第7話

 この小屋はおそらく一般人の所有物と見て間違いないだろう。だとするならば、いま扉の向こう側にいるのも素人だ。恐れることは何もない。

 塞いでいる障害をどけてやると、一気に扉が開く。不意に開いたことによって一瞬、驚きに顔を染めたのは異世界人。その表情を保たせたまま、鮮血が宙に舞う。


 “散華”


 両者ともに、斬った斬られたの感覚を一切排除し、ただ結果を知るだけで十分の秘義。

 速度に任せた朽月が誇る最速の暗殺が俺と異世界人の間で行われたことは、誰にも認知はされていないだろう。

 証拠に……奴は俺の存在を認識するまでもなく、安らかに事切れていた。事が済んだあとに悲鳴が上がる。

 異世界人は二人いた。

 俺に恐れをなしたのか、それとも唐突に死んだ異世界人に恐怖したのか。奴はなりふり構わずに悲鳴を上げながら、この場から逃げ出す。


「……」


 姿を見られたからには黙って見送るわけにもいかず、鎖鎌を投げつけて黙らせておいた。

 頭部から滴りおちる血液が顔を汚すことはなく、昨夜から降り続ける雨によって綺麗に洗浄されていく。

 街がこいつらの血で染まりつくすことはないだろう。きっと、すべて洗い流してくれる。

 それだけの雨量が続いていた。


「も、もう平気かしら……? 兄さん」


 小屋から申し訳程度に顔を覗かせている瑠璃に現状を見せる。


「ああ、もう大丈夫だ。出てきていいよ」


 何度も何度も扉をこじ開けようとしていた異世界人は二人だ。慌てふためくことしか取り柄のなさそうな人畜無害そうな奴らだったから、この世界における一般人といったところか。

 俺たちとは無関係な奴らだが、この際は仕方ない。我が身と瑠璃の安全のため、姿を見た連中は消してしまった方がいい。恨むなら、俺と出会った今日という日を恨んでもらいたい。


「子供の頃は全然だめだったのに、いまではもうすっかり立派に朽月を受け継げてるわね。さすが、私の兄さん。お父さんよりも強くなっちゃってるかもしれないわ」

「それは……どうだろうな。いなくなってしまった人とは力比べは出来ないしな。それに、朽月最弱とも呼ばれていた親父が、最も長く生きていたんだ。実力は関係なしに、この業界に長く居座っていたことの方が何よりの業績だろう」

「もう、またそんなこと言っちゃって……。兄さんはもっと自信過剰なぐらいで丁度いいわよ。私、ずっと見てきたのだから、兄さんなら朽月最強までいけるわ」


 そうだろうか。俺には正直いってそこまでのことには興味もないし、なりたいとも思わない。力を付けようとしたのはほかでもない、病弱な瑠璃をこの手で守り通すだけの理由しかないのだから。


