第8話

 霧が晴れ、視界が良好になりつつある中、雨水の弾ける音を殺しながら建物の影を縫うように移動していく。

 ざっと見て回ってみたが、どうやらここら一帯は完全に包囲されている状況で間違いなさそうだ。

 徘徊する異世界の軍隊。練度もそう大したことはなく、俺の足元にも及ばない雑魚だ。

 しかし、瑠璃を抱いて戦闘を行わなければならない。

 瑠璃を亡くすわけにはいかず、俺は片時も手放す気はない。


「親父なら、この状況。どう切り抜けるか……」


 向こうは狩る側なのだから、血眼になって探し当てる気だろう。無論、俺が逆の立場であった時も積極的に対象を探し回った。つまりは俺の意志とは関係なく、待つだけでも勝手に敵は集まって来る。待ち伏せをするべきか。

 どのみち、戦闘を回避してここから去ることは不可能に近い。いかんせん、数が多すぎる。無闇やたら動き回ることも得策ではないし、非戦闘員である瑠璃を抱えて離脱するには、リスクは避けたいところだ。


「兄さん、私を抱えていたら邪魔になっているよね? お父さんでもそんなやり方で戦っていなかったわ。ねえ、私を下ろして。そうしたら、兄さんも思う存分に動けるでしょ」

「邪魔なものか。俺は一度、瑠璃から離れてしまったせいで、お前を異世界人の手に渡らせてしまった。もう、二度とあんな目に合わせるのはごめんだ」

「……ごめんなさい。でも、私を言い訳にして兄さんが怪我をしてしまうのは許さないから。だから、本当に辛くなったときは私を下ろして。――約束よ」

「……ああ、分かった。無理はしない程度にやるよ」


 差し出された指を絡ませ、約束を交わす。納得してくれたようで、硬くなっていた表情が緩む瑠璃。

 よくよく考えてみれば、元の世界に帰るためには、ひたすらに戦い続けなければならない。戦闘を続行できなくなってしまえば、俺も瑠璃もこの異世界に閉じ込められたまま終わりだ。この先、何が待ち受けているか分からない以上、余計な怪我は負ってられないな。

 なるべく、早めに帰還の手段を探りたいものだが、まずはこの状況をどうするべきかだな。


「ねえ、兄さん。あそこに建っているのは見張り台かしら」


 瑠璃が指さした先には、辺り一面を眺めることが出来そうな建築物があった。


「そのようだな」

「まずはあの見張り台まで行って、町の全体図を見てみた方がいいと思わないかしら? 町から出るにしても、知らない土地だと逃げ方が分からないでしょ」

「そう簡単に言うがな……当然、あの場所にも敵は陣取っているんだぞ。乗っ取る為には、敵に見つかることは覚悟しておかなければならない」

「うーん……そうだとしても、闇雲に走り回るより効率的だと思うわ。兄さんの強さなら、異世界人に遅れを取ることもないわよ。無駄な体力を消費せずに、敵の攻撃を掻い潜りながら、一直線に出口に走り抜けた方がいいと思うのだけど」


 一理ある。仕事をこなす前には、あらかじめ土地の把握をしておくことは欠かせない。

 見知らぬ場所には、どんな脅威があって障害があるのか計り知れない。最低限、土地の全体図が分かるだけでも十分な対策が取れるというものだ。


「そうだな。ついでに今後の行先を探しておいてもよさそうだし、行ってみるか」


 見張り台の死角に入り、敵の注意から逃れるようにして移動する。距離はあまり離れてはなさそうだったが、回り道をしながらでは時間がかかってしまう。多少、無理を承知でも数人の異世界人を黙らせるぐらいなら問題は起きないだろうか。


「瑠璃。少し、待っていてくれ」


 近道をするべく、周囲の警戒に余念がない目の前にいる異世界人の息の根を止める。こいつは、丁度見張り台の死角になる部分にいる。これまでの道中から判断すると、視認できない位置に人員を配置しているようだ。よって、見張り台を気にする必要はない。

 一瞬に――確実に――振り向かせる暇も与えずに終わらせる。


 “無の境地”


