第9話

 雨の勢いは衰えることなく、叩き付けるように身体を濡らしていく。昨夜からこの調子なのか、町中に敷かれている川は氾濫し、路上を水浸しに上げていた。屋根から滴り落ちる雨量は、滝のような激しさを見せている。


「……あめ、すごいね」

「自然現象までもが邪魔をしてくるとはな。つくづく、俺たちとは相いれないらしい」


 異世界に着いてからというもの、ろくな眼に合っていない。人心地を付ける暇もなく立て続けの襲撃だ。見張り台から離れたあとも、異世界人の襲撃は続いたが所詮は雑魚。蹂躙し尽くしてやった。

 決して弱音を吐くことはないが、体力も精神も摩耗した瑠璃にとっては、これから城に辿り着くまでの道のりは厳しいものとなるだろう。俺には乗り切れるとしても、瑠璃には一度、十分な休息を与えてやりたい。腕の中で衰弱している瑠璃をみると、早く元の世界に戻らなければという焦りも出てくるが、無理をさせるわけにいかないだろう。

 川沿いに辿っていけば、町から抜けることが出来る。それからは、森の中に入り込むことになる。そこならば、異世界人の目に入る範囲内ではないだろうし、瑠璃の体調を整えられる。

 瑠璃にはもう少しだけ辛抱してもらわなければならない。俺は自然と走る速度を上げ、出口までもうすぐといったところまで迫った。しかし、やはりというか、俺たちの事情とは関係なく軍隊が邪魔をしてくる。


「――――」


 突如、地響きを足が感じ取ったかと思うと、異世界人の退路を断ち、迫りくる俺たちの道を阻むように土の壁が展開されていた。あれもおそらくは魔法だろう。土塊を飛ばす攻撃だけでなく、ああいう使い方もこなせるのか。

 厄介なことをしてくれたものだと苛立ちを覚えたが、それは奴らにぶつけて解消させる。

 俺は片手でボウイナイフを抜き、足を緩めずに突っ切ろうとしたが、奇怪な現象が起き、立ち止まらざるを得なくなった。

 異世界人の周囲の空間が割け、中からは黒い景色が覗けた。そこに一切の躊躇いも見せずに手を入れる異世界人。空間に干渉した部分から先は、腕が切断されているかのように無くなっていた。

 奴らの表情から何をしようとしているのか窺い知ることは出来ないが、おそらく魔法の一種であることだけは想像がついた。あの腕を抜き取ったが最後、奴らは仕掛けてくるだろう。その瞬間を逃さずにしていたが、現れた物の正体に言葉を失ってしまった。

 魔法がはびこる異世界において、それは圧倒的なまでに違和感を覚える代物だった。大抵のことに驚きはしないつもりでいたが、今度ばかりは訳が違った。

 俺たちの存在が異質であるように、それもまた同様だった。

 抜き放った異質な存在は、俺たちの世界にあるはずの凶器――日本刀。俺の眼に狂いがなければ間違いない。一体、なぜあんなものが出てきたのだ?


「どうなっている? ここは異世界じゃなかったのか」

「そ、そんなはずはないわ。だって、こんな場所に言語。見たことも聞いたこともないもの。それに、耳や尻尾がある時点で現実世界であるはずがないもの」


 現実世界は広い。場所や言語は博識な瑠璃でも知らない可能性もあるが、耳と尻尾だけはどう考えても現実ではない。それだけでもここが異世界であることを明確に物語っているはずだ。


「――まさかとは思うけど、あの穴は……現実世界と繋がっているのかもしれないわ」

「瑠璃……それは、どういう――」


 俺たちが状況の把握を行っている最中、三人の異世界人が日本刀を携えて襲い掛かってきた。考えるのは後回しにして、まずこいつらを黙らせるほうが先か。

 魔法を主体にしている異世界人が武器を持ち始めるが、身体能力に埋めようもないほどの差が広がっている以上、俺には傷一つ付けることも出来やしないだろう。

 日本刀を扱うのは初めてなのか、それとも単に慣れていないだけなのか。あまりにも酷い剣捌きで斬りかかる異世界人。これでますます日本刀がこの世界に馴染みがあるものではなく、俺たちの世界の物であることが分かる。