「――――」

 遠くで何者かの声が聞こえる。

 日も登っていないせいなのか、異世界の特徴なのかは見当がつかないが、視界は薄霧に包まれていてよく見通せない。瑠璃の髪もこの空気で湿っている。

 異世界人も近づいてきているようだ。さっさとこの場から離れるべきだな。


「ねえ、兄さん。なんだか騒がしくないかしら」

「――奴らだな。こっちだ」


 複数の足音が雨に混じっている。それが俺たちに存在を教えていることを奴らはまだ気づいていない。

 瑠璃を連れ、建物の陰に身を潜めていると、ほどなくして複数人の異世界人がやってきた。


「さっきの悲鳴は助けを呼んでいたんじゃないかしら。ほら、あの服装。この世界の軍隊の物だわ」

「もうここまで嗅ぎ付けてきたのか。異世界の軍隊はよほど優秀なのだな」


 昨日の夕方前ぐらいだっただろうか。二人の鎧を身に纏った異世界人を屠ったのは。そこから、この町に到着したのが陽も完全に暮れた闇の中。

 酒飲んで酔っ払った馬鹿たちやくたびれた顔をした労働者たちを土砂降りが叩き付ける最中、軍隊と思われるような輩はいなかったはずだ。

 到着したというなら、俺たちが眠っていた時間か。おそらく、深夜中にこの町に着いて捜索でもしていたのだろう。


「簡単には逃げられそうには無くなっちゃったね。どうしよう……」

「逃げる必要はない」


 完全に包囲されているこの町では、どこまで行っても隠れる場所などはないだろう。どのみち俺たちに平穏はなく、周りには敵しかいないのだから。

 霧で視界は悪いが、それは相手にとっても同じ条件。いや、俺の方が有利だ。夜闇に紛れての行動に特化している朽月を俺は引き継いでいる。それは、霧の中であったとしても発揮できる。

 気配を探り、目を凝らす。

 一……二……三。――殺すべきは三人か。

 陰から覗くと、いまは倒れている異世界人の介抱をしているところだ。殺すには絶好の機会だ。


「瑠璃――」

「うん。分かってるわ。兄さんの邪魔はしたくないもの。さっさとあいつらを追い払っちゃって」

「違う。お前も来るんだ」


 俺は最初からそのつもりだったのだが、瑠璃にとっては違ったようで何を言っているんだという顔つきになる。

 確かに、瑠璃は戦闘向きではない。一緒に付いてきたところで足手まといにしかならない。そのことを理解している瑠璃は、こんな提案をされるなんて思ってもいなかったのだろう。


「敵陣のど真ん中で瑠璃一人を置いて行けるわけないだろう。こいつらを一掃していく上で、それが気がかりになっては集中できなくなる」

「でも、いいの? 私、何も出来ないよ」

「何もしなくていい。俺は護衛依頼もたまに引き受けているんだ。状況はそれと一緒だ」

「……じゃあ、エスコートをお願いしちゃおうかな。でも、無理はしないでね。私にとって、兄さんの無事が大事なんだからね」

「俺にとっては瑠璃の無事の方が大事だ」

「私たちは二人で一人。一緒だから、痛いことも半分だね」


 瑠璃をお姫様抱っこでかかえ、俺はボウイナイフを一本構える。その際に、瑠璃は咳き込んだ。

 まずいな、雨も降っていることだ。悪化しなければいいが。


「大丈夫か?」

「ちょっと寒いだけよ。すぐに治るわ」

「俺にちゃんとしがみ付いておけ。そうすれば、俺に移せるかもしれん」

「そんなのは嫌よ。それに、この苦しみは私にしか感じられないものなの。兄さんにはあげない。代わりに、私のために毎日傷つきながら兄さんは戦ってくれてるじゃない。これで半分ずつよ」


 俺はもう一度、この手に抱える大切な者の温もりを確かめる。

 片手には敵を斬る凶器。

 片手には大切な半身。

 どっちも手放せない。俺の存在理由。


「足元に気を付けてね」

「分かってる。しっかり捕まっておいてくれ」


 雨水に侵食された地面が一気に爆ぜると同時に、標的の急所目がけてボウイナイフが食らいつく。

 服を力いっぱい掴まれている感覚。瑠璃は目を閉じて、震えて包まっていた。


「すまん。瑠璃にはきつかったか」

「う、ううん……いいの……続けて。わ、私はこうやってしているから。ぜ……全然怖くないから」


 身体の弱い瑠璃には耐えきれてない様子だ。声も身体同様に震えている。あまり、全力は出さない方がよさそうだな。


「――――」


 降って来る雨の中で水が固まっていく。すぐに分かった。魔法だ。

 弾丸の如く振り続ける雨を大砲のような水の塊が横切るが、恐れることはない。これが雨粒のような大きさならどうしようもなかったが、目で見て把握できるようなサイズだ。

 すれ違いざまにボウイナイフで斬り裂き、水しぶきが上がる。頬に触れると重みがあった。どうやら、高度な水量と水圧による魔法のようだ。

 だが、それをいちいち気にして止まってはいられない。いまので効果は把握できた。

 もう一発。魔法の準備をし終えた異世界人よりも早く、俺はそいつの顔面を踏みつけて跳躍する。

 おまけ程度に、鎖分銅で魔法を破裂させてやると、その水圧を受けて異世界人は声を上げる。

 目当てはもう一人の異世界人。

 俺の存在に気づいたそいつが魔法を撃つよりも早く、持っているボウイナイフを投げつけると痛みで魔法を霧散させた。着地と同時に、腹部に突き刺さったボウイナイフを引き抜き、異世界人は倒れた。そして最後に自分の魔法で自滅していた異世界人を苦労することなくこの手にかけて終わらせる。