 暗殺に音は必要ない。そこは、無音の世界。

 ボウイナイフを取り出し、感覚を研ぎ澄ます。


 “散華”


 走り抜けたあとには、鮮やかに花咲いた血の飛沫。雨水で満たされた地面には、散った花びらが浮かぶように血が散乱していた。

 俺は手招きで瑠璃を呼び寄せると、雨水の跳ねる音とともに瑠璃は小走りで抜けてくる。


「はぁ……はぁ……見つかってないかしら?」


 息切れをしながら、膝に手をついて呼吸を整えながら言った。病人で身体に寒気を感じると言っていた瑠璃には、ちょっとした運動でも辛いようだ。


「こいつ一人のようだし大丈夫だろう。それよりも、もう少しで目的地だ。さ、瑠璃。捕まるんだ」


 ふたたび瑠璃を抱き上げて歩き出す。瑠璃を歩かせてしまっては、跳ねる雨水で異世界人に位置を知らせてしまう可能性がでてくるために、移動時はこれで我慢してもらうしかない。

 見張り台周辺には、あまり異世界人は張っておらず、難なく近場までたどり着く。あとは内部に侵入して、頂上を目指すだけだ。

 中にはどうやら敵の気配を感じることはなく、肌を叩くような雨風からも凌いでくれる。

 瑠璃も自分で歩きたいと言い出し、好きにさせてやることにした。

 建物内には最近手入れをしたばかりなのか、寂れた外壁には一部修繕のあともあった。


「こんな世界でも、異世界人同士の諍いなどはあるのだろうか」

「どうだろう? もし、あるのだったら魔法を使うのかな?」

「……私利私欲のために魔法を行使するのか」

「一般人みんなが銃を持っているようなものなのかもしれないわね」

「俺たちの世界でも銃を使った犯罪は、海外でもよくあることだ。そう考えれば、まるで規模が違うだろうな」

「ファンタジーの物語では、魔法はとても人の役に立って、優れた力として国を豊かにするような物が多いのに……」

「他人が造った創作物(フィクション)に期待なんかしてどうする。所詮は、作家の嘘を並べ立てただけの世迷言だ。現実と創造は似て非なるものだ」

「もう、兄さん。そんなこと言っちゃったら全国の読書家を敵に回すわよ。作家はね、もしこんな世界があれば、きっと楽しいだろうな、とか。切なかったり、ドキドキさせたり。人の感情に刺激を与える素晴らしい職業よ。嘘は嘘でも立派な嘘。現実に起きればいいのにな、と期待や夢を思わず持たせてしまうような力があるのよ」

「……俺には分からないセンスだな」

「兄さんも本を読んでみればいいのに……きっと、世界が変わるわ」


 史実に基づいた話であるなら、そこから教訓や身に付く知識もあるかもしれないから、そういった類の本なら手を出してもいいと思う。だが、瑠璃の言っているのは理想であり、理想はあくまでも理想でしかない。叶わないことだと知ってなお、それにしがみ付くような本には興味は持てそうにない。

 俺は現実に満足しているし、空想に期待を抱くのは現実逃避でしかないと思う。まぁ、人それぞれの感覚なのだろうから、瑠璃を否定するつもりも、全国の読書家を敵に回す気もない。ただ、俺には理解できそうにはなかった。


「もう、そろそろ頂上だ。瑠璃、ここからは声を出さず、俺が呼ぶまで待っていろ」


 瑠璃は首を縦に振って見送ってくれた。

 扉をゆっくりと開き、隙間からのぞき込むと異世界人が眼下を見下ろしている姿が目に入る。俺は鎖鎌を取り出し、油断している異世界人の首元に巻き付ける。抵抗されるかと思われたが、まさかこんなところで後ろを取られると予想にもしていなかったのか、あっさりと締め落とした。

 見張っていたのは一人だけのようで、安全を確保したところで瑠璃を呼びだし、二人で眼下の町並みを見下ろした。


「こうしてみると、意外にも大きな町なのね」


 都会程ではないが、そこそこの大きさだ。憎むべき異世界人が血眼になって駆け回っている姿も一望できる。


「この町全域に人員が張られているな」

「そうね。どこか、手薄なところはないかしら?」


 この見張り台は町の真ん中に建てられているようで、辺り一面を見回せた。ここから脱出するまでの道のりはどこも同じといったところだ。瑠璃の言った通り手薄な所を攻めていくしかないだろう。だが人員の数からして、安易に脱出できる経路はなさそうだ。