 武器を所持しているのは三人。後方に魔法を使う五人の異世界人がいる。

 朽月の得意分野が多対一とはいえ、遠距離と近接に分けられては十分に戦えない。なにせ、敵と敵の間に距離が離れすぎている。

 こういう場合は、棒切れみたいに振り回している日本刀使いの異世界人をまず殺す。その後に後ろの五人を殺せばいい。

 後ろの奴らが援護として水や土の魔法を放ち、それらを躱しながらボウイナイフで一人撃破。力尽きて緩んだ手から零れ落ちそうになった日本刀を受け取り、続けてきた二人目の異世界人を斬り殺す。

 日本刀を振り回すのは初めてのことだったが問題はなかった。朽月は武器を選ぶことはなく、殺せるのならその辺の石ころでも棒切れでも使う。ゆえに、使えるものは使うという精神でここまでやってきた。しかし、日本刀には使い慣れていないこともあり、三人目に襲われる前に放り棄て、ちょこまかと動き回っている尻尾を掴み取る。力任せに尻尾を振り回し、俺に向けて放たれた水の魔法に身体ごと叩き付けてやった。

 派手に爆散する音を響かせ、内臓でも潰れたらしい異世界人は吐血してくたばった。

 残りは五人。

 後方には自らが展開させた土の壁が逃げ場を無くし、真っ向から俺に挑んでくるしかない。しかし、こいつらの表情にはもはや、戦意すら残っていなかった。

 あるのは恐怖。

 殺される寸前にまで追い込まれている異世界人は、でたらめに魔法を放っては俺から距離を取ろうとする。

 腐っても軍隊。恐怖に駆られながらも、真っ向から挑もうとしてくるその意気に免じ、俺は一思いに痛みすら感じさせない内に永遠の眠りを与えてやった。

 一面を雨で薄められた血の海が出来上がり、俺は消えずに残っていた日本刀を手に取った。今回で初めて日本刀に触れたが、さてこれは本物なのだろうか。


「これ……間違いなく日本刀よね」

「なんだってそんなものを奴らが手にしていたんだ。いや、それよりも瑠璃。さっき、あの空間が現実世界に繋がっている可能性を言っていたな」


 日本刀が現れた謎の空間。あの先が現実世界だと瑠璃は予想した。賢い瑠璃のことだから、何かに気づいたということだろう。


「ええ、あのときはまだ何となくそう思っただけだったけど、これではっきりとしたわ」


 瑠璃は日本刀を品定めでもするかのように、か細い指で刀身を撫でた。やはり、この日本刀が関係しているのか。


「私たちの世界にある武器が、異世界に現れること自体はおかしいことじゃないのよ」


 言い切った瑠璃には、もうこのカラクリを論破出来る自信があることを意味していた。


「だって、私たちが異世界に連れてこられるという前例があるもの。つまり、異世界人はあの空間から現実世界に干渉し、そこから日本刀を持ってきたのよ」

「俺たちの世界に干渉する魔法……だと。それは、異世界人が創る空間に飛び込んでしまえば、元の世界に戻れる可能性があるということなのだろうか」

 僅かながらの希望が見えてくる。取り出しが可能なら、逆に戻すことも不可能ではない。


「どう……なのかな? 私たちが連れてこられた空間とは違って、ちっちゃかったからもっと大きいのでないと無理じゃないかしら」

「現時点ではまだそこまで分からないか……」

「ごめんなさい。兄さん。私の推測はここまでしか……」

「いや、いい。瑠璃はよく考えてくれたさ。俺一人では何一つ理解出来そうになかったからな」


 申し訳なさそうにしている瑠璃の頭を撫でてやる。実際、瑠璃はよくやってくれている。

 まったく、この頭には一体何が詰まっているのか。同じ兄妹とは思えないぐらい賢い子だ。


「ねえ、兄さん。それともう一つ。気になることがあるのだけど、いいかな?」

「なんだ?」


 いつもなら許可を取って話すようなことはしない瑠璃が、このときは真剣な面持ちでいた。だから、俺も自然とこれから話されることは不都合なことなのだと察しがついた。


「異世界人が日本刀を取り出したってことはね、私たちも異世界に連れてこられたってことだよね。異世界人は、何が目的で私たちを呼んだんだろうって思ったの」


 俺たちは現実世界で謎の光に包まれ、気が付いた時にはこの世界にいた。何らかの事故か怪奇現象にでも巻き込まれたのかと思ったが、今回のことを考えればそれは否定できる。

 いままで元の世界に戻ることだけで精一杯で気にも掛けなかった。そういうことならば、奴らは俺たちに用があるということなのか。いや、正確には俺に用があるのかもしれない。

