲れたわ」
「今夜はここで休むつもりだからか、ゆっくりしていてくれ」
外ではまだ神の機嫌が悪いのか、大雨と雷鳴が飽きることなく降り注ぐ。こんな状況で出るわけにもいかないし、どのみち俺たちはここから一歩も動き出せないのだ。
寒い環境だが、二人でくっ付いていれば温かくもなってくる。
「明日こそは晴れるといいが」
この天候が続けば、いい加減にうんざりもしてくる。
「こんなときには、次の日を晴れにするようなおまじないがあるんだよ」
「……へぇ、どんなのがあるんだ」
嘘くさいと分かっていながらも、瑠璃の話しに乗ってみる。もし、信憑性の高そう話しであれば、試してやってもいいと思った。
「てるてる坊主とか……」
「……迷信だろ」
聞いて損した気分だ。そんなもので晴れになるのなら、世話無いことだ。それに、元の世界で実践するのならいざ知らず、異世界でそんな物が通用するとは思えない。いや、常識はずれな異世界だからこそ通用するのかもしれないのか。まあ、いずれにせよ却下だ。
俺が即座に否定的なことを言うと、瑠璃はふくれた顔でやけくそ気味に次を出した。
「兄さんが雨男だから、ずっと雨が降っているんじゃないの」
晴れにするというまじないはどこへ行ったのやら、完全に俺が悪者扱いとなってしまっていた。
「じゃあ、瑠璃も雨女だな。二人揃っているから、中々雨が上がらないのだろうな」
「ふふ……本当だね。兄さんも私も雨に愛されちゃってたら、おまじないの掛けようがないね」
瑠璃はおかしそうに笑う。たとえ、どんな苦しい状況だろうと、病魔に蝕まれていようと。瑠璃には笑顔が一番似合うと思った。
「異世界のお日様。もう一度みたいなぁ」
懐かしみを感じさせるように瑠璃は言った。
思えば、陽を拝めたのはたったの一度だけ、ここへ呼び出された数日だけのことだった。あれから十日以上も経ち、陽の下を歩いたのがとうの昔のように感じられるようにもなってきていた。
「……ごほっ……ごほっ」
途端に咳き込む瑠璃。俺は慌てて容態を確認しようと瑠璃の顔色を覗く。
「病み上がりだから、ちょっと……こたえたみたい」
一日やそこら眠っただけで完全に熱が収まるわけがなかったのだ。額に手を当てれば、まだ完治していなかったことぐらいはすぐに分かった。
「もう、寝ろ。俺と約束しただろ」
「……ごほっ……明日にはきっと治してみせるから……」
「焦らなくていい。完治するまで、いつもでも待つから」
「ダメよ……帰るのが遅くなっちゃうわ……」
「だったら大人しく眠って、治すことに集中することだ」
厳しくしつけるように言ってやる。時々、頑固なところがあるのが瑠璃の悪いところだ。
「……っごほ……それは、お互いさま、だよ。私たち、二人揃ってボロボロになっちゃったから……」
「そうだな。ここなら、敵にもそう簡単に見つからないだろうし、久々に俺もゆっくりと休ませてもらうとするよ」
身体は濡れているのに、熱で火照っている瑠璃と二人でうずくまる。
俺の冷めきった体温が瑠璃に溜まった熱を吸収していくような暖かみを感じる。まるでカイロを握りしめているように、瑠璃を強く抱きしめて俺は眠りに就いた。
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