「あ、あんなところに村があるよ。でも、なんだか寂れてるようにも見えるわ。もしかして、私たちはあそこから来たのかな?」

「方角的に考えるとそうだろう」

「こうしてみると、結構な距離を歩いてきたのね」


 辺りの景色には森が広がっている。そこに、不自然に拓かれた森があるから、おそらく俺たちが昨日通り抜けてきた道だろう。

 地理的には大自然のど真ん中にこの町はあり、俺たちを捕えていた田舎風の村も同じようにして、開拓された森に位置していた。


「兄さんあっち見て! お城が建ってるわ。なんだかおとぎ話の世界のようで素敵だわ」

「そうか? まあ、瑠璃が喜んでいるのならそれでいいが……」


 感嘆とする瑠璃。女性として、こういう風情にある光景には感じ入る部分があるのだろうか。それとも、普段の読書から得た世界観と照らし合わせて、感動に耽っているのか。

 どっちにしろ、俺にはこの世界における敵の本拠地としての見方しか出来ない。

 それにしても全容が把握できるほどの巨大な城。なるほど、あれだけの高さを誇る城ならば、森で異変が起きる様子は筒抜けだろう。俺が村を壊滅させたことも、この町の惨状もすでに知られていると見て間違いない。軍隊も城から派遣されているだろうが、俺たちが生きている限り、次から次へと手を打ってくるだろう。


「当面は城を目的地として動くとするか」

「お城に行くの?」

「ああ、異世界を統治している親玉が住んでいる居城だ。この世界から抜け出す手段も見つかるかもしれんしな」


 ふたたび森の中に入らなければいけないが、あれだけの巨大な城だ。迷うことなく、辿り着けることは可能だ。一筋の光明が見え、俺たちが元の世界に戻れる日もそう遠くはないかもしれない。


「そうと決まれば出口は北側ね。早く行きましょ、兄さん――……!」


 急に咳き込んだ瑠璃は、胸の辺りを抑えながら手すりに倒れ込んだ。とっさに抱きかかえ、瑠璃の息が荒くなっていることに、俺の心拍数も荒くなっている。


「おい! どうした。しっかりしろ! 瑠璃!」

「……ごめんね。ちょっと、はしゃぎ過ぎたみたいだわ。すぐに……元通りになるから……心配しないで……兄さん」


 微笑む瑠璃は、気丈に振る舞いながらも辛そうにしている。無理もない。この世界に連れてこられてから、手配してもらった薬を飲んでいないのだ。体調は悪化していく一方に決まっている。加えてこの雨だ。瑠璃の身体を痛めつけるには、都合の悪すぎる天気だ。

 一刻も早く、城に辿り着かなければならない。でないと、瑠璃の方が持たなくなってしまう。

 目的地へ向けて、行動を取ろうとした矢先――何かが飛来してくる気配を感じ取る。


「――!!」


 見つかった。地上から放たれた魔法は、高密度なまでに凝縮されている例の水だ。

 いくら修繕されているとはいえ、いまだ寂れた外壁は耐えることはなく、崩れ去ってしまうかもしれない。

 考える暇もなく、緊急の逃げ場として見張り台からの飛び降りを選んだ。命綱なしでは、自殺に近い手段だが、異世界での俺の身体能力は大幅に強化されている。しかし、瑠璃はどうだろうか? ただでさえ、現実世界との環境の違いに体調が不安定状態だ。着地の衝撃に耐えられるとは思えない。

 俺は外壁に鎖鎌を仕掛け、鎖を辿って落下速度を無理やり殺して降り、瑠璃には負荷を与えないようにゆっくりと着地する。同時に、頭上から雨水とは違う大粒の水を肌で感じ、見上げた時には頂上付近が崩れて墜落していた。慌ててその場から回避を取り、地鳴りを足で踏みしめて、目的地へとそのまま駆け出した。

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