 謎の光は、俺にのみ射していたのだから。


「……瑠璃は、俺の巻き添えにされたというのか……っ」

「どうして……そんな風に考えるの……? 兄さんがどこかに連れていかれるというなら、私も付いていくに決まっているじゃない。だって、私たちは二人で一人。兄さんがいてくれないと、私……生きていけないよ……」


 瑠璃の泣き顔を見て悟った。

 俺は、なんてダメなやつなんだ。瑠璃を置いて行ったところで、俺には一人では何も出来やしないじゃないか。

 今日、この日まで生きてきて。瑠璃なしではとても生きてはこれなかった。側で支えてくれた人がいたからやってこられた。守りたい人がいたから、ここまで強くなれた。

 瑠璃が必要としてくれる限り、俺もまた必要とする。

 俺たちは、二人で一人なのだから。


「悪かった。俺が瑠璃を巻き込んだわけではなかったな。俺たちは二人一組なのだから、瑠璃も一緒なのは当然のことだよな」

「そうだよ……バカ……っ」


 非力な力で胸を叩く瑠璃。それ自体は可愛らしいものだが、その瞬間に瑠璃の身体が一変していたことに気が付いた。


「どうした……瑠璃! おまえ、この熱……普通ではないじゃないか」


 力なく倒れ込んできた瑠璃の身体を支えると、異常な体温を持っていた。瑠璃自体が内側から焼き尽されているかのような、尋常じゃないほどの高温だ。激しさをみせる雨であっても、どうやら冷めることはなさそうだ。


「ごめんなさい。兄さん。ちょっと、無理し過ぎたみたい」


 言われなくても分かる。雨と連日の蓄積された疲労。病弱な瑠璃にとっては、どちらも毒にしかならない。こんな状態になるのも無理はない。


「もう、限界だな」


 瑠璃の命は一刻も争う。こんな世界からは、早々に立ち去らなければ。


「瑠璃の苦しむ姿をこれ以上は見てられん。一体どういう経緯で呼び出したかは知らんが、奴らに手を貸す義理もない。どんな理由があろうとも……俺は――瑠璃のために現実に帰還してみせる」


「お城……目指すの?」

「もちろんだ」


 瑠璃を抱え、空いた手に鎖鎌を構える。高熱を帯びた瑠璃の身体から、俺の腕に伝染してはくれないだろうか。そうすれば、苦しみも分かち合うことが出来るのに。

 だが、瑠璃には瑠璃の――俺には俺の戦いがある。

 俺が負けない限りは瑠璃も負けやしない。

 俺は元の世界に戻る為、戦場へと身を投げ出す。ただ、ひたすらに戦い続けるだけ。

 聞こえてくるのは、水浸しとなった路上を跳ねる足音。奴らが来る。また、新しい俺の戦いを予感させる。だが、いまだけは相手をしてやる時間はない。

 瑠璃の体の方が先決だ。

 そう決めた俺は近くの家屋に飛び乗り、地上から若干の高さを得た位置から更に土の壁の頂上目がけて跳躍する。しかしそれでも届くことはなく、俺は鎖鎌を頂上に引っかけて一気に駆け上がった。

 見下ろせば、必死に俺たちを探し回っているゴミくずのように映る異世界人がいた。ここを去れば、奴らは戦いの傷痕が残ったこの町の修復に当たるのだろう。しばらくは、追いかけられずに済みそうだ。


「一方通行でない限り、希望はある。でかい空間が必要というなら、あの偉そうな城に乗り込んで開かせてやる。それまで、頑張って耐えてくれ。瑠璃」


 頂上から真っ直ぐに見据えた先に城が建っている。あそこにいけば、すべて助かる。

 下から、魔法を止めることなく続けて放って来る異世界人。その猛襲を背に、俺は頂上から飛び降りた。

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