第15話

「おいおい……マジかよ。まさか、妹のほうが動くなんて予想外だぜ」


 俺にすら瑠璃の行動は予期できなかったのだから、奴の驚きは激しいものだった。


「あー……くたばったか」

「……勝手に殺したことにしないでほしいわ」


 咳き込みながらも瑠璃は気丈に振る舞い、溝杭と向かい合った。溝杭はたいして取り乱すこともなく、横たわっている瑠璃を見下す。口ではああ言っていたくせに、死んだとは微塵も思っていなかったらしい。


「そんな身体で意外とタフだな。ま、二人とも命拾えてラッキーだったな」

「そのおかげで……あなたの方は、殺し損ねてしまったみたいね。よくそんな腕前で私の兄さんと並んでいられるわね。溝杭の名が泣いているわよ」

「……言ってくれるじゃねえの。兄貴に似て威勢のいいことだ」


 笑みをかみ殺しながら、溝杭は低い声でつぶやいた。


「だが、お前は死に損なったおかげで病の苦しみに付け加え、その痛みにも耐えなきゃいけないんだぜ」

「……っ」


 やはり生まれ持った体質と味わった苦痛の両方に身体をいたぶられ、その証拠に吐血を何度も何度も繰り返す瑠璃。

 初めて味わう銃弾による痛みに負けないよう、俺の手を強く握りしめてきた。こんな瑠璃を見たのは初めてだった。そして、同時にこれ以上見たくもないと思った。

 だから少しでも瑠璃の痛みが和らげられるようにと、同じぐらいの強さで握り返してやった。


「もう強がりはよせ、瑠璃。お前はしばらく大人しくしていてくれ。頼む」


 吐き出す血もとうとう枯れてしまった瑠璃は、息も絶え絶えにしている。いまにも死んでしまいそうな瑠璃の身体に大粒の雨が叩き付ける。雨ざらしにされている瑠璃を放ってはおけず、我が子を無慈悲な暴力から守る父や母がするように、胸に引き寄せては抱きしめた。

 その温もりに安心した瑠璃は、少しずつ安らいでいった。その姿に俺は胸を撫で下ろす。


「生き延びたのはいいが、お前ら二人揃って満身創痍な状態でどう俺から逃げるつもりだ」


 溝杭は銃口を俺に向けて、引き金に手を当てていた。


「逃げる? 誰が逃げるか」

「……あ? 今の状況を分かって言っているのか? お前は」


 自分の力ではまともに立ち上がれそうにない瑠璃を抱えている状態では、どう言い繕ったところで強がっているようにしか見えていないのだろう。


「悪いが。その言葉をそっくりそのままお前に返させてもらうぞ」


 状況を分かっていないのは溝杭の方だ。俺たち兄妹がどういった関係なのか、いま一度分からせてやる必要がある。


「妹を傷つけられた兄が黙っていられると思っているのか? 俺が取るべき行動はただ一つ。お前を地獄に送る――それだけだ」


 これまでの異世界人と同じように、こいつも例外なく送ってやる。


「そいつは全く笑えねえ冗談だが、あの野郎にとっては傑作だろうぜ。俺は地獄に逝っちまったお前の親父。朽月宗玖に会ってこう言うわけだ。お前の息子に殺されたってな」

「――ああ、言わせてやるよ」

「図に乗るなよ。子供相手に俺が遅れを取るとでも思っているのか?」


 簡単にいくとは思っていない。子供だとか、大人だとかそういったことは関係ない。

 歴代でも最弱と揶揄されていたとはいえ、俺の親父をこいつは殺している。そして当時の俺は、その親父の足元にも及ばなかった。

 あれから月日は随分と流れ、俺も十分に朽月の名に恥じない程度の力量を示せるようになった。だが、その間にも溝杭は更に上へと登り詰めているのだ。

 仕事中に何度かコイツとは争ったが、一度だって勝てる気はしなかった。正面衝突すれば、間違いなく俺が押し負けることだろう。

 しかし今は、条件が違う。

 異世界の環境には、数日分早く来た俺の方が慣れている。加えて、瑠璃がいる。守るべき大切な妹だ。

 これ以上の無様な姿を見せるわけにはいかない。

 どんな手を使ってでも、生き延びて、異世界から脱出してみせる。溝杭をここで打ち倒してみせる。


「やってみなければ、分からないことだってあるだろう」

「間違っちゃいねえな。だが、その妹(にもつ)を抱えたお前に出来るのか。何だったら、捨ててもいいんだぜ。そうした方が、万に一つでも可能性があるかもしれねぇぜ」


 いちいち苛つくことを吐く奴だ。瑠璃に対して、言葉の暴力。殺してやりたくなる。


「まだ分かっていないようだな。俺たちは二人で一人だ。この世界にやってきてから、どんな境地だって二人で潜りぬけてきている。瑠璃が側にいてくれる。だからこそ、可能性が生まれるのだ」