 脅威が去り、俺から地面に下ろされた瑠璃は、陸に上がった船乗りのように大地を踏みしめていた。


「瑠璃。怪我はないか?」

「兄さんが守ってくれるんだもの。怪我なんてするわけないわ」


 完全に俺を信じ切ってくれ、笑顔を振りまく瑠璃。しかしだ、こうして誰かを抱えながら戦闘するのは中々慣れそうにない。瑠璃のことを考えるあまり、思うようには動き回ることはできないだろう。

 “散華”のような過度な負担がかかる技は控えるべきだな。身体が慣れている俺にはどうってことはないが、瑠璃までもが耐えきれる保証はない。今後の俺の戦闘方法は変えていく必要があった。


「――兄さん! あそこ!」


 瑠璃が叫ぶとほぼ同時に、霧の向こうから放たれた土塊の魔法を躱す。これだけの騒ぎが起こしたのだから、軍隊が迅速な対応で討って出てきたのだろう。


「一度、体制を立て直そう。瑠璃。俺から離れるなよ」

「うん。……なんだか、こうして誰かに守ってもらっていると、あの頃のことを思い出すわ」


 瑠璃を連れ添いながら、丁度俺も同じことを思ったところだった。

 この状況は似ている。幼い頃、親父に守られている瑠璃を俺が襲撃するという山の日の出来事。

 あの時と違って、俺は襲撃する立場ではなく。いまは親父の立場になっている。

 最愛の瑠璃の命を預かるというこの現状。

 重い。あまりにも重すぎる。仕事上の付き合いで護衛する他人の命とは比べ物にもならない重たさだ。

 あの訓練の日々、親父に手も届かない軟弱な俺に対して、徹底的に完膚なきまでに打ちのめされてきた意味を――俺は知った。

 ああ、親父の奴はこんなにも重たい命を預かっていたのか。たとえ相手が軟弱であったとしても、手を抜けないわけだ。


「兄さん……? どうしたの? そんなにも力強く手を握られたら痛いよ……」


 知らず知らずのうちに力が込められていたようだ。すぐに緩めるが、また存在を確かめたくなって、力を入れる。

 そんな俺の心情を察してか、瑠璃も握りしめ、歩きにくくなるほどに密着してきた。それは、いま一番心を鎮める特効薬にもなってくれた。


「兄さんは十分に強いよ。あのころとは見違えるほどに強くなってるわ。軍隊なんて、兄さんにとっては子供の遊び相手をしているのも同然よ。だから自分に自信を持って! 兄さんは、朽月の中でも一番優秀な人だってことを私は信じているわ」


 いつも二人でいたんだ。俺のことを隅々まで把握しているのは瑠璃だ。そして、瑠璃のことを隅々まで把握しているのは俺だ。

 俺のことは俺よりも瑠璃が。

 瑠璃のことは瑠璃自身よりも俺が。

 だからこそ瑠璃の励ましは、何よりも自信を付けさせてくれた。


「兄さん。私はこの手を絶対に離さないわ。常に騎士(ナイト)の側にいることが、守られる側にとって一番落ち着くのよ。だって、そこ以上に安全な場所なんてないもの」

「ああ、そうだな。必ず俺が守り切ってみせる。そして、絶対に元の世界に連れ帰ってやる」


 どんな奴がかかってこようとも、俺は絶対に手は抜かない。刃向ってくる奴らには一切の容赦をしないと誓った。

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