「……兄さん」


 異世界に連れられて、瑠璃は知恵を振り絞って俺を導いてくれた。

 そして、可能性は開かれていった。

 異世界の構造や脱出手段。すべて瑠璃の考察のおかげだ。


「ええ、そうね。私たちは二人で一人なの。兄さんが今まであなたに勝てなかったのは一人だったから。でも、今は私がいる。悪いけど、溝杭さんは死ぬわ。だから、地獄に逝ったらお父さんによろしく言っておいてね」


 俺はずっと一人で戦っていたわけではない。日頃の体調管理や細かな身の回りのことを補ってくれていたのは瑠璃だ。

 瑠璃はいつだって、俺の背中を支えてくれていた。

 だが、今回は瑠璃が前線に飛び出して、身を挺して庇ってくれた。おかげで俺は命拾いをしたほどだ。

 戦えない瑠璃が戦場に出てくることは、俺にとっては弱点をさらけ出しているようなものだと思っていた。しかしながら、瑠璃は弱点であろうとはしなかった。

 状況をわきまえているのだ。

 逃げも隠れの出来ないこの場所で敵は一人。そいつに俺は殺されそうになっている。俺が死んでしまえば、病弱な瑠璃は勝手に死ぬ。運命共同体なのだから、一人が死にそうになれば、もう一人が補わなければならない。

 だから、瑠璃は死なない程度に俺を庇った。そう、瑠璃は弱点ではない。いつだって、瑠璃は俺を支えてくれる大切な片割れなのだ。


「半端者がようやく一人前になったってか。……なら、その美しい兄妹愛で可能性を開いてみせろ」


 溝杭が手にしていた拳銃が吼える。至近距離から発せられた銃声は、雷鳴にも負けず劣らず響き渡った。

 そのほぼ同時に瑠璃は反射的に動いていた。まるで突如響いた大音声に反応したかのような俊敏さだった。

 溝杭の腕にしがみついた瑠璃の肩から、銃弾が掠めたらしく、血が滴っていた。


「……またお前か……っ」


 腕に絡んできた瑠璃を溝杭は鬱陶し気に吐いた。振り解かれない様に力を振り絞っていた瑠璃だが、力量の差で弄ばれていた。


「言ったでしょう……私たちは、二人で……一人、だって……」


 傷口を気にも掛けず、痛みを吹き飛ばす勢いで瑠璃は声を張り上げた。


「――めんどくせぇ兄妹だ。とりあえず、妹は引っ込んでろ」


 溝杭はもう片方の腕で瑠璃を引きはがすと、地面に叩きつけた。その刹那――俺はボウイナイフを片手に飛びかかった。

 肉を刺す感触と腹いせに溝杭の顔面に裏拳をぶち込む。二度、三度。更にもう数度と地面に叩きつけられながら転がり、最後には片膝をついて立ち止まった。

 溝杭は俺を――いや、俺たちを睨み付けた後、底が覗けないほどの濁流の中へと飛び込んだ。


「兄さん。――お父さんの仇を討って」


 瑠璃は切望に訴えかけてきた。

 親父の葬式が行われた日、幼かった瑠璃は悲しみに明け暮れていた。

 毎晩、涙は枯れるまで流し。

 毎晩、疲れ果てるまで悲しみ。

 しかし、それでも日中は平気な顔して強がっていた。

 俺は俺で、そんな瑠璃を満足になぐさめてやることも出来ずに。ただ、自分の無力さに為すすべもなく、悔しくて苦しんだ。そうして、気づけば最後には、瑠璃の立ち直りを神にすがっていた。

 こんな情けない俺が殺し屋を引き継ぐと決意した時、瑠璃は親父と同じ道を行くことを止めなかった。それどころか、殺し屋となった俺を支えなければという責任感を自分に押し付け、無理やりにでも立ち直ったのだ。

 あれから長い年月をかけて、親父を殺した張本人は姿を現した。そいつは、何食わぬ顔で俺たちと関わっていたのだ。

 ここで溝杭を討つことは、親父の死と決別し、気持ちの整理をつける意味でもあった。


「ちょっと待っていてくれ。――すぐに終わらせてくる」


 瑠璃の強い眼差しを受け止め、俺は溝杭の後を追った。

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